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第44話『正体』

 突如二人の前に姿を現した男性は、ライナの父親だった。


 まず雅が最初に浮かべた疑問は、『何故こんなところに人が?』というものだった。


 動く事も忘れ、雅は二人の様子をただ眺めることしか出来ない。


「ライナ、これまでの仕事、ご苦労だった。よく頑張ったね」

「お……お父さん? どうしてここに……? 危ないよ……?」

「君が集めてくれたデータのお陰で、我々もようやく結論が出せた。やはり彼女は、この世界にとって危険な存在。可及的速やかに排除せねばならない」


 雅の方に目を向けながら、ライナの父は声を低くして告げる。


 それを聞いて、雅の眉がピクリと動いた。


 彼の発した、ある単語が妙に引っかかったのだ。


「この世界にとって……?」

「お前は、この世界の人間じゃないのだろう?」

「――っ!」


 何故そのことを、という言葉が喉まで出かかったが、寸前で理由に思い当たり、ライナの方を見る。


 青白い顔で、ライナは雅に頷いて見せたのを見て、それが正しいと分かった。


 雅はセントラベルグで最初にライナに会った時、自分が別の世界からやって来た、という話をしていた。彼女からこの男性に伝わったのだ。


 男の目は、雅から、雅の持っている剣銃両用アーツ『百花繚乱』へと向けられる。


「異世界のアーツ……放置するには余りにも危険だ……」

「それは……分かってる。だからミヤビさんを殺すために、私は……。でも、お父さん――」

「さぁライナ。あともう一息だ」

「お父さん! 話を聞いて!」


 あくまでも優しく語り掛けるような口調の父に、ライナは悲鳴のような声を上げる。


 会話が成立していない。ライナに話しかけているように見えて、彼の意識はずっと、自分に向いていると雅は感じた。


「大丈夫だよライナ。ライナにとって、とても心強い味方を用意したんだ」

「お、お父さん……?」


 嫌な予感が、雅の背筋を撫でる。


 刹那、強い殺気を感じて横を向く雅。


 神殿の裏口から何かが飛び出してきて、猛スピードで雅に飛び掛かった。


 咄嗟にアーツを盾にして受けるも、出てきた『何か』に勢いのまま押し倒されてしまう。


「――っ?」

「お、お父さんっ? どうして――っ?」


 雅を襲ったのは、全身黒い毛むくじゃらで猫の顔をした、人型の生き物。


 口から漏れでる「ニャア」という鳴き声は、まるで追い詰めた獲物をいたぶるような声だ。


 黄色い眼に、押し倒された雅の苦しそうな顔が映る。


 レイパーだ。分類は人型種猫科……否、『ケットシー種』と言うべきか。


「さぁライナ。今だよ。早く彼女を始末するんだ」

「質問に答えてよ! お父さん!」


 突然現れたことは勿論、ライナの父親がレイパーを『味方』と称した事に、驚きを隠せない雅。


 ライナに至っては、驚きを通り越して恐怖さえ覚えていた。


「あいつは……私達の敵だよ……? そんな奴と、どうして一緒に……?」

「どうしたんだいライナ? 今が絶好の機会だよ」

「お父さん!」

「ライナさん! そいつから離れて!」


 雅が、ケットシー種レイパーを体から引き離し、蹴り飛ばしてからそう叫ぶ。


「あなた……どういうつもりですかっ? なんで私に、こんな――っ!」


 再び飛び掛ってくるレイパーを躱し、斬撃を繰り出すが紙一重で避けられてしまう。それでも、意識はケットシー種レイパーに向けながら、雅は男にそう聞いた。


 その問いに、彼は何故かフッと不敵な笑みを浮かべる。


「お前の持つアーツは、余りにも未知の物……。存在させておくには、危険なのだよ。使い手のお前ごと、葬るのが適切と判断したまで」

「嘘です!」


 ケットシー種レイパーの攻撃をいなしながら、雅は断言する。


 確かに、雅のアーツを見て驚く人はいた。だが驚く理由は、その収納方法に対してだ。アーツの性能に関して言えば、この世界のアーツと比べても大きな差は無い。寧ろ本来の機能である『合体』が使えない分、平均値よりも下に位置するくらいだ。


 もっと別の理由を隠すための虚言だと、雅は直感した。


 そして雅のその言葉を聞いて、男の顔から一瞬だけ笑みが消えた事で、その直感が正しいことを知る。


 しかし、男は雅の直感を否定するように首を横に振って口を開いた。


「嘘ではないさ……。少なくとも、お前のアーツを存在させたままにしておくことは、な……。それはとても悪いアーツだ」

「今日初めて会ったあなたに……私の大事な『百花繚乱』を、悪く言って欲しくありません!」


 怒鳴る雅。


 だがその言葉に、男は何故か目を丸くする。



「初めて? おやおや……酷いなぁ。お前とはもう、何度も会っているだろう?」



 一瞬、雅は何を言われているのか分からなかった。


 思考がフリーズした瞬間にケットシー種レイパーの掌底が腹に打ち込まれ、雅は大きく吹っ飛ばされてしまう。


 床に背中を打ち、その衝撃で肺の中の空気が全て吐き出されてしまう。


 そんな中で視界に映った、追撃するように飛び掛ってくるケットシー種レイパー。


 咳き込みながらも、雅は気合で地面を転がってそれを躱す。


「ど、どういうことですか……? 私は、あなたとは過去に一度も……」


 立ち上がり、ケットシー種レイパーと格闘を続けながら記憶を掘り返しても、雅はこの男と会った事はおろか、顔を見た事すら無い。


 だが男は、実に心外だというように眉を顰めた。


「お前と……もう一人。あの赤毛の女のせいで、私は大好きな活動を止めざるを得なくなったのだよ。忘れてもらっては困るな」

「赤毛の女……?」

「お前が一緒に行動していた、あの女の事だ。あいつはどこに消えたのかね? 彼女も危険だ……。お前を始末したら、奴も始末しなければ……」

「ど……どういう事、お父さん……?」



 そこで、雅の脳裏に、ある一人の女性のことが浮かび――背筋が、スッと寒くなる。



「お前……まさか……」



「おや、やっと思い出したのかい? 物覚えの悪い女だ」

「お、お父さん? どうしたの……?」


 男は、震えるような声で腕を掴んできたライナに顔を向ける。


 ビクンと震えるライナ。


 男の顔は、これまでの穏やかな笑みとは打って変わって、怖い程に厳つくなっていた。


 途端、ライナは男に勢い良く突き飛ばされる。


 ライナの手からヴァイオラス・デスサイズが零れ、床に音を立てて落ちて大きな音を響かせる。


「ああ。そうか。思い出せなかったのも無理は無いな――」


 男は最愛の娘を突き飛ばしたにも関わらず、そんな事はどうでも良いよ言わんばかりに再び雅に顔を向ける。


 そして口を開き、そこから――



「マタフボノゾモオ、ヨモオトモッノタモ」



 そんな、言葉とも分からない不気味な声を発した。


「な、何をす――」


 抗議の声を上げかけたライナは、途中で動きを止め、声にもならない悲鳴を上げる。


 男の耳から、何やら白い液体が、ドロドロと音を立てて床に流れ落ちていた。


「お……おとう――」

「ライナさん、そいつから離れて! そいつは――」


 敵の正体に気が付いた雅が叫ぶ。


 本当なら、今すぐにでも男の元に行きたいのだが、それはケットシー種に阻まれてしまっていた。


 床に流れ落ちた白い液体は一ヶ所に集まり、膨らんでいく。


 出来上がったのは、ドーム上の頭に、吸盤のついた十本の足の生き物。足の内二本は、未だ男の耳の中に繋がっている。



 まるでクラゲとイカを足し合わせたような姿のそいつは、かつて――セントラベルグにて、雅とセリスティア・ファルトが取り逃がしてしまったレイパー。



 分類は『パラサイト種』。


「ライナ、早くあいつを殺しなさい」


 男は目を上下に動かしながら、口を開いてそう言う。


 否、言わされているのだ、レイパーに。


 途端、男の皮膚の一部に、鋭利な物で斬り付けられたような傷が出来て、そこから血が噴き出る。


「や……やめて……」

「ここまできて、何を躊躇っているのだね? なんと……出来の悪い娘だろう」


 傷は次々に浮かび上がり、どんどんと男の体から血が失われる。


 わなわなと、うわ言のように「やめて」と繰り返すライナに見せびらかすように、パラサイト種レイパーは男を壊していく。


 ついにレイパーの足が繋がっている、男の耳から、濃い肌色の液体が、透明な液体と共に流れ出してきた。


 ガタガタと小刻みに震える、男の体。


 ついに首に、傷が浮かび上がり、これまでに無い程夥しい量の血が噴出する。


「ら……い、な」


 口からそんな声ガ漏れ出した刹那、彼の体が膨れ上がり、破裂音と共にライナの父親の体がバラバラになる。


 腕が、手が、指が、胴体が、足が……辺りに散らばり、今まで彼がいた場所にいるのは、パラサイト種レイパーのみ。


 ゴロゴロと転がる、ライナの父親の頭。


 ライナは色の無い瞳で、父親の頭を拾い上げる。


 彼の顔は、苦痛と恐怖に塗れ、あまりにも痛々しいものだ。


 頭が真っ白になり、今この瞬間、ライナは自分が何を思い、どんな気持ちなのか、全く理解出来ていなかった。


 必死で呼びかける雅の声は、彼女の耳には届かない。


 ライナの目から、ポロポロと涙が零れる。


 パラサイト種レイパーが近づいてきていることにさえ、ライナは気が付かない。


 そしてついにライナが絶叫せんと口を開けかけた瞬間――



 ライナに近づいたパラサイト種レイパーが、彼女の耳から体内に入りこみ、それを許さないのであった。

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