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第411話『扉直』

 二月七日木曜日、午後六時四十分。


 束音家の前には、軽バンが泊まっており、玄関から、会話が聞こえる――


「――では、これで交換は完了です。決済は既に済んでおりますので、最後にこちらにサインをお願いします」

「うぃっす」


 灰色の作業服を着た男性から差し出されたタブレットに、言われるがままに名前を書くのは、赤毛のミディアムウルフヘアの女性、セリスティア・ファルト。


 先日壊れてしまった束音家の玄関の扉。建てつけ等はセリスティアでも直せたが、ドアロックのための生体認証周りの装置は業者に頼まなければならず、家主の雅に許可を得て、今日直してもらっていた。それが、今終わったのだ。


 タブレットにサインをするのは、ペンを使って紙に字を書くのとはまた別の難しさがあり、セリスティアはどこかやりにくそうに名前を記入していく。普段見ている自分の字とは似ても似つかず、どこか嫌な気持ち悪さがあった。


「……っし。これでいいか? それにしても寒い中、お疲れさん。これ、良かったら持っていってくれ」


 そう言って、セリスティアがタブレットと一緒に、温かいお茶の入ったボトルを差し出す。作業員はお礼を言って受け取ると、渋い顔で、すっかり暗くなった空を仰いだ。


 緩やかに、しかし止まることなく落ちてくる、大粒の雪を顔に受けながら。


「いやぁ、降りますね。これは帰るのも大変だ」

「すまねえな。こんな日に呼び出しちまって。気ぃ付けて帰りな」

「いえ、これも仕事ですし。……それでは、失礼します」


 足早に車へと戻っていく作業員。


 ゆっくりと去っていく車。それが完全に見えなくなるまで見送った後、セリスティアはどこか辟易とした顔で庭を見る。夕方から雪が降り始めたと思ったら、あっという間に膝の下くらいまで積もってしまっていた。


 寒いのはともかくとして、これは明日の雪かきが面倒だ。……そう思っていると、


「セリスティアさーん! 遅くなりましたー!」

「んっ? おぉ、ユウ達じゃねーか」


 コートを羽織り、傘に雪を積もらせやって来たのは、三人の少女。


 黒髪サイドテールの相模原優。


 ゆるふわ茶髪ロングの娘は、桔梗院希羅々。


 そしてエアリーボブのもやしっ子は、橘真衣華だ。


 今日は学校が終わったら、束音家に集合することになっていたのだ。……ネクロマンサー種レイパーが、新潟にいることが判明したから。


「ごめんなさい。少し遅れてしまいましたわ。この雪で越後線、遅れてしまいまして」

「ま、しゃーねぇよ。ほら、中入んな。……てか、キララとマイカこそ良かったのか? 下手すりゃこれ、帰れねーぞ?」

「最悪ここに泊まるので、大丈夫。おっ、雅ちゃんの家の戸、直ってる!」

「ん? あぁ、今直してもらったばかりなんだ。……そっか、マイカ達が泊まるってんなら、今日は久しぶりに賑やかになりそうだな」

「あー、早く雅ちゃん来ないかなー。頼んでいたあれ、早く見たいし」

「真衣華……少し現金ですわよ」


 溜息を吐いて真衣華を窘める希羅々に、セリスティアは「ん? なんだなんだ? どうしたんだ?」と頭に『?』を浮かべる。


「いやー、実はさ。雅ちゃんが使っていた、タイムスリップ出来るアーツがあったじゃないですか。あれのレプリカを貰えることになっていて」

「本物はナリアに保管することになったんですけど、折角だからって作ってもらえることになったみたいなんです。それでみーちゃん、真衣華ちゃんにって」

「ほーん、成程。そりゃ良かったじゃねーか」


 と、家の中に入りながら、そんなことを話していると、


「おおっ? さがみん達も来たところでしたか。ベストタイミングです」

「あっ! みーちゃん! 皆も!」


 優達に少し遅れてやって来たのは、桃色のボブカットにムスカリ型のヘアピン、黒いチョーカーを着けた少女。家主の束音雅だ。


 その後ろには、レーゼにライナ、志愛にファム、ラティアもいる。一緒に新潟に来たはずのミカエルがここにはいないが、彼女だけは警察署の方に向かっていた。


「なんか、さがみんや真衣華ちゃんに希羅々ちゃんと会うの、凄く久しぶりな気がします。一か月くらい会っていなかっただけのはずなんですけど……」

「うん、そうかも。……でも、顔見たら少し安心した。元気そうで」

「おっ、その猫がペグちゃん? 丸まっていて可愛いね」

「そうそう、可愛い猫よ。遊び疲れて寝ちゃっているから、静かにね」

「遊び疲れたっていうか、ただ疲れただけなんじゃ……」


 レーゼが持っているゲージの奥で丸まった、エメラルドグリーンの毛並みをした猫、ペグ。レーゼが柔らかい笑みを浮かべてそう答えるが、隣にいるファムは微妙な顔になる。


「あの、マーガロイスさん、何か怪我をされていません?」

「あ、大丈夫です。多分、本人はまるで気にしていませんから」

「ペグちゃんに引っ掛かれている間、ずっと笑顔だったもんね……あはは……」

「レーゼさんがあんなに猫好きだとは知らなかっタ。これは勘だガ、誰かが見張っていないト、いずれ大変なことになりかねないゾ」


 レーゼの顔に付いた細かいひっかき傷に気が付く希羅々に、ライナにラティア、志愛は苦笑いを浮かべる。


「あ、そうだセリスティアさん! 杭の監視とか戸の修理とか、ありがとうございました! なんかすみません、面倒なこと頼んじゃって!」

「あ? んだよ気にすんなって。俺の方こそ、何かわりぃな。そっちが大変だって時に、なんも力になれなくて……」


 雅に言われ、照れくささと申し訳なさの入り混じった顔で、髪をワシャワシャと掻くセリスティア。


 静かだった束音家が、あっという間に賑やかになった。


 何となく、セリスティアは口元を綻ばせる。


(……なんつーか、やっぱいいな。こういうの)


 少し前までは、シャロンと二人だけ。最近はずっと一人で生活していた。色々やることがあったから退屈というわけではなかったが、やはりセリスティア的には、皆でワイワイ騒がしい方が楽しい。


 そんなことを思っていた……のだが、


「さーて、久しぶりの我が家です。さて、作戦会議ですけど、折角だしご飯でも食べながら……ん?」

「……セリスティア。これは?」

「ん? どうした? ……ああ、いや、これは……」


 リビングに入るや否や、目を点にする雅と、妙に怖い笑みを浮かべるレーゼ。セリスティアは、慌てて目を逸らす。


 服や鞄等が床に乱雑に置かれ、テーブルには昼食に使ったと思われる食器がそのままになっている。出したものは出しっ放しで、片付けがされていない。控えめに言って、割と散らかっていた。


 現代技術により、自動クリーニング装置なんてものも備わっているが、それはある程度綺麗にしてこそ効果が出るもの。


 シャロンがいた時は、彼女に注意されていたからちゃんとしていたのだが、一人になっていた途端にこれである。ファムと真衣華は、「おー、なんか落ち着くかも」なんて顔をしているが、他のメンツは微妙な視線をセリスティアに向けていた。


 そんな彼女を尻目に、溜息を吐くレーゼ。


「全く……作戦会議や食事の前に、ちょっと掃除しましょう」

「……なんかすまん」


 そう言って謝るセリスティアの背中は、少し小さく見えた。

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