第311話『序曲』
これは、浅見四葉が死ぬ数日前の、午後六時四十分。
新潟市中央区にある、とあるアパート。築七十年近くにもなる古びた賃貸物件の一室から、女の子が一人出てくる。
ドアからではなく、窓から。辺りを伺うように、こっそりと。
それはまるで、盗みを終えてトンズラしようとする泥棒のソレだった。
その人物は、ハーフアップアレンジのなされた黒髪の少女、浅見四葉その人である。
四葉が今出てきたこの部屋の主は、四葉ではない。彼女の様子からも分かる通り、四葉は人の家に侵入していた。
現代のドアロックは生体認証式が主流だが、古い建物などは、今でも鍵式だったりする。四葉は、この部屋の人が物陰に隠している鍵をこっそり拝借した。
完全な住居侵入だ。だが四葉はそれを承知で、どうしてもこの家に忍び込まなければならない事情があった。
アパートを出た四葉が向かうのは、学校……新潟県立大和撫子専門学校付属高校である。
学校にはまだ、人が多くいる。この時期は大きな戦闘訓練が学校で実施されるため、それに備えるべく、生徒達は毎日遅くまで自主練に励んでいたのだ。
四葉がここに来たのは、先程侵入していた、あの部屋に住む者の様子を見に来るためである。
こっそりと敷地内に入り込んだ四葉は、体育館の方へと向かう。
特殊な防音設備により、敷地の外に音が漏れないようになっている。故に外からは分からなかったが、体育館は四葉の予想以上の喧噪に包まれていた。
思わず耳を塞ぎたくなる程だが、それだけ生徒達が自主練に熱を入れている、ということでもある。
生徒達に見つかれば問題になるため、身を隠しつつ、頭痛を堪えるような顔で辺りを見渡すこと数分。
「……いた」
四葉が見つめた先にいるのは――眉毛の上辺りまで前髪を伸ばした、ボブカットの少女。
親友であるはずの、鬼灯淡だ。
淡の両隣には、別の少女達。仲良く話をしている様子を見るに、友達だろう。
周りの学生が筋トレや模擬戦に精を出す中、淡達は体育館の隅で観戦に徹している。
手には模擬アーツが握られているが、積極的に振り回す感じは無い。
時折、彼女達を見かねた他の生徒が注意をすると、淡達も軽く模擬アーツを振り出す程度。どうやら真面目に自主練に励むつもりは無いようだ。
大方、『クラス皆で自主練しよう』等と提案され、乗り気では無いが参加せざるをえなかったといったところか。
しかしそれでも、淡は独りぼっちでは無かった。これは、四葉が知っている彼女の姿とは、大きく異なるものだった。
楽しそうに笑っている淡。
四葉が何も知らなければ、孤立していた淡に、自分以外の別の友人が出来たことを、嬉しさ半分、寂しさ半分の気持ちで見つめることが出来ただろう。
そう、本来は喜ばしいことのはずなのだ。
だが、
「……淡」
四葉の顔は、ひどく苦しそうだ。
四葉の目には、淡の表情が、人のする顔では無いように見えていた。
そう、それはまるで……お面を被っているかのような不気味さがある。
彼女は本心から笑えているのだろうか。
大きな疑問が、四葉の頭を埋め尽くしていた。
***
そして後日。雅達が淡と邂逅した、その日。
雅とラティアが四葉や淡と別れ、学校を出て少し経った後。
「…………」
全身銀色のプロテクター……装甲服型アーツ『マグナ・エンプレス』を纏った四葉は、呆然自失とした顔で、上空から学校を見下ろしていた。
その眼に映るのは、学校の裏手からこっそり抜け出す淡と、二人の学生。
この二人の学生は、直前に、校舎裏で淡をいじめていた子達だ。四葉や雅に見つかって、慌てて逃げ出していたはずの生徒である。
そんな彼女達が、また淡と一緒にいた。
しかし、様子がおかしい。
学校から抜け出した淡達は、雅とラティアの後を、コソコソと追いかけていた。淡を先頭に、そのいじめっ子達が着いていく。
いじめっ子達はどこか、おっかなビックリと言った動き。対する淡は、雅達の尾行に積極的な感じだ。
四葉には、まるで淡がいじめっ子達を、無理矢理付き合わせているように見えていた。
直前まで、自分をいじめていた相手を従え、学校を抜け出す……こんなことが、あり得るのだろうか?
このおかしさ、不自然さ、歪さ……四葉の持つボキャブラリーでは表しきれない程の気持ちの悪さに、気付けば四葉の動機は激しくなっていた。
「あ、淡……私は……」
掌から血が滲み出る程に拳を握りしめる四葉。
自分が淡と過ごしてきた日々や、雅達から聞いた、人工種のっぺらぼう科レイパーの正体……そして、今の淡に抱く違和感。
頭の中がぐちゃぐちゃになりながらも、四葉は地上に降り立ち、アーツの装備を解除して、息を潜めて淡達の後を追う。
(嫌よ、淡……こんなこと、私は信じたくない……)
そんな願いとは裏腹に、淡達の不自然な行動は続いていく。
そして、淡がいじめっ子達に何かを伝え……青い顔をした、いじめっ子達二人が束音家の窓ガラスを割ったことで、四葉は静かに目を閉じた。
「淡……あなたは、やっぱり……」
もう、認めるしかない。
淡の正体が、のっぺらぼうの人工レイパーであることを。
悲しくて、苦しくて、悔しくて、涙が出そうになる。
だが、ここで崩れる訳にはいかない。
雅がいじめっ子達を追って出ていった後、淡が、束音家のドアを叩く。
四葉は見た。淡が、一瞬だけ邪悪な笑みを浮かべたことを。
何をするつもりか……だが、何としてでも、止めなければならない。
淡の親友として、他ならぬ自分自身が止めなければならないのだ。
そう思った瞬間、四葉は動き出していた。
ラティアの首に手を伸ばす淡。それを後ろから引き止める四葉。
そして、その一時間半後。
浅見四葉は、静かにこの世を去った。
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