第405話『言合』
「真衣華、何があったんだい?」
妙に冷えた治療室内。ただジッと床を見つめる真衣華の姿にいたたまれず、蓮がそう尋ねる。
「だから……喧嘩した。希羅々と」
「喧嘩って……何があったの?」
真衣華と希羅々は、小学一年生の時からの幼馴染だ。軽い喧嘩は勿論、大喧嘩になったことだって普通にある。二人の関係は、二人の両親もよく知っていることだ。
故に、何となく分かってしまう。……今回の喧嘩は、どちらかと言えば『大喧嘩』の方だと。それも、仲直りするのに時間が掛かる、中々に厄介な部類だと。
春菜の質問に、真衣華は言い辛そうに、口を開いたまま固まる。
側にいた看護師が、堪らず「あの、実は……」と事情を説明しようとするが、蓮が無言のジェスチャーで黙らせた。きっと、自分の口で言わせた方が良い……そう思ったから。
ただひたすらに沈黙が続くのを、黙って待つ大人達。
すると、やがて――
「ここで治療を受けていたら、希羅々が来たの」
真衣華は話し始める。事の一部始終を。
中々治療が終わらず、心配してやってきた希羅々。丁度真衣華の方もひと段落した頃だったため、治療室の中に入れてもらえた。
最初は互いの怪我の具合等について話していたのだが――途中から、レイパーとの戦いの話になった。
何故その話になったのか、今では真衣華も思い出せない。何気無いところからその話題に移ったのか、希羅々から戦いの振り返りを始めたのか……とにかく、その時の話になったのだ。
「あの時、私はレイパーの攻撃で動けなくなっていて、そんな私を狙って、レイパーが攻撃を放ったの。……希羅々、それから私を守るのに、私が抱えていた『フォートラクス・ヴァーミリア』を取って盾にして、それで敵の攻撃を防いだんだ」
だけど、と真衣華は続ける。
「私、希羅々にそのことを怒っちゃった。『何であんなことしたの?』って。『どうして私のアーツを、盾に使ったの?』って」
「真衣華……お前、守ってもらったのに、それは――」
「分かってる。分かってるんだ、希羅々が悪いことなんかしていなかったって。逆の立場なら、私だってそうしたと思うし。ただ、あの時はなんだかこう……無性に嫌だったっていうか……」
何故あんなことを言ってしまったのか、と、真衣華は今では後悔していた。ただあの時は、自分が昔『影喰写』を壊されてトラウマになったのに、なんでわざわざフォートラクス・ヴァーミリアを弾避けに使ったのかと、信じられない気持ちになったのだ。レイパーの魔法にやられて、自分でも気が付かない内にナーバスになっていたのかもしれない。
「それで、当たり前なんだけど、希羅々も怒りだして……その後は、あんまり……その……覚えてない、かも。でも、途中から凄い口論になって、つい弾みで言っちゃったんだ。『いいよね我儘お嬢様は。思い出したくもないトラウマなんて無くて』ってさ。それで増々希羅々も怒って……」
「それで、さっきの騒動というわけね……」
「真衣華……それは君が悪い。そりゃあ希羅々ちゃんだって怒るだろう」
「うん……」
「いや、蓮。真衣華ちゃんだけを責めるのは違うさ」
唇を噛んで沈み込む真衣華に、光輝が蓮を落ち着かせるようにそう言った。
「希羅々は気が強いところがあるし、少し口が悪い時もある。それに短気というか……本人にそのつもりは無くても、カッとなって、いらないことまで言ってしまったのかもしれない」
口論になった時の二人の様子を想像すると、希羅々が正論しか言わなかったとは思えなかった光輝。ほぼほぼ間違いなく、希羅々も言い過ぎた部分はあったはずだろう。
そして、光輝は三人に頭を下げる。
「……何にせよ、真衣華ちゃんに怒鳴って出ていった希羅々の行動も良くなかった。うちの娘が申し訳ない。僕も希羅々を探してきます。……希羅々の話も聞かないと。蓮と春菜さんは、真衣華ちゃんの側にいてあげて下さい」
そう言って頭を上げた光輝は、急いで治療室を出るのだった。
***
一方、病院を飛び出した希羅々は、八千代橋を渡って信濃川を越え、やすらぎ通りを歩いていた。向かう先は、自分と真衣華がレイパーと戦った場所だ。
そんな希羅々は、早足で歩きながら、ULフォンで通話中である。相手は――
『おいおいキララよ、レイパーを探すなっつーのは、一体どういうわけだ?』
『そうだよ、あんた達の敵討ちしてやるってのに、何が不満なわけ?』
「ええい、黙らっしゃい。あまり迂闊に手出しして欲しくない相手なのですわ」
相模原優と、セリスティア・ファルト。二人とも、希羅々と真衣華を襲ったレイパーを探している最中だ。
そんな二人に、希羅々は一旦捜索を中止するよう、電話していたのである。
無論、優とセリスティアは納得するわけもないから、希羅々は説明する。敵の能力を。
二人とも、希羅々がふざけて「手出し無用」と言っているわけではないことくらい頭では分かっているから、その説明を黙って聞き、そして――
『ちっ、厄介な能力だな……。相手のトラウマを呼び起こす、か……』
『で、でも私なら、遠距離で攻撃出来るし……』
「光を見たらアウトですわ。狙撃手だからといって、安全というわけではありませんし。私は呼び起こされて困るようなトラウマは無かったようですから、ある意味あのレイパーにとって天敵とも言える存在かもしれません」
『俺もねぇと思うぜ? 交戦しても大丈夫だろ?』
「念には念を入れて、駄目ですわ」
希羅々がピシャリとそう言い放つと、それまで食い下がっていたセリスティアも「わ、分かったよ」と渋々承諾する。
優も、言葉にはしないが、特に反論もしないところを見ると、希羅々の言うことに納得はしてくれたのだろう。
さて、これで話は終わり――希羅々がそう思っていると、
『ところであんた、真衣華と何かあった?』
不意に優からそう尋ねられ、希羅々は凍り付く。
すぐに言葉が返せず、口を開きかけたまま数秒、
「……なんでそう思うんですの?」
何とか絞り出せた声は、自分でも分かるくらい、動揺と困惑に満ち溢れていた。
『いや、何となく。元気ないなって感じでさ。あんた、レイパー逃がして悔しがることはあっても、落ち込むタマじゃないでしょ? だから後は、真衣華絡みかなって』
「……ちょっと喧嘩しましたわ。大したことありません」
まさか気付かれるとは思わなかったと、希羅々は渋い顔をする。
『ちょっと? ふーん……その割には、結構落ち込んでいるように見えるけど?』
「落ち込んで……いや……まぁ、その……ちょっとというか、大分ガッツリ喧嘩したといいますか……」
『おいおい。【ちょっと】と【大分ガッツリ】じゃ、程度の意味合いが相当違うじゃねーか……何があったんだ?』
そう尋ねられ、希羅々は唇を軽く噛み、頭をグシャグシャと掻く。レイパー捜索を打ち切らせた手前、ここで「あなた方には関係ないことですわ!」とは言い辛かった。
仕方なく、希羅々は事の一部始終を話しだす。
自分が真衣華を守るために、やむを得ずフォートラクス・ヴァーミリアを盾にしたこと。
それに対して、真衣華が怒ったこと。
『いや、でもそれは仕方ねーんじゃねーの? 別にキララは悪くなかったと思うが……』
「そこまでであれば、ですけどね。ただ、その……ほら、真衣華のトラウマって、昔使っていたアーツを壊されたことでしょう? 今回苦しんだのも、それを思い出させられたからで……だから、その……」
『んだよ、歯切れ悪いな』
「いや……私、言ってしまいましたの。『いつまで昔のことを女々しく引き摺っているのですか』って。売り言葉に買い言葉で、つい」
思い返せば、思いっきり真衣華を傷つけるような発言だった。真衣華にしてみれば、他の人からならともかく、親友の自分には絶対に言って欲しくなかったことだっただろう。
希羅々だって、本心からそんなことを言ったわけではない。頭に血が上り、うっかり心にもないことを言ってしまっただけだった。
「それで相当に口論になってしまって、私から出ていくというような形になってしまって……」
『あ、いや、まぁ、その……仲直り、出来そう?』
話の内容が思ったよりもデリケートで、なんと言葉を掛けてよいか分からず、優も当り障りのない言葉を発してしまう。セリスティアも電話越しでは分からないが、どことなく、苦笑いを浮かべている雰囲気があった。
「……分かりませんけど、と、とにかくご心配なさらず! それより繰り返すようですが、レイパーの捜索は一旦中断してくださいまし。相模原さん、あなたは特に、絶対に奴を探さないように」
『はぁ? なんで私だけ特別念を押されなければならないわけ?』
「いいですから、私の言うことを聞きなさい。いいですわね」
『えっ? ちょ――』
優が文句を言い出す前に、希羅々は強引に通話を切って、溜息を吐く。
(……全く、奴に目をつけられたら最後、思い出す羽目になるではありませんの。あなたのトラウマ。束音さんが異世界に飛ばされた時のこととか、霞が壊れた時のこととか)
真衣華曰く、当時の光景だけでなく、感じたこと等も鮮明に蘇ってくるらしい。それを知っている以上、あまり多くの仲間は巻き込めなかった。
真衣華とも喧嘩してしまい、『心配なさらず』なんて言ったが、どう仲直りすれば良いか見当もつかない。
ほとほと困りかけていた、その時。
「おーい! 希羅々っ!」
「……げ」
後ろから声を掛けられ、希羅々はげんなりとした顔で振り向く。
そこにいたのは、光輝だ。こっちに走って来ていた。
「……何故ここに? 追いかけられても困るから、GPSは切っていたのに……。現にお母様は撒けましたわ」
「ああ。だから見つけるのに苦労したぞ。照と二人で、手分けして走り回って……全く、大変だった」
肩で息をしながらそう返す父親に、希羅々は思いっきり嫌な顔をする。こういう時の大人というのは、至極面倒だ。
希羅々は父親から目を離す。代わりに向けた先は――万代病院の方だ。
「……真衣華は?」
「……心配するくらいなら、喧嘩なんてしなければ良かったじゃないか」
光輝の言葉に、舌打ちをする希羅々。それが出来れば苦労はない。
「事情は聞いたよ。まぁ、どっちにも言い分があって、言い方とかも悪かったところがあったんだろう。不幸な擦れ違いさ。君の話も聞かせて――」
「横から口出しは結構。……私はやることがありますから、これで」
「待つんだ希羅々! レイパーを探しに行くつもりだろう? 危険だ――」
「止めても無駄ですわよ。誰に何を言われても、やるったらやりますわ」
ピシャリとそう告げると、光輝が何かを言い返す前に、希羅々は走りだす。
光輝が慌てて追いかけるが、 流石に鍛えている現役女子高生と、日々仕事漬けの中年男性では、あまりにも身体能力に差があり過ぎる。希羅々の背中はあっという間に消えていった。
「はぁ……はぁ……ま、全く……足、本当に早くなったなぁ……あぁ……」
説得も出来ず、娘に追いつくことも出来ない。もっと昔は、まだ自分の方が速かったはずなのに……そんな自分が悔しくて、光輝は思いっきり地面を踏みつけたのだった。
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