第312話『憔悴』
九月二十四日月曜日。午後二時十七分。
新潟市秋葉区の南にある新津丘陵に、パトカーや救急車が止まっている。
氷のように冷たい雨が降る中、呆然自失とした様子で突っ立っている、ムスカリ型のヘアピンを着けた桃髪の少女……束音雅の姿があった。
頭から伸びているアホ毛は、彼女の気持ちを表すようにヘタっている。
その隣にいるのは、ラティア。いつもは美しいはずの白髪は、今はくすんで見えた。
二人の視線の先には、左腕を欠損した少女の遺体。
雅の戦友で、それ以上にラティアにとって大事な友達の、浅見四葉である。
彼女に白い布が被せられ、担架で運ばれていくのを、雅は色の無い瞳でボーッと見つめていた。
凍える寒さも、濡れた服が肌に張り付く感触も、今の雅にとっては酷くどうでも良いことだ。
浅見四葉が、死んでしまった。その事実が、何よりも雅の心を凍えさせていたのだから。
ラティアは、ずっと俯いたままだ。彼女の手には、一本の腕。
血が滴り、青黒くなっているそれには、銀色の小手が装着されている。
紛れもなく、斬り落とされた四葉の腕であった。
ひどく冷たくなったそれを、ラティアは離そうとしない。彼女の手は震えている。
雅は何となく、ラティアの気持ちが分かった。四葉が死んだことを、まだ受け入れることが出来ないのだ、ということを。無理も無い。雅ですら、心の整理が付かないのだ。
雅には友達が多い。それは必然的に、様々な理由で、人の死を聞かされることも多くなるということだ。勿論、レイパーに殺害された、と言う友達だって何人もいる。
ただ、『友達が実際に目の前で殺されてしまった』ということには経験が無い。訃報に接したり、死体を見つけたということばかりだった。実際に目の前で人が殺されるという経験は、ここ数ヶ月で爆発的に増えたが、それは見知らぬ他人。心は痛むには違いないが、その痛みと今感じているこの痛みとでは、天と地ほどの差がある。
「雅君! ラティア君! 無事かっ?」
遠くから、男性のそんな声を掛けられたような気がして、雅とラティアは顔を向けた。
思ったよりも近くにいた男性。短い髪に渋い相貌の刑事は、相模原優一だ。
雅からの連絡を受け、たった今到着したのである。
何があったのか、彼は既に聞いている。きっと二人とも精神的に参ってしまっているだろうと思っていた優一だが、ずぶ濡れになり呆然とする雅とラティアに、自分の想像が甘かったことを痛感した。
とにかく、二人のメンタルケアが必要だと思った、その時。
「四葉……っ!」
現場検証等で騒々しいこの場所の空気を貫くような、女性の悲痛な声が轟く。
四葉をもっと大人にしたような五十代くらいの女性が、傘も差さず、バリケードテープを乗り越え走って来た。
四葉の母、浅見杏だ。彼女は娘の身に起きた事件を聞かされ、超特急でここに来たのである。
彼女を止めようとする警察官を突き飛ばし、杏は担架で運ばれる娘の遺体へと真っ直ぐに向かっていく。
そして救急隊員の制止の声を無視して布を乱暴にはぐり――そこに眠る、四葉の無残な姿を見て、目を大きく見開いた。
水を打ったように静まり返った人々。
震える杏は、助けを求めるように周囲の人を見渡すが、その誰もが何も言えず、目を伏せるのみ。
それが受け入れられず、杏は小さく、しかし何度も首を横に振る。
「嘘、嘘よ……四葉ぁ……!」
目から大粒の涙を零し、掠れた声で娘の名前を叫ぶ杏。
しかし――すぐに杏は走り寄り、赤くなった眼に刃のような殺意の光を宿らせ……雅の胸ぐらを掴む。
「誰だっ! 誰が殺したっ? レイパーかっ? 今度はどんな奴が、私の娘を殺したのっ?」
「そ、それは――」
「言えっ! 答えろっ! あなたは知っているんでしょぉっ!」
「杏さん! 落ち着いてください!」
喉が引き裂ける程の金切声を上げて激昂する杏。
近くにいた優一が杏を止めようと四苦八苦し、ラティア、そして雅でさえ、杏の様子に怯えるように体を震わせる。
「何故っ! 何故あの子は死ななきゃならなかったっ! 四葉が何をしたっていうのっ!」
何人もの警察官が杏を抑えようとするが、怒り狂った杏は止まらない。
だが、やがて、
「四葉ぁっ! 四葉ぁぁぁ……! あなたも黒葉も一悟も、どうして先に死んでしまうのよぉ……私を置いていかないでぇ……!」
糸が切れたようにその場にへたり込み、泣き崩れてしまう。
強い雨音の中でも、杏の嗚咽ははっきりと雅や優一達に聞こえてくる。
優一は唇を噛み、拳を握りしめた。優という娘がいる優一には、杏の怒りや悲しみは、痛い程分かったから。
三年前に娘を一人殺され……そして今回、残ったもう一人の娘も殺されたのだ。夫の一悟も病気で他界していると聞いている。杏は、もう独りぼっちなのだ。
「……二人とも、車の中に。このままでは風邪を引いてしまう」
杏の心境を想うのが辛くなって、『今やるべきこと』に意識を向けることにした優一は、近くを通りがかった女性警察官に「ちょっといいか」と声を掛ける。
「こっちの少女をタオルと飲み物を。少し落ち着いたら、警察署まで送ってやってくれないか?」
「承知しました。……彼女の方は?」
ラティアを差し出され、女性警察官は快く引き受けながらも、雅の方へと目を向ける。
だが、優一は小さく首を横に振った。
「こっちの娘の方は、私に任せて欲しい。……すまないが、よろしく頼むよ」
女性警察官は一礼をし、ラティアを連れて優一の元を去っていく。
ラティアは何度も杏や雅の方を見て、そして俯き、女性警官に連れていかれる。
優一は浅く息を吐くと、
「……雅君。君もあっちの方に。このままじゃ、風邪を引いてしまう」
そう言って、無言のままの雅を、パトカーの方へと連れて行くのだった。
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