第434話『杏再』
二月十一日月曜日、午前九時四十三分。
新潟県村上市新屋。三面川に沿って続く道路を、一台の白いセダンが走る。
運転しているのは、短い髪に渋い風貌の男性。相模原優の父であり、捜査一課の刑事の優一警部だ。
「さて、そろそろ到着だ。準備はいいかな?」
優一は、後部座席に座る二人の少女にそう尋ねる。
一人はライナ・システィアア。もう一人は、美しい白髪に、紫のリボンを着けた少女、ラティア・ゴルドウェイブだ。
ライナは平然とした様子で頷くが、ラティアの方はどこか緊張した様子。彼女も頷きこそしたが、その動きはぎこちない。そんなラティアに、優一は苦笑いを浮かべる。
「……あまり肩に力を入れ過ぎないように。ライナさん、フォローを頼むよ」
「ええ。任せてください。……彼女と一番面識があるのは、私くらいですし」
「本当は私が行ければ一番良いが、先方に断られてしまっては何ともな……。難しい仕事を頼んでしまい、すまないと思っている。――さて、見えてきたぞ」
古い民家が立ち並ぶこの地域には珍しい、新しくも大きな建物……『アサミコーポレーション』が見えてくる。
ライナとラティアは、ここに用があって、やって来た。アサミコーポレーションの社長、浅見杏に会うために。
ラージ級ランド種レイパーの周りに、バリアのように展開されている、魔力の膜。
調べたところによると、ある特定のエネルギーをぶつければ、この膜は破れるように出来ていた。
そして極めて偶然にも――浅見四葉の使っていた、装甲服型アーツ『マグナ・エンプレス』が放つ衝撃波が、その『特定のエネルギー』の構造に酷似していたのだ。
マグナ・エンプレスを動かす動力は、雅の使う剣銃両用アーツ『百花繚乱』のエネルギー弾と同じもの。衝撃波を放つ際、小手部分に搭載された変換装置により、エネルギーを分子変換させている。だが、それにより新たに構成されたエネルギーが、膜に効果てきめんだということが発覚したのである。
マグナ・エンプレスは、杏が四葉の為に作った特注品。衝撃波を放つための、エネルギー変換装置は一般販売されているものを追加工しているわけではなく、アサミコーポレーションが一から開発した、特別なものだ。
マグナ・エンプレスは壊れてしまったが、幸いにも衝撃波を放つための小手は残っており、それは杏へと返還されていた。
つまり、膜を破るためには、アサミコーポレーション……牽いては社長である杏の協力が必要不可欠なのである。
ライナとラティアがアサミコーポレーションに来たのは、彼女と交渉するためだった。ライナは前に何度か四葉の訓練相手としてここに呼ばれており、杏とも面識がある。ラティアは四葉と交流が深い。
雅もここに来られればベストだった――雅本人もそれを望んだ――のだが、事情があって今回は留守番である。
本来なら優一の言葉通り、警察関係者等が杏と交渉出来れば良かったのだが、杏がそれを拒否した。それでも何とかと、『交渉の場に立ってくれる』交渉をした結果、ライナとラティアの二人だけなら良いということになったのだ。雅も一緒に……と頼んだが、それは拒否されてしまった。
「……娘の四葉さんを殺されて以来、彼女は随分と荒れている。何かあったらすぐに駆け付けて助けるつもりでいるが、充分に気を付けてくれ。協力を得られないとなれば、設計図だけでも借りられないか交渉するつもりだ。手はまだある」
「分かりました。……それにしても」
車の窓から、アサミコーポレーションを見ながら、ライナは眉を寄せる。
何となくだが、人の気配が少ない……そんな気がしたのだ。
「アサミコーポレーション、業績は落ちてしまったんですよね」
「ああ。前は、『StylishArts』に肉迫するくらいの業績だったはずだが、先月出た決算短信によれば、この四半期の売上がガタ落ちしていた。株価も大分下がっている。……四葉さんがいなくなった影響は、驚く程に大きかったようだ」
「……私達のお願い、聞いてもらえるかな?」
それまで口数の少なかったラティアが、ボソリとそう言うが、答えられるものは誰もいない。
全ては、これからだ。
***
「すみません。本日、アンズ社長とアポをとっているライナ・システィアとラティア・ゴルドウェイブなのですが――」
アサミコーポレーションに入ったライナが受付の女性にそう声をかける。案内係が来るとのことで、少し待っていると……
「ライナさん! お久しぶりです!」
「あっ、ユカリさん!」
やって来たのは、ショートポニーの髪型をしたOL、瀬郷由香里。以前、ライナがアサミコーポレーションに潜入する際に知り合った人だ。彼女の前で一芝居うってわざと怪我をし、治療室まで連れて行ってもらった時のことである。
「今回は、堂々と入ってきたんですね」
「その節はスミマセン……って、何回このやりとりさせるんですか。ふふ」
互いにクスクスと笑うライナと由香里。ライナが四葉の訓練相手としてここに呼ばれた際、彼女とも大体会っていた。今のやり取りは、その時のお決まりのようなものだった。
「事情は私も聞いているわ。大変よね。それにしても、可愛いお客さんも一緒じゃない」
「ラティア・ゴルドウェイブです。よろしくお願いします」
ペコリとお辞儀するラティアに、由香里は少しだけ笑みを零す。
だが、由香里の顔色は、どこか疲労の溜まったような、どんよりとした様子が少しばかり残っているのが、ライナには無性に気になった。
「ユカリさんが、案内をしてくれるんですか?」
「ええ、ちょっと社内が色々ごたごたしていて……私、普段はシステム関連の仕事をしているんだけど、今は別の課の業務もいくつか兼任しているの」
「……やっぱり人、少ないですよね」
辺りを見回しながら、ライナはそう呟くと、由香里も苦い顔をする。
「……ええ。最近、社長が荒れていて、無茶ばかり言うものだから、社員がまた一割くらいいなくなって……来月には、多分さらに同じくらいの人が辞めるみたい」
そうなったら、自分の仕事がまた増えると愚痴を零す由香里。
社内事情は思ったよりも深刻なようで、ライナは思わずラティアと顔を見合わせた。
「正直、今回二人が会いに来ることを、社長が了承するなんて思ってもみなかった。『今は仕事に関係のないこと以外はやってられない!』って怒鳴られるんじゃないかってヒヤヒヤしたのよ。――さ、こっちへ」
由香里の案内の元、ライナとラティアは手を繋いで一緒に進んでいく。
そして、社長室が見えてきた刹那――二人は息を呑んだ。
何となく、分かってしまう。社長室の外からでも分かるくらい、杏のピリピリとした空気が溢れていることが。
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