第478話『巨亀』
(ちぃ! 頑丈な蔦じゃのぉ!)
全長三メートルの山吹色の竜、シャロンが、目の前の光景を見て心の中で悪態を吐く。
雷のブレスを放ったのだが、地面から生えてきた蔦が分厚い壁を作り、豚の鼻をした黒い巨亀、『ミドル級亀種レイパー』を守ったのだ。
鳴り響いたはずの爆音は耳に届かず、悔しい声も出せず、そしてピンピンしているレイパーの姿は薄らボヤけている。体のコンディションが悪い今、シャロン最大の一撃をこうも簡単に防がれたというのは、シャロンに抱えられている希羅々、そして地上にいるライナも衝撃を受けていた。
だが、空にいる希羅々とシャロンは兎も角、ライナにショックを受けている余裕はない。ミドル級亀種レイパーが生んだ、たくさんの子亀達が、一斉にライナに寄ってきているのだから。
だが――
(っ? なんでこんなに子亀がっ?)
今のシャロンのブレスは、蔦の壁にこそ阻まれてしまったものの、その全てが無駄な攻撃だったわけではない。電撃の余波は地上に広がり、子亀の大半を消し飛ばしていた。その瞬間は、ライナもしっかりと見ている。残っているのは、精々十五体前後のはずだった。
だが、今ライナに襲い掛かってきている子亀の数は、少なく見積もっても四十体。遠くには、まだいる。明らかに数がおかしい。
まさか――ライナが慌てて親亀の方を見て、その理由を知る。親亀のいる地面の亀裂、そこから子亀がまたゾロゾロと出てきているのだ。
(このレイパー、産卵のスピードが早いっ? ――くっ!)
手に持った紫色の鎌、『ヴァイオラス・デスサイズ』を振り回し、子亀を蹴散らすライナ。しかし数が多い。『影絵』のスキルで分身を十体出して対応するが、物量差に押し切られそうになる。
あまりにもライナの周りに集まり過ぎて、シャロンがブレスで全滅させようにも、これでは巻き添えを喰らってしまう。仕方なくシャロンも希羅々も地上に降りて子亀と戦い出す始末だ。
(本当なら、ミヤビさんを助ける時に使いたかったけど……っ!)
最早、なりふり構っていられない。
ライナがそう思った瞬間、彼女の足元に、芍薬が中心に描かれた銀色の魔法陣が出現し、ライナの姿を変えていく。
銀と紫、黒のマーブル模様をしたフードに、彼女の銀髪には髑髏の髪留めが出現。
まるで死神のような姿になったこれは、ライナの切り札の変身だ。
魔法陣の光が強まり、結界が出来上がると同時に、ライナの背後には全長五メートルもの、ヴァイオラス・デスサイズを持った上半身だけの女性――処刑人が現れ出でた。
ライナの分身達も変身し、空中を飛び回りながら親亀、子亀へと向かっていく。
子亀は変身ライナの分身によって続々と数を減らす。
ライナが光の結界の中で鎌を振るえば、背後にいる巨大な処刑人も連動して動く。その攻撃の向かう先は、ミドル級亀種レイパーだ。
だが――ミドル級亀種レイパーは亀らしく、頭部、そして手足を甲羅の中に引っ込め、甲羅で処刑人の一撃を受けた。……甲羅は硬い。鈍い音が響いたような振動は見えるが、罅一つ入らない。
それでも、ライナ達の顔に焦りはない。レイパーが防御態勢をとるのなら、それはそれで結構。
何度も何度も、巨大なヴァイオラス・デスサイズがレイパーの刃が、甲羅に突き立てられる。上から、左右から……傷一つ付かなくても、ライナが攻撃の手を緩めることは決してない。この甲羅が砕けるまで、攻撃を仕掛けるのみだ。――この状態なら、敵は反撃も出来ないはずだから。
地面から蔦が伸び、処刑人の腕や、ライナ自身、分身達を捕えようとするものの、所詮は蔦。鎌の前には、細切れになっていく。
シャロン達も親亀に攻撃し、三人が「これで一気に勝負を決める!」と勢いづいた……その瞬間。
甲羅の中から水の弾丸が放たれ、空中でシャロンに抱かれている希羅々の頬を掠めた。
(――っ? こいつ! この状態で攻撃出来ますのっ?)
それだけではない。シャロンの体や、一部の分身ライナに、鎌鼬と木の矢も直撃してしまう。
考えてみれば当然か。水の弾丸も鎌鼬も木の矢も口から出せるのだから、甲羅の中に頭を引っ込ませたところで関係はない。
救いは、射程範囲が狭まり、狙いが付けづらくなったことか。シャロンは大きく旋回して、レイパーの遠距離攻撃を何とか躱していく。
しかし、分身達はそうはいかない。無茶苦茶に放たれる水の弾丸や鎌鼬、木の矢に被弾し、消し飛ばされてしまう。
時には子亀も巻き添えになるが、子亀はそれを恐れることなく突っ込んでくる。親亀はそれを気にする様子は全くない。
(生んだ子供のこと、駒くらいにしか考えていませんわね……。らしいと言えば、らしいですが)
親亀の放った水の弾丸をわざと受け、一気に希羅々の方へ突撃してくる子亀もいる。希羅々に迎え撃たれて倒される子亀は勿論、希羅々に当たらず、放物線を描いて遠くの地面に落ち、そのまま絶命する子亀もいた。
こういうところは、人間とは考え方が相容れない。子供を殺して平気な親も、親に殺されることを気にもしない子供のこと……そのどちらの気持ちも考えも、希羅々にはまるで理解が出来なかった。
だが、それでいい。下手に同情できるようなものがないのなら、攻撃の手に迷いが生まれることもないのだから。
(くっ……それにしても、数が多いですわ!)
地上を這う子亀の数は、分身ライナの数よりも明らかに多い。見れば、親亀はまだ卵を産んでいるのか、甲羅の中から子亀の群れが出ていた。
指を差して、シャロンにそのことを伝える希羅々。とにかくあれを何とかしないと、このまま子亀の数に圧殺されてしまう。今はライナが頑張っているが、それが限界になるのも時間の問題だ。
だが、「ではどうする?」とシャロンは目で訴えかけてくる。産卵には体力を消耗するのは生き物共通のはずだが、ミドル級亀種レイパーにはその様子もない。攻撃の合間合間の片手間で、子亀の卵を産んでいる。そして卵はすぐに孵ってしまうのだ。
新たな子亀の出現を少しでも抑えられれば、勝機はあるはず。
――ならば。
声が出せず、聴力も失っている希羅々は、シャロンにジェスチャーだけで策を伝える。
瞬間、シャロンは目を見開き、すぐに実行に移しだす。
竜の足のアンクレットが光り、出現するは、竜の姿のシャロンにはアンバランスな程に小さな十二個もの雷球。シャロンのアーツ『誘引迅雷』だ。
シャロンは、未だ飛んでくる水の弾丸や鎌鼬を避けながら、それから迸る電流を操り、巨大な網を作って親亀の方へと放り投げる。
殻に籠っているだけのレイパーを捕えるのは容易い。……が、レイパーはすぐに頭と手足を出して、電流の網に喰らいつき、手足で引きちぎろうともがきだす。
処刑人による鎌の攻撃を受け続けながらも、お構いなしに体に力を込め、網を打ち破ろうとするレイパー。
その力は尋常なものではない。あっという間に、電流の網は引きちぎられてしまう。
だが、次の瞬間。
「ッ?」
ミドル級亀種レイパーは、突然何か強い力で、後ろに引っ張られるような感覚に襲われる。
その眼に映るのは、自慢の網を破られたのに、まるで焦った様子を見せないシャロンの面。
シャロンの狙いは、レイパーを網で封じることでは無かった。――電流の網をレイパーに被せた本当の理由は、この親亀を帯電させること。
レイパーの後方には、巨大な雷球も出来ている。こいつは帯電した対象を、引き寄せることが出来るのだ。
徐々に持ち上がる、レイパーの体。
レイパーは激しく身をよじり、声を上げるように口を開いて、抵抗するように地面にしがみつく。
だがシャロンが、その下顎にテールスマッシュを叩きつけて体を浮かせると、一気にひっくり返り、その腹甲部を露わにした。
(どうじゃ! これで卵も産めまい!)
体勢が変われば、産卵するための力を入れることも難しい。卵を産む位置も物理的に高くなれば、地面に落下した衝撃で卵が割れる可能性もある。少なくとも、無事に生まれてくる子亀の数は、大幅に減る。
レイパーは蔦を呼び出し、正しい体勢に戻ろうと画策するが、シャロンは駄目押しに、もう一度電流で網を作り、それをレイパーに被せる。さらにブレスを吐いて親亀に攻撃。レイパーがまた元の体勢に戻ることを許さない。
その隙に分身ライナが子亀を一掃していく。地上に飛び降りた希羅々も一緒になって、きっちり全滅させていく。
(システィアさん! 今ですわよ!)
(ええ! キララさん!)
ぼやける視界の中でも、はっきりとライナと希羅々の目が交錯。言葉は伝えられなくとも、激しい戦いの日々が、今が好機だという意思疎通を可能にする。
光の結界の中で、大きく鎌を振り上げるライナ。背後の巨大な処刑人が、その動きにリンクする。
空気を斬り裂き、レイパーの腹甲部に直撃する巨大なヴァイオラス・デスサイズの切っ先。
音は無い。――だが、もしも耳が正常なら、きっと聞こえていただろう。
バキッ――という、何かが壊れる、高い希望の音が。
電流の網とブレスによりダメージを受けていた甲羅。背甲部と同様に腹甲部も頑丈だが、体勢が悪い分、力の分散は上手くいかない。処刑人による強烈な一撃で、僅かだが甲羅が抉れたのだ。
吠えるように、口を大きく開くライナ。声が出る感覚は失っていても、腹から声を出す力は、確かに腕に籠る。
二撃目。鎌による斬撃が、甲羅の抉れたところにヒットすると、一気に甲羅全体に亀裂が走った。
そしてこの瞬間を見逃さずに行動に移る者が一人。
それは、希羅々。シュヴァリカ・フルーレを思いっきりレイパーの方へと突き出し、刹那、空に巨大なレイピアが出現する。
実体のある幻影――希羅々のスキル、『グラシューク・エクラ』だ。
狙うは、勿論レイパーの、罅の入った甲羅。
ひっくり返り、シャロンの電撃の網に捕らわれたレイパーが、それを避けられるはずもない。腹甲部の、亀裂の中心ど真ん中に、希羅々必殺の一撃が完璧に直撃する。
爆ぜるように砕け散る、甲羅。
同時に噴き上がる、鮮血。
大きく口を開く巨亀。
上がる悲鳴。
巨大レイピアがその体に沈んでいき、大地に串刺しにしていくにつれ、レイパーの抵抗する動きが弱まっていく。口からは水の弾丸とは違う液体を吐き出し、それから間もなく。
ミドル級亀種レイパーは一瞬硬直し、直後、大爆発するのだった。
だが、しかし。
(っ? これは……っ!)
ライナや希羅々、シャロンの足元に、三人がここに連れて来られた時と同じ、巨大な青い魔法陣が現れる。
あの時と同じように、体が動かなくなり……三人は、強敵を倒したという実感に浸る間もなく、消えてしまった。
***
同じ頃。円形闘技場。
(……っ?)
【ミヤビっ? なんか音が聞こえなくなった!】
(ええ! そ、それに、喉も変な感じが……!)
ミドル級人型種麒麟科レイパーと交戦している最中、またしてもおかしくなる体。さっきまでは目が霞んでいたのだが、それに加えて、さっきまで聞こえていたはずのあらゆる音が、嘘のように無音になったのだ。
しかも、声を出そうとしても、出せない。喉には空気が通る感覚があるのに、言葉の形となって出ていかない。
流石におかしい。何かされている……雅とカレンは、違和感を覚える。いくらこれまでの疲労が蓄積してきたとて、こんなに極端に聴力が失われるだろうか。声が出せなくなるであろうか。目の霞みも、段々ひどくなってきた気がする。
さらに、レイパーがメイスを空に掲げた瞬間。
【ミヤビ! なんか来るよ!】
(あ、あいつ……また新しい攻撃をっ?)
木の矢や鎌鼬に混じり、今度は水の弾丸がそこから放たれてくる――。
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