第323話『後押』
一方、その頃。
学校の裏手のフェンスをよじ登る、一人の女の子がいた。
白髪ロングの彼女は……ラティアだ。
一度警察に保護され、新潟県警察本部に送られたラティア。そんな彼女が、何故こんなところにいるのか。
それは、四葉を殺したのっぺらぼうの人工レイパー……鬼灯淡が、学校に出現したという話を偶然耳にしたからである。
ラティアの手には、銀色の小手が嵌められていた。間違いない。四葉が使っていた装甲服型アーツ『マグナ・エンプレス』……その小手だ。
ラティアは誰にも何も伝えず、この小手を持って、ここまで一人で来た。志愛に「黙って私達の前からいなくならないように」と約束したことがあるが、それでも今回ばかりは、それを破ってでも、動かずにはいられなかった。
彼女が何を想い、ここにやって来たのか……喋れないラティアの気持ちが分かる人間は、ここにはいない。
何とかフェンスを登り切り、学校の敷地内に侵入したラティア。こんな裏手から、わざわざ苦労して入ったのには、ちゃんと理由がある。
校舎の入口や駐輪場の辺りは、騒がしい。レーゼ達は未だ、学生達と戦っていた。何せ数が多い。実力的には圧倒出来ても、全員を解放しきるまでには相応の時間が掛かる。
そんな中にラティアがノコノコと入っていっては、間違いなく邪魔になるだろう。ラティアはちゃんと、それを理解していた。
ラティアはレーゼ達がいるであろう方をちらりと見つめ……しかしすぐに、グラウンドの方へと向かう。
のっぺらぼうの人工レイパーの気配は、そちらからしていた。そして、雅の気配も同じところからだ。
そして、グラウンドまで来たラティアの目に飛び込んできた光景は――
***
グラウンドの真ん中で、荒い息遣いが聞こえてくる。
筋肉が膨れ上がった、人型の化け物……上半身に四枚のお面を着け、しかし頭部には顔の存在しない『のっぺらぼう』……そいつは金色の錫杖で体を支え、肩を激しく上下させながら、地面に転がる少女を見つめていた。
首と、胴体を完全に切り離されたその少女……グラウンドの土に血を染み込ませていく『それ』は、束音雅。
のっぺらぼうの人工レイパーの手から伸びる鉤爪には、彼女の血。
「は、ははは……」
自分に盾突く者を始末し、笑い声を上げようとした淡だが……どうにも、上手く笑えない。どうやっても、どこか力の抜けた声しか出なかった。
事切れた雅に背を向け、その場を去ろうとする人工レイパー。
その時だ。
転がっているはずの雅の頭が、静かに動き出した。
風で動いた……というには、明らかに不自然な動き方だ。
ひとりでに転がっていった雅の頭が向かう先は、別れたはずの胴体。
そして――頭と首とが繋がり、傷口がみるみる内に塞がっていく。
その光景はまるで、時を逆行させているかのよう。それ程までに、完璧な治り方をしていた。
パチクリと、目を覚ます雅。
(……え?)
自分の状態に、雅はひどく困惑する。鉤爪が首に食い込んだ辺りから先の記憶は、彼女にはない。だが感覚的に、自分は死んでいたはずだというのは分かった。
それと照らし合わせれば、今のこの状態というのは……
(私、生き返った?)
そういうことになるだろう。
自分はまだ、燕尾服姿……つまり、音符の力も失われていない。
そして、雅の視線の先には、自分に背を向けている人工レイパーの姿があった。奴はまだ気が付いていない。雅が生き返ったことに。
それを把握した直後――雅は側に転がっていた剣銃両用型アーツ『百花繚乱』を掴み、人工レイパーへと飛び掛かっていた。
どうして自分が復活したのか、疑問は絶えない。だが、今はそんなことはどうでも良かった。
「……なにっ?」
雅が飛び掛かって来たことで、流石の人工レイパーも気配を感じたのだろう。
振り返り、そこにいる者の存在を見て、驚愕の声を漏らす。
もしもその顔に眼があれば、さぞかし大きく見開かれていたはずだ。なにせ自分が今、確実に殺したはずの人間が、自分に刃を突き付けてきているのだ。驚かないはずがない。
のっぺらぼうが咄嗟に、雅の斬撃を鉤爪で受け止められたのは、殆ど奇跡と言って良い。
三度鍔迫り合いとなる、両者。
しかし今は、やや雅が押し込んでいる。
「ど、どうして……殺したはずっ!」
淡の疑問……その答えは、実にシンプルだ。
浅見四葉のスキル、『超再生』が発動したから。
雅のスキル『共感』……これは、仲間のスキルを一日一度だけ使える効果がある。
だがその仲間のスキルで発動する効果は、必ずしも同じとは限らない。
例えばレーゼの『衣服強化』等は、その一例だ。レーゼ本人が使う『衣服強化』は【身に着けた衣服の強度を鎧並みにする】という、文字通りの効果を得られる。しかし雅が使った場合は、【体が鉛のように重くなる代わりに、衣服を含めて体全部の強度が鎧並みになる】というように効果が変わる。
セリスティアの『跳躍強化』や希羅々の『グラシューク・エクラ』を使う場合のように、ただデメリットが付与されただけのもの。ファムの『リベレーション』のように、効果がガラリと変わるもの。これは、スキルによって様々だ。
では、四葉の『超再生』はどうか。
四葉本人が使う『超再生』の効果は、【怪我等で傷ついた体を、元に戻す】というもの。どんな小さな怪我であっても、たちまち治してしまう強力なスキルだ。しかし腕を斬り落とされたり、怪我が臓器などに達する……つまり、致命傷となっている怪我は、治せないデメリットがある。
この戦い……今の今まで、このスキルは発動しなかった。雅はここまでの戦いで、大なり小なり体を痛めたり、傷を負ったりしていたはずだ。先程だって、分身が殺されたことで、大きな痛みのフィードバックを受けた。
雅は理解する。『共感』で発動する、四葉の『超再生』の効果を。
これは、条件が逆になっているパターンなのだと。
四葉のように、どんな小さな怪我でも治してくれるわけではない。だが――致命傷レベルの大きな怪我であれば、自動で発動し、体を治してくれる……そういう効果なのだと。
たとえ首を斬り落とされるレベル……つまり、殺されたとしても、生き返らせてくれる。これが、雅が四葉から得た『超再生』のスキルの効果だった。
雅の、アーツを握る手に力が更に籠る。
これは、四葉からの後押しだ。そう思った。
何としてでも鬼灯淡を助けなさい、というメッセージだ。そう思った。
ならば……
(負けない……! 絶対に……!)
今の雅は、一人ではのっぺらぼうの人工レイパーを倒せない。こいつを倒すためには、一度人工レイパーとお面の繋がりを揺らがせ、直後に大きなダメージをのっぺらぼう本体に与える必要がある。雅がまだ使えるスキルだけでは、これは成し遂げられない。
だが、雅は独りじゃない。
近くでは、優やレーゼ……仲間達が戦っている。そろそろ学生達を解放し終わる頃のはずだ。
一人でいい。誰かが来てくれさえすれば、鬼灯淡を助けることが可能だ。
ならば、雅がやるべきことは……このまま、助けが来るまで持ちこたえること。
このまま膠着状態を続けること……それが今の雅に出来る、最善の行動だ。
だが、
「な、舐めないで……! このぉぉぉおっ!」
「う、くぅ……!」
のっぺらぼうの力が、更に上がる。
押し込みかけていたはずの力が、徐々に盛り返されていく。
まさかの雅復活に驚かされたが、時間が経てば落ち着きもする。今まで人工レイパーが押されていたのは、驚愕で本来の力が上手く出せていなかっただけだ。
雅の顔が、苦悶に歪む。
ヤバい。このままじゃ、また負ける。
もう『超再生』は発動しない。次に殺されたら、今度こそアウトだ。
(早く……早く、誰か……!)
必死で援軍を求める雅。
発狂したような咆哮を上げ、鉤爪を押し込んでくる人工レイパー。
その時だ。
この場の誰もが、予想だにしないことが起きた。
それは、
「――っ?」
のっぺらぼうの人工レイパー……その左肩。
そこに、衝撃波が直撃した。
あまりにも、思ってもみなかった方向からの攻撃。
何が起こったのか。
雅ものっぺらぼうも攻撃がやってきた方向を見て、驚愕という言葉では生ぬるい声を上げる。
ラティアが、いた。
その手に、マグナ・エンプレスの銀色の小手を嵌めた、ラティアが。
声にならない悲鳴をあげ、仰け反るラティアの姿が。
彼女が衝撃波を撃ったのは明らかだ。衝撃波の反作用による痛みを受けているのが、何よりの証拠だ。
グラウンドまでやって来たラティア。彼女は見た。雅とのっぺらぼうの人工レイパー……淡が鍔迫り合いをしているところを。
雅が押し負けそうになっている、その場面を。
雅を助けるために、ラティアは左手を前に出した。
マグナ・エンプレスの小手には、衝撃波を放つ機能が備わっている。これは胴体部分から供給されたエネルギーを衝撃波に変換しているのだが、あの小手には、まだ衝撃波に変換される前のエネルギーが残っていた。
エネルギーの総量は、衝撃波一・五発分。
胴体と分離されたことで、制御機能が働かなくなり……その溜まっていたエネルギーが全て衝撃波となって、のっぺらぼうに襲い掛かったのである。
そう……一・五発分のエネルギーが、全て。
つまりこの一撃は、これまでのっぺらぼうの人工レイパーが受けていた衝撃波より、威力が高い。
そんな一発が、左肩に命中したのだ。
ここには何があるか?
そうだ。お面だ。
罅の入った、翁のお面。
「――っ」
そこに強烈な衝撃を受けたら、どうなるか。
ラティアは、狙ってやったわけではない。完全に偶然。
しかしその偶然は、のっぺらぼうの人工レイパーにとっては、致命的なものだった。
この衝撃波は、人工レイパーとお面のつながりを揺らがせるには充分な威力だったから。
刹那、
「うぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
衝撃波を受け、のっぺらぼうが体勢が僅かに崩したことで、雅が一気に押し返す。
鍔迫り合いが弾かれ、大きく仰け反る人工レイパー。
そのがら空きになった腹部。
そして、今。人工レイパーの体には、二つの音符が蓄積されている。
雅は絶叫しながら――百花繚乱を、突き刺した。
鈍い轟音……その中に♭のシ、♭のレ、ファの三音が鳴り響いた直後――
断末魔のような淡の悲鳴と共に、人工種のっぺらぼう科レイパーは爆発した。
頬を焦がすような熱風が襲い掛かる中、雅はまだ、息を吐かない。
これで終わりじゃないから。
やるべきことが、まだ残っているから。
爆炎の中で、雅は見つける。
淡から離れた、四枚のお面を。
今まさにトンズラしようとしている、喜怒哀楽のお面を。
「絶対に……絶対に……っ!」
のっぺらぼうを倒した時の爆炎よりも激しい怒りの炎。
それが雅を突き動かす。
「絶対に……逃がさないっ!」
激昂する雅の斬撃が、爆炎を払い、お面に襲い掛かった。
我武者羅に振り回しているはずの剣の刃は、不思議な程、正確にお面に命中していく。
怒りを表す般若のお面を、縦に真っ二つにし、
哀しみを表す姥のお面を、横に斬り割り、
楽しみを表す火男のお面の口元を、切っ先で貫く。
ソ、#のシ、レ、一つ高いソの音と共に、お面は砕け散る。
お面とて、それなりの強度はあるはず。だが、呆気なく割れていく。
雅がのっぺらぼうの人工レイパーに吸収させていた音符……それによりエネルギーを蓄積させられたのは、人工レイパーだけでは無かった。
人工レイパーとお面に繋がりがあったことで、エネルギーはお面自体にも吸収されていたのだ。
三枚のお面を次々に破壊した雅。彼女は――
「これで終わりだぁぁぁぁぁっ!」
空高く逃げていた、残り一枚のお面。
百花繚乱の柄を曲げてライフルモードにすると、銃口をそれに向け――
喜びを表す翁のお面を、木っ端微塵にぶち抜く。
砕け散った四枚のお面。
破壊されたことで力を失い、その破片がパラパラと地上に落ちていき……本当の意味で敵を倒したことを、雅はやっと認識するのだった。
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