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ヤバい奴が異世界からやってきました  作者: Puney Loran Seapon
第49章 アサミコーポレーション
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第439話『蘆薈』

 淡の左腕に、包丁を突き刺そうとした杏。


 その手が、背後から伸びてきた別の手に掴まれ、阻まれる。


 同時に部屋の灯りが点き、杏が驚きの声を上げて振り返れば――


「……間一髪、間に合って良かった」




 そこにいたのは、厳つい風貌に短髪の男性……相模原優一警部だった。




 部屋の入口には、目つきの悪い、おかっぱの女性……優一の部下の、冴場伊織がいる。部屋の灯りを点けたのは、彼女だ。


 二人とも、額や首筋に汗を浮かべ、肩で息をしている。全速力でここまで来たのだというのは、明らかだった。


「な、何故……」


 掴まれた腕を振りほどこうとすることすら忘れ、わなわなと震える声で、杏はそう尋ねる。


 一体どこで勘付かれたのか。頭の中は、そんな疑問で一杯だった。


 この場で一切動じていないのは、淡くらいなものだろう。しかし彼女も、優一達が現れたことには不思議に思っている。


「我々も、危うく見逃すところだった。……あなたの計画に気づけたのは、瀬郷さんが、あなたを迎えに来ていたからです」

「……?」


 答え合わせをするように優一がそう告げると、杏が眉を顰めた。


 だが、優一は構わず続ける。


「村上からここまでは、片道おおよそ一時間。面会は三十分。つまり、会社を出発してから帰るまで、トータルで二時間半。そして瀬郷さんは社員。……彼女の業務を止めさせるには、あまりにも長すぎる時間です」

「一般的に、会社の役員が、運転手付きの役員車を用いるケースはあるっす。けど、浅見社長は今まで使ってねーっすよね? 運転は自分でやっていたはず。……経営が悪化して、社員もたくさん辞めている中で、運転業務に社員を使う理由はねーっす。それが疑うきっかけになったんすよ」


 特に今回は、大学病院まで来るのに警察が用意した車両を使った。行きも帰りも、運転手の心配はいらない。


 にも拘らず、由香里が来たことに、優一達は違和感を覚えたのだ。


「先程、彼女に話を伺ってきました。――認めましたよ。あなたが今夜、ここに忍び込めるように手筈を整えていたことを」

「あんたの指示でやったことまでは、頑なに認めねーっすけどね。でも、指示したんすよね? そうじゃなきゃ、やる理由がねーっすから」


 二人の言葉に、杏は唇を噛み締めてから、悔しそうに「ええ、そうよ」と呟く。最早、言い逃れは出来ない。


「私達が面会に来るのに出発してから少し経った後、彼女にもここに来てもらっていたわ。警備システムをハッキングしてもらっていたのよ。彼女、うちのシステム関連全般の設計と管理をしているから」


 面会の約束を取り付けさえすれば、淡がいる部屋は分かる。警備の問題がクリア出来れば、侵入は可能だ。


 故に、杏が優一達警察官を引き受けている間に、由香里が大学病院に侵入し、システムに細工――遠隔からではどうにも出来なかったため、病院のメインシステムを直接弄る必要があった――をしたのである。


「道理で、面会中のあなたは大人しかったわけだ。事を荒立ててしまえば、最悪鬼灯淡への復讐を予想されてしまうかもしれない。それだけは、何としても避ける必要があったのですね」

「瀬郷は優秀だから、十分もあれば仕事は充分間に合う。……でも、うっかりしていたわ。彼女に、私を迎えに来たような演技をさせる必要は無かった。あなた方に、私の計画を勘付かれるリスクを冒したくなかったのだけど」

「……なんで瀬郷さんは、この計画に加担したんすか? 動機すらも黙秘してるんすよ」

「彼女、四葉とそれなりに交流があったのよ。四葉のトレーニング相手も務めていたことがあったし。だから、私と同じで我慢ならなかったのでしょうね。――この女が生きていることには……っ」


 杏はそう言い放ち、あらん限りの憎しみを込めた視線を、無表情の淡に向ける。


「まだ未成年……それだけの理由で、私の娘を殺した罪から逃れている! それがどれ程……どれ程に苦痛か……あなた達に少しでも分かるっ?」

「…………」

「相模原警部……あなたにも娘がいるでしょう! なら、分かるはずよ! 想像してみなさいよ! 自分の娘が殺された時の心境をっ! ……この手を離してっ! 殺らせて……っ! その後に捕まったって……極刑が下されたって私は構わないっ!」


 掴まれている腕と反対の拳を、優一の腕に叩きつけ、杏は涙ながらにそう叫ぶ。


 だが、優一はその手を離すことは決してせず、静かに首を横に振る。


「……確かに、私にも優という娘がいる。日々レイパーと戦うという、危険極まりない行為を繰り返す困った娘だ。挙句、これが世の為になっているのだから、質が悪い。……もしもそんな娘が殺されたとなれば、私も決して許せんでしょう。殺したのが人間であれば、例え極刑になったとあっても、そいつを許すことは出来ないはずです。あなたと同じことを、私がしない自信は無い」

「なら――」


 そこまで言いかけた刹那、杏は思わず黙らされる。


 優一の掴む手に、力が籠ったから。


「警察官として恥ずべきことを正直に白状すれば、あなたが狙っているのが鬼灯淡ではなく、別の誰か……それこそ、四葉さんと何ら関わりのない相手だったとあれば、あなたを止めるのには間に合わなかったかもしれません。――何故、私が間に合えたのか、分かりますか?」

「……?」

「四葉さんは死ぬ直前、雅君にこう頼んでいたそうです。『淡を助けてあげて』と。自分を殺しにきたのにも拘わらず、彼女はまだ、その子を友達だと思っていた」

「…………」

「殺すんですか? 娘さんが、助けようとした人ですよ」

「………………っ」

「悩みませんか、殺してもいいのかと。……私があなたの立場なら、永遠に答えは出せません。だからこそ、あなたにここで、彼女を殺させるわけにはいかない。私が間に合えたのはきっと、四葉さんの、鬼灯淡への想いを知っていたからでしょう」

「……その言い方は、ズルいわ」


 力が抜けたように、杏が震えた声でそう呟く。


 カンと音を立てて床に落ちる、錆びた包丁。


 優一が「自首、して頂けますね?」と尋ねると、杏は涙を零しながら小さく頷いた。




 ***




 伊織に連れられ、病室を出ていく杏。


 残ったのは、優一と淡だけだ。


「鬼灯さん、怪我はありませんか? 今、医者が来ます」

「ええ。大丈夫です。何も怪我なんて、していません」


 平淡な言葉。


 だが、優一は僅かに感じた。彼女の言葉の裏に、「どうして杏が自分を殺すことを止めたのか」と非難しているような、そんな気持ちを。


 優一は少しの間、淡をジッと見つめ――やがて、決心したように口を開く。


「鬼灯さん。あなたに一つ。――生きなさい。それが、我々人間があなたに課した、たった一つの罰なのだから」

「…………」


 無言で優一を見つめる、淡。


 遠くから聞こえてくる、医者が駆け付けてくる足音。


 淡が何を思ったのか、優一には分からない。そしてそれを聞くつもりは、今は無かった。




 こうして、杏の淡への復讐劇は、未遂に終わったまま、幕を閉じた――。

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