第43章幕間
雅がメリアリカ楽器店でアングレーと話をしていた、丁度その頃。
西に聳え立つ山、デルタピーク。その森の中に、シャロンは一人、やって来ていた。
森の中で、竜から人の姿へと変わるシャロン。
彼女が何をしに来たのかというと、
「ここか。母とタバネが、身を隠していたという場所は……」
目的……というと大げさだが、母のエスカと雅が、二百年前に魔王種レイパーから逃げるために利用した森を見るためだった。
「確か、タバネが杭を打ち込んだのもこの場所じゃったか。……多分ここじゃな」
森の奥へと進み、あるところで足を止めるシャロン。
穏やかで荘厳な空気。そしてここの地面だけ、他のところと少し違う感触を覚えたシャロン。
杭を打ち込まれていたと思われる穴もある。
(杭に込められていたエネルギーが、根のように地面に広がっていたのじゃな。随分と固く、しかし質が良い土じゃ。エネルギーが栄養になったのかの? 杭を固定する役割を持たせつつ、周りの植物の成長を妨げぬよう、土を決して殺さぬように配慮されておる。流石、ガルティカ人が使っていたエネルギーじゃ)
こんなエネルギーを一体どうやって創り出していたのかと、シャロンは舌を巻く。
それと同時に、穴から伸びる、惨たらしい亀裂に、顔を顰めた。
(無理くり引き抜かれたみたいじゃ。……抜いた不届き物は、相当な力を持っているようじゃな。ここの土も、やがて痩せていくかもしれん)
シャロンは小さく溜息を吐くと、辺りを見回す。
杭を抜いた者の手掛かりとなるようなものが無いかと思ったが、辺りは木々ばかり。最も、何かあるのなら、とっくに見つかっていても良さそうなもの故、特に期待はしていなかったが。
(手掛かりは勿論、母の香りは……せんか。当り前か)
ここを住処としていたというのなら兎も角、エスカがここにいたのは、僅かな時間だけ。エスカを感じられるものも、ここには何もない。
頭では分かっていたはずの結果。
しかし何故か、妙なガッカリ感を覚えてしまう。
(不思議なものじゃ。母のことは、あまり好きでは無かったというのに。……ある意味、タバネのお蔭かもしれんな)
エスカは、雅を守って死んだ。
それを聞いた時、シャロンの中にあった、エスカへの抵抗感やモヤモヤが、嘘のように消えたのだ。それこそ、シャロン本人も戸惑ってしまうくらいに。
自分の心に正直になれば、シャロンは今、無性にエスカに会いたかった。
会って、何を話そうというのは無い。何でもいい。雅を助けてくれたお礼でも、当時のエスカのことは勿論、どうでも良い天気の話や、毒にも薬にもならない世間話でも良かった。とにかく、母と娘という立場で、色々話をしたかった。
「なんじゃ……我ながら、随分と現金な……全く……。あぁ、そうじゃ。手紙……タバネから渡されておったか……」
口をモゴモゴとさせながらも、そう呟いて気恥ずかしさを吐き出さずにはいられない。
昨日の夜、雅から渡されていたエスカからの手紙を、服のポケットから取り出す。宿で読みそうになったが、何となく一人になったタイミングで見た方が良い気がして、しまったままにしていた。
今は一人で、沸き上がった妙な気分を誤魔化すにも丁度良い時だと、シャロンは少し震える指で、手紙を開いた。
『あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもう死んでいるでしょう。この手紙は、あなたに宛てた遺書。私が死期を悟った際、側にいる他の竜や人間にこの手紙を託し、あなたに渡っているはずですから。
竜の力を凌駕する化け物が突如現れたあの日から、いつか死ぬかもしれないと思い、この手紙を書きました。どうしても伝えたいことがあったのよ。言葉で伝えられれば良かったのだけど、普通に言ったところで、何となくシャロンは聞き流しそうだから、真面目に聞いてくれそうなこのタイミングで伝えることにしたわ。』
「…………」
ここまで読んで、苦虫を噛み潰したような顔になるシャロン。
確かに生前の母の話なぞ、ちゃんと聞いたか甚だ怪しいのは事実だが、それを遺書ではっきりと書かなくても良いだろうにと思った。
「まぁ良い。先を読むか」
『特に今は、きっとあなたは私のやっていることが気に入らないと思っているでしょう。人を守って戦う派閥と、自分達だけ逃げる派閥、そのどちらにも所属している私のことを。きっとシャロンは、私に人を守って戦って欲しかったと思っているのでしょう。どっち付かずな立場の私のことを、見損なっていても当然だと思うわ。
だけどこれには、色々な理由があるの。自分達だけでも生き延びようと、全力で逃げることを選んだ竜達にも、今はまだ死ねない事情がある。私のように、子を持つ竜もいた。子供の側を離れられなくて、人を守るために戦いたいと思いながらも、どうしてもそう出来なかった竜もいる。私は、そんな竜達に力を貸したかった。人間も大事だったけど、仲間達だって同じくらい大事だったから。私にとって、一番大事なのは、シャロン、あなたよ。
この手紙を読み終わったら、あなたはまず、マギエラの元を尋ねなさい。彼女が、逃げる派閥のリーダーだから。』
「マギエラ様? なんじゃ、懐かしい名前が出てきたの」
当時のことを思い出し、目を細めるシャロン。
マギエラは、シャロンにガルティカ人のことを色々教えてくれた竜だ。何かと色々交流する機会が多く、シャロンも慕っていた。
最も……シャロン以外の竜は、全て滅んだ。彼女ももう、この世にいない。
『マギエラは、イェラニアの奥地に良い場所を見つけて、そこを隠れ里にするつもりよ。あなたは他の竜と協力して、その里へと向かいなさい。決して、あの化け物達には見つからないように。マギエラには、シャロンを受け入れてくれるように、もう既に話は通してあるから。
シャロンが今後、何をするにしろ、少しの間はその里で過ごし、戦いとは無縁な場所で、一度冷静に考えること。決して早まってはならないわ。勇敢と無謀は違う。戦うことを選ぶなら力が必要で、里で過ごすのなら処世術が必要よ。そしてどちらにせよ、あなたを支える仲間が必要よ。
正直に言えば、私はあなたに、そのまま里で過ごして欲しい。
竜の使命や伝統等、あなたがそれらを守ろうとした結果、命を落とすことを母は望みません。
だけど、もしそれでも、あなたが戦うことを選んだのなら……それはもう、私には止められないわ。死んでいるから止められないわけじゃない。例え私がまだ生きていたとしても、止めることは出来ないでしょう。
あなたが選んだ道を、意志を、貫きなさい。あの世から、私も応援しています。
――母、エスカ・ガルディアルより』
「……は、母よ……お主は……」
気が付けば手紙を握る手に、力が籠っていた。
涙を零すことこそないが、それでも湧き上がる感情を乗せたこの力は、どうにも抑えきれそうにない。
「一言……儂のことを想っての行動だと言えばよかろう……。そ、そりゃあ、お主の話の大半は聞き流したかもしれぬが……それくらいのことなら、記憶に残るじゃろう……」
知っていれば、母に対して、もう少し良い感情を抱いていただろう。何も知らなかった自分が馬鹿みたいで、シャロンは唇を噛んだ。
遺書にはまだ、続きがある。
紙の裏、そこに血の文字で、このように追記がされていた。
『とても良いお友達と会えたようね。その子達と一緒に、ただひたすらに未来へ進みなさい。』
と。
ガルティカ遺跡で死ぬ直前に、書いたのだろう。そう思った。
「……言われんでも……………………言われんでもなぁ……」
言葉の続きは、出てこない。
シャロンは空を仰ぎつつも、遺書をたたむと、ポケットにしまうのだった。
評価や感想、いいねやブックマーク等、よろしくお願い致します!




