第41章幕間
「エスカさん!」
「ミ、ミヤビ、殿……良かった……!」
血相を変えて駆け寄ってくる雅に、エスカは安堵の表情を浮かべた。
しかし……アイザの加護の力で、僅かながら傷が癒えたはずのエスカの口から、血が溢れる。
それを見た雅の顔が、絶望に染まった。
(そんな……この怪我じゃ……!)
どうにもならない。
仮に竜の体がいかに強靭で、再生力に優れていようとも……もう助からない。
博愛の神アイザの、奇跡的な力を以ってしても、エスカの残りの命を、少しばかり延ばすことしか出来なかったのだと、雅は傷を見ただけで、そう確信を持ってしまった。
せめて止血を……そう思った雅が、シャツを破こうとした時、エスカは口を開く。
「う、うまく……装置を動かせたのね……」
「喋っちゃ駄目ですエスカさん! 傷口が――」
「構わないわ……。それより……伝えるべきことがある……」
体を引きずるように壁際へと向かおうとするエスカ。雅はエスカを抱え、少しでも楽な体勢にと寄りかからせる。
その瞬間、フラッシュバックする過去の記憶。
(……そうだ。ここには、あれがない。……まさか、あれは……!)
雅が前にガルティカ遺跡に来た時、この部屋で見つけた白骨死体。
それは丁度、エスカが今、寄りかかっているこの位置にあったもの。
これが意味することを、雅ははっきりと理解してしまった。
そして謎の白骨死体があった話は、エンドピークからガルティカ遺跡に来る途中の道中で、エスカにも話してある。
故に……エスカも悟ってしまったのだろう。己の最期を。
もしかすると、部屋の外で魔王種レイパーと戦うと決めたあの瞬間にはもう、覚悟をしていたのかもしれない。
「あなたの記憶では……その装置は、無かったはずなのよね……?」
力を振り絞るような声で、エスカにそう尋ねられ、雅は控えめに頷いた。
「……確かにこんな装置、私が前に来た時には無かった。きっと、誰かが……いえ、私が壊したんだ」
他の人間が、容易くガルティカ遺跡の中に入れるとは思えない。
装置を破壊しえる人物は……この時代、ここにいる自分だけ。雅はそう思った。
「装置が壊れたから、あの魔王みたいなレイパー達がここから脱出することは勿論、他のレイパーが外から中に入ることも出来なくなった。外に出る手段は、ただ一つ。あの広い部屋から、天空島を飛び立たせることだけだった。それまで、奴はここにずっと、閉じ込められることになった……」
「…………」
「天空島を飛び立たせるまでに、二百年も掛かっている。多分、そこの装置を壊すことで、天空島を飛翔させる機能が動かなくなったのかも。それて、あのレイパーはそれを直すのにそれだけの年月を掛ける必要があったんだと思います」
そしてその辺りで、自分やミカエル、ファムが来たのだと雅は理解する。
「今、ピラミダ内にある同様の装置に残ったエネルギーは、この装置に集まっています。これを破壊すれば、二百年は魔王のレイパーを封じ込められる。もう一体の、白熊の方だって……」
「壊しなさい……。それで、あの二体の化け物を、ここに封じ込めておけるのなら……」
決して迷わぬ言葉で、エスカは雅にそう指示をする。
「あなたがアーツと呼ぶ、懐中時計型のもの、そして杭……それにエネルギーを溜めたら……奴らをここに閉じ込めるために、装置を破壊すべきよ。そうすれば、奴らが人を襲うことを止められる……!」
「分かりました……! そしたら私、『逆巻きの未来』を使って少し前の時間に戻って、エスカさんを助けに行きます! そうすればあなたは――」
「だ……駄目よ!」
エスカは雅を止めるかのように、強く首を横に振る。
「っ? どうして……っ?」
「正しい歴史では、私はここで死んでいるのでしょう? なら……無闇に介入すべきじゃない……私はここで、死ぬべきなの……!」
「エスカさん、やっぱりそれを悟って……だけど……!」
「私がここで死ななければ、もしかするとあなたや、誰か別の者が代わりに死ぬかもしれない! 過去のあなたが、仲間と共にガルティカ遺跡に来る歴史も無くなるかもしれない……!」
「――っ」
その言葉に、雅は唇を噛み締める。
そんな雅の手を、エスカはギュッと、力強く握った。
「正しい歴史にするのよ……我々が時間に関して、妙な介入の仕方をすれば、その歪さはどこかで皺寄せとなって襲ってくる……! 百年前のエンドピークで、奴らの仲間が、杭を抜いて巨大な化け物を復活させてしまったと、ミヤビ殿は言っていたわね? あれも同じ。しばらくは何ともないかもしれないけど、そろそろあなたの時代にも、決して小さくない影響が出てくる頃だと思うわ……!」
「……そんな!」
「エネルギーを注入して、早く百年前のエンドピークに行くの……! そしたら、杭が刺さっていた場所とは別の……どこか違う洞窟に、それを刺しなさい……!」
エスカは推測する。封印が一度解け、復活した化け物が移動したのなら、封印のための杭を打ち込む位置も変えなければならないだろう、と。
「幸い、ここにはアイザ様の加護が満ちている! アーツの力も増幅するはず……! 多分、タイムスリップした場所と時間、あるいはタイムスリップする際にいた時間と場所に行くことも出来るかもしれないわ……ここからなら、百年前のデルタピークの山の中に行くことも出来るかもしれない……!」
「くっ……!」
「もしも本当に私のことを想うのなら……頼みごとを一つ、聞いて欲しい……! これを、シャロンに……渡して……!」
そう言うと、エスカは懐から、一通の封筒を取り出し、雅に握らせる。
血まみれになったそれは……ある種の遺言状だ。
レイパーが現れてから、エスカはずっと、これを持ち歩いていた。いつか自分が奴らに殺されてしまうことも考え、せめてシャロンに何か遺せるようにとしたためたのだ。
「もしも途中で私が死ぬときがあれば……近くにいる仲間に託そうと思っていたの……。お願い、これを……」
「…………」
「……お願い……!」
生きて、自分で届けろと言う言葉を、雅は呑み込むので必死だった。
唇を噛み、震えながら……雅はそれを受け取ると、エスカは穏やかな顔で、雅に頷く。
「……亡骸も、持っていってはいけないんですか、私は……。あなたをここで、二百年も置き去りにするなんて……」
「いいのよ……寧ろ本望だわ。エスカ様の壁画の前で死寝るなんて……」
エスカの視線が、奥の壁に描かれたアイザ様に向けられる。
年上の竜から『アイザ教』の話を聞かされた時から、エスカはアイザ様に惹かれていた。
この世のあらゆる人間に愛の心を持って接する……その考えが、エスカにはとても美しく思えたのだ。
「悔いはあるけど……娘が元気にやっていることも知れた。ミヤビ殿には、感謝の言葉もない……」
レイパーが現れた時から、もしも自分が死んだらシャロンはどうなるのだろうと思わない日は無かった。底の無い不安の沼に沈んでいく日々だった。
それが、雅のお蔭で無くなったのだ。
自分がここで死に、遺体が二百年放置されることなど、大したことではない。
ありがとう、という言葉では表しきれない想いが、エスカの中には確かにあった。
すると、
「エスカさん……これ、あげます」
雅が制服の黒いブレザーを脱ぎ、エスカに羽織らせた。
それまで雅が着ていたから、温もりが残っている。
だが、
「……暖かい」
雅だけの温もりでは無い……エスカは何となく、そう感じた。
雅が、異世界に転移させられた時は毎日、帰った後も、何かと着ていた制服だ。
共に助け合って苦難を乗り越え、喜びを分かち合った仲間達の温もりも、少しだがそこにはあった。
「ミヤビ殿……ありがとう。……未来で返すわ。とんでもない……年代物になっちゃう……け、ど……」
「エスカさん……」
「……シャ、ロ、ンを……お願……い、ね……」
「ええ…………おやすみなさい。また、未来で……」
血まみれで……しかし安らかな顔で息絶えるエスカを、涙を堪えた苦しい瞳で見つめる雅。
ブレザーが一枚無くなっただけ。シャツと肌着一枚だけの状態が、やたらと寒く感じる。
しかし――しばらくエスカの亡骸を見つめた後、雅は動き出した。
(杭は、一本消えた)
エネルギーを装置に補充した際に使った杭。その一本は、光となって消えていた。
残りは二本。
今度はこれと、逆巻きの未来にエネルギーを注入するために、雅は装置を再び動かす。
現れた魔法陣に杭二本と逆巻きの未来を置くと、杭とアーツが光を帯びる。エネルギーが溜まり始めたのだろう。
しばらく待てば、逆巻きの未来で時間移動が出来るようになるはずだ。
(エスカさん……頼み事は、必ず果たします。やるべきことを、生き抜いてやり切った後に……!)
スカートのポケットに、託された手紙を丁寧にしまい、エネルギーの注入を待つ雅。
杭から装置にエネルギーを注入するのはかなりの時間が掛かったが、装置からアーツと杭にエネルギーを注入するのは早い。
一分もしない内に、魔法陣が消え……残ったのは、柔らかく光を帯びる杭とアーツだけ。
(……凄い。これなら、多分一本で巨大なレイパーを封印出来るかも……!)
持った瞬間、そう思った。
「後は……これを壊せば……!」
剣銃両用アーツ『百花繚乱』……その柄をしっかりと握りしめ――雅はアイザが描かれた壁画に、これから行うことへの謝罪の気持ちを捧げてから、百花繚乱を大きく振り上げる。
派手な音と共に、粉々に砕ける装置。
すると、
「……消えた?」
この部屋に掛けられた魔法だろうか。
壊れた装置の破片は、光となって消えていった。
これでもう、魔王種レイパーと白熊種レイパーはここから脱出出来なくなったのだ。
そして、雅は起動する。時計型アーツ、逆巻きの未来を。
片手に杭、もう片手に、百花繚乱と逆巻きの未来。それらを持つ手に、力が籠る。
光りを帯びる、雅の体。
「……エスカさん。それじゃあ、行ってきます!」
その言葉と――一滴の雫だけ残し、雅はこの時代から、消え去るのだった。
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