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第480話『巨獣』

「くぅ……っ?」


 雪野原に響く、愛理の苦悶の声。


 目の前にいる、全身に鎧を纏った全長六メートル近い巨体の白い化け物、『ミドル級獣種レイパー』が、口から木の枝(ブランチアロー)や鎌鼬、そして水の弾丸を放ってきたのだ。それを刀型アーツ『朧月下』で弾き飛ばすのは、相当に神経を使う。率直に言ってキツい。


(こ、こいつ……ここにきて、また新しい技を……っ!)


 ブランチアローや鎌鼬も、少し前に突然使い出した攻撃だった。それにようやく慣れてきたと思ったら、今度は水の弾丸まで放ってきたのである。


 体の不調も相まって、状況は悪くなる一方。


 それでも、愛理は敵の攻撃をいなしても、逃げることはしない。レイパーの視線の先に自分を置き、隙あらば反撃の一手を打つような素振りを見せ、敵にこちらを意識させる。


 そうやってレイパーを引き付ける理由は、ただ一つ。レイパーの背後から気配を殺して忍び寄る少女に、奇襲をさせるため。


 この場には、愛理の他に二人いる。だが交戦中にレイパーに吹っ飛ばされていた。残るは愛理ただ一人……敵は、そう思っているはずだ。


 紫髪ウェーブの少女、ファムが、小さく頷き――背中に生やした白翼、『シェル・リヴァーティス』を広げ、レイパーの背後へと一気に迫り、超速での飛び蹴りを繰り出す。


 しかし、レイパーは大きく跳躍し、その攻撃を躱してしまう。ファムの気配にはレイパーも気づいていたのだ。


 だが、愛理にもファムにも、焦りはない。ファムの攻撃が躱されるのは別にいい。


 本当の狙いは――




「やぁぁぁぁあっ!」




 別方向から近づいていた、真衣華の攻撃だ。


 その両手には、片手斧。半月型をした深紅の斧は、彼女のアーツ『フォートラクス・ヴァーミリア』だ。二挺ある内の一挺は、彼女のスキル『鏡映し』で増やしたものである。


 さらに、彼女はもう一つのスキル、『腕力強化』も発動。硬い馬具のような鎧も、これで少しくらいはぶち破れるはず……そう思ったのだ。


 これが本命の一撃。ファムの奇襲を躱し、油断している今なら、致命的な一撃になるはず……だったのだが、


「何っ?」

「ちょわっ?」

「きゃあっ!」


 地面から雪を持ち上げて出てきた蔦が、三人の体を絡めとって動きを封じてしまう。


「あぁ! もう鬱陶しいなぁっ!」


 ファムが、自分の拘束を解く『リベレーション』のスキルを使うと、あっという間に蔦が力を失い、地面に落ちる。


「ちょ、ファムちゃん助けてぇ!」


 自分の方に向かってくるレイパーを見て、悲鳴を上げる真衣華。


「マイカ! 変身すればいけんじゃないのっ?」

「っ! そ、そっか!」


 瞬間、真衣華の下に出来た影が膨れ上がり、真衣華の体を飲み込む。


 レイパーは一瞬怪訝な顔をするも、構わず一気に飛び掛かる……が、暖簾に腕押しするような手応えの無さと共に、スッと擦り抜けた。


 直後、レイパーの背後の影から、真衣華が飛び出してくる。


 黒いミニスカと網タイツ、首からマフラーのようにはためく黒頭巾、サガリバナの刻印がなされた額当て――忍者のような格好のこれは、真衣華の切り札、変身だ。


 影に潜る能力で、上手く蔦の拘束を抜け、敵の攻撃も躱し、背後を取ったのである。


「とりゃぁっ!」


 気合を入れるように、掠れた声を精一杯に張り上げて放つは、斧の二連撃。


 それを一発は体を捻りながら躱し、一発は鉤爪で受けるレイパー。


 一瞬力が膠着するも、すぐに跳び退いて互いに距離を取る。


「喰らえっ!」


 敵の着地タイミングを見計らい、シェル・リヴァーティスの羽根を飛ばすファム。


 レイパーはファムの方へと口を開くと、そこから木の矢と水の弾丸を放ち、相殺。一部それをすり抜けていく羽根はあるが、レイパーから大きく外れている。


 だからレイパーも無視をしていたのだが――


「――ッ!」


 突然、背後から迫る殺気。


 そこには、まだ蔦に拘束されているはずだった愛理がいた。実は先程レイパーから外れた羽根をコントロールし、愛理に巻き付く蔦を切断したのだ。


 大きく振られた斬撃は、レイパーの纏う鎧に命中する。――が、すぐに愛理は顔を顰めた。刃が沈む感触が無い。空しく響く手への振動が、寒さで凍えた体には異様に痛く感じる。


「愛理ちゃん! そのまま引き付けて!」


 横から聞こえてくる真衣華の声。直後、真衣華の斬撃とファムの飛び蹴りが、レイパーの体に同時に迫る。


 しかしレイパーは愛理を突き飛ばして高く跳躍し、一回転して二人を飛び越え躱してしまった。


「ちぃ! あいつ、少しくらい隙を見せたらどうなんだ!」


 愛理は思わず悪態を吐く。硬い鎧に守られているのだから、いちいち攻撃を躱さずとも、その身で受けても支障はないはずだ。だがそれをしない。避けられる攻撃は、きっちり回避する。


 恐らく、防具に頼って回避行動も何もしないとなると、防具の関節部等の弱いところを狙われ、思わぬダメージを受けることがあることを警戒しているのだろう。このレイパーは、あくまでも防具というのは保険で、基本はそもそも攻撃を受けないということを徹底しているように見えた。重そうに見える馬具だが、このレイパーからすれば軽防具みたいなものなのかもしれない。


 せめて防御力の高さに高を括るくらいの隙があれば、攻略のしようもあるのだろうが……悲しいかな。このレイパーは、こちらの攻撃をきちんと警戒していた。


「だったら――」


 再び影に沈む真衣華。もう一度背後を取るつもりだ。


 だが――獣種レイパーは、口を大きく開く。


 轟く咆哮。瞬間、流砂のようにうねり出す大地。撒き上がる雪。よろめく愛理。そして、


「きゃあっ!」

「橘っ?」


 影の中から、真衣華が吹っ飛ばされるように出てきてしまう。


「か、影の中にいるんでしょ! なんでっ?」

「分からんが、そういうものらしい!」


 バランスを崩して膝を付く愛理が、そう叫ぶ。それは正解だ。影の中にいた真衣華は、まるで見えない壁に揉まれ、圧し出されるように外へと追い出されたのだ。


 宙に浮いた真衣華へと飛び掛かるレイパー。その長い鉤爪が、彼女を襲う。


 混乱する頭の中で、真衣華はフォートラクス・ヴァーミリアを体の前に持ってくる。ガキンという鈍い音が響き、同時に強い衝撃に襲われ、彼女は雪の中へと叩きつけられてしまった。


 離れたところに着地したレイパーが、倒れた彼女に止めを刺そうと飛び掛かるが、


「調子に乗るなよ!」


 愛理が間に入ってきて、横一閃の斬撃で迎え撃つ。


 それを左にステップするようにして躱すレイパー。


 刹那、愛理の姿が消え、レイパーの頭上に瞬間移動する。攻撃を避けられた時、敵の死角にワープする『空切之舞』を使ったのだ。


 そのまま、鎧の首関節のところ――そこに、僅かだが隙間があった――を狙って縦一閃の斬撃を繰り出すが、やはり響くのは金属音のみ。求めている、敵を斬るあの肉の感触は、全くない。


「――っ?」


 直後、顔面に叩きつけられるレイパーの尻尾。


 白い光が愛理を包んでいる。防御用アーツ『命の(サーヴァルト・)護り手(イージス)』の展開が、ギリギリのところで間に合っていた。


 それでも、愛理の視界と思考が揺れる。吹っ飛ばされたことに気付くのも、雪野原に背中が叩きつけられてから、しばらくした後のこと。尻尾の一撃は愛理の顎に衝撃を与え、脳を揺らしていたのだ。


 愛理を退けたレイパーは、真衣華の方へと向かっていく。愛理の時間稼ぎは僅か。まだ、真衣華の体勢は整っていない。


 そして、レイパーの鉤爪が、倒れる真衣華の心臓部を貫く。容易にめり込む爪が、大地まで一気に突き刺さった――のだが、


「……ッ?」


 手応えのあまりの柔らかさに、違和感を覚える。


 その直後、真衣華の姿が煙のように消えると、


「――ッ!」


 脳天にクリティカルヒットする、強烈な斬撃。


 血を吐き、悶えるレイパー。


「よしっ! やっと一発決まったぁっ!」


 そう叫んだのは、真衣華。ファムに抱えられ、空から敵を襲撃したのだ。


 今まで雪野原に倒れていたのは、分身……否、変わり身の術。レイパーが愛理の攻撃に気を取られている間に仕込んだのだ。


 ここが好機と言わんばかりに、真衣華は「おりゃおりゃぁっ!」と声を張り上げながら、フォートラクス・ヴァーミリアの斬撃を二発、三発と敵の体に浴びせていく。変身して上がった真衣華の身体能力プラス『腕力強化』、さらにはファムの飛翔によるスピードのブーストが加われば、鎧は砕けずとも衝撃は体にきちんと伝わっていた。くぐもった声を上げるレイパーの声が、それを証明している。


 だが、四発目を繰り出そうとした瞬間、


「グルァァァァァアッ!」

「っ?」


 レイパーが大きく吠え、水の弾丸と木の矢を無茶苦茶に放つ。


 それを寸前で命の(サーヴァルト・)護り手(イージス)で防ぐ二人だが、あまりの激しさに、思わず敵から距離をとるしかない。


 さらに地面を流砂のように渦巻かせ、その中心に鎌鼬を放つと、辺り一面に派手に雪が舞う。元から強かった吹雪も相まって、あっという間に辺り一面が白く染まっていく。


「あわわ……マイカっ?」


 抱えていた真衣華がいつの間にかいなくなっており、そう声を上げるが返事はない。


 目が霞み、聴覚が悪くなり、さらには声も出辛くなっている今、一度はぐれた仲間を見つけるのは不可能だ。


 そんな中――


「ッ!」

「っ?」


 ファムの背中に、レイパーの鉤爪が直撃する。命の(サーヴァルト・)護り手(イージス)のお蔭で致命傷は免れたものの、飛んでいた彼女をあっという間に墜落させる一撃だった。しかも大地が渦巻いている今、一度そこに飲み込まれれば、脱出するのも時間がかかる。


「ファ、ファムちゃん! 愛理ちゃん! どこぉっ? ――っ?」


 真衣華も雪の中でもがきながら二人を探すが、見つかるわけもない。それに気を取られている内に、横からレイパーのタックルを受けてしまい、大きく吹っ飛ばされた。


 残りは愛理。彼女もまた、激しい雪に目を殆ど瞑っている状態。その場にしゃがみこみ、仲間達の姿を探すと共に、レイパーの気配も探っていた。


 声を上げることはしない。否、出来ない。先の尻尾の一撃のダメージは、まだ残っている。


 クラクラする頭。敵は獣だから、そちらの気配はせめて臭いで分からないものかとも思うが、寒さからか鼻も全く機能しない。こうなれば、レイパーからすれば、愛理はただの格好の的だ。


(くっ……なんだこのザマは。これでは、私は何のために……っ)


 愛理は心の中で、悔しい気持ちを噛み締める。


 もうミドル級獣種レイパーに勝つことを諦めているのか、そうでないのか、自分でもよく分かっていない。ただ、悔しいという想いだけは湧き上がっていた。


 強くなろうとオートザギア魔法学院に行ったものの、得たものは無し。


 友を助けたい一心で駆け付けたものの、戦果も碌に無い。


 この戦いでも、自分の攻撃は何一つ通用しない。いや、ミドル級オーク種レイパーの時からそうだった。前衛職にも拘わらず、他の人のサポートが精一杯だった。


 今の自分自身は、ただの足手纏いではないかと、愛理は自分のことを呪う。


(役に立てたことなど、何も……いや、王女様を連れてきたことだけ見れば、皆の役には立てたのか? だがそれも、一国の王女を危険に晒したことを踏まえれば、せめてイーブン。そもそも、王女が活躍しているのは、彼女自身の力じゃないか……!)


 考えれば考える程、心底自分が嫌になる……愛理はそう、歯を喰いしばった。


 前にスピネリアに言われた「あなたは手を引け」という言葉が、不意に頭に浮かんでくる。あの時はああだこうだ言ったが、これでは彼女の言う通りだ。


(すまない橘、パトリオーラ……、皆……。そして(たば)――ん?)


 雅の顔が思い浮かんだところで、不意に愛理は思考を止める。


 ふと思った。雅は、いや雅も含めた他の者達は、無力な自分を責めるだろうかと。


 ……きっと、しないのだろう。特に雅は、心の中で愛理に愛想を尽かすことすらない。馳せ参じたことを、心から嬉しく思ってくれているという、根拠はないがそういう確信すらある。


 直後、愛理の目の前から吹雪を突き破り、レイパーが飛び掛かってきた。


 背後からでも横からでもなく、真正面。ある意味、愛理が一番意識していなかったところ。


 それでも、今までの厳しい戦いの経験からか。愛理の手は自然と動く。


(――強く、なりたい)


 そういう想いと共に、刀を横一閃に振るう愛理。


 ここで諦めてはならない。それは、自分を求めた雅達に、あまりにも失礼だと思った。自分のために着いてきたスピネリアにも、顔向け出来ないことに思えた。


 激突する、刃と鎧。




 ――その時、信じられないことが起こった。




「――っ?」


 大きな抵抗が一瞬あったが、すぐにそれが嘘のように消えていったのだ。同時に、愛理の顔に、熱い液体が掛かる。


 さらに聞こえてくる、レイパーのくぐもった声。


 愛理は気づく。いつの間にか、レイパーが自分の背後にいることに。




 そしてレイパーの体が、上下真っ二つに分かれていることに。




 ドサっという重い音がして、爆発四散するミドル級獣種レイパー。


 愛理はそれを、まるで夢でも見ているかのように感じていた。


「……えっ?」


 地面のうねりが収まって、愛理は素っ頓狂な声を上げる。


「アイリっ! やったよ! 凄いよ!」

「お……美味しいところ、持って行かれちゃったねー! 何か凄かったけど、どうしたの?」

「い、いや……私にもさっぱり……」


 駆け寄ってきた二人に、愛理はぎこちなく首を傾げる。


 一体何が起きたのか。レイパーが撃破されたという結果は分かったが、その過程が分からない。あれだけ硬く、自分の攻撃が通用しなかったはずなのに。


「……橘達の攻撃で、奴の馬具に亀裂でも入っていたのか?」

「んー? そんなことは無かったと思うけど……。変身でパワーアップして、相当な力を入れた記憶はあるけど、私ってほら、元々細腕だし」

「私の攻撃なんて、尚更だったよ?」

「…………」


 ならば何故……そう思ったところで、愛理の足元に、一つの金属片が飛んでくる。


 それは、敵の馬具だったもの。


 だが、


「ん?」


 その切り口を見て、愛理は眉を顰める。


 そこは、刃が綺麗に斬った感じでは無かった。溶けている、とでも言えば良いのだろうか。兎に角、汚かったのだ。


 よく、優れた剣士の斬撃は、鉄さえも斬り裂くというが、あれとは違う感じである。


(……私、確かに奴を斬った……んだよな?)


 朧月下の刃を見るが、変わった様子は無い。


 すると、


「あ、何かドアが出てきたっ?」

「行ってみよう! 二人とも、私の後ろに!」


 三人の目の前に、突然扉が出てきたのだ。丁度、ここに来る前に開けた扉と、同じものが。


 真衣華を先頭に、その扉の奥へと進む三人。


 愛理は気づかない。




 ――その時、朧月下の刃が僅かに緑の光を帯びたことには。




 ***




 愛理、真衣華、ファムが、ミドル級獣種レイパーを倒した、その直後。


 宮殿の最上階の円形闘技場で、ミドル級麒麟種レイパーと戦う雅は。


【ミヤビ! 右に跳べ!】

(……っ)


 レイパーが水の弾丸を放ってきて、雅はカレンの言葉通り、大きく右に跳んでそれを躱す。


 敵の攻撃は、ちゃんと見えていない。目が霞んで、まるで視力が大幅に下がったかのような感じだ。音も聞こえないから、敵の攻撃をきちんと躱そうとすれば、カレンに全面的に頼らざるを得ない。


 しかも、


(……まただ。今度は、鼻が利かなくなったっ?)

【な、何でだ? 何でこんなに、ミヤビの体が悪くなって……!】


 鼻が詰まったあの感じ。強烈な不快感が、雅を襲う。


 前兆はない。いきなりのことだった。


 幸いなのは、現状、嗅覚を失っても、大きな不都合はないことくらいか。


 だが、段々と五感が無くなっていく恐怖というものが、この瞬間にはっきりと牙を剥いてくる。



 さらに、


【……っ? ミヤビ! 気を付けて! 何か来るよ!】

(ええっ?)


 レイパーがメイスを地面に突き刺すと、雅のいる地面が、流砂のように激しく渦を描きだす――。

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