第399話『首絞』
八時二十分。新潟市中央区白山浦一丁目。
「――そうですか。分かりました。お忙しい中ご協力、感謝致します」
「レイパーなら、早く倒してくれよ。妻が怖がって、家の奥に隠れてんだ。……頼むわ」
定年を過ぎた風貌の男性はそう言うと、優一の前で玄関の扉を閉める。
優一は軽く息を吐くと、踵を返して隣の家に向かう。
今朝の事件の、聞き込み調査だ。しかし、今のところ収穫は無し。今の男性も、特に妙なことは無かったと言っていた。朝になって近所の人達が騒ぎ、レイパー事件があったことを知ったと言う。
聞き込みを始めてまだ二件目。すぐに手掛かりなんて見つからないと思っているため、がっかりした等という感情は特に無い。
否、手掛かりが見つからない、というのは誤りか。
(やはり、妙だな。ここまで誰も、レイパーの情報を持っていないなんてことがあるのか?)
誰も何も知らない……その事実が、既に手掛かりと言って良い。
少なくとも、普通のレイパーのように、爪や牙、角、近接武器等で人を襲うタイプでは無い可能性が高いのだろうと、優一はアタリをつけていた。そのような手段で女性を襲えば、これだけ誰にも見つからないなんてことはあり得ない。
(被害者の体に、刺し傷のようなものは無かった。ガス等の化学攻撃や、魔法……超能力系の攻撃か? だとすると厄介だ)
すると、優一のULフォンが着信を知らせてくる。
相手は伊織。優一が急いで出ると、
『あぁ、相模原警部。今、いいっすかね? 実は、妙なものを見まして』
「妙なものを見た?」
『ええ。聞き込みをしていたら、外の様子を撮影していた人がいたんすよ。その動画っす』
優一とは別ルートで聞き込みをしていた伊織。すると、とある家の長男が、家の周りに小型のカメラを設置していたそうだ。学校の授業で電子機器に興味を持ち、家族に内緒でこっそり設置して、録画した動画を眺めて楽しんでいたらしい。
それで、伊織がその人から動画を見せてもらったのだが……
『今、動画のファイルを警部に送ったっす。後で見て欲しいんすけど、どうにもあの被害者、自殺みてーで……。自分で自分の首を絞めていたんすよ』
「なんだって? いや、だが……自殺だと? 自分で自分の首を絞めて死ぬことが、本当に可能なのか?」
ロープで首を吊ったり、手首をナイフで斬ったりしたのなら分かるが、自分の手で首を絞めて殺すなんていうのは、聞いたことがない。呼吸が出来なくなれば手の力も弱まり、死にきれないだろうと、優一は思ってしまう。
『いや、うちも目を疑ったんすけど……でも、映像ではそうなってるっす。でもあの死体、首を絞められた跡なんて無かったっすよね? どういうことなんすかね?』
「分からん。だが自殺方法もそうだが、こんな住宅街で自殺すること自体おかしいな。人間の体を操るタイプの能力か?」
言いながら、優一も送られてきた動画を再生させる。
そこには、伊織の説明通りの光景が撮影されていた。女性が自分の首を自分で絞め、苦しみながら路地裏へと向かい――奥で倒れてしまう。
(……むぅ、確かに、冴場君の言う通りだ。いや、だが、しかし……)
自分の目で動画を見ても、俄かには信じがたい光景だ。今朝見た死体の外観とも些かギャップがあり、混乱してしまう。
「とにかく、科捜研にこの画像を送って調べてもらおう。我々は、引き続き聞き込みを」
優一はそう指示を出しながら、伊織から送られてきた動画のファイルを、優香にも転送するのだった。
***
一方その頃。新潟市白山にある、新潟県立大和撫子専門学校附属高校。その五階にある教室にて。
「……あぁ……」
女子特有の、頭がくらくらするような騒がしさの中、黒髪サイドテールの女子高生且つ雅の親友の相模原優が、大きく伸びをしながら、だらしのない声を出す。
その目はまるで、死んだ魚の目のよう。
「……ヤバ。暇」
雅が学校を辞め、愛理が留学し、志愛はしばらく学校を休みにすると言う。希羅々と真衣華もまだ学校に来ていないため、話し相手がいない。
レーゼや雅と通話しようにも、この時間では迷惑だろう。
先程までは趣味の読書に勤しんでいたものの、積み本も消化してしまった。新しい電子書籍をダウンロードしようにも、お小遣いが無い。
暗い溜息を吐いて、優はこっそりと、教室の中を見渡す。
暇潰しに他のクラスメイトとおしゃべりをする……というのは、出来そうにない。
学校で友達グループが構築されきった今、グループ外の人に声をかけるというのは、特別な事情でもない限り、地味に難しいのだ。
(中学校から一緒の子もいるんだけど、もう疎遠みたいなものなんだよねぇ……)
そこそこ一緒に遊んだりした子もいるにはいるが、もう長いこと付き合いが無い。
思えば、彼女達と遊ぶ時は、結局のところ間に雅が入っていた。彼女がいない今、付き合いも自然消滅してしまうのは当然だ。そうならなかったのは、それこそ愛理くらいなものだろう。
特に四ヶ月前からは、優達と他の学生達との間に『壁』があるようにも思える。お面の事件のせいで、学生達の方が、優達に引け目を感じてしまっているようだ。互いに、悪いことをしたというわけでは無いというのは、双方充分に理解はしているのだが。
「……全く、あの二人、遅くない? 何してんだか」
ぶつぶつ言いながらULフォンを確認するも、特にメッセージ等は送られてきていない。
何をしているんだ、早く来いと適当にメッセージを送信するも、既読は付かず。
仕方ないので、ニュースアプリを起動する優。
世界の動向だとか、芸能人のスキャンダルとか、スポーツ選手の功績だとか、そんなものには興味も無い。優が確認するのは――ラージ級ランド種レイパーの動きだ。
レイパーの輪廻転生のことや、分裂したラージ級ランド種レイパーが一体に戻った際に起こる脅威のことはまだ公になっていない。しかし、佐渡の隣にいた方が消え、キャピタリークで復活した一体が海の中にいることは、既に知られている。
今、全世界のバスターや政府、研究機関、警察等が、その生態について調査中だ。
(……今、奴はニュージーランドの東当りを泳いでいるのね。この間はアランベルグの北東にいたはずだけど、結構長距離を進んでいる。……お母さん達が推理していた通り、みーちゃんが封印した一体を探しているのかな?)
少し前に、キャピタリークで封印を解かれた一体は、日本海まで来た。何かを探すようにそこに屯し、それからは別の場所へと向かっていった。
この理由を、優香やミカエルは、片割れの一体を探していたのではと推測していたのだ。
ラージ級ランド種レイパーは、人に危害を加えるようなことはまだしていない。ただっ広い海を無休で泳ぎ、時たま鯨や魚、海藻等を食べているそうだ。
(これって多分、エネルギーの補充だよね? お面から貰えていたはずのエネルギーが無くなったから、代わりに食事で補っている……のかな? んー……でも、本当に人は襲わないんだよね。何でだろう?)
レイパーなら、女性を襲うはずだが、こいつはそれをしない。
やはり、装置としての役割に集中しているのだろうか……と、優がそう思った、その時。
(おっ、希羅々ちゃんからメッセージ。――っ?)
さっき送ったやつをやっと見たのか……と安堵する優だが、希羅々からの返信を見て、大きく目を見開き――急いで教室を飛び出すのだった。
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