第35話『暴風』
ドラゴナ島は、シェスタリアから西に四十キロ程離れたところにある、直径二十キロ弱の離島だ。無人島であり、島の一部のエリアであれば一般の人が入ることが出来るものの、それ以外のエリアは立ち入り禁止となっている。
その理由は、獰猛な動物や昆虫達の縄張りになっているからだ。全長六メートル以上もある熊や、人間を丸ごと呑み込んでしまう大蛇、直径三十センチの太さの巨大な針を持つ蜂なんかが生息している。
そして、ノルンがちらっと話をしていた『竜』の存在もある。強大な力を持つとされる竜に襲われれば、まず間違いなく命は無い。大昔に絶滅したはずの竜だが、実はこのドラゴナ島では毎年、公式の調査団による目撃情報が発表されていた。どれも正確な情報では無く、殆どの人が「御伽噺」と一蹴しているのだが。
また立ち入り禁止のエリアは、どこを見ても似たような樹木しかなく、高低差が激しく真っ直ぐ進むことは困難で、見晴らしも悪い。うっかりしていると崖から落ちた、なんて事故もある。
天空島が着陸したのは、島の中心から五キロ程北に離れたところだ。着陸してからは特に目立った動きが無かったのだが……ついに敵が動き出したのだろう。
雅を捕らえたミドル級ワイバーン種レイパーは、ドラゴナ島の中心部にやってきた。
「うぐっ……!」
地上まである程度下降したところで、放り出されるように解放され、地面に体を打ち付ける雅。それを見て、レイパーはどこかへと飛び去ってしまう。
何故自分を解放したのか……理由は不明だが、一先ず生きながらえた事に安堵する雅。
落ち着いたところで、周りを見る。
雅が落とされたところは、樹木が乱暴に伐採されており、広場のようになっていた。伐採されていない樹は全長十メートル以上もある広葉樹であり、きっとここも元々は同じ樹があったのではと思われる。雨で地面は緩くなっており、もろに叩き付けられた雅の体は泥だらけだ。
少し離れたところには、全長四メートル近い大きさの蜂の死体が数体、転がっている。お尻が大きく、針を出す穴が七ヶ所もあり、元々この島に生息していた生き物と推測された。この世界の蜂も雅の世界の蜂と同じく黄色と黒の縞模様がある。光を失っているからか、蜂の眼はまるで髑髏のような不気味さがあり、何も知らない状態でこの蜂を見れば、レイパーと勘違いしてしまうだろうと思う雅。
巨大蜂の腹はところどころ大きく抉られており、三十センチくらいの蛭のような生き物が、そこを覆うように無数に蠢いており、何かを咀嚼するような気持ちの悪い音が雨音の中でも聞こえ、雅の気分が悪くなる。
さっさとここから避難したい。そう思って歩き出した瞬間――
「……? 今何か踏んで……?」
不自然にぐにゃっとした感触がして、雅は下を見る。
泥まみれで何を踏んだのかは分からない。
雅は正体を知るために、それを拾おうと手で触れる。
そして、
「――ひっ!」
拾い上げたところで小さく悲鳴を上げて尻餅をつき、それを放り投げた。
腕だ。人間の。
無理矢理引きちぎられたような跡のある、その腕を、雅は踏んでいたのだ。
ふと、思い出す。先発隊が、一足先にドラゴナ島へとやってきていたことを。
恐ろしい想像をして、雅は体を震わせる。
すると――雅の肩に、『何か』が優しく手を置いた。
顔面蒼白になり、一際大きく体が震える雅。『誰か』では無い。『何か』だ。明らかに、人の手の感触では無い。
そもそも、さっきまで近くには、雅の他には何もいなかったはずだ。
恐る恐る、振り向く。
「コノロッノチ」
邪悪な笑顔を見せ、手を置いたそいつはそう言った。
骨ばったフォルムに、不気味な程真っ白な眼。トゲのある肩パッドを身につけ、黒いマントをはためかせ、血で汚れたブーツを履く、禍々しい見た目のそいつは――雅がガルティカ遺跡で出会ったレイパー、『魔王種』だ。
雅の肩に乗せた方と逆の手に持っているのは、女性の頭。首から下が無残に血切れ、恐怖と絶望に染まった生気の無い眼が、ただただ空を見つめている。
頭が真っ白になる雅。血が床に滴る音で、我に返った。
雅は咄嗟にその手を払い、座ったまま全力で魔王種レイパーから距離を取る。
レイパーは耳障りな甲高い笑い声を上げながら、ゆっくりと雅に近づいてくる。
雅の右手の薬指に嵌った指輪が光ると、百花繚乱が出現する。雅はそれをライフルモードにすると、魔王種レイパーの顔面や体、足元へとエネルギー弾を乱射した。
レイパーはそれを、一切の抵抗をせずに受ける。ミカエルの強力な炎魔法を何発受けてもダメージの欠片も無かったこのレイパーにしてみれば、この程度のエネルギー弾は躱すにも値しない。
だがしかし、偶然にも放たれた一発が、魔王種レイパーの眼に直撃する。
大仰に仰け反るレイパー。
ダメージこそ無いが、不意の一撃だったので、少し驚いてしまったのだ。
そしてその僅かな隙をつき、雅は逃げ出していた。
レイパーは楽しそうに笑う。
雅の姿が見えなくなり、十秒程経ってから、身の毛のよだつような笑い声を上げ、雅を探しに行くのだった。
***
走り出したら、不思議と雅は冷静さを取り戻せた。
遠くから聞こえる不気味な笑い声に、雅は歯を食い縛る。
あの魔王種レイパーが何を考えているのか……容易に想像がついた。
遊んでいるのだ。以前倒したインプ種レイパーのように、獲物をわざと逃がし、狩りをするかのように追い詰め、殺すつもりなのだろう。
ミドル級ワイバーン種レイパーが自分を殺さずにドラゴナ島に運んできたのは、魔王種レイパーがそう命じていたからなのかもしれないと、雅は思った。
彼女は必死に考える。どうすれば助かるのか、と。
逃げるのに使えそうなスキルは、あの黒いフードの『何か』と戦った時に全て消費してしまった。
雅はたった一人だ。タイマンでは、あのレイパーを倒せるとは思えない。
先発隊が来ているなら誰かと合流出来ないかとも思ったが、この島の中で、たった数人しかいない女性と出会うのは困難を極める。そもそも、あの魔王種レイパーとワイバーン種レイパーがいるこの状況で、生き残りがいるかどうかも不明だ。
さっき見つけた腕や、レイパーが持っていた女性の頭は、あの先発隊の人だと雅は推測する。一人殺されていたと言う事は、間違い無く先発隊は魔王種レイパーに遭遇したのだ。
恐らく魔王種レイパーの性格からして、すぐに殺してしまうとは思わない雅。今の自分のように、一旦わざと逃がしてから追いかけるのではないかと考えていた。
ならば賭けるしか無い。例え望み薄だとしても、だ。
雅は気を引き締める。敵は、レイパーだけでは無いのだ。
先程から聞こえる、耳障りな羽音。音は上空からだ。音とは別の方からは、空気を震わせるような低い唸り声も聞こえる。心なしか、地響きも感じる雅。
素早く辺りを確認すれば、上には巨大な蜂が七匹程、左からは毛むくじゃらの巨大な真っ黒い熊が見えた。
縄張りに侵入してきたと思ったドラゴナ島の凶暴な生き物が、雅に襲いかかってきたのだ。
熊はともかく、本降りの雨の中、よく蜂は行動できるものだと顔を強張らせる雅。
「……っ、ごめんなさいっ!」
雅はそう謝ってから、ライフルモードの百花繚乱の銃口を彼らに向け、エネルギー弾を放つ。逃げる足は止めない。
無用な殺生と分かってはいるが、今はどうこう考えている場合では無い。もっとヤバいのが後ろから追いかけてきているのだ。
乱射したエネルギー弾は蜂を二匹程肉片へと変えたが、それにより完全に雅を敵だと認識した蜂と熊。威嚇するような声を上げながら、雅へと近づいていく。
雅は走りながら百花繚乱をブレードモードにしつつ、攻撃の範囲に来たら斬り殺そうと神経を集中させた――のだが。
雅の後方から黒い衝撃波のようなものが二発飛んできて、蜂と熊を無残に殺してしまう。
その攻撃は、まるで「こいつは自分の獲物だ」と言わんとしているようだった。
「――っ、もう追いついて……っ!」
狂ったような笑い声が、どんどんと雅に近づいてくる。
その時だ。
「――っ、そんなっ?」
気が付けば雅の行く手に、道は無くなっていた。
崖だ。下を覗きこむが、地上までどれだけ離れているのか感覚的に分からない程の距離だ。実際は三十メートル程であり、下に広がるのは樹木ばかり。飛び降りれば、まず助からない。
ここで雅は、初めて自分が今まで、地上から随分と高い位置にいたのだと知る事となった。
一瞬絶望した雅だが、すぐに考えを改める。
上手くいけば、魔王種レイパーをここから突き落とせないかと考えたのだ。
後ろを振り向き、アーツを中段に構え、大きく深呼吸をして、あの魔王種レイパーがやってくるのを待ち構える。声はもうすぐ近くまで来ている。
後数秒も経てば姿を見せる……はずだったのだが。
待てども来る様子が無い。気配は段々と近づいてきているのだ。笑い声がするのも、今雅が見ている方向からである。
そして、突如笑い声が嘘のように消えた。
何を仕掛けてくる――そう思っていた、次の瞬間。
「ドヤチヤジヘノオォォッ!」
「っ?」
突然、雅の右側に、あの魔王種レイパーが姿を見せた。
思いも寄らぬところからいきなり現れた敵に、呆気に取られる雅。
頭目掛けて伸ばしてきた腕を躱せたのは、完全に偶然。
体を反らした雅の腹に、レイパーが蹴りを入れてきたが、それを雅はアーツを盾にして受け止める。
重い衝撃とともに、雅は地面を転がり、起き上がろうとするが、その胸をレイパーが踏みつけ、僅かに浮いた彼女の背中を地面に叩きつける。
泥が重い音を立てながら跳ねた。
そして魔王種レイパーは雅に馬乗りになる。彼女の手足の自由を封じ、悪魔のようなおぞましい笑顔で、雅に顔を近づける。
「ひっ……ぐぅっ……」
「マタヘヲヤモヤボ、レネゴヤノタヘレヤゾワトロ……!」
低い声でレイパーはそう呟くと、雅の眼前で、一際大きな笑い声を上げた。
今まで嗅いだ事の無いような、息も詰まるような臭いに咽る雅。
ギョロリと雅を見つめる、死人のような真っ白い眼の中心にある瞳が、赤く光る。
雅は泣いていた。助けを呼びたかった。
声が出せれば、すぐにでもそうしていただろう。
体の自由も奪われ、最早打つ手は無い。
体が冷えるのは、雨に濡れたせいだけでは無いだろう。
諦めたように目を閉じた雅。せめて死ぬ直前に、このレイパーの不気味な顔を見ていたくなかった。
そんな彼女を励ますような、激しい風が吹き荒ぶ。
その風に雅が目を開くのと、レイパーの笑い声が止むのは、同時だった。
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