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第376話『楓恋』

 襲われた少女は、人型種ウニ科レイパーに攻撃される直前、恐怖で本能的に目を硬く閉じていた。


 しかし……いつまで経っても痛みが襲ってこない。


 美しい旋律が鳴り響いていることに、ようやく気が付いた女の子は、恐る恐る目を開けば――




 長く伸びた五線譜が、まるでバリアのように女の子を囲み、針の攻撃から彼女を守っていた。




 女の子はハッとした顔で音のする方を見て、「カレンさんっ!」と叫び、表情を明るくさせる。


 大きく曲がったヴァイオリンで演奏するカレン・メリアリカ……彼女が、そこにいた。


 そして五線譜のバリアは、カレンの演奏に呼応するように揺らめいている。


 それだけでは無い。


 ヴァイオリンの音を聞いたレイパーは、まるで頭痛を抑えるような格好で苦しんでいた。


 瞬間……雅は理解する。


(そうか……これが、アーク・ヴァイオリカ!)


 ヴァイオリン型アーツ『アーク・ヴァイオリカ』。


 ヴァイオリンを弾くと、五線譜のバリアが発生し、自分や仲間、人々を守ることが出来る。さらにヴァイオリンの音色には、レイパーが嫌がる効果がある。


 以前、アングレーから『見れば一発で分かる形状』と説明されたが、確かに相当特徴的な見た目だ。


「早く逃げて! ――さぁ! こっちだ!」


 演奏を続けつつ、女の子を自分の後ろの方へ逃がし、アーク・ヴァイオリカを構えたカレンはレイパーを挑発するように声を掛け、ヴァイオリンを弾きながら人気の無さそうな方へと走り出す。


 狙い通り、後を追ってくるレイパー。先程の女の子を殺すより、不愉快な音を出すカレンの始末を優先したのだ。


 レイパーは唸りながらも、カレンを仕留めようと、彼女を追いかけながら銛を構え、針を飛ばしてくる。


 しかし、それがカレンを貫くことはない。ヴァイオリンの音色で発生した五線譜のバリアが、針を弾く。


 そうやって敵の攻撃を防ぎながら、コンサートホールから出るカレン。レイパーも後に続く。


 そのままカレン達は、公園の方へとやって来た。


 雅も知っている公園だ。


(ここ……ユリスちゃんと初めて会ったところ……!)


 人気の無いこの場所で、戦いは続いていく。


 カレンが出来ることは、アーク・ヴァイオリカによる防御だけ。


 しかし、レイパー側も、その防御を突破出来ない様子。


 アーク・ヴァイオリカの創り出す五線譜のバリアは、見た目以上に頑丈だ。針は勿論のこと、銛による全力の突き攻撃でさえ、ビクともしない。


 苛立つ……というより、苦しむように唸るレイパー。アーク・ヴァイオリカの音色は、それ程までにレイパーにとっては苦痛なのだろう。直接的なダメージはなくても、精神的に消耗するらしい。


 そして――


(なっ? こ、これは……!)


 精神的苦痛(それ)が、限界に達したのだろう。


 レイパーは片膝を付き、眩い光に包まれる。そう――レイパーが、別の世界へと転移する時に発する、あの光だ。


 アーク・ヴァイオリカの音色から逃げ出すために、このレイパーは異世界転移しようとしていた。


「な、何これっ? え、ちょ、待って――」


 その事を知らないカレンの、慌てたような声が木霊するが、もう遅い。


 光が消えた時には、カレンとレイパーは、この世界から忽然と姿を消していた。




 ***




「ぅ……こ、ここは……?」

(あれ? ここ……もしかして……新潟?)


 気が付けば、カレンがいたのは、どこかの森の中。


 木々の合間からちらりと見えた風景から、ここがどこなのか何となく分かった雅だが、当のカレンが分かるはずも無い。


 新潟どころか、ここが自分のいた世界ではないことなんて、想像もしていないだろう。


 挙句不運なことに、落ち着いて状況を把握する余裕もない。


 何故なら、


「くっ……!」


 人型種ウニ科レイパーが、転移させられたことに気を取られているカレンに、銛で攻撃を仕掛けてきたから。


 半ばパニックになりながらも、カレンは演奏を再開する。


 こんな精神状態でも、カレンの奏でる音色にはブレがないのは流石といったところか。


 敵の銛や針の攻撃をバリアで受け止めつつ、少しずつ頭も落ち着いてきて、やっと周りの状況を確認する余裕も出てきた――その時。


 余程、アーク・ヴァイオリカの音色に我慢がならなかったのだろう。


 なんとレイパーは、持っていた銛をカレンに投げ付けた。


 やけっぱちの行動だ。癇癪を起こし、後先考えずに放った攻撃。


 防ぐだけなら、容易。


 勢いよく飛んできた銛が、五線譜のバリアに阻まれ、弾き飛ばされた。


 ――だが、


「っ?」


 明後日の方向に銛が向かい――その先にある、大きな岩に直撃した。


 ……それだけなら、まだ良かったのだが……丁度、脆くなっていたのかもしれない。


「ああっ!」


 岩が砕け、大きな塊が落ちていく。


 直径五メートル近い大きさだ。


 それが――


「だめだっ! そっちへ行っちゃ――!」


 カレン達を通り過ぎ、山の下の方へと落ちていく。


 その先には――道路。


 さらに、


(――あぁ……まさか……!)


 一台の車が走っていた。


 車なんて初めて見たカレン。あれが何かなんて、はっきりとは分からない。


 だが、彼女の目は捉えていた。




 車の中にいる、三人の親子の姿を。




 このままでは、車と岩がぶつかるのは明らか。


 アーク・ヴァイオリカによる五線譜のバリアは、あまりにも遠すぎる場所には作ることが出来ない。


 走り出すカレン。その場から逃げ出すレイパーのことは、カレンには見えていなかった。


 そして――


「とまれ! とまれぇぇぇぇぇぇぇえっ!」


 カレンの叫び声も空しく、最悪の事態が起きた。




 ***




 気が付けば雅は、どこかも分からぬ真っ白な空間の中にいた。まるで神様が下界を観察するかのように、その光景を見ていたのだ。


 ずっとカレンの中から景色を見ていたのに、いつの間に変わったのか……雅はよく分からないし、どうでも良かった。


 雅が見ている中で、カレンは押しつぶされた車の中から三人を助け出す。


 初めて見た車。それが何かもよく分からないのに、それでも我武者羅に。


「……そっか」


 押しつぶされた車の中には、誰がいたのか。


 確認するまでもなく……雅には分かった。







 雅の父親、束音(いさぎ)。母親の(せん)


 そして、まだ幼く、黒髪であった頃の雅自身だ。


 あの車は、束音家のものだったのだ。







 しかし幼い雅は勿論、両親でさえ、見て分かるくらいには酷い怪我を負っていた。


 あの怪我ではもう、助からない。誰もがそう確信出来る、そんな有様だった。


 原形を保っていたのは、はっきり言って奇跡だ。


 それでもカレンは、三人に必死で呼びかけ、可能な限り手当をしようと試みていた。


 涙で顔をグシャグシャにし、「ごめんなさい……!」と繰り返しながら。


 すると……その光景を見ていた雅の後ろから、誰かの足音が聞こえてくる。


 誰の足音なのか……雅には何となく、予想がついた。


 振り返り――その予想が当たっていたことで、納得したというように細く息を吐く。


 その人物は……目に涙を浮かべ、こう言うのだった。







「初めまして。……やっと……君に会うことが出来た」







 と。


 そう、彼女は――







「……私もあなたに会いたかったです。――カレン・メリアリカさん」







 見た目は、メリアリカ楽器店でレイパーが化けていた時の彼女、そのまま。


 しかし……雅は確信する。


 彼女こそが、本物の『カレン・メリアリカ』であると。







 何故、ここにカレン・メリアリカがいるのか。


 詳しいことは分からないが、一つだけ、察せることがある。


「あなたが、見せてくれたんですね。この光景を」

「私が、『逆巻きの未来』に頼んだんだ。戦いが落ち着いて、ミヤビが元の時代に戻る前に――私の記憶を見せて欲しいって。逆巻きの未来は、それを叶えてくれた。十一年前の私の中に、君の意識をタイムスリップさせるという形でね。……そればかりか、こうして君と直接話をする場まで作ってくれたみたいだ。ここは多分、逆巻きの未来の中だと思う。そこに私とミヤビの意識を移したのかも」

「……レイパーから、カレンさんは死んだと聞かされました。だけど『意識を移した』ということは、カレンさんはまだどこかで生きているんですか?」

「私は、もう死んでいるよ。……だけど、ミヤビがこの後の私の記憶を見たら、きっと私が死んでいるなんて思わないだろうね」


 煮え切らないような、ふわふわとした回答。


 だがカレンは決してふざけているわけでは無く、至って真面目に言っているのは、雅には何となく伝わった。


 雅はカレンから目を離し、再び記憶の光景の方を見る。


 ぐったりとして動かない幼い雅達に、カレンは膝を付き、蹲っていた。


「……この時、ミヤビは死んでしまったんだ。私が車から君達を脱出させた時にはもう、何もかもが手遅れだった。即死だった……」

「えっ? じゃあ、ここにいる私は?」

「ミヤビがどうなったのか……すぐに分かるよ」


 カレンがそう言って、記憶の光景を見るように促す。


 記憶の光景の中のカレンは、真っ白な顔で、絶望しきった眼で、ゆらりと立ち上がる。


 その手には、アーク・ヴァイオリカ。


 そして――奇妙なことをし始めた。


 カレンは三人の死体の前で、演奏を始めたのだ。


 レクイエムとは違う……何かに縋るような、そんな曲を。


 雅は思いだす。この事故の際、現場で響き渡ったという、ヴァイオリンの音色の話を。


 それは、カレンのものだったのだ。


「カレンさん……どうして……」

「私、スキルを持っているんだ。『交信』っていうスキルなんだけど、ヴァイオリンの演奏を通して、神様とお話が出来るの。あの時の私には、もうどうしようも無くて、神様に祈ることしか出来なかった……」


 当時のことを激しく悔やむように、カレンは目を閉じてそう告白する。




 そして……記憶の光景の中のカレンに不思議なことが起こった。




 幼き雅の胸元に自分の手を当てると――カレンの体が、徐々に光となって消えだしたのだ。


 それにつれ、幼い雅の酷い怪我が治っていく。


 顔には血の気が戻り、呼吸をし始め……命の鼓動が、芽吹き出す。




「『生命譲渡』」




「……えっ?」

「自分の命を、他の人に分け与えるスキル。神様が特別に、私にくれたの。『交信』で神様に願ったんだ。この人達を助けて欲しいって」

「…………」

「だけど、一度死んでしまった人を生き返らせるのは、神様にも凄く難しくて……この『特別なスキル』を私に与える意外に、方法が無かった。使えば私が死んでしまうし、仮に使ったとしても、全員を助けることは出来ないからって、神様は凄く渋っていたけど……」


 それでもカレンは、迷わずそのスキルを使わせて欲しいと頼んだ。


 自分のせいで、何の罪もない家族三人が死んでしまったのだから。


 全員は無理だと告げられようと……せめて、未来があるはずの幼子……雅だけは、何としてでも助けたかったのだ。


 記憶の光景の中のカレンの姿が完全に消えると同時に、救急車のサイレンの音が聞こえてくる。事故に気が付いた人が、連絡したのだろう。


 そして、救急車で運ばれる途中――今度は記憶の光景の中の雅に、不思議なことが起こる。


 黒かった雅の髪が、桃色へと染まり出したのだ。まるで、カレンの髪のように。







 この光景を見て――雅はようやく、理解した。







 何故、初めて訪れたはずのメリアリカ楽器店の扉の開け方を知っていたのか。


 当然だ。雅は初めてでも、()()()それを知っていたのだから。




 何故、カレンの飼い猫であるペグが、自分に懐いていたのか。


 ペグは悟っていたのだろう。本物のご主人様が、どこにいるのかを。




 何故……楽器店でカレン・メリアリカを見た時、激しい嫌悪感に襲われたのか。


 それはそうだろう。分かっていたのだ。そいつが、本物のカレン・メリアリカでは無いということを。何より確かな証拠が、ここにあったのだから。




 そう――







「カレンさん……あなたはずっと、ここにいたんですね。私の中に……」







 雅の言葉に、カレンは頷く。


「『生命譲渡』で、私の命を君にあげたから、本当は私はそのまま消え去るはずだった。……だけど私の自我は、君の中で残ったんだ。神様が相当無茶をしてくれて……」


 神様は、カレンも雅も助けようとしてくれたのだろう。こうしてカレンの自我は、雅の中で生きることになったのだ。


 雅が見ているものをカレンも見て、雅が感じていることをカレンも感じて、幸せも苦しみも、楽しかったことも辛かったことも、全部一緒に受け入れて……十一年もの長い時間を、共に過ごしてきたのである。


 そしてそれは、逆も然り。


 雅を通してカレンが見て、聞いて、感じた事……それも僅かだが、雅には伝わっていた。


「あ、もしかして……」


 偶に、自分の勘が鋭くなる時があったことを、雅は思いだす。


 代表的なのは、雅が最初に異世界転移した時のことか。死にかけた人型種蜘蛛科レイパーに近寄ろうとした時、何か嫌な予感がした。


 きっとあの時、カレンが雅の中から警告をしていたのだ。カレンは悟っていたのだ。人型種蜘蛛科レイパーの様子がおかしかったことに。……そしてそれが、異世界転移しようとしていることに。異世界転移は、カレンも経験していたことだから、何となく分かったのだろう。


 そして――


「音符の力……まさか、あれもカレンさんの……?」

「うん。理屈は私もよく分からないんだけど、私の力が君の中で変化して、あの姿になれるようになったのだと思う。最も、ミヤビと私の心が完全にシンクロしないといけないみたいだけど……」

「……あの力が使えるようになる時、自分の中で何かがカチっとはまり込むような、そんな感覚がありました。そっか……あれは、私達の心がシンクロしたからだったんだ」

「何度となくミヤビと会話しようと、中から声を掛けたんだ。だけど、中々声は届かなくて……。だけど今日、ようやくミヤビと話すことが出来た」


 そう言ったカレンは鼻を啜り、涙を拭い……雅に向かって深く、頭を下げる。


「私は……このことを、ずっと君に……ミヤビに、謝りたかった。私のせいで、君のご両親を殺し、人生を狂わせてしまったこと……本当にごめん……!」


 震える声を絞り出し、カレンは雅に懺悔する。


 罵倒されても構わない。殴られることも、覚悟は出来ていた。それだけのことをしたと、カレンは思っていたから。


 だが……雅はカレンの体を、優しく抱きしめる。


 そして、口を開いて、こう続けるのだった。


「カレンさんがやったことは……不幸な事故はあったかもしれないけど、過ちだなんて私は思わない。――だから私、精一杯生きます。カレンさんと一緒に、生きていきます。カレンさんが繋いでくれたこの命を、無駄にしないために。……何年後、何十年後に、あなたが私を助けてくれたことに、胸を張れるように」


 謝られることなど、詫びられることなど、何もありはしない。


 雅から伝わる命の熱……それを直で感じたカレンの目からは大粒の涙が零れ、小さな嗚咽がこの空間に木霊する。


 もう言葉はいらない。互いが何を思い、感じているのか、十分に分かる。




 二人は共に生きてきたのだから。




 そして、雅とカレンは消えていくのだった。映し出された過去の光景と、それを作り出すこの空間と共に――。

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