第463話『歪街』
さて、時は少し前に遡り、海から少し離れたところ。そこには、一つの街がある。
街と言っても、ここはラージ級ランド種レイパーの体内。人で賑わうようなことは全くない。青い空の下、人の気配がまるでないこの街は、ただの空虚な箱としてそこに存在している。
「……本当に、異様ね」
そんな街の真ん中で、風化して崩れた建物の瓦礫が積み重なったところに立っているのは、鍔の広いエナン帽をかぶった、白衣とローブを足して二で割ったような服を着た金髪ロングの女性。手には、先端に赤い宝石の付いた、節くれだった白いスタッフ……杖型アーツ『限界無き夢』を握る彼女は、ミカエル・アストラムである。
彼女も例に漏れず、ラージ級ランド種レイパーに吸い込まれ、目が覚めたらここにいたのだ。
周囲を見回すミカエルの頭の中は、少しばかり混乱していた。――入ってくる情報が、ひどくチグハグなものばかりだから。
ここは街。一見すれば、行政に関わる仕事をするための建物や、商店街、住宅、道路や水道等のインフラが存在する。
しかし……例えば家一つをとってみても、右に見えるのは、壁に煉瓦を使っている一軒家、つまりはミカエル達の世界でよく見かける様式の家。しかし左に見えるのは、木材やモルタルを使った家、つまりは雅達の世界でよく見かける様式の家。
道の作り方や、街灯、水路等を見ても、最初はミカエル達の世界でよく見られる作りが、途中から雅達の世界でよく見られる作りに変わっていたりする。逆もまた然りである。
建物の中を見ても、インテリアはどうにも統一感に欠けている。ミカエルも自分のセンスが長けているとは思っていないが、互いの雰囲気の良さを打ち消し合っているようにしか見えなかった。これで生活が成り立つのか、甚だ疑わしい。
何より異様なのは、街自体に人が住んでいたような気配がまるでないことか。建物や道路、設置されている設備等は古く廃れているが、これはただ経年劣化しただけであり、誰かが触ったような気配がない。古めかしい新品、という矛盾した表現が、ミカエルの中ではしっくりくる。一部、大破している物等があるが、これは普通に使っていて壊れたのではなく、何かに攻撃されたことで壊れた感じだ。
そして人がいないにも拘わらず、ここの空気はあまりにも淀んでいた。
――どうしても、こう思わずにはいられない。
「まるで、初めからゴーストタウンとして設計されたって感じね」
街の様相をしていながら、その機能を果たすつもりがない、歪な場所。
そもそもレイパーの体内にこんな世界が広がっていること自体がおかしいのだが、それを差し引いてもこの街は妙だ。建物の隙間から街の外がチラリと見えたが、そこは前提を一旦横に置いておけば、至って普通の景色だった。
「この世界からしてみても、ここ、かなり浮いているわよね……?」
そう首を傾げずにはいられない。
すると、
「ミカエルさん! 大変です! こっちに来てください!」
家の屋根から、銀髪フォローアイの少女がそう叫んで手招きをする。ライナ・システィアだ。手には紫色の鎌『ヴァイオラス・デスサイズ』を握っていた。
ライナはミカエルと一緒にこのゴーストタウンで目を覚まし、スキル『影絵』で作った分身に指示を出しながら、街を調べていたのだ。
……ミカエルも足を使って街を調べようとしたのだが、瓦礫に躓くわ、柱に頭をぶつけるわで危なっかしく、ここでジッとしているように言われていた。
それはともかくとして、のっぴきならない雰囲気のライナに、どこか嫌な予感を覚えるミカエル。
一体何があったのか……ミカエルはそう思いながら、足元に可能な限りの注意を払い、それでも時折転びそうになりながらも、ライナの元へと走る。
「どうしたのっ?」
「説明するより、見た方が早いです! とにかくこっちに……!」
動揺、そしてどこか困惑の色を浮かべるライナに連れていかれたのは……街の北東。
そこは、小さなビルが立ち並ぶエリア。ちょっとしたオフィス街にも見えるが、建物をよくみれば全て木造建築。アーチ状になっている窓やドア等は、どこかファンタジーチックな趣がある。ここもやはり、ひどく歪な世界観だ。
そんな中、一階が駐車場になっているビルがあり、ライナがそこを指差して「あそこです!」と言う。
よく見れば人がいるのだが……それがどうにも不自然で、ミカエルもライナが慌てている理由に、すぐに気づく。
「こ、これは……」
絶句するミカエル。
総勢十三名もの、アーツを持った女性の石像がそこにあったから。
まるで何かと戦おうとしていたり、逃げようとしていたり……様々なポーズをとっている石像だが、一つ共通点がある。
その表情が、恐怖と絶望に塗れていることだ。
元からここに置かれていたと考えるには、あまりにも不自然極まりない。これはまるで――
「信じられないですけど、多分この石像……いえ、この人達、私達と同じように吸い込まれたんだと思います。それで、何故かこんな石像にされて……」
初め見た時は、ライナも自分の眼、そして浮かんだ考えを疑った。そんな話が、果たしてあるのかと。だが考えれば考える程、そうとしか思えなかったのだ。
「これ、どういうことなんでしょう?」
「……石化症」
「えっ? 病気……なんですか?」
「簡単に言えば、石になる病気よ……」
戦慄の表情を浮かべながら、ミカエルはそう呟く。
これは、ミカエルが物心ついた頃のこと。ライナが生まれて、まだ言葉が喋れるようになったかどうかという時代の話。
オートザギアで、ある病が流行した。体の一部が動かなくなったり、皮膚が酷く硬くなったりという病だ。だがこの程度の症状はまだ序の口。進行すると、全身が完全に硬直して死に至る。特徴的なのは、皮膚が石のように変色してしまうことだ。
そう、丁度今目の前にいる、彼女達のように。
まるで石像のようになってしまうことから、この病は『石化症』と名付けられた。
当時は大騒ぎになったのだが、一年経たずに病の原因が分かり、特効薬も作られたことで事態は収束。今では「あぁ、そんなこともあったね」と言われる程度の話にしかならない事件だ。ミカエルも彼女達のことを見るまで、石化症のことは記憶の隅で埃をかぶっていたくらいである。
「病気ってことは、まさか感染するんですか? もしかして私、ミカエルさんを――」
「大丈夫。感染するタイプの病じゃない。ただ薬がないわ。これに掛かったら、一発アウトよ」
「そ、そうですか……。あの、なんでそんな病気がこんなところで?」
「原因は魔物なのよ。――コカトリス」
ええっ、と声をあげるライナ。
コカトリス。頭部は鶏、尻尾は蛇、翼は竜。視線と吐息に猛毒をもった怪物だ。
レイパーが蔓延る今日この頃、この手の魔物というのは殆どが絶滅させられている。……が、全部が全部というわけではない。このコカトリスも、僅かな数ながら生き残っている魔物の一種だ。
生息地域は、主にエスティカ大陸南部。普段はハプトギア大森林の奥の方でひっそりと生活している。それが逃げ出し、一般人に危害を加え始めたことで、石化症が広まったのだ。
オートザギア王国が対策として、存在する全てのコカトリスを捕獲し、今は専用の場所で適切に管理している。その甲斐あってその後は石化症を患う人は殆ど出ていない。
ライナは勿論のこと、ミカエルでさえ、コカトリスの実物は見たことがなかった。だが今、ここで石化症に掛かった人がこんなにいる。それはつまり、そのコカトリスがこの近くにいるということである。
……いや、正確には、ここにいるのはコカトリスそのものではないのだろう。いるとするならば――
「――っ! ライナちゃん、分身を大量に!」
「っ?」
ライナの手を引き、杖から白い煙幕を大量に出すミカエル。ライナは言われるがままに、『影絵』のスキルで無茶苦茶に分身を創り出していく。その数、五十体以上。
ミカエルは、感じ取っていた。――自分達に近づいてくる、巨悪の殺気に。
「ライナちゃん、こっち!」
ミカエルがライナを連れて走り出した瞬間、背後からパキ、パキ……という、身の毛がよだつような音が聞こえる。何の音だと慌てて振り返りかけたライナだが、
「駄目よ! 絶対に振り向かないで!」
ミカエルの、珍しく厳しい声が、ライナに前を向かせる。何が起きているか分からず、不安になるライナ。すると、
「えっ? ……えっ?」
何かが砕けたのか、後ろから破片が飛んできた。だが、それを見てライナは言葉を失う。
飛んできたのは、石像の頭。――自分の顔をしていた。
思考が完全にフリーズしなかったのは、ライナがヒドゥン・バスター故か。どんな事態が起きようとも、冷静さを保つ訓練は受けている。それが功を奏し、ライナはここでやっと理解した。
この石像の頭……これは、分身ライナが石にされて、破壊されたのだと。
「まさか、コカトリスっ? いや、ここがレイパーの体内ってことは……!」
「ええ! 多分、コカトリスの特徴をもったレイパーよ! あの女性達を石にした奴が、私達を狙ってきたのね! 絶対に奴の目を見ちゃだめよ! きっと石にされる……! ライナちゃん、可能な限り分身を出し続けて! 私も煙で、何とか目隠しするから!」
「隠れられそうな場所が、いっぱいあるところなら見つけました! 案内します!」
言いながらも、二人は冷や汗を浮かべていた。
一瞬の殺気は感じ取れたが、その後の気配がまるでない。だが、分身ライナが石に変わる音だけは、未だ続いている。つまり、敵が背後にいるのは間違いないはずなのだ。
そして、その推測は完璧に正しい。今、二人の後ろを追ってくる、巨大な鳥がいた。全長二メートル程の、大きなコカトリスが。
分類は『コカトリス種レイパー』。
そいつが、駐車場に侵入し、二人に迫っていた。本体とミカエルを守るために集まって目隠しになろうとする分身ライナ達を、その視線だけで次々と石に変え、蛇の尻尾で破壊しながら、白い煙を振り払って襲っているのだ。
そんな凶悪な化け物がすぐ後ろにいる……にも拘わらず、ミカエルもライナも、その存在をどうにも察知出来ていない。ただ分身達が犠牲になる音と、煙の揺らめきを頼りに、レイパーがいるという事実を予想しているに過ぎない。
これはつまり、
「まずいわね。あいつ、自分の気配を隠せるみたい……!」
コカトリス自体に、そんな能力はない。恐らくはレイパーが、確実に女性を獲物にするために身に付けたのだろうと推理するミカエル。先程の女性達も、これにやられたのだ。ギリギリアーツを出すことが精一杯で、碌に抵抗すら出来なかったのではと思われた。
が、しかし……気配を消せるという事実が分かれば、対策を考えることも可能だ。
(兎に角、まずは奴を撒くことが最優先!)
「ミカエルさん! そこ、曲がりますよ!」
街角を、転びそうになるのを堪えながら必死で急カーブする。ライナが案内してきたのは、ゴーストタウンの東。電車の線路や馬車道が歪に入り乱れた、商業エリア。普通の店から露店、小さな工場が碁盤のように配置され、そしてその全てが古びて崩れた場所だった。
建物の残骸がかなり残っており、見通しも悪いこの場所。細い路地も多く、ここなら隠れることも容易なはずだ。
二人は適当な十字路を右に曲がると、次の曲がり角を左、次も左と、レイパーから離れるために我武者羅に走っていく。勿論、分身や煙を出すことも忘れない。
だが、完全に振り切る動きはしない。敵の位置を見失えば、奇襲を受ける可能性がある。普通の敵ならまだ対処しようもあるが、目を合わせたらアウトという敵相手となると、奇襲のリスクは可能な限り消しておきたい。敵に自分達を見失わせつつ、自分達はきちんと敵の位置を把握できるのがベストだ。
となると、ずっと逃走劇を続ける必要があるのだが、問題は体力か。鍛えているライナは兎も角として、ミカエルは体力がない。足もそこまで早くなく、これではすぐに限界がくる。
現に、もうミカエルの顔は辛そうだ。心臓が痛いほどに動き、血液を通じて全身に必死に酸素を送っているが、既に脳は「それ以上の無茶はやめろ」と命令を出している。
ならば――
「ラ……ライナちゃん、次の曲がり角でっ! 勝負に出る、わっ!」
ゼイゼイと息を荒げながら、ミカエルは限界無き夢をギュッと握りしめた。
近づいてくる曲がり角。左と真っ直ぐに一本、右に狭い路地。後一歩でそこに足を踏み入れるというタイミングで、ミカエルは前を向いたまま、杖の先を背後に向ける。
ギラリと光る、赤い宝石。それは白い煙の中でもよく目立ち――そこから、大きめの火球が放たれる。
狙いはレイパー……に見せかけて、地面。火球が当たった瞬間、アスファルトが爆ぜ、少しばかり散乱していた瓦礫が爆ぜる。
舞う爆煙の中、レイパーは瓦礫やアスファルトの破片が体に降り注ぐのも気にせず、突っ込むと、少し遠くの方に、二人の女性が見えた。
恐らく、今の爆煙を目隠しに、一気に距離を取ろうと画策したのだろうと思うレイパー。だが甘いと言わんばかりに、一気に加速する……が、
そこで、レイパーはおかしなことに気付く。
二人の女性の内、一人は白いローブを着ているのだが、どうにも髪色が金髪ではないのだ。先程まで追いかけていたはずの姿と、少しばかり一致しない。
そして、次の瞬間。
(もらった!)
細い路地の方から、ミカエルが飛び出してきた。完全にレイパーの背後とった形だ。
煙で目隠しをし、分身ライナに自分の服を着させていたミカエル。今レイパーが追いかけているのは、どちらも分身ライナだ。
この時、ミカエルは初めてレイパーの後姿を見て、それが思った通りコカトリスの姿だったことを知るが、そんなことはどうでも良い。
一気に魔力を集中させ、ミカエルはレイパーに、巨大な火球を放つのだった。
――この時、ミカエルは気づかなかった。この戦闘を陰で観察していた、もう一体の化け物の存在に。
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