第325話『日常』
翁、般若、姥、火男のお面の事件……そして、浅見四葉の死から、時が流れること三ヶ月半。
二二二二年、一月十二日土曜日。時刻は午前十時五分。
ここは異世界の国、アランベルグの北にある街、ノースベルグ。
そこにある、レーゼ・マーガロイスの自宅にて。
「……さて。これで全部ね」
青髪ロングの少女……この家の主のレーゼが、庭先で洗濯物を干し終わり、伸びをする。
ほんの僅かに青空を覗かせた、曇り空。ノースベルグではよく見る天気だ。洗濯物を乾かすには少し難があるが、この街で「もっと天気が良くなったら」等と贅沢を言う者はいない。
さて、次の家事は……と、レーゼがそんなことを考えていた、その時。
「レーゼお姉ちゃん。庭の掃除、終わったよ」
透き通った綺麗な声が、後ろから聞こえてきて、レーゼは顔を綻ばせて振り返る。
そこにいたのは、声に負けないくらい綺麗な白髪の、美しい少女。まだ十にも届かないような年端の彼女は……ラティア。
いや、ちゃんとフルネームで呼ぶべきか。
ラティア・ゴルドウェイブである。
記憶と声を失っていたラティア。しかし四葉の死が切っ掛けとなったのか、ようやく声を取り戻したのである。その後間もなく、自分のファミリーネームだけではあるが、記憶も取り戻した。それが、『ゴルドウェイブ』だ。
声と記憶を取り戻したラティアは、少し変わった。
――良い方向に。
昔は無表情だったラティアだが、今はそんな様子は無い。少なくとも、レーゼに声を掛けてきたラティアの顔は、見る者を虜にするような、控えめながらもはっきりとした笑みを浮かべている。
病弱そうだった雰囲気も、今は無い。活発とまではいかないが、ちゃんと健康そうな印象を与えられるまでに、彼女は回復していた。
首元には、四葉から貰ったリボンがある。チェック柄があしらわれた紫色のリボン……あれから毎日欠かさず、彼女はこれを身に着けていた。
「ラティア、ありがとう。大変だったでしょ?」
ラティアの土に汚れた手を見て、レーゼが苦笑しながらそう尋ねると、ラティアは曖昧な笑みを浮かべ、遠慮がちに頷く。
レーゼが雅達の世界に転移してから七ヶ月近く。その間放置されていた庭は、雑草まみれになってしまっていたのだ。
「やっぱり、除草剤を使うべきだったかしら?」
「んー……それは、ちょっと可哀そう。抜いて埋めれば、草はちゃんと土に還るし、そっちの方がいい」
「拘るわね。まぁ、良いことだけど。後は掃除の方だけど……あの子なら、そろそろ終わらせそうね。向こうがひと段落したら、お茶にしましょ。ラティア、先に手を洗ってきなさい」
「うん。ありがとう」
そんな会話をしながら、家の中に戻ったレーゼとラティア。
すると、
「お、そっちも終わったんですね。ベストタイミング! こっちも掃除、終わりました!」
そんな声と共に、家の奥からやって来たのは……アホ毛の生えた桃色のボブカットに、白いムスカリ型のヘアピンを着けた少女。
束音雅だった。
一見、いつも通りの雅に見えるが……彼女の首には、少し前までは着けていなかった黒いチョーカーがある。
「お疲れ、ミヤビ。そっちが終わったら、お茶にしようってラティアと話していたの。丁度良かったわ。今淹れるから、ラティアと一緒に手を洗って座ってて」
「ありがとうございます。じゃあ、行きましょうか、ラティアちゃん」
「うん」
そう言って一緒に洗面所へと向かう二人の後姿を見つめ、微笑ましい顔になるレーゼ。
そして始まるお茶会。
お菓子をつつきながら、一休みする三人の姿は、平和そのものだ。
だが、
「…………」
「あれ? どうかしました?」
「……いえ。ただ、昔はお茶なんて淹れられなかったけど、我ながら上手くなったなって感慨に耽っていただけよ」
ふとリビングの奥に掛けられたカレンダーが目に入り、ほんの……ほんの少しだけ、寂しそうな、それでいて少し厳しそうな眼になったことを雅に勘付かれ、レーゼは咄嗟にそう誤魔化した。
しかし、それは雅にも伝わったのだろう。途端に雅は、バツの悪そうな顔になる。
そしてレーゼもまた、自分の嘘が雅にバレたことを悟り、自分の顔を隠すようにお茶を煽った。
ラティアは、気まずくなった二人を、少し不安そうな眼で見つめている。
平和は平和。
しかし、どこか不安定な危うさのある平和だ。
……さて、どうしてレーゼや雅、ラティアがノースベルグにいるのか。雅は今、こっちで何をしているのか。優やセリスティア達は、今、どこで何をしているのか。
そこら辺の事情を、まずは語ろう。
事の発端は、これ。
レーゼが先程、あんな眼をした理由の大きなところ。
雅が高校……新潟県立大和撫子専門学校附属高校を、辞めたことだった。
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