第406話『影核』
午前十時三十三分。
真衣華は、信濃川沿いの堤防……やすらぎ堤にいた。希羅々と喧嘩して意気消沈している娘を気遣い、蓮と春菜が連れて来たのである。
最も、連れてきてもらったところで、今の真衣華には何もすることが無いし、やる気も起きない。ただひたすらに揺蕩う川の流れを、彼女は体育座りして、ジッと見つめていた。真衣華の目は、どこを焦点として良いか分からず揺れる漠然とした瞳をしており、まさに心ここに在らずといった様相だ。
自分の気持ちで、一つはっきりと分かっているのは、何となく一人になりたいということくらいか。それを正直に告白することこそ無かったものの、蓮と春菜はそれを察してくれたのか、「飲み物とかお菓子とか買ってくる」と言って、自然と娘のしたいようにさせてくれている。
真衣華の手には、片手斧型アーツ『フォートラクス・ヴァーミリア』。半月型をした深紅の斧……レイパーがいるわけでもないのに、彼女はそれを出して抱きしめていた。そんな真衣華を見た人が、少しギョッとしてしまうくらいには異常な光景だ。
(……ここ、ちょっと傷入ってる。後で直してあげなきゃ……)
フォートラクス・ヴァーミリアの側面に入った、真新しい傷。普通の人なら特に何とも思わないレベルの損傷だ。そんな小さなものでも、真衣華は過敏に察知してしまう。
いつもなら、その過敏性を気にすることはない。
だが、
(……こういったところが、女々しいのかな)
今日は……今日だけは、何となくそう思ってしまう。
小さな頃、周りの子達が、大量生産された護身用アーツを使う中、真衣華だけはちゃんとした武器となる『影喰写』を買ってもらった。それが嬉しくて堪らなくて、その時から、真衣華はアーツを丁寧に扱っていた。
影喰写が壊れた後、新しく買ってもらったフォートラクス・ヴァーミリアも言わずもがなだ。毎日ちゃんとメンテをして、大事に扱っている。……傍から見れば、少し大切にし過ぎているくらいに。
自分にも分かるのだ。フォートラクス・ヴァーミリアをここまで大事にしているのは……昔使っていた影喰写が壊されたことに対するトラウマによるものだということは。メンテナンスを疎かにして何かの拍子に壊れてしまうかもしれない……それを想像すると、無性に怖かった。
だからきっと、希羅々の言う『女々しさ』を無くすことは、自分には出来っこないのだろうと、真衣華は思っていた。
刹那、冬空に冷たい風が吹く。
(……このまま希羅々と仲直り出来なかったら、どうしよう)
体を震わせ、何となくそんなことを考えてしまい、底の見えない不安に押しつぶされそうになってしまう――そんな時。
「――あちっ」
不意に真衣華のほっぺに当てられる、ペットボトル。
冷えた体に、温かい飲み物が入ったそれは、一瞬にして真衣華を現実に昇らせる。
振り返れば、そこにいたのは――
「なんだ、お父さんか……」
「なんだとはなんだ。折角買ってきたのに。……気分はどう?」
どこかもの悲しそうな顔をしつつも、蓮は真衣華にキャップを外して飲み物を渡し、横に座る。
「……別に。それより、お母さんは?」
「もうちょっとしたら来る。お菓子選びに随分悩んでいたから、僕だけ戻ってきたんだ。――少しは気分も落ち着いたかい?」
「……うん。なんかごめん、ありがとう」
そう言ってから、真衣華は渡されたホット烏龍茶を少しだけ飲む。口から喉を通る熱が、この寒空の下では心地が良い。
「ねぇ、お父さん。――なんで私、スキルを二つも持っているんだろうね」
ふと、蓮にそう尋ねる真衣華。
「なんだい、いきなり?」
「……今回のことで、何となく聞きたくなった。前々から、ずっと不思議だったし」
特別身体能力に優れているわけでもない。
優が雅を探し求めていたような類の、固い意志があるわけでもない。
得意なことと言えば、アーツ弄りだけ。
アーツが使用者にスキルを与えるメカニズムについて、正確なことは分かっていないが、真衣華自身、自分がスキルを与えられるような人間でないと思っている。肉体面、精神面で真衣華以上に優れている人は、それこそ山ほどいるのだ。シャロンや伊織なんかはその典型例だろう。だがそんな人達でさえ、未だスキルを貰っていないなんてことも多いのだ。
「影喰写がスキルをくれたのは、まだ分からなくもないよ。使い始めてから、結構経った頃に頂いたし。きっと、何か認めてもらえるようなものがあったのかもしれない。……けど、フォートラクス・ヴァーミリアの方は、全然分かんないんだ。貰って、確か半月もしない内にスキルを頂いて……」
その時は、喜びよりも困惑が勝っていたことを、真衣華はよく覚えている。
同じく弓型アーツ『霞』が壊れ、スナイパーライフル型アーツ『ガーデンズ・ガーディア』を使う用になった優が、スキルを貰うまでに約三ヶ月程度かかったことを考えると、異例の早さだ。しかも、比較に挙げた優でさえ、一般的な常識から考えると異常なこととなのである。
まだ影喰写大破のショックから立ち直れていない真衣華を、フォートラクス・ヴァーミリアは一体どうして認めてくれたのか。……希羅々の言う通り、昔のアーツのことをいつまでも引き摺っている『女々しい』人間を、だ。
すると、
「……僕は、そのわけを少しだけ知っているかもしれないな」
蓮が言ったその言葉に、真衣華は目をパチクリとさせて父の顔をマジマジと見る。全くもって、予想外のところから答えが返ってきたからだ。
「真衣華、そのフォートラクス・ヴァーミリア、少し貸してもらえる?」
「いいけど、何するの?」
「今日は真衣華に、普通は見せられない特別なものを見せてあげようと思ってね」
そう言いながら、蓮は腰のツールポーチから、いくつかのドライバーとピンセットを取り出す。真衣華もアーツを分解する時に使う工具と、同じものだ。
真衣華からフォートラクス・ヴァーミリアを受け取った蓮は、慣れた手つきでフォートラクス・ヴァーミリアのカバーを外す。普段からメンテナンスをしている真衣華と、遜色ない手際だ。部品やネジがどこに付いているか、ちゃんと知らないとこうは出来ない。
「流石、『StylishArts』の開発部長」
「フォートラクス・ヴァーミリアは、僕が設計したアーツだからね。中の構造まで全部覚えているよ。……さて、これさ」
「えっ……こんなところ……」
数えきれないほど分解してきた、フォートラクス・ヴァーミリア。どこにどんなパーツが付いているか、真衣華は全部知っているつもりだった。
だが、最重要な部分――アーツの『コア』となるエネルギー体が格納された装置。極めてデリケートな部分であり、一般人は弄ってはならないその部品の後ろ側に、小型のチップが取り付けられているなんて、真衣華は初めて知った。
「真衣華。これ、何だか分かるかい?」
「えっ? いや……ごめん、知らないや。初めて見たもん。でも、なんだろう……ICチップっぽい見た目だけど、制御基板に繋がっているわけじゃないし……。それにこれ、凄く傷だらけ」
蓮が取り出した部品は、初見で分かる程、痛々しい見た目をしていた。
だが、何故だろうか。
真衣華には、不思議とこの部品に、見覚えがあるような気がした。
その予感の正しさを裏付けるように、蓮は頷いて口を開く。
「これはね、アーツの『コア』だよ。……真衣華が昔使っていた『影喰写』のね」
「――えっ?」
「最も、もう『コア』としての役割は果たせない程に損傷しているけどね。昔、影喰写が壊れた時、辛うじて残っていた部品は全部回収したんだ。部品みたいに付いているけど……まぁ正直、ただの飾り。フレーバー的なものと言っていい。アーツの性能には、何ら関与しないものさ」
前のアーツが壊れたから、はい次新しいアーツ……そういうことを、蓮は真衣華にしたくなかった。せめて何か、影喰写の名残を残したかったのだ。
そこで考えた結果、辛うじて残っている部品、それもアーツの心臓である『コア』の一部を、フォートラクス・ヴァーミリアに移植したのである。
「……知らなかった。え? なんで教えてくれなかったの?」
「いや、言ったよ? 真衣華だって『そうなんだ』って頷いていたじゃないか」
「えぇ……」
そう言われても全く記憶になく、真衣華は疑いの眼を蓮に向ける。
だが、実は蓮が真衣華にこのことを話したというのは、本当のことだった。最も、その時の真衣華はひどく傷心していたから、蓮の話はまともに耳に入ってこなかったのだが。真衣華が返事をしたという蓮の話も、ただの生返事である。
「……じゃあ、私がスキルを二つも持っているのって……」
「うん。多分だけど、真衣華を認めてくれた影喰写が、フォートラクス・ヴァーミリアにお願いしたのかもしれないね。自分の代わりに、主人を守ってやってくれって」
「…………」
真衣華は、渡された影喰写のコアを、優しく握りしめる。
(……暖かい)
高圧のエネルギー体であるコアの後ろに付いていたからか。
否、真衣華には分かる。
辛うじて……もう、何か出来る程の力は残っていないだけで……この温もりは、影喰写のコアが持っている熱だ。
(完全に死んでなんかない。……まだ、生きている)
その温もりが、蓮の言っていたことに説得力を与えてくれる。それはきっと願望でもなんでもなく、真実なのだと。
「……女々しくても、いいのかな? 引き摺っていても、いいのかな?」
「ん?」
「ううん。何でもない。――ありがとう。私、凄く元気出た」
目頭が熱くなっていることも、涙声になっていることも、真衣華は気づいていない。
「お父さん、これの付け方、教えて。……ちゃんと、自分で戻したい。影喰写のコアを、フォートラクス・ヴァーミリアに」
「……分かった。でも、相当神経使うぞ? 大丈夫か?」
蓮の言葉に、真衣華は力強く頷くのだった。
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