第449話『決断』
昔話をしよう。
西暦2121年の二月二日。東京都内にて。
何の前触れもなく、突如、人型の未確認生物が出現した。身長はおよそ170センチの人型の化け物。仰々しい爪や牙、真っ黒い目玉に白い瞳から、そいつが人間では無いことは誰の目にも明らかだった。
同日、未確認生物は都内の女性を次々に殺害。何故女性だけを殺したのか、その動機は不明である。不気味なことに、百人の女性を殺したところで未確認生物は姿を消した。
それから一週間後の二月九日。
新潟県中越沖にて、シロナガスクジラ程の、超巨大な未確認生物が出現。体の半分が海面から出ており、まるで島のようである。出現した場所から動く様子は無かったが、小さな魚を捕食している姿が観測され、生き物であることは確かだった。この生物は百年経った今でも、その場所から動いていない。
――これが『ラージ級ランド種レイパー』と名付けられるのは、それからしばらく経ってからのことである。
***
二月十二日火曜日、午前九時。
オートザギア魔法学院学生寮の屋上。そのど真ん中に一人の学生がおり、雲の多い空を見上げていた。
三つ編みをした、長身の彼女は……篠田愛理。今、魔法を覚えるために、オートザギア魔法学院に留学中の、雅の仲間である。
今は授業中だが、愛理はそれを休み、ここに来ていた。サボリではない。きちんと学校の許可を貰い、しばらく休ませてもらうことになっているのだ。その理由は――
「お、来たか。おーい! こっちでーす!」
雲の隙間から、こちらに近づいてくる黒い点。それを見た愛理が、手をブンブンと振って自分の居場所をアピールする。
近づいてくるにつれ、正体が明瞭になっていく黒い点。箱形の機体から四方向に伸びるアーム。それに付いたプロペラが高速回転しているが、音は殆ど感じない。今の時代然程珍しくも無くなった、人を乗せて長距離を飛べる大型のドローンだ。
「……ん?」
ドローンがこちらに降り立とうとする最中、愛理は眉を顰めて後ろを振り返る。誰かの気配を感じたのだが……そこには誰もいない。
どうやら気のせいのようだ。そんなことを思っている内に、ドローンが無事に着陸した。
「篠田愛理シ! 待たせたね!」
「権さん! ご無沙汰しております!」
ドローンの入口が開き、グレーのフライトスーツを纏った男性が姿を見せ、愛理がペコリとお辞儀をする。
シースルーマッシュという髪型に、ややツリ目の眼。白い歯。若々しいこのナイスガイは権泰旿(テオ)。志愛の父親だ。普段はドローンパイロットをしている。その関係で、今日は愛理を迎えに来てくれたのだ。
「お手数おかけしまして恐縮です。よろしくお願いします」
「いや、気にしないで。寧ろ、恐縮するのはこっちの方なんだ。……君達に、大変な役割をさせてしまうのだから。私も、出来る限りのことをする。一緒に頑張ろう」
「は、はい」
カタコトの志愛とは違い、比較的流暢な日本語で、何となく気圧されてしまう愛理。確か母親も日本語がペラペラだったと記憶していた愛理は、志愛も後数年もすれば、これくらい堪能になるのだろうかなんて考えてしまう。
「さて、行きましょう。ここの生徒達が集まってきた。騒ぎになると、少し面倒です」
屋上へと続く階段の辺りが騒がしくなってきたのを見て、愛理は素早くドローンに乗り込む。学校側にドローン着陸の話は通してあるが、無論、それが生徒達に伝わっているはずもない。大きなドローンは、それなりに目立つ。好奇心から、教室を飛び出した学生は、決して少なくないだろう。
案の定、ドローンが飛び立つと同時に、屋上に何人もの生徒が飛び出してきた。皆、空を飛び去るドローンを見て大騒ぎしている。
だが、
「……む?」
屋上に来ていた生徒達の中に、いると思っていた生徒がいなかった。あの金髪……スピネリア・カサブラス・オートザギアは目立つのだから、来ていれば分かるはずだ。
(……王女様、見送りに来なかったのか)
別に来て欲しいと頼んだわけでは無い。今は授業中なのだし、来ない方が普通だ。そもそも、何時出発するか、愛理はスピネリアに伝えていない。だが、あれだけ「この件から手を引け」だの「自分も討伐に参加させろ」だの言ってきた割には、随分と薄情な気がして、愛理は半ば八つ当たりにも近い不満を覚え、眉を顰めた。
しかし、すぐに頭を振って気持ちを切り替える。余計な考えを持ったまま、この先へ進むのはあまりにも危険だから。
――この数時間後、遂に始まるのだ。ラージ級ランド種レイパーの討伐が。
「……おや?」
「ど、どうされました?」
「あぁいや」
泰旿が思わず漏らした一言に、愛理は少し緊張を込めた声を掛けるが、彼は何でもないと言うように首を横に振る。
……人一人乗せただけにしては、機体が重くなり過ぎたような気がしたのだ。しかし、そんなはずはない。乗っているのは、間違いなく愛理一人である。
これから始まる戦いに、少しナーバスになっているのだろう。泰旿はそう結論付けた。
愛理が旅立った裏で。
「こっちにはいません!」
「こっちもよ! あぁ、全く王女様ったら、一体どこに行ったのかしらっ?」
スピネリアの侍従達が、主人の姿を探して寮内を走り回っていた――。
***
二月十四日木曜日、午前八時十分。バレンタインデー当日の朝のこと。
ここは日本の新潟、束音家。今、ここは大変に騒がしいことになっていた。
何人もの警察官、学者や研究者がひっきりなしに出入りし、時折怒号も飛んでいる。このところこんな状況だが、今日は特に酷い。
ラージ級ランド種レイパー討伐作戦。それを決行するのが、恐らく今日になるからである。
恐らく、としたのは、杭の状態が関わってくるからだ。
最初に雅がこの家に杭を打ち込み、先日、それがネクロマンサー種レイパーによって損傷させられてしまった。そのせいで、時間経過と共に、杭の持つ『封印の力』が弱まってきている。計算上、今日の夕方四時四十四分に限界を迎える見込みだ。
しかし、予定はあくまで予定。杭が何時限界を迎えるかは、その時になってみないと何とも言えない。可能な限り準備を整えるべく、束音家だけでなく、各国の大和撫子及びバスター、それに関わるあらゆる人達が、大忙しで動き回っているというわけだ。
そんな中、リビングだけは、少しだけ静かだった。……最も、ここも緊張の空気が張り詰めているのだが。
「……みーちゃん、我慢よ。これも、今日で終わるんだから」
「あ、あはは……。いやー、私のULフォンにも、通知がひっきりなしです。近所の人達から、心配してくれるメッセージとか届いていて……」
腕を組みながら、何度も舌打ちをする黒髪サイドテールの少女、相模原優。この騒ぎでイライラもピークに達しているのだろう。騒ぎになる理由は分かっているつもりだし理解もしているが、それと感情が逆立ってしまうのは別の話だった。
そんな彼女に、ムスカリ型のヘアピンとチョーカを着けた、桃色ボブカットの少女、束音雅が、「まぁまぁ」と優を宥めながら、苦笑いを浮かべる。
雅がこの状況にストレスを感じているのは確かだが、自分の代わりにこうも怒っている姿を見ると、意外な程に冷静になってくるのだ。
「ミス束音。ごめんなさいね」
「あぁ、いえ。仕方ないですよ。事態が事態ですし」
謝ってきたのは、黒髪ポニーテールの美魔女、神喰皇奈。最近雅の家に出入りし、杭の調査をしている女性だ。いつもは調査で忙しそうにしていたのだが、今日はそこら辺の仕事は部下がやっている。
彼女は日本でも五本の指に入る程の実力者。ラージ級ランド種レイパーと交戦する場合、先頭に立って力を奮ってもらわないといけない。他の仕事で体力を消耗させるわけにはいかないと、作戦結構の時間が来るまで、休憩しているというわけである。
因みに、それは雅達も同じ。
優はここにいるが、他のメンバーも、今警察署や桔梗院家で待機している。レーゼは未だ、病院で治療を受けている最中だが。
慌ただしいこの空気を嫌ったのか、いつもは家にいるはずの猫、ペグも、ラティアを連れて散歩に出かけていった。
【ミヤビ、大丈夫かい?】
(ええ。ドキドキはしていますけど、意外と不安とか無くて……)
雅の中にいる、カレン・メリアリカ。彼女が雅にそう声を掛けてきて、雅も心の中でそう返す。
嘘は言っていない。今まで色んなレイパーと戦ってきたからか、自分でも驚く程に、雅は落ち着いていた。
「あ、そう言えば。あいつの分類って、まだ『ランド種』のままなんですか?」
優が、思い出したように皇奈にそう尋ねる。
昔はその巨体も相まって、見た目がまるで大陸のようだということで『ランド種』という分類になったと聞いている優。
だが雅が見せてきた未来の映像……そこに映った、一体に戻ったあの怪物の見た目は、もはや大陸というよりは鯨だ。見た目が変化することで、レイパーの分類が変わることは往々にしてあるので、今回も新しく分類され直されても良いものだが……と思ったが故の質問である。
しかし、皇奈は首を横に振って、口を開いた。
「よく勘違いされているけど、奴は見た目だけで分類が決まっていた訳ではないのよ」
「えっ? そうなの?」
「ええ。百年近く前、日本が奴を調査したことがあるの。結構な予算と時間をつぎ込んでね。で、その時の報告書を見るに、どうやら奴の体内にカメラを仕込んだらしいんだけど……その中が、まるで異世界の地のようになっていたそうよ」
長閑な草原が広がり、海や山のような場所もあったらしい。
今思い出しても、その報告書は目を疑うような記述がたくさんあったと、皇奈は続ける。
「一つの大陸のような場所が広がっていた。それが、奴を『ランド種』とカテゴライズした大きな理由なのよ。全く、体の仕組みがどうなっているのやら――」
「た、大変です皆さん!」
話をしていた最中、リビングに銀髪フォローアイの少女が、血相を変えて飛び込んできた。ライナ・システィアである。つい先程、お手洗いで席を立っていたのだ。
「杭から大きな音がして……封印のエネルギーを維持できなくなったって! 壊れるのも、時間の問題だそうです!」
「はぁっ? 予定より大分早いじゃない!」
「ミス束音! 皆に連絡を!」
「もうしました! おばあちゃんの部屋に行きましょう!」
その言葉を残し、雅はリビングを飛び出す。
近いはずの麗の部屋が、やけに遠く感じながらも、雅は調査員達を押し退け、そこへ足を踏み入れた。
突然雅が入ってきたことに、中には非難の声を上げる者もいたが、それが雅の耳に届くことはない。
何故なら、
「――っ!」
見た瞬間、分かった。ライナの報告通り、杭がもう限界だということに。
前までは柔らかい光を帯びていたはずの杭。だが今は、その光はもう消え、時折残ったエネルギーを振り絞るように発光している。杭の側面には大小様々な亀裂が入っており、雅が見ている前で、また一つ増えた。
グッと拳を握りしめる雅。
そんな雅の肩に、ポンと乗せられる二つの手。
振り返ると、優とライナが、青い顔をしながら、そして無言で頷く。
言葉にはしないが、分かる。
覚悟を決めよう……そう伝えてくるのが。
騒ぎ出す、周囲の調査員達。彼らも、雅達が何をしようとしているのか、分かったのだ。ならば止めねばならない。彼らの意志は、はっきりとしていた。「上に報告し、判断を仰ごう」という、その意思が。
だが、それでは遅い。誰もがそれを悟りながら、しかし実際に覚悟を決めたのは、雅達だけ。
「はい、皆さん。落ち着きなさい。ここは、ミス束音の家よ。杭を刺したのも彼女。スタートを切る権利は、彼女にあるわ」
皇奈が、周りの大人達を止める。文句を言い出す者もいたが、皇奈はそれを、目で制した。
そして、雅達に向けて、バチンとウインクをする。ULフォンが、メッセージの着信を知らせてきた。レーゼ達からだ。
「……皆」
色々な文章が書かれているが、要約すれば、この一言に尽きる。
『今こそ、戦いの時だ』
と。
杭を抜けば、もう後戻りは出来ない。
だが、仲間達がそれを望み、雅の背中を押してくれる。
雅の目標は、ただ一つ。
『全てのレイパーを倒して、皆が希望を持って人生を歩んでいける世の中を取り戻す』
それを達成するために、ここで躊躇するわけにはいかない。
【ミヤビ、三つ数えたら、一緒にやろう】
(……ありがとうございます、カレンさん)
雅の中の不安に寄り添うように掛けられたカレンの言葉。それが、雅には心底ありがたかった。さっきまでは落ち着いていたが、いざその時が突如やって来たら、驚く程に心が震えてきてしまっていた。一人では、どうにも体が動きそうになかった。
皇奈の説得で静かになる、麗の部屋。そんな中で、雅は杭に近づいていく。
「――皆さん、準備、お願いします」
雅の言葉に、頷く優とライナ、そして皇奈。遅れて、調査員達も覚悟を決め、慌てて関係各所に連絡をし出す。
再び騒がしくなる室内。もう、一刻の猶予も無い。
杭に手をかける雅。
これから始まるのだ。大きな戦いが。
雅が一度、ゴクリと唾を飲み込む。一瞬の緊迫。そして――
【さん……に……いち……今だ!】
カレンの合図と共に、雅は勢いよく、杭を引き抜いたのだった。
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