第395話『昔武』
二月四日月曜日。
ここは日本。新潟県新潟市南区杉菜にある、橘家にて。
橘家の一人娘、真衣華は、二階の自室のベッドでスヤスヤと気持ちよさそうな寝息を立てていた。――ULフォンの目覚まし機能が、朝の六時を知らせるベルをけたたましく鳴らしているにも拘わらず。
音量たるや相当なもので、これはスヌーズ機能が何度も働いていることを意味している。中々起きない主のためにULフォンの機能は頑張っているのだが、悲しきかな、当の本人は未だ夢の中。新潟の冬は寒い。真衣華はミノムシのように布団にくるまり、ぬくぬくとしていた。
すると、真衣華の部屋の戸が控えめにノックされる。最初は遠慮がちだったが、中の人間が気付いていないと分かると徐々に乱暴になってきて、そしてついに、戸が大きな音を立てて開く。
部屋に入ってきた人物が、喧しい目覚ましの音に思わず耳を塞ぎつつ、それでもまだ起きない真衣華の寝顔に肩を怒らせて近づくと――その体を、勢いよく蹴飛ばした。
「いったぁぁ! てかうるさっ!」
流石のこれには覚醒せざるを得なかった真衣華。直後、目覚ましの音に意識を飛ばされそうになりながらも、音を止める。
「やぁぁぁぁっと目覚めましたわねこの寝坊助! 今何時だと思っていますのっ?」
「ええっ? 希羅々なんでここにっ?」
目の前にいたのは、ゆるふわ茶髪ロングの女の子。典型的なお嬢様言葉の彼女は、桔梗院希羅々……真衣華の親友だ。
十分ほど前に橘家に来ており、真衣華のことをずっと待っていたのだが、中々来ない彼女に苛立ち、部屋まで迎えに来たのである。
希羅々は真衣華の驚いた顔に、さらに目を吊り上げた。
「今日は一緒に登校する日ではありませんの! 長年一緒にやってきて、何を馬鹿な質問をしているのですかっ!」
希羅々は普段、車や巨大ドローンで登校しているのだが、週に一回は、こうして真衣華と一緒に電車や徒歩で登校している。一般常識を学んだり、友達との時間を大事にしたいというのが主な目的だ。
「んー? あー、そっか。今日月曜じゃん。うわー、また一週間が始まった……憂鬱」
「馬鹿なことを嘆く暇があったら、さっさと身支度を済ませなさい! お母様は、とっくに朝ご飯を用意されていますわよ!」
「はぁい……ふぁぁぁ」
呑気に大欠伸してベッドから降りる真衣華にイラっとする希羅々。
さらに部屋を出た真衣華が、母親に向かって「おかーさーん! 何で起こしてくれなかったのー!」と文句を垂れたことに、戻ってきたら拳骨を喰らわせてやろうかと真剣に検討し始める。
「全くあの子ときたら……大方、昨日も夜更かししていたんでしょうに、全く……!」
希羅々がブツブツと文句を言いながら目を向けた先は、真衣華のデスク。
勉強机……なのだが、そこには半月型の、深紅の斧が置かれている。真衣華の使う片手斧型アーツ『フォートラクス・ヴァーミリア』だ。様々な工具や注油用の油等も置かれており、これでは勉強机ではなく作業台にしか見えない。
見たところ、フォートラクス・ヴァーミリアのメンテナンスをしていたようだ。
……橘真衣華の朝は、大抵遅い。
勘違いしないで欲しいが、真衣華とて早く起きる気はある。目覚ましだって、五時半にセットしていた。
しかし、今回のように遅くまでアーツを弄っていると夢中になってしまい、どうしても就寝時刻が遅くなってしまうのである。
ドタドタと慌ただしく支度をする真衣華の音が聞こえてきて、やれやれと希羅々は細く息を吐くのだった。
***
「身支度終わりぃっ!」
十分弱という超速度で部屋に戻ってきた真衣華に、表情を強張らせる希羅々。真衣華の髪はボサボサだし、着替えもどこか適当な感じだ。
「あ、あなた……またバスと電車の中で整えるつもりですの? ……まぁ良いですわ。それより、支度が終わったのなら、行きましょうか」
「あー、ちょっと待って。フォートラクス・ヴァーミリアのメンテ、もうちょっとで終わるから」
「まだ終わっていなかったですの? そろそろ出ないと間に合わないと言っているのに、全く……。ほら、さっさと済ませなさい」
文句を垂れつつも待っていてくれる希羅々に、真衣華は「いやー、良い友達を持ったなー」などと軽口を叩く。希羅々に半眼で睨まれるも、どこ吹く風だ。
真衣華が眼鏡とカチューシャを着け、フォートラクス・ヴァーミリアの部品の手入れを再開し、暇になった希羅々はベッドに腰掛ける。
すると、棚に仕舞われている一冊のアルバムが目に留まった。小学校の卒業アルバムだ。
この時代には珍しく、紙媒体の本。こういったアルバムは、記念品として本にすることが多い。
「あら、懐かしいですわね」
「あー、こら。勝手に見ないでよ、もう」
「同じ小学校なのですから、別に良いではありませんの。私、自分のアルバムはもうどこへやったか忘れてしまいましたが……」
言いながら、希羅々はパラパラとページを捲り――集合写真のページで、ふと手が止まり、苦虫を噛み潰した顔になる。
一見全員が揃っているように見えるが、それは違う。ここに映る子達の何人かは、卒業生とは思えぬ程に幼い顔つきの子がチラホラいた。合成で捻じ込まれた歪な集合写真だ。
「……そう言えば、この時のクラスメイトの大半とは、もう長いこと会っていませんわね」
「え、そう? ヤマ専に来た子達も割と多くない?」
「クラスが違うと、顔を合わせる機会も少ないではありませんの。ちゃんと付き合いが続いているのは、真衣華くらいかしら? 随分と疎遠になりましたわ」
中学に入りたての頃は一緒に遊んだりしたこともあったが、徐々にそれも無くなり、自然消滅した関係。
何なら、高校に入ってから出会った優や雅、異世界人のレーゼ達の方が、体感で長い付き合いな気さえしてしまうから不思議なものだ。
何度も苦難を一緒に乗り越えてきたからだろうか……と思いながら、希羅々はアルバムを斜め読みしていく。
すると、
「おや。これはまた……」
希羅々の目に留まったのは、真衣華が自分のアーツを、クラスメイトに自慢している時の写真。
だが、その手に持っているのは、今使っているフォートラクス・ヴァーミリアではない。
漆黒の忍者刀……『影喰写』。真衣華が初めて手にしたアーツである。
写真は、一年生の頃のもの。このアーツは、真衣華が小学校に入学したお祝いに買ってもらったアーツだった。
体の出来上がっていない小学校低学年の娘なんて、普通は大量生産されている護身用の盾型アーツ――ラティアが今使っているものと同じだ――を持たされる。そんな中、個人のアーツを持っていたのは相当に珍しく、良くも悪くも真衣華は周りの子達から羨望の眼差しを向けられていた。
希羅々ですら、自分だけのアーツなんてまだ持っていなかった頃だったから、少しばかり羨ましかったことは、今でも覚えている。
「まさか、こんなアルバムに影喰写が載っているとは思いませんでしたわ。存外、見てみるものですわね」
「んー……そっか」
どこか素っ気ない真衣華の返事に、希羅々は『しまった』という顔になる。
真衣華が昔使っていたこの影喰写は、真衣華が小学二年生の時に、レイパーとの戦いで壊れてしまった。
真衣華が毎晩、抱き枕にするくらい大切にしていた影喰写。それが壊れた時、どれほどショックを受け、絶望し、悲しみに暮れていたか、希羅々は知っている。
そして、それが真衣華にとって、今でもトラウマのように心に突き刺さっていることも。
真衣華が自分から影喰写のことを話すときなら兎も角、誰かから影喰写のことを話題にされると、ほぼほぼ決まってこんな反応になる。だから影喰写は、基本的に禁句だ。
だから、希羅々も普段は意図的に、このアーツのことには触れないようにしていたのだが……思いもかけない写真を見つけてしまったことで、ついつい口が滑ってしまったのだ。
チラリと真衣華に目を向けるが、彼女がどんな顔をしているかは見えず、希羅々は口をもごつかせる。
ここで謝ったら謝ったで、「何で謝るの?」と不機嫌に返されることを希羅々は知っていた。ベストな選択肢は、このまま何事も無かったかのように、さりげなく別の話題に返すことだけ。
うっかりこのアーツの話題を出してしまった己を、希羅々は心の中で激しく責めた。
どうやって別の話題に持っていこうかと、希羅々が焦っていると、
「……よし、メンテ終わり! 遅くなってごめん! 行こう!」
「え、ええ。そろそろ出ないと、バスが来てしまいますわよ!」
真衣華の右手の薬指に嵌った指輪が光り輝き、フォートラクス・ヴァーミリアが収納される。
何とか自然な形で話題が変わったことに安堵しつつも、希羅々は真衣華の後に続き、部屋を飛び出すのだった。
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