第340話『調査』
一月二十二日火曜日、午前十一時二分。
ここはキャピタリークのはずれにある図書館。
はずれにある、と言っても、この図書館はエンドピークで一番大きく、本の数も多い。コンサートホールや音楽学校等の施設が優先して立地の良いところに配置される関係で、その他の施設は隅に追いやられてしまうのだ。
普通の本棚が普通に並べられ、本も特に工夫も無い置き方をされている。まさに普通の学校の図書室を大きくしただけといった館内に、眠気を誘発させるような心地良いクラシック調のBGMが薄らと流れていた。やや暖房の魔法が効き過ぎていることもあり、本を読みに来ているはずの利用者の三割近くは、テーブルに突っ伏して寝落ちしている始末だ。
そのほかの利用者も、どこかうつらつらとしている。
そんな中、とあるテーブルだけは、少し様相が違っていた。
山積みにされた本に囲まれ、物凄い速度でページを捲っている一人の少女。桃色ボブカットの彼女は、束音雅である。
その隣では、ページを捲る速度は雅に大きく劣るものの、それでも一般人と比べれば十分に速いスピードで文字に目を通している少女がいた。長身の三つ編みの彼女は、篠田愛理だ。
そんな二人が座るテーブルに、またしても山積みの本が、あまり大きな音を立てないよう気を遣って置かれる。持ってきたのは、美しい白髪の少女、ラティア・ゴルドウェイブ。
亡霊発生の件や、空の異変等について、昨日からここに調べに来ていた雅達。バスターの捜査資料は、雅達が読むには少し手続きが必要だということで、それが終わるまでの間、図書館に入り浸ることにしたのである。
キャピタリークどころか、エンドピーク中探しても絶対に見られない程、熱心に本を読んでいる雅達に、職員と利用者は奇異の目を向けていた。
「二人とも、多分これで、資料になりそうなものは全部」
「オッケーです。なら、後は私達が全部目を通すだけですね。お疲れ様、ありがとうございます。疲れたでしょう? こっちが終わるまで、後は自由にしていてください」
「んー……じゃあ、私もちょっとこの本を読んでみる」
「大丈夫か? 難しい言葉も結構使われているが……」
山積みの本に手を伸ばすラティアに、愛理は心配そうな目を向ける。文章は全て英語――異世界ではエスティカ言語と呼ばれている――で書かれているのだ。最近やっと日本語や英語の基本的な部分の読み書きが出来るようになったラティアには、まだ早い気がした。
しかし、ラティアは首を横に振る。
「それでも、頑張ってみたい。本のタイトルは読めたわけだし……」
「うーむ……まぁ、それもそうか。なら、すまない。頼む」
「でも、あまり無理はしないでくださいね」
作業の都合上、ラティアには本を持ってきてもらったり、読み終わった本を片付けたりしてもらっていた。たくさんの本を出したり片付けたりするのは、意外と重労働だ。
それでも雅の言葉に、ラティアは「うん」と返事をすると、早速表紙を捲る。
「それにしても、束音の速読スキルは本当に頼もしいな。これだけの本を読むのに、普通なら半月は掛かるだろうに」
山積みになった本を見ながら、愛理は感嘆の声を漏らす。
「ふっふーん、前にセントラベルグの図書館で調べものをした時も、役にたったんですよ? 愛理ちゃんも練習すれば、きっと出来るようになるはずです」
「正直、私もちょっと出来るようになりたくなったよ。……まぁそれはともかく、やはりちゃんとしたことは分からんな。この国の気候や地形、過去の自然災害など色々調べてみたが、調べれば調べる程、あの空の現象の異質さが際立つ」
深く息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかる愛理に、雅も渋い顔で頷く。
「バスターの人達が調べた資料を、早く見たいところです。私、ユリスちゃんが言っていた『杭』って言うのが気になるんですよね。この本の写真を見るに、随分昔に打ち付けられたものみたいですけど……」
そう言って雅が見せてきたのは、少し前に発行された新聞だ。日付は、去年の十月六日。空の異変が発生してから一週間後のことだ。
新聞には小さく記事が書かれており、写真も載せられていた。映っているのは、大人の身長程もある杭だ。写真が白黒で分かりにくいが、杭の表面は風化しており、かなり古いものであった。
「記事を読んでみると、この杭が作られた時期は不明ですが、少なくとも百年近く前なのは間違いないらしいです。でも誰が何時、何のために打ち付けたものなのかは分からないみたいですね。エンドピークの歴史を調べてみても、こんな杭を使うことなんて無さそうでしたし……」
そして何より、一番雅が疑問を覚えたのは、これだ。
「そもそもの話、この杭がどこに打ち付けられていたのかが分からない。抜かれて放置されていたらしいっていうのは分かったみたいですけど、その近くに穴があった訳じゃないみたいなんです」
「そして、誰が抜いたのかも分からない、か……。最も、これと空の異変、そして亡霊レイパーの出現に、一体どんな関係があるかも分からない。だが……何も関係が無いとも思えんな」
「同感です。根拠なんて何もないですけど、何となく、全部レイパーが関わっているような、そんな気がします」
「……もうちょっと調べたいな。しかし、むぅ……」
「……あ、そうだね。アイリお姉ちゃん、今日にはもう……」
愛理が言い淀んだところで、ラティアが少し寂しそうな顔になる。
愛理が雅達と一緒にいられるのは、今日までだった。夕方には馬車に乗り、出発しなければならない。
「流石に、向こうでの生活準備があるからな。いや、だが後一日くらい粘れるか?」
「いえ、愛理ちゃんはもうオートザギアに向かうべきです。新生活の準備なんて、どうしたってバタバタしちゃいますし……。ここまで一緒にいてくれただけで凄く助かりました。本当に、ありがとうございます」
「……そうだね。元々はミヤビお姉ちゃんと私の二人だけで調べる予定だったし、ここから先は私達で頑張る」
「いや、大したことは何も出来なかったさ。だが、そうか……。分かった。なら、予定通りに出発するとしよう。そうと決まれば、ラストスパートだな。気合入れて頑張ろうか」
愛理の言葉に、雅とラティアは頷く。
精一杯の……だが、どこか寂しさを隠せない笑顔を浮かべて。
***
その夜。時刻は九時を少し過ぎた頃。
ここは、雅とラティアが泊まる宿。
「戻ったよー……って、あれ? ミヤビお姉ちゃん、どうしたの?」
ちょっとした用で少し部屋を出ていたラティア。戻って来ると、雅が部屋の窓から外をジーっと見つめていた。
その顔が、えもいわれぬような複雑な顔をしていたので、不思議に思ってつい尋ねたのである。
ラティアの声に、驚いたように肩を震わせて慌てて振り返る雅。どうやらラティアが戻ったことに気が付かなかったらしい。これも、彼女にしては珍しいことで、ラティアは内心、非常に驚かされた。
「あぁ、おかえりなさい、ラティアちゃん。えっと……ちょっと考え事をしていたんです」
「考え事?」
「ええ。色々ありますけど、一つは……奴ら、今日も姿を見せないなって」
そう言って、再び窓の外を見つめる雅。
ネクロマンサー種レイパーと亡霊レイパー達は、あれからキャピタリークに姿を見せなくなった。亡霊レイパー自体は、周辺の街にポツポツと出没するようになったのだが、肝心のネクロマンサー種レイパーは、影も形も現さない。
「私や愛理ちゃんに見つかって面倒なことになったから、ちょっと慎重になっているのかなーなんて思ったりもしたんですけど、亡霊レイパーまで姿を見せないっていうのはちょっと不自然で……」
「……楽しい音で溢れた街だから、いづらいのかな?」
「いづらい、ですか……んー……?」
小首を傾げる雅。強ち、ラティアの推理は間違っていないような気がしてしまったのだ。
「まぁでも確かに、不思議な街ですよね? 大きな街なのに、レイパーによる被害も意外と少ないですし」
街のことを調べて分かったのだが、他の国と比較して、キャピタリークは安全な街だ。そもそもレイパー自体があまり出現していない。これについて、科学的な説明は全く出来ないのだが、とにかく『レイパー被害が少ない』というのは事実だった。
「……そう言えば、ユリスちゃんは元気かな?」
「あれから話が出来ていませんしねぇ……それもちょっと気になっているんですけど、でも、うーん……」
あの日、ユリスを無事に送り届けたのだが、やはりというべきか雅も愛理も彼女の両親からこっぴどく叱られた。娘は勿論、ラティアのような子供をこんな時間に連れ出すとは何を考えているんだ、という至極真っ当なお叱りだ。
段々とヒートアップしていく両親に、堪らずユリスが事情を説明したりなんだったりして宥めてもらってその場は収まった。
が、
「あんなことがあると、流石にこっちから会いにも行き辛いというか……。一応、元気そうなのは確認したんですけど……」
こっそり遠くから様子を伺いにいった雅。その時は、元気よく学校に登校するユリスの姿を目撃した。声はかけられなかったが。
「ミヤビお姉ちゃん、いつの間にそんなこと……? あ、そうだ。あんなことと言えば、レーゼお姉ちゃんに連絡はした?」
ラティアの質問に、苦笑いで頷く雅。一度亡霊レイパーに殺されて、『超再生』のスキルで復活した件で、レーゼにも叱られていた雅。念のために毎日医者に診てもらい、診察結果を報告するよう言われていたのだ。
一度死んだという話はラティアにはしていないが、レーゼから体を診てもらうよう言われたことは、ラティアに伝えていた。何度も診療所に通うのなら、事情を説明しないわけにもいかなかったから。
それはともかくとして、あれから言われた通り、雅は毎日診療所に通っていた。お医者さんが女性だから通うのは全く苦ではないのだが……お医者さんに、レーゼとのやりとりを伝えたところ、凄く苦笑いをされて申し訳なく思ったことは、記憶に新しい。
因みに、体は健康そのものだと太鼓判を押されている。
「後考えていたのは、愛理ちゃんのことですかね? オートザギアで上手くやれるかなーっていうのは、やっぱり心配というか……」
「魔法、覚えられるかなっていうのは、私も心配。向こうの学校には、あんまり長くいられないんだよね?」
「留学ですからね。卒業前にはヤマ専……元の学校に戻らないといけませんから、頑張っても二年が限度です。それまでに習得しないといけないので、相当ハードでしょう。愛理ちゃんは何が何でも覚えるつもりみたいですけど、無理して体を壊さないか心配で……」
そう言うと、雅はULフォンを起動させ、Waytubeのアプリを開く。
愛理のチャンネルを見ると、今日も新しい動画が投稿されていた。馬車の中で撮影し、異世界の星を見ながら解説や雑談をしている動画だ。こんな時でも動画投稿を続けるバイタリティは、雅も素直に尊敬する。
「アイリお姉ちゃん、魔法を覚えたら動画にするのかな?」
「嬉々としてやりそうですね。動画映えする魔法なら、尚更。ファンタジーの定番っぽく、火とか風、雷の魔法とか使えるようになると良いんですけどねぇ」
「派手なことして、大変なことにならないといいんだけど……」
「大惨事になれば、それはそれで面白がって動画にしそうですけどねー」
そう言って、笑いあう二人。
雅は再び、チラっと窓の外を見る。
考え事は、もう一つ。
上手く言語化出来ないから、敢えてラティアには言わなかったのだが……
(なんでしょう、この感じ。この街に来てから、ずっとあっちが気になります)
キャピタリークの北。
そちらを向くと、心の奥底がムズムズとするのだ。
まるで自分の中の何かが、「そっちに行け」と言っているかのような、そんな感覚だった。
(あっちには、確か楽器屋さんがあるってユリスちゃんは言っていましたね。……カレン・メリアリカ)
自分によく似た人が、そこにいる。
そう思うと、何故だか凄くモヤモヤとした。この気持ちは、そう――。
(これって、嫌悪感……でしょうか? カレンさん、女の人なのに? いやそもそも、私会ったこと無いのに、なんでこんな気持ちに……?)
湧き上がる嫌な感情に、なんだか自分が嫌になって、雅はそれを溜息にして吐き出すのだった。
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