第387話『傷心』
一月三十一日木曜日、午前十一時一分。
灰色の雲がひしめく空の下、太平洋の上空を飛ぶ、一匹の竜がいる。山吹色の鱗をもった竜――言うまでもなく、シャロン・ガルディアルだ。
エンドピークを出発したシャロン。大西洋やアメリカの上空を通り過ぎた彼女は、ナランタリア大陸のナリアを目指していた。
その背中に、二人の少女が乗っている。
一人は桃色のボブカットに、ムスカリ型のヘアピンと黒いチョーカーを身に着け、メカメカしい見た目をした剣を背負った少女。束音雅、その人である。
「うぅ……少し冷えますねぇ……」
シャロンの上で、体をブルリと震わせる雅。彼女は白い上着を羽織っているものの、その下には、ふだん着ているブレザーが無い。あのブレザーは保温性に優れており、あると無いとでは大違いだった。
「ラティアちゃん、寒く無いですか?」
「うん。大丈夫。だけど――」
雅が、前にいる白髪の少女、ラティア・ゴルドウェイブにそう尋ねる。雅に抱きしめられているラティアは控えめに頷くが……直後、自分の手に抱えているゲージに、恐る恐るといった様子で目を向けた。
「ペグちゃんが、大丈夫なのかどうか……」
ゲージの中には、緑色の毛並みをした猫が丸まっている。カレンの飼い猫、ペグだ。先日、キャピタリークにて雅が引き取った猫である。
竜の背に乗り、中々の強風にさらされているにも拘わらず、まるで微動だにしないペグは、傍から見ると生きているのか不安を覚えてしまう。
(カレンさん……大丈夫ですよね?)
【うん、平気平気。いつもこんな感じだし。いやー、我が猫ながら豪胆だねー】
(あ、あはははは……)
呑気なカレンに、雅も苦笑いを禁じ得ない。
そこでペグが大きな欠伸をして、ラティアは「良かった、生きてる……」と安堵の声を漏らす。
普通に生きていればまず見ることが無い、大空からの光景だが、ペグ的にはさして興味も無いらしい。
「シャロンお姉さん、ナリアまで、あとどれくらい掛かりそう?」
「もうそろそろじゃな。三十分もすれば着く。――ほれ、大陸が見えるじゃろ。もう少しの辛抱じゃ」
「長旅でしたしねぇ。……まぁ、ナリアでもやることが山積みですし、気合入れないと」
そう言って、雅は深く息を吐く。
ナリアに行く理由は、四つ。
一つは、雅のアーツを収納する指輪と、ブレザーの回収のため。タイムスリップの際、指輪はガルティカ遺跡で無くし、ブレザーはエスカに渡した。故に、その二つは、今は雅の手元に無い状態だ。アーツ収納の指輪は無いと不便だし、エスカとの約束でブレザーは返してもらう必要があった。ついでに、向こうのバスター達に、タイムスリップの一件の説明もするつもりだ。
二つ目は、ネクロマンサー種レイパーの対処法を、ミカエル・アストラムと相談するため。先日そのレイパーと戦った雅とシャロン。しかし倒す直前で、魔法による瞬間移動で逃げられてしまったのだ。これを毎回されては手も足も出ないため、同じく魔法使いであるミカエルに知恵を借りに行くのである。
三つ目は、言うなれば『墓参り』だろうか。
そして四つ目だが……
【ファム、まだ引き摺っているんだね。……ヨツバが死んじゃったこと】
のっぺらぼうの人工レイパーと、喜怒哀楽のお面が引き起こした事件が一旦の終わりを迎えた後、段々とファムの様子が変わっていたのだ。
様子が変わったと言っても、暴力的になったとか、引きこもるようになったとか、そういった大きな変化では無い。気持ちが沈んだような、暗い顔をすることが増えた感じだ。
三ヶ月近くが経過し、先日の作戦会議の際は普通そうにしていたが、ミカエル曰く、今も同じような様子らしい。最も、傍からは分からないようで、親友のノルンだけがそう感じているとのことだが。
(表向きは元気そうだけど、私が思っていた以上に傷は深いみたいです。ほら、ウラに遠征した時、結構四葉ちゃんと仲良くなれたから……)
【正直意外だった。ノルンやライナ、それにラティアが、ちゃんと立ち直れたからさ……。ヨツバが死んだって聞かされた直後だって、そんなに変わった様子も無かったし……】
(多分、大分無理していたのかも。向こうに行ったら、それとなく様子を探りましょう。引き摺っていると言っても、時間が解決してくれそうならノータッチも選択肢です。無遠慮に突っ込み過ぎると傷つけちゃいますから、慎重に。話を聞いた方が良さそうなら、そうですね……お風呂に一緒に入りながらの方が良いかな?)
何せ、直接顔を見て話をする機会が少なかったのだ。雅も、ファムの状態を正確に把握はしていない。
雅が、どうやってファムと話をしようかあれこれ悩んでいる内に、ナリアの陸地が近づいてくるのだった。
***
そして、ナリアに到着後、馬車で西へと移動し、ミカエルやファムがいるウェストナリア学院までやって来た一行。
馬車停を降りた、その直後。
「おーイ! こっちダ!」
そんな声が聞こえてきて、雅達はそちらを見ると――
「あっ! シアお姉ちゃん!」
そこにはツリ目をした、ツーサイドアップの少女、権志愛の姿があった。
「ラティア、雅! 久しぶりだナ! シャロンさン、長旅お疲れ様でス!」
「流石にエンドピークからナリアまでは遠かったのぉ。馬車移動は楽じゃった。遅いのが難点じゃが」
「志愛ちゃんも船旅、お疲れ様でした。一人で無事に来られて、良かったです」
「私も安心しタ。馬車停の場所が分からなくテ少し迷ってしまったシ、乗り継ぎも間違えそうになったシ……実は私も今着いたばかリ」
何故ここに、志愛がいるのか。それは――
「全く、お主もパトリオーラが心配じゃからと、無理をするのぉ」
呆れ半分、尊敬半分の眼差しを向けるシャロンに、快活に笑う志愛。
雅がナリアに行って、ファムと会おうとしていることを聞いた志愛は、「なら自分も行ク」と言ってきたのだ。志愛もファムのことは気にかけており、話をしたかったらしい。わざわざ学校を休んで、ナリアまで来たのである。
【そう言えば、ウラに行った時も通知が凄かったよね。ファムやノルン、ラティアの様子はどうだーってさ】
(ええ。ほぼ二時間おきくらいに来ていました。本人も最初は一緒に来るつもりだったくらいですし。イージスのパワーアップの都合で、先発組に入れませんでしたけど……)
「本当はもっと早く来たかったのですガ、お金の問題、それに両親から許可が下りなくテ……。優も危なっかしくて心配だったシ」
ここに至るまでの苦労を思い出してか、志愛がげんなりとした顔になる。
しかし、ふとラティアの側に置かれたゲージの中が見えると、頭に『?』を浮かべて口を開く。
「雅、その猫ハ? 緑の毛なんテ、珍しいナ」
「ペグです。カレンさんの飼い猫なんですよ。うちで引き取ることになったんです」
「成程、カレンさんの猫ネ。……そういえバ、雅の中にカレンさんがいると言っていたナ。この会話も聞いているのカ?」
「ええ。私の目を通して、景色とかも見れますし、食事すると味とかも共有出来るんですよ。あっ、ちなみにカレンさんが、【シア、久しぶりー】って言ってます」
「えっト……初めましテ、権志愛でス。――ン? いヤ、私のこト、もう知っているんだっケ?」
「志愛ちゃんと一緒に過ごした時間だけで言うなら、私と同じですよ」
「……ナァ、私はどう接すればいいんダ?」
【普通でいいよー。いつも通りでオッケー】
(いや、カレンさん。それは難しいですって)
呑気な返答をするカレンに、苦笑いを浮かべる雅。
志愛からしてみれば、今まで顔も名前も知らない他人が、いきなり旧知の友になっていたような感覚だろう。困るのも当然で、普通に接するなんて無理難題もいいところだ。
「むむム、マァ、おいおい慣れていくとしよウ。――おっト、迎えが来たゾ」
志愛が指を差した方を見れば、
「みんなー! 久しぶりー!」
遠くから、鍔の広いエナン帽を被り、白衣のようなローブを纏った金髪ロングの女性がやってくる。
必死で手を振り、雅達に声をかけてくるのはミカエル。ウェストナリア学院所属の研究者だ。
「ミカエルさーん! 久しぶりですー!」
「いや、お主ら一応、キャピタリーク行きの船で会ったじゃろう。……む?」
「あっ、あぶなーい!」
ミカエルの足元に落ちていた、ちょっと大きめの石ころ。
それに気が付かないミカエルは、思いっきり石を踏みつけ――ラティアの叫びも空しく、ミカエルは「あっ!」という顔をしながら、盛大に体勢を崩すのだった。
***
「い、いたた……」
「ミカエルさン、大丈夫ですカ? 一応手当はしましたガ……」
「え、ええ。ありがとう、シアちゃん……。大丈夫、痛みはするけど、我慢できるわ」
転んだ時に擦ってしまった腕や足の、ヒリヒリとした痛みに涙目になるミカエル。
一行は、学院の中に入る前に、バスター署へと向かっていた。一先ず、雅のブレザーや指輪を回収するためである。ミカエル曰く、簡単な手続きで返してもらえるということで、すでにこの時間に訪れることも先方と了承済みだ。時間も掛からないだろうということだったため、皆で一緒に行くことにしたのである。
……のだが、ウェストナリアのバスター署に入った直後、
「おぉ、アストラムさんとタバネさん! お待ちしておりました! ささっ、向こうの部屋へどうぞ!」
担当署員の待っていましたと言うような対応に、誰もが目を丸くする。
どう見ても、遺失物を受け取りに来た市民への対応では無い。
「あ、あの、これは……?」
「ガルティカ遺跡の調査員の方も、既にいらしていますよ。興味深いお話が聞けるからと、ソワソワしております」
「ガ、ガルティカ遺跡の調査員の方っ? 来ているのっ? 私に会いにっ?」
嘘でしょ! というような顔のミカエルに、担当署員はキョトンとして頷く。
「この時間に、一緒に打ち合わせするという話だったと思いますが……」
「ええっ? そんな話、私聞いていないわっ?」
「いえいえ。アストラムさんに、文書にて通知していたはずですが……。こちらの記録にも残っているので、確実に届いているはずですよ?」
「ぶ、文書っ? 私、そんなものは見ていな――」
そこまで言ったところで、ミカエルの顔が凍り付く。
思い出したのだ。昨日、自分に重要書類が来ているとノルンから聞いていたことを。
(しまったわ……忙しくて、目を通すのを忘れていた……っ!)
「ええっと、研究員の方は、どういう用件で?」
「遺跡で見つかったものが、実は遺物では無く一般人の落とし物だということでしたし、詳しい話を聞きたいとのことでしたが」
「そ、そうよね。当然よね……」
ブレザーも指輪も、二百年前に雅がガルティカ遺跡に遺した後、最近になって見つかったもの。元は雅の持ち物でも、今の持ち主はイーストナリアということになっている。返してもらうのなら、相手方に諸々説明が必要だ。後で良いかと思っていたが、そういう訳にはいかなかったようだ。とんだ間抜けだったと、ミカエルは自分を呪う。
どうしましょう……と、隣にいる雅に視線でそう聞くと、雅は小さく頷く。
「遺跡の研究員の方がいるのなら、丁度良かったです。バスターの人達もいるから、順番は前後しますけど、ブレザーと指輪を返してもらう前に、こっちの話もしましょうか」
そう言いながら、雅はスカートのポケットから、今は壊れた時計型アーツ『逆巻きの未来』を取り出す。
「そう。なら、そうしましょう。――そういうわけで、皆、ごめんなさい! これは相当時間が掛かりそう!」
「仕方ないのぉ……。なら、儂らだけでも学院の方に向かうか」
「ですネ。早くファム達にも会いたいですシ」
「ミヤビお姉ちゃん、ペグちゃん、預かっておくね」
「ああ、すみません。助かります。――ペグ、良い子にしていてくださいね」
雅がそう言うと、ペグは無言で、ゲージの中で大きく伸びをする。
こうして、ミカエルと雅は署員に案内され、部屋へ。
志愛、シャロン、ラティアはウェストナリア学院へと向かうのだった。
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