第350話『逆巻』
この人とは、仲良くなれそうにない。
カレン・メリアリカを見た瞬間、雅は人生で初めて、初対面の女性に対してこんな感情を抱いた。
街でカレンの銅像を見た時は、こんな気持ちにはならなかった。しかし本人を目の前にすると、心の奥底から薄暗い感情が頭をもたげるのだ。
理屈などではなく、本能的に受け付けない。『生理的に無理』という言葉が、これ程までにマッチすることもそうは無いだろうと思う雅。
そして一方で、
(ど、同族嫌悪ってやつなんですかね……?)
雅は心の中で、ひどく困惑していた。
カレンの話を聞いた時から、『なんかヤだな』と薄らと思っていたから、このような気持ちになることは予想していた。
しかしそうなる理由が、ちっとも分からない。本人を見れば何か分かるかもしれないと思ったのだが、嫌悪感を抱く理由に、今一つ確信が持てないのだ。
否、上手く言葉に出来ないと言うべきだろうか。
自分が本能的に、何かを察知しているのだと雅は直感する。それが喉の奥まで出かかっているのだが、そこから先に出てこない。
(なんだろう? ……初めての気持ちじゃない、気がする……)
「……へぇ。本当に私にそっくり。世界には自分に似た人が三人いるって話、本当なんだね」
ひどく混乱している雅だが、そんな彼女のことを、カレンはジロジロと観察し、感嘆したようにそう呟いた。
「そうでしょう? 私も最初見た時、本当に驚いて……実は生き別れの姉妹だったりする?」
「いやー、どうだろうね?」
「あ、そうだ! カレンさん、店の戸が開きっぱなしだった。駄目だよ、もう」
「あっはっは、ごめんごめん。ユリス達が来るって話は聞いていたから、朝早く起きて、いつでも入れるようにしていたんだけど、その後で二度寝しちゃったらぐっすりでさー」
「呑気にも程がある。全くもう……」
朗らかにそう会話するアングレーとカレン、ユリス。
そんな光景に、雅はどこか気に入らないという面持ちになってしまう。
「……あぁそうだ。ユリス、時間は大丈夫?」
「えっと……あー、うん。そろそろ戻らないとかも」
「え? 何? ユリス、もう帰るの? もっといればいいのに」
「んー……ここに来ること、お父さん達には内緒にしていたから。散歩行ってくるって言って出てきたんだよね。そろそろ帰らないと怪しまれる」
「ユ、ユリスちゃん、結構無茶したんですね……」
「付き合わせてしまって悪いね。ありがとう」
「ううん。こっちこそ、ミヤビさんに会わせてくれてありがとう。――それじゃ、またねー」
「ユリスちゃん! またお話ししましょうね!」
「うん!」
ユリスは笑顔で手を振り、店を出ていく。
雅達も手を振ってその背中を眺めていたが、彼女がいなくなると、店内は一気に静まり返る。
「あの、アングレーさん。それで……私は今日、どうしてここに?」
今日のアングレーの目的は、雅とカレンを引き合わせること。ユリスとの再会はサプライズであって、本題ではない。
それを知っているから、雅はアングレーにそう尋ねた。
そしてその問いに、カレンも「そうそう、私も理由が知りたいねー」と同意する。どうやら彼女もアングレーから詳しい話は聞かされていないようだった。
「あぁ、そうだね。その理由は――これだよ」
アングレーはそう言って、ポッケから懐中時計のようなものを取り出して二人に見せる。
それが何か雅には分からなかったが、カレンは時計を見ると、目を大きく見開いた。
「こ、これ……やっと手に入ったの?」
「苦労したよ、全く。……さて、ミヤビさん。君にちょっと、協力して欲しいことがある。――カレンを……私の親友を、助けやってはくれないか?」
「……え?」
「いやー、実は私、記憶喪失でね」
あっけらかんとカレンがそう言うと、アングレーはやれやれと言った様子で溜息を吐く。
「……こんな様子だけど、本当の話なんだ。ちょっと事情を説明させて欲しい」
そう言うと、アングレーは語る。カレンのことを。
カレン・メリアリカ。キャピタリークが誇る有名なバイオリニストだ。僅か五歳でヴァイオリンを使いこなし、コンクールで大人達を押しのけて賞をとることも多かった。そのままユリスの通っている音楽学校に通い、飛び級かつ首席で卒業。流れるようにプロのバイオリニストになり、両親や祖父母が他界するという不幸もあったものの、まさに順風満帆な音楽家人生を歩んでいた――はずだった。
「だけど、今から十一年前のある日……ある事件が切っ掛けで、カレンは姿を消した」
「ある事件?」
「街に、レイパーがやって来たのさ。そんなに強いレイパーではなかったんだけど、キャピタリークにはあまりレイパーが現れることがないから、もう大混乱になって……。私達バスターも、街の人々の混乱を収めることで手一杯になってしまって、中々レイパーと戦えなかったところで、カレンが奴と交戦した」
「え? カレンさん、アーツ持っているんですか?」
「うーん……そうらしいんだよね」
雅の驚いた声に、肩を竦めてみせるカレン。
「カレンが演奏に使っているヴァイオリンは、『アーク・ヴァイオリカ』っていうアーツなの。アーツだから、レイパーと戦うための武器でもあって……さっき、『キャピタリークにはあまりレイパーが現れない』って言ったけど、それはカレンのお蔭なんだ。アーク・ヴァイオリカの音色は、レイパーが嫌がる効果があって、それが結界みたいに街を覆っていたから、レイパーを寄せ付けなかったってわけ。……だからカレンはプロのバイオリニストであると同時に、街の守護者でもあったの」
「……へぇ」
ふと思い出す。キャピタリークの街中を歩いていた時に、偶にカレンと間違われた時のことを。
結果的に人違いだったとは言え、かなり気さくに話しかけられた。レイパーから街を守っていたのだから、キャピタリークの人達からは好意的に思われていたということだろう。
「話を戻すんだけど……そのレイパーとの戦いの最中、どちらもいつの間にか姿を消して……その約三ヶ月後に、カレンだけは戻ってきた。……記憶を無くして、ね」
「…………」
「使っていたはずのアーク・ヴァイオリカも無くしていて、ヴァイオリンの弾き方ももう忘れていて……だから私、カレンの記憶を取り戻すための方法を、ずっと探していた」
「……アングレーさんは、なんでそこまでカレンさんの記憶を……?」
「親友って言ったでしょ? カレン、根っからのヴァイオリンバカで……大事に使っていたヴァイオリンも無くして、熱心に打ち込んで身に付けたはずの演奏技術も全部忘れて……親友としては、どうしても見ていられなくてね」
「近くでそう言われると、なんかこそばゆいねー」
カレンの言葉に、アングレーは顔を赤らめ、誤魔化すように咳払いをしてから、再び口を開く。
「今日、ミヤビさんをカレンに会わせた理由は二つ。一つは、カレンと他人の空似とは思えない君を見れば、カレンが何か思い出すんじゃないかと思ったこと。……こっちは空振りだったけどね」
アングレーの言葉に、カレンは雅へ申し訳なさそうに片眼を閉じて見せる。
「もう一つ、こっちの方が本命だけど……君の力を借りたかった。カレンが無くしたアーク・ヴァイオリカを見つけるのを、手伝って欲しい」
「……えっ?」
「記憶をなくす前にカレンが使っていたヴァイオリン……それを見れば、カレンの記憶が戻るかもしれない」
「で、でも、そのヴァイオリンを無くしたのって、十一年も前なんですよね? 見つけるって、どうやって?」
仮に見つかったとして、それだけの年月が経っていれば、相当に劣化しているだろうと思う雅。かつて自分が使っていたものだと分かるほど、原形を留めているかも怪しい。
しかし、アングレーはフッと笑みを零す。
「そこでこれの出番だ。時計型アーツ『逆巻きの未来』。この世で唯一、過去や未来に行き来出来るアーツなの」
「過去や未来に行き来……?」
まさにタイムマシンといったアーツに、雅も大きく目を見開く。
「私はこれをずっと探していた。色んな文献を漁って、有識者の方に話を伺って……十年以上掛かった。それでようやく見つけたの」
「…………」
「これで私達は、百年前のキャピタリークに戻る。そこでアーク・ヴァイオリカを探す」
「調べてみたら、アーク・ヴァイオリカは私の祖母の世代から何年にも渡って受け継がれてきたものみたいなんだ。見つかったのは、どうやら今から丁度百年前。山にある洞窟に置かれていたものっぽいよ」
「……十一年前に無くしたのなら、その時に戻って探せば良いんじゃないですか?」
「それが、そういう訳にいかなくてね。言っただろう? レイパーの出現で大騒ぎだったって。確かにそんな中でカレン達を追えれば簡単にアーク・ヴァイオリカを見つけられるかもしれないけど、騒ぎの最中では見失ってしまうし、何より私達自身、そして街の人々を余計な危険に晒してしまう可能性がある」
過去に戻って活動すると、どうしても現代への影響も考慮しなくてはならない。だが百年前のキャピタリークに戻り、山の洞窟に置かれているアーツを観察するくらいなら、あまり大きな影響も無いだろうとアングレーは続ける。
「百年前だと、もうレイパーが蔓延っている世の中だから、カレンを守るため、念のためにボディーガードが欲しい。私だけだと心もとないし……」
「それで、協力して欲しいってことですか……」
「そういうこと。どうかしら? 協力、してもらえないかな?」
「……分かりました」
アングレーとカレン、そして逆巻きの未来を見て、雅は少し悩んだものの、頷く。
不安はある。時間遡行なんて経験はないから。
それでも承諾したのは……アングレーの手伝いをしてやりたいと思ったのが、理由の三分の一。
タイムトラベルに興味があるというのが三分の一。
そして残りの三分の一は――
「…………」
雅の目が、カレンとアングレーに向けられる。
何故だか、彼女達を二人きりにしたくないと思った。これが残りの理由だった。
「それじゃ二人とも、準備はいい?」
「はい、オッケーです……!」
「ん、こっちは何時でも。アングレー、君は?」
「愚問だね。――カレンの記憶を取り戻すと決めた時から、もう出来ている」
そう言うと、アングレーは逆巻きの未来を起動させた――。
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