第437話『静怖』
「待たせたな。すまない」
面会が始まり、きっちり三十分後。
杏を連れて戻ってきた優一と伊織。
ライナは「いえいえ」と言いながら、チラリと杏の方を見る。
不機嫌そうな顔。眼には、ギラギラとした光が宿っている。……が、娘の仇に会ってきたばかりにしては、異常な程に大人しい。
「…………」
何となく、嫌な予感に苛まれるライナ。
どことなく、杏が静かすぎる気がしたのだ。まるで、内に秘める怒りや殺意等を、必死に押し殺しているような、そんな雰囲気。
隠密行動が鉄則のヒドゥン・バスターであるライナには、ひどく覚えのある空気を、杏は纏っていた。
「さて、浅見社長。会社までお送り致します」
「いえ、それには及ばないわ」
優一の申し出を断った直後、一台の車がやって来る。
運転席にいるのは――
「あ、ユカリお姉さんだ!」
ラティアが手を振ると、由香里も運転しながら、小さく手を振り返してきた。
杏はそんな二人の様子に、軽く鼻を鳴らす。
「……この時間に迎えに来るよう頼んでいたの。今日は無理を言って、申し訳なかったわ。『マグナ・エンプレス』の小手の件は、約束通りあなた方にお渡しします。それも今、彼女に持ってきてもらったところだから。正式な契約は、後日で構わないわ」
「……ご協力、感謝いたします」
降りてきた由香里は、小さなアタッシュケースを持っていた。それを見て、優一は礼を言う。本来なら、後日契約書等の必要文書等にサインをしてから受け渡しする予定だったのだが、杏は融通を利かせてくれたらしい。
「それでは、私はこれで」
マグナ・エンプレスの受け渡しがが無事に終わると、杏はそう言って、アサミコーポレーションの社用車へと乗り込み、会社へと戻っていった。
車の姿が見えなくなった後、ライナは軽く息を吐いてから、徐に口を開く。
「……アンズさん、思ったよりも穏やかですね。面会の時は、どんな様子でした?」
杏の言葉尻等は割と冷静だ。何なら、アサミコーポレーションで話をした時の方が、刺があったくらいだ。
ライナの質問に、優一も小さく唸ってから、口を開いた。
「……怒ってはいた。四葉さんを殺したことの怒りを、鬼灯にぶつけてはいた。……が、何と言うのだろうか。喚いたり騒いだりすることはなく……例えるなら、大きなミスをした部下を、少し感情混じりに怒ってしまう時のような、そんなレベルだった。正直、拍子抜けだ。下手をすれば、掴みかかりにいくくらいは想定していたのだが……」
「そうっす。いつでも止めに入れるようにスタンバってたんすけど、無駄だったすね……」
体の中に燻るパワーを持て余していると言わんばかりに、肩をグルグル回し、伊織も渋い顔になる。
「……怒りが頂点通り過ぎて、下降しちまったんですかね? ほら、『なんか、もういいや』みたいな感じになることってないっすか? それか、鬼灯が反省しているのを見て、留飲が下がったか」
「むぅ……?」
難しい顔で、首を傾げる優一。
淡は確かに、四葉を殺したことについて「悪いことをした」という認識を持っている。先程の面会の時も、そのことを謝罪していた。
だが、感情を失った淡は、果たしてそのことを本当に後悔しているのか、という点では疑問が残る。事実、謝罪は酷く淡々としたものだった。杏の心に、彼女の言葉が届いたとは考え辛い。
そして、伊織の言う通り『もういいや』という気持ちになったというのも、可能性は低いだろう。自分の娘を殺されて、そんな気持ちになる親はいない。
「面会自体も、すぐに終わっちまったっすからね。きっちり時間通り。もっと話をさせろと駄々捏ねられるかとも思ったんすけど……」
「ああ、そうだな。まだ、話をし足りない様子ではあった。何か言いかけたところで、時間が来て……しかし彼女、『もう時間なのね』と言って、大人しく帰り支度をしてしまった。目が点になったよ」
「なんか、妙ですね……」
渋い顔になる三人。ラティアはその隣で、首を傾げる。
『鬼灯淡と面会させなければ、マグナ・エンプレスは渡さない』と条件まで出したにも拘わらず、杏の対応は随分と淡泊だ。果たして、本当に面会する気があったのかさえも怪しい。
「彼女、何か企んでいるんすかね? ……まさか、鬼灯への復讐を?」
「いや、だがしかし……特に怪しい動きはしていなかったはずだ。俺と冴場で見張っていたのだからな」
どこか気持ちの悪さは残るが、疑えるところは何もない。
疑問だけが、ライナ達の中に燻っていた――。
***
一方、アサミコーポレーションに向かう車の中にて。
「杏社長、お疲れさまでした」
「……何も、疲れてなんていないわ。まだ、これからよ」
「……そう、ですね」
運転席に座る由香里は、後部座席に座る杏を、バックミラー越しにチラリと見る。
杏は、静かだ。
静かすぎて、怖い。
面会はどうだったか等、聞ける雰囲気では無い。
四葉が亡くなってから、こういった雰囲気を出すことは多くなったが……今日は過去一番、怖かった。
二月の寒い時期。車の中は温かいが、由香里の首筋を、嫌な汗が伝う。
会話は続かない。肝が冷えるような沈黙が、社内を埋め尽くす。
チラチラと、こっそり杏の様子を伺う由香里は、気付いた。――杏の拳が、血が出る程に強く握りしめられていることに。
緊迫するような空気に、由香里の胃が痛くなってきた時、
「……そこのコンビニ、入って。運転、代わるわ」
「えっ? いえ、しかし……」
「私が運転すれば、その時間であなたも別のことが出来るでしょう? そっちの方が有意義よ。……車くらい、毎日運転しているから、心配しなくて良いわ」
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
まさかの提案に、由香里は嬉しさよりも、困惑が勝る。今の杏に、そんな気遣いをする余裕があるとは思ってもみなかった。
言われた通り、コンビニの駐車場に車を泊める由香里。
運転席を降りた時――由香里はふと、思った。
今は、杏の視線が自分に向いていない。
由香里の指が、ULフォンを起動させようと僅かに動く。
警察に、このことを知らせようか、迷った。
だが、出来ない。顔面蒼白になりながら、由香里は唇を噛む。
「……どうしたの? 早く乗りなさい」
「あっ、す、すみません」
過ぎていくチャンス。
それを逃したことを後悔しても、もう遅い。
自分を不甲斐なく思いながら、由香里に出来たのは、
(ライナさん、警察の人達。……お願い、気付いて)
ただ、こう祈ることだけだ。
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