第37章閑話
一月二十日日曜日。午前十時三十分。
「あぁぁ……さみしぃ……」
新潟市南区杉菜にある『BasKafe』という喫茶店で、全身の気力を一気に抜いたような声が響く。
店内の他のお客さんが、何事かと声のした方を見れば……そこにはテーブルに突っ伏す、黒髪サイドテールの少女の姿が。
相模原優である。
すると小さな女の子が眉を吊り上げ、優の元にスタスタと歩み寄っていくと、
「こら、他のお客さんの迷惑じゃろ! シャキっとせい!」
見た目に似合わぬ老獪な言葉で、叱りつけた。
山吹色のポンパドールの女の子……竜人、シャロン・ガルディアルだ。
「だってぇ……」
優が頭を少し動かし、横目でチラリと見ながら泣きそうな声を発すると、シャロンはやれやれと溜息を吐く。
「タバネとシノダがいなくなって寂しいのは分かるが、今生の別れというわけでもあるまい。ULフォンで会話も出来るのじゃろう?」
「そうだけどさぁ……ぅぅ……シャロンしゃん、おかわりぃ……! 苺っぽいのとキャラメルのソース、あと黒ゴマクッキーのやつ……」
「これ、ちゃんとメニュー名を言わんか。ええっと、『木苺ソースキャラメルマキアート、ウィズ黒ゴマクッキー』で良いかの? すぐに持ってくるから待っておれ」
これで五杯目の注文。
ヤケ酒ならぬ、ヤケ珈琲だ。
やれやれと注文を厨房に伝えにいこうとした時だ。
「あー、優ちゃん、結構参ってるみたいだねー」
エアリーボブの髪型の少女が、苦笑いでシャロンに話しかけてきた。この喫茶店を経営している橘家の一人娘、真衣華である。
「まぁ、数日もすれば落ち着くとは思うがな……」
と、そんなことを話していると、喫茶店の戸が音を鳴らして開かれた。
やって来たのは、二人の少女。
「ごめんあそばせ、二人ですわ」
「優がいるなラ、相席をお願いしまス」
「キキョウインにクォンか。サガミハラなら、あっちにおるぞ。すまんが慰めてやってくれんか?」
ゆるふわ茶髪ロングのお嬢様、桔梗院希羅々に、ツーサイドアップの髪型のツリ目をした韓国人、権志愛である。
「あら、やっぱり相模原さん、落ち込んでいますのね。全く……仕方のない」
「バッチリ元気づけてやりまス! ――ところでシャロンさン、エプロン姿、様になっていますネ」
「クォンよ。それは褒めておるのかの?」
自分の体に目を落とし、微妙な顔になるシャロン。自分で鏡を見た時、どう贔屓目に見ても、子供がおままごとでエプロンを着けているようにしか見えなかったのである。
「それにしても、ガルディアルさん、無理していません? ここ最近、またアルバイトを増やしたと聞いておりますが……」
「なに、心配はない。竜の体はタフじゃからの」
ケラケラと笑うシャロン。他の異世界組のメンバーの大半が帰省しているのにも拘わらず、シャロンだけが何故ここに残っているのか。そして何故アルバイトなんてしているのか。
それは、雷球型アーツ『誘引迅雷』が関係している。
ウラに行く前に手に入れたアーツなのだが、これは勿論タダではない。『StylishArts』にきちんとお金を払い、シャロンが購入したものなのだが……この代金を、シャロンは雅から借りていた。今シャロンが新潟に残っているのは、その返済のためのお金を稼ぐためである。異世界と比べると、日本の方が賃金は高い。
見た目は子供とは言え、大人の何倍ものパワーがあるシャロン。本来の竜の姿になれば、人間の力仕事なんてへっちゃらだ。これを利用して、工事やら運搬やら、シャロンは色々な仕事をしているのである。
喫茶店の店員はシャロンの本領が発揮出来る場所ではないのだが、前に一度働かせてもらった際にお客さんからの評判も良く、雇い主が仲間の親御さんということもあり、長いこと続けていた。
「シャロンさん、凄く頑張っているんだよね。複雑なメニューも殆ど天で言えるようになったしさ」
「いや、大したことはない。お客が増えてくると、まだまだ天手古舞じゃな……。しかし存外、『働く』という行為が楽しいから、苦にはなっとらんな。……ところで、ファルトはおらんのか?」
「んー、なんか伊織さんと会う予定だって聞いたけど?」
実はセリスティアもまた、シャロンと同様に新潟にいた。一度セントラベルグに戻り、残っていた仕事を片付け、またこちらに来ていたのである。偶に『BasKafe』のアルバイトをしながら、向こうと同じく日本でもフリーの仕事師をしている。
「なんじゃ、もし来たら手伝いをさせてやろうと思ったのに、つまらんのぉ。しかしサエバと? はて、何かあったんじゃろうか……?」
小さく唸りながら首を傾げると、お客さんの呼ぶ声が聞こえ、シャロンは注文を取りに行くのであった。
***
一方、ここは相模原家のリビング。
優の母、優香がソファの背もたれに全体重を預け、紅茶を片手に映画を見ていた。
すると、戸がガチャリと音を立てて開く。大欠伸をしながらも「おはよう」と言って入って来たのは、優の父親の優一だ。
いかにも「寝起きだ」というような表情の優一に、優香も「おはよう」と返しながらも目を丸くする。
「珍しいわね、お寝坊だなんて。朝ごはんならテーブルの上にあるわよ」
「すまないね、ありがとう。いや……昨日は遅くまで調べものをしていてな。寝たのは結局、四時を過ぎた頃だったんだ」
「もう殆ど徹夜じゃない。……鬼灯さんの件?」
「あぁ。久世と大きな繋がりのある人物だ。彼女も積極的に話をしてくれている。それを手掛かりに、何とかして奴を捕まえたいところなのだが……。む? これは君が作ったサンドイッチか」
「よく分かったわね。大正解」
どこか嬉しそうに言う優香に、優一は含みのある笑みを浮かべる。
優香の作るサンドイッチは、神経質なくらい形が綺麗に整っているからすぐに分かるのだ。サンドイッチに限らず、彼女の作る料理は具材が一ミリ単位で揃っている。
「確か鬼灯さん、二二二〇年の夏頃に久世からのっぺらぼうの人工レイパーになる薬を貰ったんだっけ?」
「そうだ。それからは久世の元で訓練を積み、時にはレイパー相手に実戦訓練までしたようだな。久世がアジトを移動する時のボディーガードもしていたらしい。意外だったのは、彼女は他の人工レイパーの人間態を知っていたことか。例えば、葛城のこととか、な」
「逆に葛城は、のっぺらぼうの人工レイパーの正体を知らなかったのよね? ……あのリスみたいな人工レイパーの正体も、彼女は知っていたの?」
「一度チラっと顔を見たことがあっただけらしい。記憶は朧気だと言っていたが……あのリスの人工レイパーも『女性』が変身している、という情報だけでも十分な証言だ。これで変身者の候補を半分に減らせるのだからな」
そう言いながらも、優一の顔は少し暗い。
ほんの僅かな手掛かりを頼りに捜査しているものの、未だこれといった収穫は無いのだ。
「久世のこれからの動きが分かれば、先回り出来るのだがな……。あれから久世も大きな動きも見せないし、正直、行き詰っている」
「そっか……。ところで鬼灯さんのご両親、まだ連絡が付かない?」
「ああ。行方も分からない。三年くらい前に、娘を置いて蒸発したのは間違いないんだが……全く、一体どこで何をしているのやら」
同じ人の親として、淡の両親の行動には怒りやら呆れやら、色々な感情が沸き上がる。
すると、家のインターホンが鳴った。
「おや、誰だ? 来客の予定は無かったはずだが……」
「あ、私が出るわ」
パジャマ姿の夫を表に出すわけにはいかないと、優香はそう言いながら玄関に向かい、扉を開けた。
そこに立っていた二人の人物を見て、目を丸くする。
一人は、冴場伊織。おかっぱで目つきの悪い女性警察官で、優一の部下である。
そしてもう一人は、赤髪ミディアムウルフヘアーの女性。彼女はそう――
「アポも無しに突然すまねぇ。ユウカさんに、ちょっと相談があってな」
セリスティア・ファルトだ。
何やら興奮気味の様子のセリスティアが、優の自宅までやって来たのだ。
その手に、何やら筒状に丸めた紙を持って。
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