第40章幕間
一月二十八日月曜日。午後六時二分。
新潟市西区、新潟大学前駅近くのスーパー。
その店内を迷わぬ足取りで歩く、山吹色のポンパードルの少女、シャロン・ガルディアルの姿があった。
頬や体のいくつかには汚れが見えることもあり、何も知らない人が見れば、『クラブや部活で健康的に体を動かした後の学生』に見えるだろう。実際にはバイトで精力的に稼いできた帰りなのだとは思うまい。
ここのスーパーには何度か来たことがあるシャロンは、どこに何が置いてあるのか、ほぼほぼ完璧に頭に入っている。目当ての総菜コーナーへ、真っ直ぐ向かっていたのだが――
「あレ? シャロンさン! 奇遇でス!」
「む? ――おぉ、クォンではないか!」
突然背後から声を掛けられて、少し驚いたシャロン。
振り返れば、そこにはツリ目のツーサイドアップの少女、権志愛がいた。
その隣では、志愛を大人にしたような風貌の女性も、柔らかい笑みで会釈をしてくる。志愛の母親だ。
「娘がお世話になっております」と、志愛の若干カタコト混じりの言葉からは想像も出来ない程流暢な言葉で声を掛けてくる志愛の母に、シャロンも「いえいえ、こちらこそ」と無難かつ定番の返しをした。
志愛の母は二人に気を遣ったのか、「野菜コーナーに行ってくる」とすぐにその場から離れていく。
「体はもう良いのかの?」
言いながら、シャロンは軽く、志愛の全身を眺める。
先日、人型種ヤマアラシ科レイパーの奇襲で倒れた志愛。入院し、少し前に無事に退院出来たものの、立ち方などを見るに、まだ本調子では無いように思えた。
しかし、志愛は軽く笑みを浮かべて首を縦に振る。
「えエ、お陰様デ。シャロンさんモ、お買い物ですカ?」
「……うむ。先程バイトが終わっての。ファルトはサエバと外で食べてくるらしいから、儂はここでと適当に買おうと思うたのじゃ。スーパーの総菜は中々に美味い。……ところで、お主も買い物か?」
「はイ。ママ……あー、母と一緒ニ。今日はチヂミにするのデ、その材料ヲ」
「チヂミというと、お主の国の料理じゃったな」
「えエ。覚えておられましたカ。……折角ですシ、シャロンさんもどうですカ? 家に帰っても独りなラ、うちで食べて行かれまス?」
「いや、申し出は嬉しいが、しかし……その、よいのか? 突然押しかけては迷惑じゃろう?」
「多分、大丈夫」
言うと、志愛はULフォンを起動させて母にメッセージを送る。そして、数秒もしない内に返信が来た。
「……オッケーでス! ついでニ、オススメのアニメがあるのデ、一緒に見ましょウ」
「お主、さてはそれが目的か? ……明日もバイトじゃ。流石に遠慮する」
「エー? いいじゃないですカ、ちょっとだケ! ちょっとだけでス!」
「ええい、お主に付き合うとほぼ徹夜確定じゃろう! 勧められるアニメがこれまた面白いから困るのじゃ!」
年が明ける前、実は束音家でアニメ鑑賞会をしたことがあったシャロン。その時のことを思い出すと、ダラダラと冷や汗が流れてくる。
面白い上に止め時も分からず、気が付けば次の日の朝になっていたのだ。その日のバイトは、いかに竜人の体力と言えども、中々にハードだった。
「まぁマァ、いいじゃないですカ! よシ、そうと決まれば急いで帰りましょウ!」
「あ、こらそんなに引っ張るな! ええい病み上がりとは思えん力強さじゃな!」
スーパーの中で、志愛に引き摺られていくシャロン。
それはまるで駄々を捏ねる幼女が、お姉さんに連れていかれるような、そんな感じであった。
***
そして、夜の八時十六分。
権家、志愛の部屋にて。
「いやー、チヂミ、美味かったのぉ」
「お口に合ったようデ、何よりでス」
「しかし、なんだか悪いの。シャワーまで頂いてしもうて」
「いえいエ、むしロ、シャワーだけですみませン。うちはあまリ、バスタブを使わなくテ」
タオルで髪の毛の水分を取りながら、そんな会話をするシャロンと志愛。
「いや、シャワーだけと言うが、タバネの家のシャワーと比べて、随分と良い匂いの水じゃった。石鹸も色々あったし、楽しめたの。……家が違うと、風呂はこうも違うものなのか」
「家が違うと言うよりハ、日本と韓国の文化の違いですネ。湯船にゆっくり浸かるのハ、日本くらいなものですヨ。私も最初は驚きましタ」
「ほぉ……。まぁそれにしても、風呂一つとっても最近は贅沢な暮らしをさせてもらっておるな。ドラゴナ島で生活していた時は、湖で水浴びしたり、濡らしたタオルで身体を拭く程度じゃった」
「ドラゴンは体が大きイ。汗を流すのも大変そうですネ」
「そうそう。湖に入ると、場所によっては水が大分陸に流れてしまってのぉ……。いやー、昔は母によく叱られたものじゃ」
シャロンは志愛のベッドの上にどかりと腰を下ろし、昔を思い出してケラケラ笑う。
同じように隣に腰を下ろす志愛は、視線を少し上に向けて口を開く。
「そう言えバ、シャロンさんのご両親ハ、どんな方なのですカ? 確か竜は女性しかいなイ、でしたっケ? だとするト、お母様が二人?」
「そんなわけなかろう。母は一人じゃ」
志愛の言葉に、クスリと笑みを零して突っ込むシャロン。
ここら辺の感覚は、人間と竜とではズレがあるのだろう……そう思った。
「どんな竜じゃったか、か。……人間態になると、歳不相応に若く見える竜じゃったな。年齢的にはお主らの両親くらいかもしれんが、見た目は丁度、パトリオーラくらいの歳の女の子に見えた。周りからも、よく歳を間違えられてのぉ。……ただまぁ、うむ……」
「…………?」
そこで歯切れ悪く言葉を切ったシャロンに、志愛は首を傾げる。
シャロンはしばらく口をモゴモゴさせて唸っていたが、やがて
「……世渡りは巧い竜じゃった……と思う」
どこか言葉を選ぶように、そう言った。
「世渡りが巧イ、ですカ?」
「うむ。レイパーが現れた時、儂らの陣営は『人間を守る派』と『逃げる派』で別れた、という話は覚えておるか?」
「えエ」と頷く志愛。何時だったか……何気無い時に、シャロンからそこら辺の話は聞かされていた。
「対立する二派の間を辛うじて繋いでおったのが、儂の母じゃった。最後の最後まで、竜は一致団結すべきだと主張していたらしいが……母がどっち派だったのかは分からぬ。レイパーと戦っていた一方で、逃げる竜の手助けもしておったからの。何となく……あまり母にこんなことは言いたくないが……『人間を守る派』として戦いつつ、状況が悪くなったら『逃げる派』に鞍替え出来るようにしようとしていたのじゃろう。実際、両方の陣営とは良好な仲じゃったらしいからの」
「シャロンさン……」
「戦うなら戦う、逃げるなら逃げるで、確固たる意志を貫いて欲しかったと思わなくもないが……まぁ、ドラゴナ島の隅で震えておった儂なんかよりは数倍マシじゃ」
モヤっとするが、馬鹿にするつもりも、蔑むつもりもない。
「お母様ハ、そノ……どうしテ?」
「うーむ……儂も詳しくは知らん。ただ、ある日『逃げる派』の竜を隠れ里へと案内していたのじゃが、その途中で連絡が途絶えた。レイパーに襲撃されたのじゃろう。戦って死んだのか、背中を討たれたか……流石に人を守って死んだということはないと思う。そんなことをしておれば、多少なりとも人々の間で語り継がれていても良さそうなものじゃからな」
「…………」
「母がどのように死んだのか、今となっては分からず仕舞いじゃ。遺体も見つかっておらん。……あれから長い年月が経っておるのじゃし、どこかで見つかっても良いのじゃが……いや、流石に風化して分からなくなっておるか」
母の墓なら、ドラゴナ島に一応はある。しかし、そこに遺骨等は何もない。空っぽの墓だ。
これは何も、珍しいことではない。竜知れずレイパーに殺されていたり、跡形もなく消し飛んでしまったり、行方不明になったり……色々な事情で、遺体が見つかっていない竜はそれなりにいる。
だが、色々と思うところはあれど、やはり母は母。
志愛の部屋の天井を仰ぎながら、シャロンは想う。
どうせなら、せめて骨くらいは見つけてやりたかった、と。
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