第468話『牙毒』
「クォンっ? どうしたっ?」
「ス、すみませン……ッ、多分、毒……ガ……」
突然苦しみだした志愛。呂律がやや回っていない言葉だが「毒にやられた」と言う。シャロンは慌てて、志愛が今触れた、ミドル級セイウチ種レイパーの折れ落ちた牙を見た。
そして気付く。牙の表面には、小さいが刺が付いていることに。あれが指に刺さり、そこから毒が回ったのだろう。まさか牙に毒が仕込まれているとは思ってもみなかった。
(くっ……儂がさっき気付いておれば……っ!)
この牙を圧し折ったのは、シャロンだ。尻尾を叩きつけた際に刺に気付けば良かったのだが、幸いというか運悪くというか、竜の鱗は刺を通さなかったのである。
「パトリオーラ! クォンを安全な場所へ! こやつらは儂が引き受ける!」
「分かった! シア、しっかりして!」
志愛を抱えて逃げるファム。飛べばすぐに離れられるのだが、遠くでこちらを狙っているイービルアイ種レイパーのせいで、それが出来ない。志愛に少し負担は掛かるが、肩を担いで動くしかない。
「ファ、ファム……私は大丈夫……ッ!」
「全然大丈夫じゃないでしょ!」
いやいやとファムの腕を解こうとする志愛に、ファムが大慌てでそう突っ込んだ。
牙に仕込まれた毒は、実は折れたお蔭で、そこまで強いものでは無くなっていた。本当なら即死するくらい強い毒なのだが、今は体が痺れたり、体調が悪くなったりする程度でしかない。
最も、そんな状態では戦えたものではないのだが。
「ぬぅ……! 一応、竜に毒の類は効果が薄いはずじゃがのぉ!」
ミドル級セイウチ種レイパーが、その上体を大きく振り、シャロンに向けて牙で猛攻を仕掛け、それを躱すシャロン。
抉れる砂浜。こいつのパワーは、見ただけでかなりのものだと分かる。あれが直撃すれば、いかに竜の鱗と言えど貫かれてしまうだろう。
……毒で死ぬことはないかもしれないが、動きが鈍ればやられる。そんな予感を、シャロンはひしひしと感じていた。
タックルをしてくるセイウチ種。思わずそれを、大きく飛んで躱すシャロン。――そうした後で、「しまった」と思う。
「っ!」
遠くから放たれる黒いビームが肩に直撃。ダメージはそこそこだが、一瞬翼の動きが止まる。
(お、おのれ……っ! このビームにも、妙な毒があるのか!)
最初に受けた時には感じなかった、麻痺する感覚。それもそのはず。ビームが効かないと分かったイービルアイ種レイパーが、ビームの種類を変えてきたのだから。
ビームには、単にダメージを与えるものと、威力はそこそこだが痺れを引き起こす効果があるもの、他にも何種類かある。これまで、ファムやシャロン以外にも飛行出来るアーツを使っていた女性がいたのだが、彼女達もこれで攻撃し、撃墜していたのだ。最も、その止めは他のレイパーに任せていたが。
墜落するシャロン。地面に激突する前に受け身は取れたが、既に目の前で、ミドル級セイウチ種レイパーが口を開けていた。
勢いよく近づいてくるレイパーの顔面を尻尾で強打して怯ませ、その隙にバク転して距離を取るシャロン。
焦りや恐怖を表に出すようなことはないが、それでも緊迫感だけはどうしても顔に出てしまう。元から雑魚とは思っていないが、この二体はシャロンが想像していたよりもずっと強敵だ。
さて、どうしたものか……そう思っていた、その時。
ミドル級セイウチ種レイパーの顔面右に、十枚もの羽根が突き刺さる。
「シャロン! 大したことないかもだけど、助太刀!」
「パトリオーラ! いや、助かる!」
地上で翼型アーツ『シェル・リヴァーティス』を広げていたファム。志愛を木陰に隠し、戦いに来たのである。
遠くからファムに向かって、イービルアイ種レイパーがビームを放ってくるが、飛んでいないからか狙いは逸れ、ファムから少し離れたところの岩肌に命中する。
地面スレスレの低空飛行で動き回るファム。ビームが嵐のように放たれるが、ファムはその合間を縫うようにスイスイ動き回り、隙を見てセイウチ種に羽根を飛ばして攻撃。
ダメージは少ないが、苛立ったセイウチ種がファムの方へ向かいだす。
瞬間、シャロンの眼がギラリと光った。
勝負に出るならば、ここだ。そう思ったのだ。
「さて……母上のように上手く出来るか分からんが……!」
腹を括るようにそう言うと、シャロンの右足に着いたアンクレットが光を放つ。
出現するは、十二個もの、野球ボール程の大きさの電気の球。雷球型アーツ『誘引迅雷』だ。
だが、いつもはシャロンの腕の周りに出現するその雷球が、今回はシャロンの背後にあった。それぞれがバチバチとスパークし、放電が始まる。雷球から迸る電流が、別の雷球の電流と繋がって、一つの大きな電流の輪っかを創り上げていたのだ。
電流の輪っかが回転を始めると、シャロンは両手を合わせながら、手の平をミドル級セイウチ種レイパーへと向ける。輪っかから流れる雷のエネルギーが、手の平に収束していく。
「ア、あれハ……!」
陰から戦いを見ていた志愛が、唖然とする。シャロンのやろうとしていることには、見覚えがあった。つい最近、同じようなことをする竜人がいたのだ。そう、シャロンの母、エスカ・ガルディアルだ。
ネクロマンサー種レイパーによって、亡霊として呼び出された彼女も、今のようにエネルギーを手の平に集め、巨大な雷のレーザービームを放っていた。まさか、あれをするつもりなのかと思った彼女の直感は正しい。
シャロンはこの数日、ドラゴナ島で身体を鍛える意外にも、もう一つ別の修行をしていた。それが、このビームの習得だ。
「ふん! 人間態じゃと、ブレスが吐けんからのぉ……! こういう技が、一つ欲しかったんじゃよ!」
何か新技のヒントでもないかと、昔エスカと暮らしていた住処に、久しぶりに赴いたシャロン。土塗れになりながら探していたら、竜族に伝わる秘伝の書物の写しを見つけたのだ。かなり古く、エスカによる追記もたくさんされてあった。
内容はかなり高度だ。普通なら、竜人が数年かけて習得するようなもの。だがシャロンは、誘引迅雷のエネルギーを借りれば何とかなりそうだと思ったのである。
収束したエネルギーが、バチバチと激しくスパークする。シャロンは感電こそしないものの、髪の毛が逆立っていた。集めきれず、外へと逃げる電流は、翼を広げたり尻尾で捕らえ、自分の体を通して手の平へと送っていく。
電気が流れる痛みに、顔を歪めるシャロン。普通なら、雷の力を持った竜が感電することはない。電流を通すための専用の神経が、体の中にあるからだ。翼や尻尾で捕らえた電気も、そこを通せば痛みも感じないのだが、今のシャロンの実力では、それも同時並行でするのは難しい。
そしてエネルギーを溜めるのに、少しばかり時間がかかる。これが熟練者なら、エネルギーを上手くコントロールして敵の攻撃を防いだり出来るのだろうが、シャロンはまだ、そのレベルには達していない。誰かに敵を引き付けてもらわないといけなかった。
――だが今、ファムが頑張って二体のレイパーを相手にしてくれている。この技を使う、絶好のチャンスだった。
高密度の電撃エネルギーが、手の平で暴れ出す。玉のような汗を浮かべながら、シャロンは慎重に敵に狙いを定めていく。
そして――
「……今じゃっ!」
放たれる、電撃のビーム。
エスカとは違い、紫色ではなく、雷らしい黄色の光線。それが、砂を巻き上げ、若干うねりながら、ミドル級セイウチ種レイパーへと向かっていく。
ビームから発せられるスパークの音は、聞く者を震え上がらせるような威圧感がある。
レイパーも、勢いよく迫りくるビームを避けようと、大きく体をくねらせた。
ビームが当たるかどうか、ギリギリのタイミング。
その結果は……
「あぁっ! そんなっ?」
ファムの悲痛な声が、全てを証明する。
ビームは空しくセイウチ種の体の側を通り過ぎ、海岸から離れた、大きな岩やヤシの木が無造作に生えているところへと着弾してしまう。
ニヤリと笑みを浮かべる、ミドル級セイウチ種レイパー。シャロンの渾身の一撃を無駄撃ちさせたことで、完全に勝利を確信したのだろう。
だが――ビームが当たったのとは異なる爆発音が直後に聞こえてくる。
そして、あれだけ絶えず撃たれていた、イービルアイ種レイパーのビームが、嘘のようにピタリと止まると、流石のミドル級セイウチ種レイパーの笑みも消え失せる。先の爆発音の意味に、気付いたから。
「ふん! 上手くいったかのぉ!」
レイパーへ意趣返しするかのように、口角を上げるシャロン。
シャロンの狙いは、ミドル級セイウチ種レイパーではない。――その後ろ、もっと遠くにいる、イービルアイ種レイパーだった。奴の存在が邪魔だったのだ。
こいつがいると、ファムが飛べないから。
だから、セイウチ種を狙うフリをして、イービルアイ種レイパーにビームを放ったのだ。先の爆発音は、イービルアイ種レイパーが倒された音だった。
「さて、残るはお主一体だけじゃ! お主だけなら、どうとでもなるわい!」
挑発するようなシャロンの言葉に激怒するように吠える、ミドル級セイウチ種レイパー。
先のビームを撃つのに体力を使い果たし、片膝を付くシャロンへと、牙を振り上げ向かってくる。奴の目には、もうシャロンしか映っていない。
だから気付かない。――横から近づいてくる、もう一人の少女の姿には。
「――ッ?」
突然体の横に、何かで突かれたような衝撃を受け、そこでレイパーは知る。志愛が、青い顔で息を荒げながらも、棍型アーツ『跳烙印・躍櫛』でレイパーに攻撃しにきていたということに。
アーツ生成の素材となったのは……先程拾うのに失敗した、セイウチ種の折れ落ちた牙。それを、志愛はもう一度拾って、今度こそ跳烙印・躍櫛に変化させたのだ。
牙の毒を、彼女はどう対策したのか。それは、志愛の体を覆う、白い光のバリアが示していた。そう、防御用アーツ『命の護り手』を使ったのである。バリアに守られていれば、牙に付いた小さな刺が、指に刺さることはないから。
毒にやられた体に鞭を打ち、一矢報いてやろうと気合を振り絞って放った今の一撃。油断していたレイパーには、存外に大きなダメージを受けてしまう。
体の表面に現れる、紫色の虎の刻印。志愛がアーツで攻撃した際に現れるその爆発エネルギーの塊を、ミドル級セイウチ種レイパーは力を振り絞って掻き消してしまう。
だが、それで良い。元から、この一発で倒せるとは、志愛とて思っていない。
「ファ……ファム……ッ! 今ダッ!」
志愛が声を張り上げた刹那、レイパーの体に、三十発もの羽根が次々に刺さる。空から、ファムがシェル・リヴァーティスの攻撃機能で放ったものだ。
レイパーが怯んだ隙に、ファムは高いところから一気に急降下。
「喰らえっ!」
その勢いを利用した踵落としが、レイパーの脳天に深く入り込む。
刻印を打ち破るのに体力を消耗し、意識をそちらへと向けていたレイパーに、今の一撃に備える余裕はまるでなかった。無抵抗で、しかも脳に直接響くような一撃を貰えば、流石のレイパーと言えど、耐えられるはずもない。
一瞬ふらついた後、ミドル級セイウチ種レイパーは爆発四散するのだった。
「ヨ、よシ……ウッ」
「シアっ?」
「ええい! 無茶をしおって!」
何とか敵を撃破したことで安心したら、急に意識が遠のきだした志愛。
ファムとシャロンが駆け寄ってくるのをぼんやりと眺めながら、彼女はスッと目を閉じるのだった。
***
さて、同じ頃。海岸から離れたところにある、街エリア。ゴーストタウンになっているその街の東、古くなった商業施設の跡地にて。
細い路地から飛び出してきたのは、いつもの白いエナン帽を脱ぎ、厚めの肌着姿をしたミカエル。そんな彼女が、赤い宝石を先端に付けた白いスタッフ――杖型アーツ『限界無き夢』を構えている。
杖の先には、大きなコカトリス――頭部は鶏、尻尾は蛇、翼は竜の魔物だ――の姿をしたレイパーがいる。対面しているわけではない。奴の視線には、目が合った者を石化させる毒があるため、背後をとった形だ。
コカトリス種レイパーは、目の前を走る二人の女性――ライナが『影絵』のスキルで生み出した分身で、一人はミカエルのエナン帽とローブを纏っている――を追っており、目の前の二人から感じる違和に気を取られていた。だからミカエルには気づいていない。
「よし、もらった!」
路地の影に隠れていたライナが、作戦の成功を確信して小さくガッツポーズをする。既にミカエルは巨大な火球を放っており、今コカトリス種レイパーが気付いたとて、もう避けられない。
そしてついに、ミカエル渾身の一撃が命中し、大爆発を起こす。
……が、ミカエルの表情は、決して明るくない。それもそのはず。その爆発は、コカトリス種レイパーのもっと手前で起きたものだったから。
恐らく何かに当たったのだろうが、一体何に当たったのか……その正体は、すぐに明らかになり、直後、ミカエルの目が見開かれた。
「レレモエワムゾ。ロンルム、クヘンメテトウナマアゾッノヂ」
ミカエルとコカトリス種レイパーの間で、そんな声が発せられる。
爆煙が薄くなってくると、その存在が露わになった。
ミカエルの巨大火球を受けたのは、赤色と白色のマーブル模様をした、人型のレイパー。
体は貝のような殻に覆われ、腕には大きな蟹の鋏。
頭部も蟹のパーツがあしらわれており、蟹をベースとして貝を混合させたレイパーだと分かった。
分類は、『人型種蟹科レイパー』か。
(こいつ……一体どこにっ?)
どこからともなく現れたこのレイパー。湧き出てきたわけではあるまい。
実はコカトリス種レイパーとの戦闘が始まって間もない時から、ミカエルやライナのことを遠くから観察していたのだが、二人には知る由もないことだった。
「ミカエルさん! 逃げて!」
ライナの切迫した声と共に出現する、大量の分身ライナ。
直後、スキルで創り出された分身達が、次々と石になっていく。コカトリス種レイパーが後ろのミカエルに気付き、振り向いたのだ。そいつと目があって、分身達は石化させられてしまったというわけである。
辛うじて目を合わせずに済んだ分身達も、人型種蟹科レイパーの鋏に切断させられていく。一部は、持っている鎌型アーツ『ヴァイオラス・デスサイズ』の刃をレイパーに突き立てるが、貝の体には傷もつかない。
しかしそんな中、
「ッ?」
(ん? 今、痛みを感じた……?)
人型種蟹科レイパーの微妙な反応に、ミカエルは気付く。だがそれを、ゆっくり考察している時間はない。分身ライナが目隠しになってくれたお蔭で、ミカエルまでもが石にされることは防げたが、戦況は完全に逆転してしまった。
こうなればもう、逃げの一手だ。
「もう少しだったのに……っ!」
ミカエルが悔しさを滲ませてそう言いながら、地面に向けて火球を放つ。
爆ぜる地面。撒き上がる煙。それに身を隠し、ミカエルはライナと合流して、そこから急いで離れだすのだった。
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