第425話『揺想』
一方、ここは束音家のリビング。
セリスティアがいなくなり、二人きりになったライナとラティアはというと――
「ラティアちゃん、ごめんね。嫌な会話聞かせちゃって……」
「う、ううん。大丈夫……だけど……でも、ライナお姉ちゃん……」
「私は少し水飲むけど、ラティアちゃんは何かいる?」
「……じゃあ、私も水貰うね。でも、蛇口使えるかな?」
「んー……あ、出る。良かった。はい、ラティアちゃん」
コップに適当に注がれた水を渡されたラティア。コップの側面には、水滴が拭かれることなく残っている。ラティアはテーブルへと向かいながら、揺れる水面をジッと見つめていた。
ライナも自分の分の水をコップに注ぐが、ラティアのようにテーブルへと向かうことなく、その場で一気に煽る。速攻で空になったコップを手早く洗い、元の場所に戻した。
そんな彼女の様子を見て、ラティアは水を一口飲んでから、控えめに口を開く。
「バスターって、大変だね」
「うーんと……まぁ、そうだね。ちょっと大変。責任も重いし。でも、今年で三年目くらいになるし、もう慣れたかな」
「ヒドゥン・バスターだっけ? レーゼお姉ちゃんとは、ちょっと役割が違うんだよね。レーゼお姉ちゃんも毎日大変そうだけど、ライナお姉ちゃんはもっと大変そう。遅くに出て、私達が寝た後に帰って来ることもあるし」
「あ、あはは……生活リズムは崩れちゃうかな。諜報や偵察、暗殺がメインみたいなものだし……。でも、私なんかまだ楽な方だよ。他のヒドゥン・バスターの人達に比べれば」
ヒドゥン・バスターというのは、日本でいうところの公安警察のようなもの。今はレイパーに関する仕事が大半だが、人間相手に同じようなことをしなければならないこともある。バスター以上に人に恨まれる職業であり、バレたら命を狙われる危険だってある。公安と同じく、ヒドゥン・バスターであることは誰にも話してはならない。それが例え、家族であっても。
「でも私は、皆にはそのことを話してる。お父さんが私の上司だったから、特に隠す必要も無くて……そういう面では、精神的に楽かな。こうして誰かと一緒に暮らせるから」
身内に危険が及ぶ可能性を考慮し、基本的にヒドゥン・バスターというのは独り暮らしだ。任務うんぬんよりも、生活が孤独であることに精神的に参ってしまう人もいるくらいだ。人に職業を聞かれたら、嘘を言わなければならない罪悪感もある。
そこら辺の苦労が無い分、ライナは非常に恵まれた環境にあった。
「だから私、仕事への不満とか、あんまり持たないようにしてるんだ。他の人達に申し訳ないしね。――あー、そう言えば、こんな話をラティアちゃんとするの、初めてかな?」
「うん。こうして二人で話す機会、あんまり無かったし。でも、お蔭で分かったかも。……ライナお姉ちゃん、やっぱり……無理、してるよね?」
「…………そう、かな?」
沈黙は肯定と同じ。ライナはそれを知っている。
だから敢えてこんな反応を返したのだが……自分でも分かるくらい、その言葉は動揺が含まれていた。
「普段はそんな風に見えないから、あんまり心配してなかったの。多分、誰も。……でも、今日は違う気がする」
「……私も、まだまだだね」
反省するように溜息を吐くライナ。
ラティアの言ったことは、正しい。確かにライナは、少し無理をしていた。雅が操られ、自分達の敵となり、最悪の場合彼女を殺さなければならないという判断すらしないといけない状況。優にはあんなことを言ったが、その時になって決意と意思が揺らがない確証はない。
少なくとも、ラティアに今の心境を見破られるような自分では、どうなるか。……諜報活動が任務にある以上、ヒドゥン・バスターは冷静さと冷酷さ、非情さを兼ね備えていなければならないのに、だ。
「セリスティアお姉さんの言った通り、ライナお姉ちゃんがミヤビお姉ちゃんを殺したくないことは、分かってる。だから……」
「うん。でも、やっぱり責任があるから。ヒドゥン・バスターとしての責任が」
そう言ってから、首からぶら下げた、銀色のロケットを開くライナ。そこには、前に雅とデートした際に撮った写真が埋め込まれている。
(……大丈夫。私、まだ頑張れる)
写真に映る雅とライナの顔は、どこか緊張気味。でもあの時は、確かに楽しかった。
これを見て、その時の感情が思い出せるのなら――まだ何とか、グラつきそうになる心を、気合と根性で支えられる気がした。
ライナはロケットを閉じると、覚悟を決めるように、自分の両頬をパチンと叩く。
「……そろそろ準備しないと。ここでのんびりしている訳にはいかないし」
「……そっか。いってらっしゃい」
「あ、そうだ。言い忘れてた。……あの時は、ありがとう」
「あの時?」
「ほら、レイパーが家に侵入してきた時。横から盾で、タックルしてくれたでしょう? それに、マイカちゃんを助けてくれたことも……」
そう言われて、ラティアは何のことか思い出し――力無く首を横に振る。あの時は、無我夢中で動いただけだった。レイパーへのタックルは効果が無く、四葉から真衣華を助けたのだって、どちらかと言えば頑張ったのは、亡霊四葉の方だろう。自分の意思で、拳を止めたのは、他でもない彼女だ。
「私なんて、ただの足手纏いだし……」
「そんなことないよ。少なくとも、私はあれを見て、頑張れた。その時にやれることをやれるって、実は意外と難しいんだよ。誰でも出来ることじゃない」
「そう……かな?」
「うん、そうそう」
「……なら、もうちょっとだけ、やれること、やってみる。ねぇ、ライナお姉ちゃん――」
リビングを出ようとしていたライナに、ラティアはゆっくりと歩み寄っていく。
ライナの顔に、少しばかりの緊張が走る。ラティアの目……そこには、決意を秘めたような何かが、宿っていたから。
「我儘一つ、言っていい?」
「んー……何、かな?」
「ミヤビお姉ちゃんのこと、助けて」
そう頼み込むラティアの声は、震えが必死に押し殺されたものだった。
そしてラティアは、ライナにギュっと抱きつく。
「ラ、ラティアちゃん?」
腰の後ろに回された手に力が籠る。とても小さな少女とは思えないくらい、強く。
「バスターとしての責任とか、色々あるって分かってる。けど……でも……だけど……っ!」
ライナの体に顔を埋めたまま喋っているからか……ラティアの声はひどく、くぐもっていた。
「わたし……は……っ」
「うん。……うん、分かってる」
そんな彼女に対して、ライナが出来ることは……ただ彼女の頭を、優しく撫でることだけ。
約束はしてやれない。敵の力は強く、どこまで抗えるかは、誰にも分からないのだ。
だが、
「……助けたい。私も。ミヤビさんのことを」
それは紛れもない、ライナの本心。
かつて、自分もレイパーに操られ……雅に助けられた。
そんな彼女のことを、誰が見捨てられようか。
「……私も、やれることやってくる。だからここで待っていてくれる?」
「……うん!」
ラティアがそう言うと、俯いたままライナから離れていく。その顔は見えない。
今、彼女はどんな顔をしているのだろう。
直後、リビングの外で、足音が聞こえてくる。
開く、リビングの戸。
やって来たのは、セリスティアだった。
「ライナ、そろそろ行くぞ。準備と覚悟はいいか?」
「ええ、大丈夫です。――お願いします」
力強く頷くライナ。玄関でセリスティアにおぶられると、ULフォンを起動させ、雅のGPS信号の位置を確認する。
西区の海岸近くの倉庫。……彼女はそこにいた。皆もそこに向かっている。
「じゃあ、行ってきます」
「うん……二人とも、気を付けて!」
「超特急で向かうぞ。しっかり掴まってろよ!」
そう言うと、セリスティアは思いっきり地面を蹴る。荒れ狂う吹雪に負けず、一気に突き進んでいく。
あっという間に見えなくなっていく二人の姿。
「どうか……無事に戻ってきて」
ラティアの呟いたその言葉は、風の音に消えていく――。
***
一方、ここは西区の病院。
そこには、ネクロマンサー種レイパーとの戦いで怪我をした、ミカエルが運び込まれていた。
他にも、亡霊レイパーにやられた多くの怪我人も運び込まれている。院内は慌ただしく、まさに戦場のような光景が広がっていた。
そんな中、
「ええっ? 患者さんが脱走したっ?」
「え、ええ! あの金髪の女性です! 異世界人の! 今日は安静にしてもらわないといけないのに、どこに行ったのか……! ど、どうしましょうっ?」
おどおどしだす看護師に、看護部長は「と、とにかく探しなさい!」と叫ぶことしか出来ない。
この忙しい中、なんてトラブルを起こしてくれたんだと、怒り心頭だ。
騒がしくなる院内。その外。
「み、皆……っ」
この吹雪の中――杖型アーツ『限界無き夢』を松葉杖代わりにしながら、金髪ロングの女性、ミカエル・アストラムは、歩いていた。
ULフォンに映し出された地図……雅のGPS信号が示すそこへと、向かうために。
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