第482話『巨鳥』
「レーゼさんっ!」
「こ、この……っ!」
熔岩湖へと落ちるレーゼ。底に溜まるマグマが、恐怖と共に一気に近づいていき――
「――っ!」
死の直前で、レーゼは火口壁に、己の空色の剣『希望に描く虹』を突き刺し、自分の体を支えた。
マグマまでは、僅か数メートル。普通なら火山ガスで死んでいる。そうなっていないのは、彼女の体を、咄嗟に発生させた光のバリア……防御用アーツ『命の護り手』が覆っているからだ。
(は、早く上らないと!)
肩や腕が悲鳴を上げ、火口壁が時折ボロボロと崩れるが、レーゼはお構いなしに登っていく。
命の護り手の効果時間は三十秒。それまでに、せめて火山ガスが届かないところまで逃げなければ、待っているのは死だ。
落ちても死ぬ、留まっても死ぬ。ならば一気に上るしかない。
しかし、意外と上手く上れない。レーゼは今、手の感覚が分からなくなっていた。どれくらいの力で、壁の突起を掴めばいいか、脆い壁に対する感覚が掴めない。手を伸ばしては、触れるものが砕けていく。それでも無理矢理上っていく。
そんなレーゼに向かって、空にいる一匹の化け物が嘴を開けた。全長六メートル、色は朱色だが羊のようにモコモコとした毛を纏った、鶴のようなフォルムをしたそいつは、『ミドル級鳥種レイパー』。レーゼを熔岩湖へと突き落とした張本人である。
そいつが放つのは、火炎弾。さらには木の矢や水の弾丸、鎌鼬。
ギリギリ生き延びたレーゼに止めを刺すべく、追撃してきたのだ。
だが、レーゼはそれを気にもしない。そんな余裕が無いというのもあるが、それ以上に、
「させるもんかぁぁぁあっ!」
優が、白いスナイパーライフル『ガーデンズ・ガーディア』を構え、弾丸型のエネルギー弾を乱射し、その攻撃を相殺してくれると信じていたから。
優の顔は、レーゼ以上に必死で、引き攣っている。何せ当の本人以上に、傍から見ている優の方がヒヤヒヤする光景だ。マグマの暑さとは別の汗が、額から背中から流れている。
一発たりともレーゼ、いや火口壁に命中させてなるものかと、霞む視線の中でも集中力を最大限まで引き上げて、引き金を絞る優。同じことをもう一度やれと言われても、もう出来ないと断言出来る程の気迫とテクニックで、敵の攻撃に対応していた。
それが功を奏し、遂にレーゼの手が、熔岩湖の入口の淵に掛かる。もう命の護り手は効果を失っていた。顔を出すレーゼの表情は酷く険しい。本当に間一髪のところだったのだ。
「ユ、ユウ……ありがとう!」
「レーゼさん! 早くこっちに! もう持たない!」
「う、ぐぐぐ……!」
感覚が無い中でも、腕に必死に力を入れ、何とか地上に足を乗せるレーゼ。
――それを見て、意図せず少し気が緩んでしまったのかもしれない。
「っ?」
レイパーが嘴を開いたことに、ワンテンポ遅れた。
瞬間、またしても大地が流砂となり、渦を描きだす。さらには太い蔦が壁のように生えてきて、二人の逃げ場を塞いでしまった。
再び熔岩湖へと傾くレーゼの体。
優が悲鳴を上げる中、レーゼの意識と思考は、驚く程にゆっくりだった。
レーゼは悲鳴を上げない。この時、流れに身を任せていた。
同じ感覚に、ついさっき陥ったからだろう。
目に映るものを、冷静に観察出来た。
レイパーがどこにいるのか。
奴が次に何をしそうか。
ここの地形の様子。
伸びていく蔦。
慌てる優。
足元。
気づけば、レーゼの腕は動く。
自分の右手側。優の近く。そこの蔦目掛け、不自由な体勢ながらも、強烈な横一閃の斬撃を繰り出していた。
その行為の意味。優はそれに気づく。蔦の向こう――そこは、地面がしっかりとしている。
そしてレイパーのこの攻撃は、レーゼを再び落とそうと企んだもの。優自身は、そこまで大きく足を取られていない。
声を張り上げ、優はそこへと着地すると、「掴まって!」とレーゼにライフルを伸ばす。
レーゼがその銃身を掴むと、一気に引き上げた。
だが、レイパーの次の行動は早かった。
流砂と蔦による攻撃を凌ぐことは、想定済み。
寧ろ、それを待っていた。ここが、彼女達が大きな隙を晒す瞬間だから。
レイパーの口から放たれる、無数の火炎弾。鎌鼬も大外から二人に襲い掛からせる。
『衣服強化』があるレーゼは兎も角、優はひとたまりもないはずだ。
大量の遠距離攻撃が一転に集約し、二人を覆っていく。
決まった――二人の姿が見えなくなった刹那、レイパーがそれを確信。
しかし、次の瞬間。
全ての攻撃が、爆ぜる。
明後日の方向へと、飛んでいく。
何が起こったか分からないレイパー。だが見る。
レーゼと優を守るように広がった、眩い虹のヴェールを。
レーゼの身に付けていた服が、空色の鎧へと変化していることを。
騎士――雅や志愛、ライナや真衣華と同様に、レーゼも変身したのだ。
この虹は、敵の攻撃を屈折させる効果を持つ。攻撃が命中する瞬間、レーゼが回転斬りを放ち、その軌跡に描かれた虹が、全ての攻撃を弾き飛ばしたのだ。
「さぁ……一気に決めるわよ!」
レーゼが静かにそう言って、切っ先を空のレイパーへと向ける。レイパーは水の弾丸や木の矢を放ってくるが、結果は同じ。レーゼの創り出す虹の前には、全ての遠距離攻撃は当たらない。
急降下し、二人へと突進してくるミドル級鳥種レイパー。遠距離攻撃が無意味となれば、接近戦に持ち込むしかない。
そしてこれを、レーゼも待っていた。空中にいては攻撃のしようも無いが、敵から近づいてきてくれるのなら好都合だから。
鎧の擦れる音を鳴らしながら、大きく振るうレーゼの斬撃。それと、レイパーの突進攻撃が激突する。
しかし――
「何っ?」
手から弾き飛ぶ、希望に描く虹。
感覚を失い、上手く柄が握れていなかったのか、敵の攻撃の衝撃には耐えられなかったのか……とにかく、剣は弧を描いて、レーゼの背後へと飛んでいってしまう。
だが、レーゼもやられっ放しでは無かった。
「――ッ?」
唖然としたのも一瞬。上手く体勢を逸らしつつ、レイパーの体毛を掴み、しがみつく。これにはレイパーも驚き、珍妙な声を上げた。
それでも、大きく飛翔しながら宙返りをし、急降下。向かう先は――
「レ、レーゼさんっ! 危ないっ!」
熔岩湖の、マグマの中。
レイパーは平気なのだろうが、このままではレーゼが骨すら残らず焼け溶ける。レイパーは、そうやって彼女を殺すつもりなのだ。
それでも、
「ユーウッ! 剣をっ! 私のアーツをっ!」
レーゼは、跳び下りることは無かった。優にそう叫びながら、必死でレイパーの体にしがみついていた。
大慌てで落ちたアーツを拾い、全力で希望に描く虹を投げる優。
優は狙撃手。遠くを狙うのは得意だ。投擲に自信が無いが。
それでもそれを、レーゼは空中で上手くキャッチする。
熔岩湖までは、後僅かだ。レーゼは勝負に出る。
振るわれる剣。斬られる体毛。
露わになる皮膚――
「今だっ!」
その瞬間を、優は逃さない。ガーデンズ・ガーディアを構え、狙撃する。
体毛に阻まれさえしなければ、威力を殺されることは無い。
放たれた白い弾丸型エネルギー弾は、皮膚に直撃。
吹っ飛ばされ、体勢を狂わされるレイパー。
進行方向は、熔岩湖から大きく逸れる。
向かう先は、硬い地面だ。
派手に噴出する緑血。
「これで……止めよっ!」
レイパーの背中に飛び上がり、叫ぶレーゼ。
アーツの切っ先が、背中に抉り込む。
再び大きく飛び散る、緑の鮮血。
奥まで押し込まれる剣。
そして――
レーゼが背中から大きく飛び退いた直後、ミドル級鳥種レイパーは地面に墜落し、爆発四散するのだった。
「レーゼさん! 大丈夫ですか?」
「ええ、何とか。……ふぅ。暑いったらありゃしなかったわ」
額の汗を拭いながら、レーゼは大きく息を吐く。思い出してもヒヤヒヤする戦いだった。
「ユウ、ありがとう。心強かった。狙撃、本当に助かったわ」
「私もレーゼさんがいなかったら、あの毛は攻略出来ませんでした。……まぁ、お互いの力あっての勝利ってところなのかな?」
「ええ、そうね。……さて、問題はこの後だけれど、どうしたらいいのかしら?」
「行くところ無いですよね。――ん?」
困ったように辺りを見回していた優だが、不意に、一つの細い道を見つけた。
山頂からちょっとだけ戻ったところ……そこに、別の道に逸れるように伸びていたのである。
「……こんな道、ありましたっけ?」
「気づかなかった……。何よ。私達、随分間抜けじゃない」
軽く頬を膨らませ、ガチャガチャと鎧の音を立てながらそちらへと歩き出すレーゼ。
優もその後に続く。
――二人は気づかない。自分達の姿が、スーッと消えていったことには。
***
レーゼと優が、ミドル級鳥種レイパーを撃破した後。
円形闘技場で、ミドル級人型種麒麟科レイパーと交戦する雅の体には、新たな異変が起きていた。
(くっ……何か、手の感覚がおかしい……!)
力が入らない、とでも言えば良いのだろうか。時折、剣銃両用アーツ『百花繚乱』を落としそうになってしまう。
さらに、
【ミヤビ! 来るよ! ――また炎だ!】
向けられたメイスの先端から、大きめの火炎弾が放たれてくる。
普通なら避けられないことはない速度だが、五感が不調ではそれもままならない。
雅は迫り来る火炎弾に手の平を向け、音符を一発蓄積させると、すぐに百花繚乱をライフルモードにし――それでも、手の感覚が狂いだしたせいで、少しもたつくが――エネルギー弾を放つ。
雅の耳には届かないが、不協和音が響き、エネルギー弾は火炎弾を貫通してレイパーの方へと向かう。
それを、メイスを振るって弾き飛ばすレイパー。
雅は既にレイパーの背後を取ろうと大きく回り込んできていたが、レイパーは焦ることなく、メイスの柄を地面に叩きつける。
刹那、揺れる大地。
さらにはうねり出し、流砂のように渦を描き出す。
体勢を崩し、渦に呑み込まれる雅。
口は開けども、そこから悲鳴は出てこない。
【足元に攻撃!】
必死で足元にエネルギー弾をぶっ放す雅。
大地が爆ぜ、その衝撃で放物線を描いて飛んでいくが、辛うじて雅は砂の渦から脱出する。
カレンの言葉は、本当に生命線だ。ここまでの戦いで、何度もそれに助けられていた。
【マズい! 次の攻撃が――っ!】
ふらつきながらも立ち上がった雅へと、レイパーは水の弾丸や木の矢、鎌鼬を飛ばしてきた。
さらには、雅を死に至らしめた瘴気も近づいている。
必死でその場から逃げ出す雅。歯を喰いしばる余裕すらない。
どんどん強くなっていくレイパー。逆に弱っていく雅。
勝ち目はあるのか――
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