第435話『交渉』
「社長……失礼します」
緊張した面持ちで由香里が扉をノックするが、返事はない。
しかし、それがいつものことなのか、由香里は普通に扉を開けると、表情を硬くするライナとラティアを中へ促した。
由香里に軽く会釈をして、部屋へと足を踏み入れる二人。すれ違い様に、由香里が視線で「気を付けて」と伝えてくる。
最も、そんなことは言われるまでもない。
部屋の奥……ハーフアップアレンジがなされた、白髪交じりの黒髪ショートの、五十代くらいの女性がいる。彼女はライナ達が来たにも拘わらず、彼女達に背を向け、窓の外をジッと見つめていた。
だが、分かる。背中を見ただけで。使い込まれたスーツ越しに発せられる、夥しい威圧感が。何か深刻な程に重大なミスを犯した社員に、クビを突き付ける時でも無ければ、こんなオーラは出さないだろう。
下手をすれば、レイパーよりも怖いとすら思えてしまう。
これは、一筋縄ではいかない……そう思いながら、ライナは深く頭を下げ、口を開く。
「ご無沙汰しております、アンズさん。今回は――」
「前置きはいいわ。さっさと本題に入りなさい」
ピシャリとそう言って、ライナを黙らせる杏。
ライナは表情を変えることこそ無かったが、内心ではひどく冷や汗をかいていた。
隣にいるラティアは、細かく体を震わせている。泣き出さないだけでも、大したものだ。
ここでようやく、アサミコーポレーションの社長、浅見杏は二人に振り返る。
「……えっ?」
「何か?」
「い、いえ、すみません……」
思わず驚いたような声を発してしまったラティアだが、無理も無い。実はライナも、一瞬彼女が、自分の知っている『浅見杏』なのか、自信が無くなったくらいだから。
……後ろ姿では分からなかったが、顔は、随分と老け込んでいるように見える。眼もかなり剣呑な雰囲気を秘めていた。年齢は五十代のはずだが、なんというのだろうか……何十年も戦場を生き抜いてきた老兵のような、そんな貫禄と疲れ感がある。
杏は二人に、応接テーブルのソファに座るよう手だけで促すと、自分はその反対側に腰を下ろす。
「……ラティアちゃん、資料を」
「は、はい!」
あっという間に杏のペースに乗せられてしまった。何とかしなければと、ライナは頭をフル回転させながら、ラティアと一緒にソファに座る。
「では、早速。実は――」
ラティアがULフォンを操作し、杏に見せる予定の資料を空中に表示されていく。ライナはそれを元に、杏へ説明。何からどう説明していくか、その計画も、優一達と一緒に立ててある。全て、その通りに話をする。ラティアも、要所要所で補足説明を入れていく。
ラージ級ランド種レイパーが、レイパーを輪廻転生させている件。杭で、封印していたこと。……そして、奴を倒すためには、周りに展開されている魔力の膜を破る必要があり、そのためにマグナ・エンプレスの小手が必要なこと。
ライナの判断で、雅がタイムスリップした際に撮影した映像や、世界が破滅する未来の映像等、ある程度詳しい事情や裏話等も説明する。優一達には、事前に「必要なら話すつもりだ」という許可は貰っている。今の杏の様子を見る限り、可能な限り誠意を見せるべきだと、ライナはそう考えた。
杏は特に突っ込みを入れることなく、ライナ達の説明をただ黙って聞いていた。
そして、三十分後。
「――と、いうわけです。ご協力のほど、よろしくお願い致します」
「お願いします!」
滞りなく説明を終え、そう言って頭を下げる二人。
杏はしばらく無言でいたが、やがて――
「いいでしょう。お貸しいたします」
「っ!」
存外にあっさり許可してもらったことに、顔を明るくさせるラティア。
けど、と杏は続ける。
「……一つ、条件があるわ」
「……条件、ですか?」
表情を変えることなく、ライナは聞き返す。だが、彼女の背中には、嫌な予感が伝っていた。
そして――
「鬼灯淡と会わせなさい。二人きりで」
刹那、社長室の中で限界まで張り詰めていた空気が、一気に冷え込む。
鬼灯淡……かつて、人工種のっぺらぼう科レイパーへと変身した彼女。杏の娘、四葉を殺した張本人である。レイパーの力をアップさせるお面……それを四枚も吸収してしまったことで、人工レイパーの力を失った今でも、後遺症として感情を失っている状態だ。
杏はまだ、淡と会って話が出来ていなかった。淡は未成年。そうなると原則として、親族以外は面会が出来ない。前に雅が面会させてもらったことがあったが、それは警察の捜査に関しての事実確認等があったからだった。
ライナの握り拳に力が籠り、ラティアが身をさらに強張らせる。
杏のこの提案は、予想出来ていた。優一からも、事前にこういう提案があるかもしれないと忠告も受けていた。
だが、いざそれを本当に言われると、杏の眼の奥に見える、肝が冷えるような真剣な光に、気持ちが尻ごみしてしまいそうになる。
(成程……だから私とラティアちゃんだけに……警察の人をこの場に寄せなかったのは、この為ですか……)
年齢的には若い自分達だけなら、頷かせられると思ったのだろうと、冷や汗をかきながらライナは推理する。
無論、思い通りにはさせるつもりはない。
「いえ、流石にそれは……」
「断るなら、この話は無かったことにしましょう」
「…………」
「…………」
瞳を揺らすライナ。初めて、僅かだが動揺を表に出してしまった。
杏の眼は、本気だ。
これは交渉の建前だが、実質的には国からの要請。一企業が断ってよい話ではないはずなのだ。杏がそれを分かっていないわけはない。
それでも、杏は今、私情を優先させている。もしかすると、その結果、会社がどうなっても構わないと思っているようだと、ライナにはそう思えた。
杏にはもう、家族がいない。守る者がいない。失い続け、もう大事にしたい人や物など、この世にはないのだろう。いや、分からなくなっているというべきか。自暴自棄になっているという表現が、最も適切に思えた。
ラティアは視線でライナに訴えてくる。「絶対に駄目だ」と。ライナもその意見に、全面的に賛成だ。杏が何故、淡と面会させろと言ってきたのか、その背景を考えれば、何をするつもりなのかは火を見るより明らかである。
だが、しかし――「そうですか、ならばこれで」と一刀両断出来るかと言われれば、答えはノーだ。事態は一刻を争う状況。優一は「駄目なら別の手を考える」と言っていたが、あれが自分達を緊張させないように言ってくれた建前だということくらい、ライナには分かるのだ。
何としてでも、杏を納得させなければならない。呑んでよい要求は呑み、断るべき要求はきちんと断って、だ。
頭をフル回転させること、コンマ数秒。
「小手をお借りした後、検討させて頂くというのは――」
「駄目よ」
「……必ず、警察の誰かの立ち合いの元という条件を呑んで頂けるのなら。それ以上の譲歩は、出来ません」
「……成程」
そう呟くと、杏はしばし、ライナの眼をジッと見つめる。
負けじと睨み返すライナ。横では、ラティアがライナの服の裾を、ギュッと握りしめる。
辺りを支配する、重い沈黙。
どれくらいの時間、経っただろうか。
それを破ったのは――フンと鼻を鳴らした、杏。
「ここが落としどころかしら。いいわ」
「……ありがとうございます。すぐ、手配いたします」
ギリギリ、及第点といったところか。
ライナがペコリとお辞儀をし、ラティアが遅れてそれに続く。
顔を伏せながら、ライナとラティアは、心の中で、一旦ホッとするのだった。
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