第39章幕間
「――だぁぁぁ! なんじゃこりゃぁ! マジで意味分かんねぇ!」
一月二十六日土曜日。午後三時十六分。
束音家のリビングで、セリスティア・ファルトが絶叫する。
ここにシャロンがいれば、「こりゃファルト! 静かにせんか!」という説教の一つでも入りそうなものだが、生憎シャロンはバイト中のため、ここにはいない。
代わりに、
「そーっすよ! 本気マジ意味わかんねーっすよね!」
おかっぱで目つきの悪い警察官……冴場伊織が、『分かるっす!』という共感の声を響かせる。
「止めだ止めだ!」と、発狂するように吐き捨てながら、セリスティアは椅子の背もたれに寄りかかり、天井を仰ぐ。
セリスティアの頭は、漫画なら煙が出る表現が描かれるくらいにはパンクしていた。
彼女がこんな風になっている理由は、ただ一つ。
バイクの運転免許取得のための、学科試験の勉強をしていたからである。
セリスティアの眼前には、ULフォンのウィンドウ。そこに学科試験で出される問題が映されており、今し方、ちょっと解いてみたところだったのだ。
自動車学校の座学の授業の他に、伊織に付きっ切りで教えてもらっていたセリスティア。こういった勉強は苦手で、内容なんてちっとも頭に入ってこない。
「俺は実践主義なんだよ」と宣うセリスティアに、「なら試しに学科試験の問題解いてみるっすか?」と伊織が提案し「過去問があんなら、それ解きまくって体で覚えるわ」と言ったものの、結果は推して知るべし。
「ただの〇×問題の癖に、ふざけてやがるなコノヤロウ! なんで『夜の道路は危険なので気を付けて運転しなくてはならない』で正解が『×』なんだよ!」
「だって昼も気を付けて運転しなくてはならねーですし」
「重箱の隅つつきやがってぇ……!」
教習所の学科試験特有の、いやーな問題。セリスティアはまんまとそれに引っ掛かっていた。
「大体、バイクの運転に、こんな筆記試験なんて必要なのかよ。大事なのは運転の技術とかなんじゃねーの?」
「いや、交通ルールは覚えてもらわねーとですし」
「つってもよぉ……そこら辺、あれなんだろう? 自動でやってくれるとか何とか、そういう技術があんだろ?」
今の時代、車やバイクは自動運転が標準搭載されていると聞かされていたセリスティア。そもそもの話、免許なんてものもいるのかとさえ思ってしまう。
しかし、伊織はその質問については、眉を吊り上げた。
「自動ってだけで、万能じゃねーっす。自動を過信し過ぎて事故を起こした話、たくさんあるっすよ。自動運転はあくまで補助。最終的には人間が自分の意思でバイクを操作しねーとっす。第一、レイパーとの戦闘にバイクを使うなら、基本は自分で運転しねーと意味ねーじゃねーですか」
「……成程、そりゃそうか」
「ま、ちと休憩するっす。うちもお行儀よく座って勉強教えるのは苦手なんすよねー」
……座学の勉強を始めてから、まだ一時間も経っていないのだが、二人はそのことには気が付いていない様子。
「じゃあ、茶淹れっか。……って、やべ、シャロンがいねーな。俺、お茶の淹れ方知らねーんだよな……。水でいいか?」
「しょーがねーっすね。……茶菓子とかねーっすか?」
「どこに仕舞ってあるか分からねー」
普段、シャロンに家事を任せっきりにしている弊害が出てしまった。
「ここにあるんじゃねーか?」なんてブツブツ言いながら、キッチンの棚を開け始めるセリスティア。
あれこれ棚を開けてようやくお菓子を見つけ、それを食べながら駄弁りだす二人。
結局勉強を再開したのは、この一時間後。
免許取得への道は、まだまだ遠そうである。
***
一方、雅はというと、彼女はキャピタリークのバスター署にいた。
最近起こった異変についての調査資料等の閲覧について、以前から申請していたのだが、それが今日、やっと許可を貰えたのだ。それで雅は朝から入り浸り、大量の資料に目を通していた。
なお今日は、ラティアは宿でお留守番だ。
若干の休憩を挟みながら、凡そ四時間近くも黙々と作業をしていると、バスター署の鐘が鈍い音を響かせ、お昼の時間を知らせる。
もうこんな時間か、と雅が体の力を抜いて息を吐くと、
「どう? 探しものは見つかった?」
そんな声と共に、一人の女性が部屋に入ってきた。
ブロンドの長髪に、すらっとした切れ長の眼の女性。キャピタリークのバスターの人である。
「あ、カームリアさん! んー……今のところは、まだ何ともって感じです。でもすみません、なんか無理言っちゃって、色々見せてもらってしまって」
このバスターの人は、アングレー・カームリア。
雅がキャピタリークのバスター署の資料を見せてもらう際に、手続きなどでお世話になっている人である。
そして、
「気にしなくて良い。ノースベルグのバスター署から話は通っているし……それに、ユリスがお世話になったし」
雅達がキャピタリークで出会った、幽霊を見たと言っていた少女、ユリス・コンコルモートと、歳の離れた友達である。
「お世話になったというより、危険に晒してしまったというか……あんまり胸を張れるようなことは無いですよ」
苦い顔で雅はそう言うと、ちょっとバツの悪い様子で唇を噛む。
しかしカームリアは首を横に振る。
「あの子が『幽霊を見た』っていう話は、私も聞かされていた。どうせ何かの見間違いだろうなんて決めつけていたんだけど、真実を暴いてみたら、のっぴきならない事態だったじゃない? 私の不始末で大変なことになる前に、君達が食い止めてくれたんだ。……まぁユリスを連れていったのはマズかったが、幸い彼女に怪我は無かったし、そもそも完璧な対応を求めるのは酷な話だよ」
「……そう言って頂けると、ちょっとありがたいです」
「あぁそうだ。ミヤビさんはお昼、どうするつもりかな? 署内の小さな食堂で良ければ、ご一緒にどうかと思ったんだけど」
「良いんですか? なら、是非!」
さっと資料を片付けて、二人は食堂へと向かう。
「最近、ユリスちゃんはどんな感じですか? 実はあの事件の後、まだ話せていなくて……」
「流石に死体を見たのはショックだったみたいだけど、あまり引き摺っていない様子だよ。ユリスも君達と会いたがっていたが……」
「うーん……私達、ユリスちゃんのご両親にこってり絞られたしねぇ……。まだ時期尚早かもしれません。でも、手紙くらいはやりとりしたいですね」
「それは良い考えかもしれないね。私なら、彼女にこっそり渡すことも出来るし」
「いいんですか? じゃあ、お願いしたいですー!」
ただの雑談。
だが、雅は何故か、カームリアとの会話はいつも以上に楽しかった。
レーゼ達と会話するのと同じくらい……それこそ、優と話をするのと同じくらい。まるで旧知の友、親友……そういった類の間柄の人と会話しているような、そんな感覚だった。
その後も、他愛も無い話を続ける二人。
そんな最中、アングレーはふと「そうだ」と呟く。
「ミヤビさん、明日は日曜日だけど、時間があるかな? ちょっと付き合って欲しいところがあるんだが……」
「もしかして、デートのお誘いですか? なら、よろこんで!」
「で、デート? あぁ、いや、そうでは無くて……ちょっと会わせたい人がいるんだ」
「会わせたい人? ユリスちゃん……ではなさそうですね」
雅の言葉に、アングレーはコクンと頷く。
そして、
「私の親友なんだが、君とよく似ている子なんだ」
その言葉に、どこか胸騒ぎを覚える雅。
自分によく似ている人……それが誰だが、すぐに分かった。
思い浮かぶのは、あの銅像。
「もしかして……カレン・メリアリカさんですか?」
恐る恐る尋ねれば、アングレーは小さく笑みを浮かべて、頷くのだった。
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