季節イベント『風呂』
「あっ……つい……。死ぬって……」
これは、世界が融合して間もない頃の話。
季節は夏のまっ最中。丁度、学生達が夏休みに入ろうかという、そんな時期。
朝、日課のランニング兼街の散策を終え、束音家に戻ってきたセリスティアが、玉のような汗をこれでもかという程に浮かべて廊下に倒れる。
「なんだこの国……来てまだ数日だけどよ、何が雪国だよふざけんなって。ぜってぇ雪なんて降らねぇよ……」
一体誰に対して、何に対してなのか、自分でもよく分からないがとにかく悪態を吐かずにはいられない。今、外の気温は三十℃を超えている。これでもまだ朝の八時を少し過ぎたくらい。ここからまだ温度が上がるのだと思うと、それだけで憂鬱な気分になってしまう。
すると、
「あ、お帰りなさいセリスティアさん。お水、どうぞ」
「おぉ、ミヤビさんきゅー……。でも、お前は後で〆るからな」
「ええっ? なんでですかっ?」
コップを持ってリビングから出てきた雅に、恨み言を告げるセリスティア。いきなりの「〆る」発言に、雅も驚かずにはいられない。
「体が溶ける……なんか頭もボーっとしてきたかもしれねー……。いや、ヤベぇだろ、これ」
「あー……セリスティアさんも、暑さにやられましたか……。新潟の夏は、こんなもんじゃ済まないですし、早いところ慣れておいた方がいいですよ」
「まだ暑くなんのかよ……馬鹿じゃねぇの……?」
心底げんなりとした顔になるセリスティアに、苦笑いを浮かべて曖昧な笑みを浮かべるしかない雅。こりゃあ重症である。
アランベルグは比較的寒い国。気温が二十℃を超えることすら稀だ。日本の夏等、今まで経験したことのない暑さだろう。セリスティアがこうなるのも、正直なところ無理は無いと理解出来てしまう。
まだ熱中症にはなっていないようだが、はてさてどうしたものか……そう頭を悩ませる雅。
すると、
「あー……そう言えば、レーゼさんも暑さにやられたんですよね……。あっ、そうだ」
妙案を思いついたと、雅はポンっと手を叩くのだった。
***
「ふぅーん。ここに、えーっと……サウナ? というのがあるの?」
その日の昼下がり。
ここは新潟駅南口の、けやき通りにある銭湯。
レーゼが店の看板を眺めながら、まるで人生の全てが決まる決断をしなければならない状況に追い込まれたような顔で、そう尋ねる。
「ったく、言われて来たけどよ……全くもって分からん。サウナってのは暑いんだろう? 何でこんな暑い日の中、わざわざ暑い思いをしなけりゃならないんだ」
「暑い暑いって連呼しないでよセリスティア。これも、体を慣らす訓練よ」
眉を顰めて文句を垂れるセリスティアに、隣のミカエルがそう諭す。しかしミカエルの顔も渋い。内心では、セリスティアの意見に諸手を上げて賛成しているのだろう。そう察せた雅は、困った顔になる。
新潟、もとい日本の夏の暑さに慣れるため、雅が考えたのは……サウナ。六十℃以上もの暑さを体験できるここで、暑さへの対処法を学んでもらおうと思ったのである。
また、異世界にサウナ文化は無い。折角なので、こちらの文化を楽しんで貰おうという意図も多少はある。
本当は仲間を全員呼びたかったが、優達は学校があって来られないし、シャロンは元々暑さに強いドラゴン。ライナは色々あって疲れたようで断られ、ノルンは珍しく外出を嫌がった。結局来たのはレーゼ、セリスティア、ミカエル、雅、そして――
「まぁ何でもいいよ。早く入ろう。ミヤビの世界のお風呂! 学校の大浴場より広いって本当?」
こちらもまた珍しく乗り気で興奮気味なファムである。昼寝以外にも入浴が好きというのは聞いていたが、こんなに積極的になるのはある種、良い意味で予想外だった。
営業開始時間ぴったりに来たためか、他に客はいない。今ならのんびりし放題だろう。雅がお金を払い、早速入る一行。
「おぉっ! ほんとに広いや!」
「ファムちゃん、他に人がいないけど、静かにね? 後、ちゃんと体を洗ってから入るように。学校とは違うのよ?」
「うぃー!」
円形風呂を始めとした三種の風呂を見てはしゃぎだすファム。一応話は聞いているのか、若干声のトーンを落として洗い場に向かっていった。
「あー……俺も風呂でのんびりしてぇよ。……んじゃ、取り敢えず入ってみるか? サウナってやつに」
「待って。私達も体を洗ってから入るわよ。そういう決まりなのよね?」
「イエス! イエス! そうですそうです!」
「……ミヤビ?」
脱衣所とは違う方にある扉を見て、そんな会話をするセリスティアとレーゼ。だが自分の質問に対する雅の反応が、不審な程にテンション高い。
チラっと雅の方を見て――レーゼは若干青筋を浮かべた。雅が、自分達を見て気色悪いくらい頬を染めて息を荒げていたから。
「人の裸で興奮しないの!」
「ワオ!」
キツめのデコピンを喰らわせるレーゼ。仰け反る雅に苦笑いを浮かべるセリスティアとミカエルを連れて、洗い場の方へと足を向けるのだった。
――十分後。
「…………」
「…………」
「…………」
サウナ室の前で固まるレーゼ達三人。
あれから体を洗い、折角だから湯船に浸かり、体を慣らす為に熱めの風呂に入ったり、なんやかんやと理由を付けて中々サウナに入ろうとしなかった彼女達。
……端的に言って、勇気が出ないのだ。寒い地域で過ごした者達にとって、日本の夏の暑さは地獄そのもの。サウナはそれよりも暑いと聞けば、二の足を踏むのも致し方なしというものである。
これではいかんとレーゼが率先してサウナ室へと向かい、他二人もそれに続いたものの、最後の一歩が中々踏み出せない。
そんな中、
「あれ、三人とも入らないの? んじゃ、お先ー」
「ええっ? ファム、あなた……!」
まさかのファムが、特に恐れることなくサウナ室の扉に手を掛けたのだ。なんと怖い物知らずか。愕然とするレーゼ達。
「うぉっ、あっつ! ヤバ!」
「っ?」
「っ!」
「……っ」
サウナ室の扉を開け、外に漏れ出る熱気。それに怖気づく三人。ファムはそれにはしゃいで中に入っていくが、とても真似できそうにない。
「あ、あいつ……! 度胸有り過ぎだろ……!」
「む、無理よ! 私絶対無理!」
「ミ、ミカエル! あなた炎魔法使いじゃない! ビビってどうするのよ!」
「魔法の熱と、この熱じゃ全然違うのよ!」
「あ、あー……俺、やっぱもう少し体洗ってくるわー……」
「ちょ、セリスティア! 逃げる気っ?」
「ええっと……皆さん、折角だし入りましょうよ。キツかったらすぐ出られますし。ね?」
子供の前で、一体何をやっているのか……。みっともないやりとりをし出した三人に、流石の雅も呆れ顔を禁じ得ない。
(……そう言えば、皆まだ若いんですよねぇ)
レイパーの前では頼もしい彼女達だが、最年長のミカエルですらまだ二十歳。レーゼとセリスティアも、雅より少し年上というくらいだ。未知のものへの恐怖心は、年相応にあるのだろう。
――ここは自分がリードすべきかもしれない。
「ささっ、皆さん一緒にどうぞ! 中へどうぞ! さぁさぁさぁ!」
「ま、待ってミヤビちゃん! まだ勇気が――」
「って、あんたドサクサに紛れてお尻とか触んないの!」
「うぉ、パワーつえぇ! ――うぉ」
半ば無理矢理、そしてセクハラ込みで中へと連れていかれるレーゼ達。だが、中に入れば、文句も一瞬で消え失せる。
高温の湿度で満たされた熱が、体の中に入ってきたから。
独特の匂いもする。精油系の香り、とでも言えばよいだろうか。サウナ室に使われている木材等が、高温により化学反応を起こした際に発せられるあれだ。
熱と匂い……その二つが、レーゼ達をクラりとさせる。
先に入っていたファムは、既に呼吸が荒い。汗も、尋常じゃない程に出ている。まだ入って、数分も経っていないはずなのに……と、三人を戦慄させた。
レーゼ達が雅に座らされるのと殆ど同じタイミングで、ファムは立ちあがる。言葉には出さないが、「あー、もう無理!」と思っているのが丸分かりな顔をしていた。
「わ、私達、いつまで耐えられるのかしら……?」
「待て喋んな。死ぬぞ……」
「お、大袈裟ですよぉ……」
セリスティアの至極真剣な言葉に、苦笑いを浮かべてそう呟く雅。確かにサウナ室で喋るのはマナー的にも体力的にも問題があるが。
一方でレーゼは、覚悟を決めたように目を閉じ、暑さに耐えていた。少しくらい彼女を見習ってほしいものである。
そんな彼女を見たのか、セリスティアもミカエルも、座って大人しくし始めた。サウナは暑いが、一旦冷静になって考えてみると、存外耐えられる。最初にあの熱気を感じた時は、一瞬で干からびそうだと恐れたものだが、そこまでではない。
そして、
(……やっぱり、サウナに入るとこうなりますよねぇ。不思議ですけど)
まだ一分だが、レーゼもセリスティアもミカエルも、意外と我慢出来ていた。
発汗の量からすると、もう出たくて堪らないはずだろう。しかし、誰も出ようとはしない。雅は気づく。ミカエルとセリスティアの目が、チラチラと他の二人の方を見ていることに。レーゼは目を閉じているが、多分意識は二人にも向いているように思えた。
恐らく、思っている。「こいつより先に出るものか」……と。サウナあるあるだが、何となく、他の人より先に出たら負けな感じがするのだ。
それにしても、
「……うっひょぉ」
なんと眼福かと、雅は堪らず小さくそう呟く。
その視線は、レーゼ達の体。
汗で艶が出た肢体、なんとも艶めかし。最早これを見に来たと言っても過言ではない。全員分の入館代を払った甲斐があったというもの。
おまけに熱に耐えようと集中しているからか、雅の邪な視線にも気づいていない様子。
(……あー、駄目です私、なんかクラクラして……)
高鳴る胸の鼓動。特にミカエルのダイナマイトなムフフな裸体なんか見ていると、興奮が限界突破してくる気さえする。レーゼもプロポーションが綺麗だし、セリスティアも引き締まったボディがマニア的には垂涎ものか。
(……くっ! もう少し早く入っていれば、ファムちゃんの体も……!)
既に風呂で裸は見ているが、艶を帯びたボディは残念ながら一瞬しか見ていない。出来ることなら、もっとじっくり見たかったのだが……雅は悔しさに、拳を握りしめる。
しかし、雅は心の中で首を横に振る。この状況が、既に奇跡。これ以上望むのは罰が当たるだろう。
……先程から視界がグルっと回るような感覚があるが、そんなことはどうでも良い。麗しき美少女達の汗まみれの体を、無限の容量を持った脳内保存領域に収める方が優先である。
雅が、荒くなる吐息を必死で堪えつつ、己の視界に全神経を注いでいると、
「またお邪魔しまーす」
(神に……っ! 感謝……っ! あぁっ、神様……っ!)
なんと戻ってきたファムに、雅は思わず手を合わせて天を仰ぐ。
「三人とも、出たら水風呂入ってみてよ。超気持ちいいから……」
火照る体に、十度台の水の何と心地良いことか。あんなものを体験したら、もう戻れない。そんな気持ちを吐き出すように、ファムはそう告げる。
最も、レーゼ達の顔は強張っており、ファムの話など大して頭にも入ってこなかったが。この灼熱の空間に、よもやもう一度戻ってくるとは全く思っておらず、ただただ畏怖と敬意の念を募らせていた。
それと同時に、聞こえてきた水風呂という単語の誘惑。
抗いがたい涼しさへの渇望と、他の二人よりも先に出たくないという意地の間で揺れる理性。
しかし、一度心揺れたのなら、体は限界を訴える。滲み、伝う汗が、体の悲鳴を鮮明に知らせてくるのだ。
「あ、でも三人一度には入れないかも。浴槽、そこまで大きくなかったし」
「あ、私もう出るわ」
ファムのその言葉が止めとなって、先に根を上げたのはミカエル。
セリスティアが思わず「俺も」と言って彼女に続きそうになるが、視界の端でチラリと映ったレーゼに動きを止める。
「あら、どうしたの?」
「……何でもねえよ」
危ねぇ……と、暑さから出る汗とは違う液体がこめかみを伝う。水風呂への誘惑よりも、レーゼに負けるものかという根性が勝ったのだ。
気合に任せ、今まで座っていた場所よりも高いところに座り直すセリスティア。外からミカエルの歓喜を多く孕んだ力の抜けた声が聞こえてきて、一瞬にしてその行いを後悔する。やっぱり水風呂入りたい。
一方で、
(……セリスティア、粘るわね)
レーゼは内心で舌を巻く。絶対にミカエルに釣られて根を上げると思ったのに、耐えるとは思わなかったのだ。短い期間だが一緒に戦ったこともあり、その時にも思ったが、こういう根性は流石だ。
だがしかし――体がキツいが、レーゼが負けるわけにはいかない。日本での生活に関しては、セリスティアとは一日の長があるのだ。
ミカエルがリタイアした後も、根性を見せる二人。どちらも中々ギブアップしようとしない。
このまま膠着が続くこと、一分が経過した時だった。
「……ひゃんっ?」
突如響く、レーゼの可愛らしい声。――痺れを切らしたセリスティアが、彼女の横腹をつま先で突いたのである。
レーゼがギロリと睨めば、そっぽを向くセリスティア。その顔は、笑いを堪えていた。
レーゼは細く息を吐くと、立ち上がり――一段上、セリスティアの横に腰を下ろすと、
「ふんっ!」
「あだっ」
仕返しに、彼女の横腹を、思いっきり指で小突いてやった。
やったなこんにゃろー、とセリスティアも反撃し、レーゼも応酬。不毛な争いが勃発する。こんなことをしても無駄に体力を消耗するだけなのに、暑さで頭がおかしくなったのだろう。
そして、
「とりゃ!」
そんな面白やりとりにファムが参戦しないはずもなく。
意地になってやりかえすレーゼとセリスティア。突発的に始まった三人の小突き合い。
すると、
「ぶほはっ!」
横でそんな声がしてそちらを見ると、雅が盛大に鼻血を出して痙攣していた。
うら若き美少女達が全裸プラス汗だくで乳繰り合っている。そんな光景に、興奮しないことがあるだろうか。いや、ない。
元々興奮で身体が熱くなり、頭に血がいっていたこともあって、遂に雅はダウンしたのだ。
「ええっ? ミヤビっ?」
「くそぉ! 暑さにやられたか!」
「ファム! 戸を開けて! セリスティア、運ぶわよ!」
「おいおい、勘弁してくれよ! もう体力ねぇぞ!」
「え、どうしよ? 水風呂に入れた方がいい?」
「っ! それよ! ミヤビ、しっかりして!」
「ちょっとあなた達、煩……ちょ、ミヤビちゃん大丈夫っ?」
やたら騒ぎながらサウナ室から出てきたレーゼ達に、炎魔法使いの癖に水風呂でのんびりしていたミカエルが眉を吊り上げる。最も、セリスティアに抱えられている雅を見て血相を変えるが。
「ミカエル! そこどいて! ミヤビを入れるから!」
「ええっ? ちょ、待って――」
慌てて水風呂からでるミカエルに、放り込まれる雅。
ミカエルが足を滑らせ、「きゃぁっ!」と悲鳴を上げて尻餅をつくのと、水飛沫が上がるのは、ほぼ同時だった。
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