第357話『始期』
ここは二百年前のエンドピーク。
その事実を知った雅は、絶望に包まれていた。
ほんの四時間程前、メリアリカ楽器店でアングレーやユリスと談笑し、『ペグ』という名前の猫を可愛がっていた時は、まさかこんなことになるなんて夢にも思っていなかった。
この短時間で、雅は大きな絶望を、一先ず六回は経験している。
一つ目は、共にタイムスリップした者……カレン・メリアリカが、実は『メタモルフォーゼ種レイパー』だと分かった時。
二つ目は、本物のカレン・メリアリカは既に死んでいると告げられた時。
三つ目は、レイパーの手により、超巨大なレイパー……『ラージ級ランド種レイパー』が海から浮上したのを目撃した時。
四つ目は、親友の仇を討ち……そして雅だけでも元の世界へ戻すために、アングレー・カームリアがメタモルフォーゼ種レイパーと刺し違え、死んでしまった時。
五つ目は、時間を行き来するために使っていた時計型アーツ『逆巻きの未来』が動かず、アングレーを助けに行けないと分かった時。
そして六つ目が……今のこの状況だ。
(元の世界に変える術は無い……。それに、頼れる人はこの時代には誰も――)
アングレーから託された三本の杭を地面に落とし、雅はその場に崩れ落ちる。
これから何をすれば良いのか。……自分はどうしたいのか。雅には分からない。
(……どこか……休める場所……)
グラつく思考を、感情を、心を、本能を……まずは落ち着かせたい。
そう思って、雅は重い体を起こし、杭を拾って歩き出す。
二百年前だからか、道があまり整備されていない。
硬い土に足が痛み始めた頃――雅は街に辿り着く。
(……なんか、活気がありません)
街を見た雅の第一印象は、これだった。
元の時代とは、風景が違う。そして何より、エンドピークではよく聞こえていた明るい音楽が、ここではあまりしない。
それでも……疲れ切っていた雅は、少しばかりの安堵と、驚きを覚えていた。
雅の目に映るのは、今の雅の世界では決して見ることのない光景だったから。
剣や槍、杖を持ち、胸当てやローブ等を装備した冒険者風の者達。
銀色の鎧を鳴らして見回りをする衛兵。
人気の少ない酒場で酔いつぶれている者達もいる。
近くの建物に掛けられた看板には、『冒険者ギルド』なんて書かれていた。
シンバルやトランペット等の楽器が散見される辺り、音楽の都、エンドピークであることは間違いなさそうだ。
ここはやはり異世界なのだと、改めて実感させられた。
(……あれ?)
そこで雅は違和感を覚える。
表に出ている人達は、皆男ばかり。
すると、
「おい、あんた! 何をしているんだっ、家の中に隠れてろ!」
歩いていた雅に気が付いた、冒険者の男が、険しい顔でそんなことを言ってくる。
妙な杭を持ち歩いていることでもなく、この世界には無いであろう制服なんて妙な服を着ていることでもなく、全く別のことに対して声を荒げられたことに、雅は唖然とした――その時だ。
「また奴らが出たぞー!」
どこからか、切羽詰まった声が聞こえてきたと共に、遠くの方から、何かが砕けたような轟音が轟く。
そして雅は見た。音のしてきた方……その上空に、何か飛竜のような生き物がブレスを放っていると。
突然のことに唖然とする雅。
すると建物からは、今まで姿を見なかった女性達が慌てて飛び出してくる。
突っ立っている雅をそこに残し、その生き物のいる方向と反対に逃げていく女達。
「君! 何をしているんだ! 早く逃げろ!」
雅に声を掛けてきた男が、未だ動かぬ雅にそう怒鳴りつける。
「奴らは何故か女ばかりを狙し、全然攻撃が効かない! 衛兵や冒険者達が時間を稼いでいる間に、君も早く逃げるんだ!」
「女ばかり……ってことは、レイパーですかっ?」
「レイパー? 訳の分からないことを言うな! 早く行け! 長くは持たない!」
(そうか……この時代は、レイパーが出現して間もない頃! 男の人が戦っているってことは、多分アーツが無い……勿論、バスターだって……)
レイパーは、女性がアーツを使って攻撃しなければダメージを受けない。その知識がまだ浸透していない時代だということに、雅は戦慄を覚える。
(ど、どうすれば……!)
敵は空中。攻撃するなら、剣銃両用アーツ『百花繚乱』をライフルモードにし、エネルギー弾主体で戦う必要がある。
一日一回だけなら、『グラシューク・エクラ』や『アンビュラトリック・ファンタズム』といった遠距離攻撃可能なスキルはあるが……縦横無尽に動き回る敵に上手く当てるのは、意外と難しい。何とかして隙を作れれば良いが……雅の頬を、汗が伝う。
今の雅は、独りぼっちだ。
だが――
「行かなきゃ……ここには、私しか戦える人間がいないんだから……!」
ずっとレイパーと戦ってきて形成された、雅の心。
それが、雅に『戦え』と伝えてくる。
頼れる仲間がいないという不安に押しつぶされそうになる己を鼓舞するよう、自分にそう言い聞かせると、雅は杭を建物の陰に隠し、敵の方へ走り出した。
「おい待て! どこに向かうつもりだ!」
「あいつと戦います!」
後ろから聞こえてくる、冒険者の焦る声に雅はそう返す。冒険者の驚愕した声を置き去りにして、雅は歯を喰いしばり、敵へと向かっていた。
しかしその時、そんな雅の足を止める出来事が起こる――。
「おい! 見ろ! 助けだ! ドラゴンが来てくれた!」
「やった! ドラゴンなら、あの化け物を退けられる!」
東の空から、七体ものドラゴンが飛んできたのだ。
それを見た雅は、「あっ!」と声を上げる。
そう……レイパーと戦える者は、他にもいた。
ドラゴンは、レイパーにダメージを与えられるから。
紫色の竜を先頭に、六匹の青い竜が後ろを着いていく。恐らくあの紫色の竜がリーダーなのだろうと、雅はそう思った。
雅の拳に、力が籠る。
(そうか……いける! あのドラゴン達と協力出来れば――!)
だが、
「あ、あれ? どうした? なんでドラゴン達、逃げていくんだ?」
「おーい! 助けてくれー!」
「――っ?」
紫色の竜が突然進行方向を変え、レイパーの方をあからさまに避けると、他の竜達もそれに続いていく。
それを見た雅の拳から、力が抜けた。
思い出したのだ。以前、シャロンから聞いた話を。
『竜は二派に別れてしまった。人を守ろうとする竜と、レイパーから逃げようとする竜に』という話を。
(あのドラゴン達は……レイパーから逃げる方の竜……! これじゃあ、協力なんてしてもらえない……!)
逃げていく竜に、助けを求める声、罵声を浴びせる声……様々な声が辺りから聞こえてくる。
しかし、
(……あれは……?)
先程逃げ出した、紫色の竜。
他の竜達を先導していたその竜は、途中でその役目を他の竜に任せ、一匹単身でレイパーの方へ向かいだした。
そしてレイパーへとブレスを放ち、攻撃を始めたのだ。
その光景に、周りの人達の歓声が上がる。
途中で心変わりしたのか、最初からそのつもりなのかは分からない。だが確かなのは……あの紫色の竜だけは、レイパーと戦っているということ。
再び、雅の拳に力が宿る。
だが、竜とレイパーが戦っているところまでは、雅が思った以上に距離があった。
(速く……もっと速く……! じゃないと、あのドラゴンが……!)
果敢にブレスや爪、尻尾で攻撃を仕掛ける竜だが、レイパーはそれを軽々と避け、反撃の攻撃をお見舞いする。
戦況は、明らかに劣勢だ。
早く加勢しなければ、ドラゴンが殺されてしまう。
しかも……
「あいつは……っ!」
雅の口から、驚愕の声が漏れる。
ドラゴンを襲う、飛竜のレイパー……そいつの方に、見覚えがあったのだ。
かつて雅も戦ったことのあるレイパーだったから。
そいつは、全長四メートルもの巨大なワイバーンだった。
暗い緑色の体。蝙蝠のような被膜に、翼の先端に生えた鋭利な爪。鏃のように尖った尻尾。
間違いない。世界が融合する前、シェスタリアにて雅を攫い、ドラゴナ島まで連れ去り、そしてシャロンによって倒された……『ミドル級ワイバーン種レイパー』だ。
(当たり前だ……ここは、昔の世界なんだから……!)
倒したはずの敵が生きていても、何もおかしくない。
そして、辛うじて雅が狙撃出来そうなところまでやって来た時、
「あぁっ!」
何か強烈な攻撃が、紫色のドラゴンの腹部に直撃し、ドラゴンは地面に堕ちていってしまう。
そこで雅は知った。ドラゴンが戦っていたのは……ミドル級ワイバーン種レイパーだけではない、と。
ワイバーンの背中に、もう一体人型のレイパーがいたのだ。つまり、ドラゴンは二体のレイパーと同時に戦っていたのである。
そしてドラゴンを撃墜したレイパーの姿を見た時――
「――っ!」
雅は大きく目を見開いた。
無理も無い。
そのレイパーも……若干の違いはあれど、雅もよく知るレイパーだったから。
真っ黒な肌に、そこそこ筋肉のあるフォルム。
不気味な程真っ白な眼に光る、赤い瞳。長い指と爪。トゲのある肩パッドを身につけており、黒いマントをはためかせ、血で汚れたブーツを履いたそいつは――
「トヤゾ、ザオバヤナソ、マヤトカタモ!」
『魔王種レイパー』の、耳を劈くような高笑いが辺りに響くのだった。
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