第377話『破滅』
これで、ようやく現代に戻れる……そう思っていた雅。
「――っ?」
だが、現実は甘くなかった。
目を開けた雅は、声にならない悲鳴を上げる。
目を開けたら……なんと雅は、濁った水の中に埋もれていたのだから。
ここがどこなのかは勿論のこと、どちらが上で、どちらが下かも分からない。薄暗く、視界の悪い水の中で、雅はパニックに陥ってしまう。
だが、その時。
【ミヤビ! 落ち着いて!】
心の奥底から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
この声は――
(この声は……カレンさんっ? これ、どういうことですかっ? 一体、何が起きて――)
【私にも分からない! だけど、様子が変だ!】
(様子が変って――っ?)
瞬間、雅の顔面に現れる、巨大な岩。
濁った水の中では、こんなものが自分に迫っていたなんて全く分からなかった。
もう駄目だ――と、本能的に目を閉じる雅。
しかし……襲ってくるであろう思い衝撃は、何時になっても襲ってこない。
恐る恐る目を開け……そして雅は驚愕する。
岩が、自分の体をすり抜けていた。
そして、ここでようやく雅は気が付く。
「い、息が、出来る……? いや喋れる? な、なんで?」
【もしかして……今のミヤビは、実体がない?】
「実体がない? ――そっか、さっきみたいに、意識だけタイムスリップさせられたってことですか? でも、なんで……?」
よく見てみれば、今の自分の体は半透明……まるで幽霊のような、そんな状態だった。
【とにかく、まずは水の中から出よう! 多分、そのまま上にいけば、出られるはずだよ!】
カレンの言葉に頷く雅。彼女と話している内に、少しだが冷静さも取り戻してきていた。
泳ぐと言うより、浮遊するような感覚で、雅はカレンの言う通りに上へと向かっていく。
どうやら今のこの状態であれば、行きたいところへ、こうして飛んでいくような感覚で行けるらしい。
頭が冷えてきたところで、雅は口を開いた。
「ところでカレンさん、どうして私と話が出来るんですか? 今までは、そんなこと出来なかったのに」
【私がミヤビの中にいるということを、君が理解したからだと思う。前はどんなに声を上げてもミヤビには届かなかった。君との間に、不思議な壁があったから。だけど今は、それがない】
「そっか……でも、良かった」
【良かった?】
「ええ。これからはカレンさんと、いつでも会話出来るってことですよね? こんな状況になっても、独りぼっちにはならないってことだから……心強いです」
【……うん、そうだね! あっ、そろそろ出られそう!】
カレンがそう言った直後、雅はようやく水の中から抜け出し……そして、辺りを見回す。
鉛色の空の下、視界に映るのは、殆どが濁った水ばかり。
激しく波打つそれは――
「これ……もしかして、海?」
【ミヤビ! 向こうに街がある!】
「……あれは、もしかして……?」
遠くに見える建物。それには見覚えがあった。
慌てて、改めて雅は、周りを見渡す。
【ミ、ミヤビ……ここって、もしかして――】
「まさか……新潟、なんですか? 私の故郷……! だけどこんな――」
信じられない……それが、雅の率直な気持ちだった。
ここは、雅は先程までいた、関屋浜海水浴場。
だが、あるはずの砂浜が無い。
内陸の方を見れば、建物の屋根らしく残骸が波に揉まれている。
折れた大木や、岩等が激しくのたうつように海上に浮いていた。
まるで津波の被害でも受けたかのような、そんな有様。
「一体、何が起こっているんですか……っ! さがみん、みんな……っ!」
掠れた声でそう叫び、雅は空を舞う。
街の……仲間達の様子を、見に行くために。
***
新潟の街々は、大混乱に陥っていた。
津波は相当な大きさだったのだろう。一一六号線は勿論のこと、線路も無くなっている。
避難する人々でごった返し、警察がそれを誘導しているが、あまりにも数が多く、人の流れは滞っていた。
「こっちっす! うちの誘導に、着いてくるっすよ!」
「市民の皆様! 我々の指示の元、迅速な行動を! 必ず我々がお守り致しますので!」
伊織や優一の姿もそこにある。
優一は心なしか、かなり老けてるような顔だ。
燃えている建物もある。
そんな中、雅は状況を確認すべく、空をあちこち動き回っていた。
誰も雅のことに気が付く様子は無い。彼らからは、雅のことが見えないのだろう。
「じ、地震でも起きたんですか……? それで津波が起きて、こんなことに……?」
【でも、どうしてこんな……。ん?】
「これは……新聞?」
風に乗って飛んできた新聞……それがチラリと目に入る。
手に取って読むことは出来ないが……日付の欄を見た雅とカレンは、驚きの声を上げた。
今日は、一月三十日水曜日。
雅がタイムスリップを始めた日から、三日後だったのだ。
「こ、ここは未来の新潟? どうして……私、現代に戻るつもりだったのに……!」
【……私がミヤビに伝えたいことがあって、タイムスリップする時間を変更してもらったように、誰かが君を、ここに連れて来たのかな……? と、とにかく、まず君の家だ! もしかしたら、皆もそこに避難しているかもしれない!】
「……いや、カレンさん。多分それは……」
自宅がある方を見て、雅が顔を歪ませる。
雅の家がある紫竹山は、比較的海から離れている方だが……そこも、海に侵食されていた。津波の被害は、そこまで出ていたのだ。
ハザードマップ上、普通の津波であれば、雅の家が流されるようなことはまずない。精々、三十センチ程浸水するくらいだ。
それが、家が完全に流されている……となると、あまりにも異常事態だ。
【うそ、でしょ……! っ! ミヤビ! 向こうの方! 誰かが戦っているよ! あれは……セリスティアさんじゃないかなっ?】
「ええっ? ほ、本当だ!」
遠くの方で、チラっとだけ見えた赤髪の女性。
爪型アーツ『アングリウス』の特徴的なフォルムが目に入る。
慌ててそっちへと飛んでいく雅。
そして――
「ちぃっ! どうすりゃいいんだよ! この数!」
「ヤバいよセリスティアさん! 希羅々、息してない!」
「く、くそぉ!」
「ぐっ……ファルト! 頭を冷やせ! ここは儂が道を――」
「ダ、駄目ですシャロンさン! あなたはもウ、体ガ……!」
恐るべき光景が、そこに広がっていた。
セリスティア、真衣華、希羅々、シャロン、志愛の五人を囲むように群がる、数えきれない程の数のレイパー。
希羅々は血を流して倒れ、セリスティアと真衣華、志愛も満身創痍。
挙句セリスティアの使うアングリウスの片方は、爪が一本圧し折れている始末。
そして何より――シャロンは片腕を失っていた。
「そ、そんな……皆!」
慌てて雅が、握っていた剣銃両用アーツ『百花繚乱』を構えて駆け付けようとするが……
【ミヤビ! 落ち着くんだ! アーツがあっても、この状態じゃ――】
「――っ」
今の雅は、実態が無い。
この状況を、ただ黙ってみていることしか出来ないのだ。
「そん……な……! 何も……何も出来ないんですか、私はっ! ――そ、そうだ! さがみん! さがみんはっ? 皆がいるなら、さがみんだってここに……っ!」
【そ、そう言えば、ユウの姿を見かけないね……! どこに――】
慌てて親友を探し始める雅。
しかし、
「くっそぉ……! ユウがまだ生きてりゃあ、ここまで追い込まれなかったかもしれねーってのによぉ……!」
雅とカレンの耳に飛び込んできた、信じられない言葉。
セリスティアは、「まだ生きてりゃあ」と言った。これが何を意味するのか、考えるまでもない。
一瞬にして、頭が真っ白になる。
「あ……あっ……!」
【ミヤビ! 落ち着いて! ここは未来だ! 君の時代に戻ることが出来れば、まだユウは生きているかもしれない!】
その場に崩れ落ちる雅。カレンは雅の中から、彼女に声を掛け続けることしか出来ない。
口をパクパクとさせ、過呼吸気味になりながらも、コクコクと頷く雅。
その時だった。
「っ? な、なにっ?」
雅の意志に反し、体が浮き始めたのだ。
空高く、どこまでも。
そして――宇宙まで飛び出てきた雅。
しかし、宇宙に出たという感動は、これっぽっちも無い。
眼前に映る地球……その有様を見れば、雅もカレンも声を出すことが出来なかった。
地球の周りをぐるりと一周させられ、雅とカレンは知った。
津波の被害は、新潟だけではない、と。
美しき星、地球。
しかし、全体の三割を占めていたはずの大陸は……雅やカレンの知識にある形状と、まるで異なっていた。
日本列島は、大半の陸地が海に沈んでいる。海沿いにある県等は、ほぼ半分程が消えていた。
ユーラシア大陸も、中国や韓国は勿論、ロシア等の大半の国の陸地が海に沈んでいる。国が丸ごと海に沈んだ場所もあるように見えた。
オーストラリアやアフリカ大陸、ヨーロッパの辺りも被害は甚大。アメリカやブラジルの辺りも、国土が半分程消えている。
北極は見る影もなくなり、南極も僅かな土地が残るのみ。
そして――
【そ、そんな……エンドピークが!】
異世界の大地、エスティカ大陸。
その広大な大陸は、今や北側と南側で分断されていた。丁度、ウラとエンドピークの辺りが殆ど海に沈んでいたのだ。
レーゼの故郷がある、ナランタリア大陸も酷い有様だ。ノースベルグの辺りが、完全に無くなっている。
まだ雅が訪れたことのない、ヴェスティカ大陸に至っては、陸地全てが海に沈んでしまったようだ。
その光景に、雅もカレンも、ただ呆然とする以外にない。
だがそこで……雅とカレンは、見た。
日本海の海中に蠢く、恐ろしい程に巨大な影を。
それが何か分かった雅は、戦慄で身体を震わせる。
「あ……あいつは……まさか……!」
【嘘、でしょ……!】
直後。
『そいつ』が、海中から、まるでトビウオのように飛び出てくる。
シロナガスクジラを巨大化させたような姿……宇宙から見ているにも拘わらず、その姿が見える程の、真っ白な超巨大生物。
体の上下の境目には、継ぎ目がある。まるで今まで、そこから半分に別れていたかのように。
ラージ級……そんな言葉では物足りないレベルのサイズだ。新潟県の長さと、ほぼ同等の体長がある。こんなものが、今までずっと佐渡の隣にいたのかと、雅もカレンも震えることしか出来なかった。
そう、奴だ。
『ラージ級ランド種レイパー』……そいつが、暴れていた。
ラージ級ランド種レイパーは、跳びあがったその巨体を、再び海に叩きつけ――再び津波を発生させる。
雅とカレンの見ている中で、その津波は大地を破壊していた。
そして――
「――っ」
【――っ】
雅とカレンの意識は、遠のいていく――。
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