第42章幕間
キャピタリークのはずれにて。現地時刻で十二時二十八分。
そこの通りを全力疾走する、少女の姿があった。
ラティア・ゴルドウェイブである。
美しい白髪を乱れさせ、汗を浮かべ、体が悲鳴を上げるように軋む中、それでも足は止めない。
その理由は――
「はぁ、はぁ……! ミヤビお姉ちゃん……! もうすぐ着くよ!」
『無理させちゃってごめんなさいっ! でも頑張ってくださいっ! ――そこ、右に曲がったところにある建物です!』
メリアリカ楽器店の倉庫裏に置いてある、ラージ級ランド種レイパーを封印するための杭を取りに行くためだった。
今から一時間前、地震のような揺れを感じ、宿屋のベッドの下に隠れていたラティア。そんな彼女に、雅から連絡が来た。
きっと今の揺れについての安否確認の連絡だろうと思って電話に出たら、なんとキャピタリークに来ているはずの雅が、何故か日本にいると言う。
それだけでも大いに驚かされたが、どうしてもラティアに急ぎで頼みたいことがあると言われた。事情を説明する暇がないくらい緊急だと言い、随分と並々ならぬ様子。揺れがあったことも、よく分かっていないようだった。
雅の身に何があったのか、ラティアは知る由も無い。
だが、何かがあった、というのは分かる。電話越しで聞く雅の声は、困難に対して全力で立ち向かう時の、そんな色があったから。
だから、ラティアは今はまだ、深く聞かない。
聞きたいことが山ほどあっても、まずは雅の頼みを聞こう……そう決めた。
そして――
「あ、あった……!」
ラティアの目に、『メリアリカ楽器店』と書かれた看板が飛び込んでくる。
雅からは「結構古めの、アンティークな楽器店」と聞かされていたが、外装は割と綺麗に塗装されており、そこまで古くは見えない。
雅の目で一度確認してもらった方が良いだろうか、とも思ったが、辺りには他に建物も無く、店名も同じである以上、ここなのだろうとラティアは思った。
ただ――店の中に灯りが点いていること、そして入口に掛かっている『Open』の札を見ると、流石に不安が残る。倉庫は楽器店の敷地内にあるだろうから、勝手に入ってもいいのか、ラティアは少し迷った。
しかし、
『ラティアちゃん、どうしました?』
「……ううん、ごめん! なんでもない! 倉庫、店の裏側にあるんだよね?」
『ええ。そして倉庫の裏側に、物が置いてあるはずなんですけど、そこに杭があるはずです! ……人の目に付かなそうな場所まで来たら、立体映像通話に切り替えて下さい! 出来ますか?』
「分かった」
そう言って、ラティアは一度周りを見回してから、小さく「ごめんなさいっ」と呟き、こっそりと店の敷地内に入る。
抜き足差し足忍び足で店の裏側まで来たところで、雅に言われた通りにULフォンを操作し、雅の立体映像を出現させる。
『ありがとう。――あれです。あの倉庫の裏です!』
「うん……!」
だが、その時。
「ちょっと、そこで何をしているの!」
「っ!」
突如鋭い声が飛んできて、ラティアは体をビクリとさせる。
雅の切羽詰まった声が少し大きかったため、中まで聞こえてしまったのだろう。
後ろを振り返れば、そこにいたのは――
『……ぁっ』
ブロンドの髪に、切れ長の目。そして知っている声。
雅の、嗚咽に近い声が上がる。
アングレー・カームリア。
彼女は、間違いなくそこで生きていた。
何故ここにいるのかは分からない。……だが。
あの日、殺されたはずのアングレーは、生きていたのだ。
「あっ……ごめんなさい!」
「勝手に人の店の敷地内に……えっ?」
いきり立つアングレーの声が、最後の方にいくに連れて小さくなる。
その目は――雅へと向けられていた。
雅とアングレー……そして雅の中にいるカレンの時が、一瞬止まる。
気が付けば、ゆらりとアングレーの体は動いた。
「なんで、カレ――んんっ……!」
雅の立体映像に、思わず飛びつきかけたアングレーだが、寸前で自分の見間違いに気が付き、それを誤魔化すようにそっぽを向いて咳払いする。
その反応に、雅は理解する。
アングレーは、自分のことを知らない、と。
歴史が変わった影響か。メタモルフォーゼ種レイパーが消えたことで、雅とアングレーが出会った歴史も、無くなったのだろう。
……薄々、雅は分かっていたが。
元の時代に戻った瞬間、『共感』で使えるはずの『あるスキル』が、完全に使えなくなったから。
そう、アングレーのスキル、『命の共振』だ。
恐らく、一緒に共闘した歴史も無くなったため、使えなくなったのだと思われたが……雅はその予想が正しかったと、理解する。
アングレーから敵意と困惑の入り混じった眼差しを向けられ、心臓が握りつぶされそうな苦しさを覚える雅。
そんな目を向ける彼女に、雅は深く頭を下げた。零れる涙を、隠すように。
少しの間、口を震わせ、パクパクとさせていた雅だが、
『この娘がここに入ったのは、私の指示なんです。叱るなら私を……』
雅は何とか、その言葉を絞り出す。
頭の中は真っ白で、口の中は乾き、涙声を抑えることが出来ない。
それでも。
今は。
感傷に浸っている時ではないと、雅の中のカレンが、溢れる感情を必死に押し殺し、そう伝えてくる。
『本当にごめんなさい……っ、だけど、今はどうしても必要なことで……っ、時間がないんですっ。そこの倉庫の裏に、忘れ物があって……』
「忘れ物って、あなた――って、あら?」
雅とアングレーが会話していると、脇から突然、「ニャァァァァゴ」という泣き声が聞こえてくる。
エメラルドグリーンの美しい毛並みをした猫、『ペグ』がやって来た。
その口に、杭を咥えて。
どうして今、この杭を持って現れたのかは分からない。雅を見かけ、ペグなりに、雅……いや、その中にいるカレンが何を必要としているのか、悟ったのだろう。
ペグは杭を咥えたまま雅の立体映像に跳びかかる……が、当然触れられるわけもない。
擦り抜け、地面に着地すると、ペグは頭に『?』を浮かべたように首を傾げる。
そんなペグを、アングレーとラティアは口を半開きにして見つめていた。
そんな中、雅は一度強く唇を噛み締めてから、ペグに向かって頷いてみせ、ラティアへと顔を向けて口を開く。
『ラティアちゃん。ペグ……その猫から、杭を受け取ってください。それが、取ってきてもらいたかったものです』
「う、うん……だけど、これは……」
困惑の声を上げるラティア。杭に、並々ならぬエネルギーが蓄えられていることが分かったのだろう。
一方でアングレーは、もう用は済んだと言わんばかりに去っていくペグの後姿を見つめつつ、口を開いた。
「……君は何故、ペグの名前を?」
『……聞いたんです。ユリスちゃんから。実は彼女と、友達で……』
「……そっか。普段はカレン以外の人に寄り付かない、あのペグが、君に……」
『今はちょっと時間が無いんですけど、後でちゃんと、謝りに来ます。……だから、お願いします。今は少し、見逃して下さい……っ』
「私からも、お願いします!」
再び首を垂れ、懇願する雅。同じように頭を下げるラティア。
アングレーは悩むように目を閉じ――小さく溜息を吐いて、無言で頷く。
それと同時に、数人のバスターがメリアリカ楽器店へとやってくる音が、聞こえたのだった。
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