第35章閑話
「ラティアちゃん! 手伝ってください!」
のっぺらぼうの人工レイパーが去った直後、新津丘陵にて。
全速力で四葉に駆け付ける雅の顔には、まるで余裕が無い。ラティアに掛けた今の言葉も、雅にしてはあり得ない程にピリピリとしていたものだった。
だが、無理も無いだろう。
倒れた四葉は、左腕の肘関節から下を失い、胸元には大きな斬り傷が口を開け、例え赤子であっても直感的に『ヤバい』と分かる程に血が出ていたのだから。
普段表情に乏しいはずのラティアでさえ、誰が見ても焦っていると思える表情をしている。
装甲服型アーツ『マグナ・エンプレス』の、頑丈な胸部プレートですら無残な姿に斬り裂かれていることからも、のっぺらぼうの人工レイパーが操る鉤爪がいかに鋭いかを証明していた。こんなもので斬り裂かれたのだから、プロテクターに覆われていない関節部分等、無論ひとたまりも無い。
今までは四葉の巧みな戦闘技術で、相手の力を上手く受け流せていたのだと思われる。だがラティアを守ったあの一瞬だけは、そんな余裕も無かったに違いない。
「出血が酷い! まずは止血します! ラティアちゃんは腕の方を! 私は胸を何とかします!」
救急用品なんてものは無い。雅は上着の下に着ていたシャツを脱いでビリビリに破くと、ガーゼの代わりと言わんばかりに四葉の傷口に当て始める。
雅の口はカラカラで、手も震えていた。思考も正直、滅茶苦茶になっている。自分の指示や行動が本当に正しいのだろうか……もしかすると、却って四葉を死に追いやってしまっているのではないかという不安が、底冷えするような恐怖となって襲い掛かって来ていたのだから。
一方のラティアは、自分の襟のリボンをしゅるりと解く。
これで、欠損部分を縛って止血しようとしているのは明らかだろう。
だが、ラティアが四葉へと伸ばした手を――四葉が無事な方の手で掴む。
「い、いえ……駄目、よ、ラティ……ア……! そんな、こと……したら……汚れちゃう、わ……」
「四葉ちゃん! そんなことを言っている場合じゃ――」
「それ、は……私、の……プレゼン、ト。私の、血で……汚してほしく、ない……」
自分の贈り物を、ラティアがちゃんと身に着けている。それを見ると、無性に嬉しかった四葉。
四葉は、何となく察していた。ラティアはきっと、贈り物を大事にしてくれるだろうと。このリボンも、ずっと着けてくれるに違いないと。
例えそのリボンに、自分の血がこびりつこうとも、だ。
だがそんなリボンを着けているラティアを想像すると、四葉はどうしようもなく、悲しく思える。この美しい白髪の少女に、そんなものは似合わない。
四葉は、ラティアの腕を掴んで離さない。ラティアの行動を止めると言う、確固たる意思を見せていた。
そんな四葉を振り切り、無理矢理にでも治療しなければならないと、ラティアも雅も頭では分かっている。
だが……四葉の意思表示は、二人にそうはさせまいという強い気迫が籠っており、ラティアも雅も動けない。
「わた、し、は」
「喋らないでください、四葉ちゃん! 血が……!」
「い、いいの……かまわっ、構わない……!」
口から血を溢れさせながらも、四葉は力を振り絞る。
四葉はもう、悟っていた。この怪我は、何をどうしたところで助からないと。
段々と離れていく生命の感覚。しかし四葉は、それを取り戻そうと手を伸ばすつもりは無かった。
四葉は思う。これは、黒葉が殺されてからの自分の行い……それに対する罰なのだ、と。
己の罪は、自分が想像するよりも遥かに重かったのだと、四葉は痛感していた。
四葉は、ラティアの腕を掴みながらも、人差し指を少し動かす。
ULフォンを操作しているのだと雅が分かると同時に、彼女のULフォンに、一つのメールが届いた。
「み、みや、び……あなたの、ところに……淡の……あの子の、住所を送った……! そこに、行きなさい……! あなたに、託す……! あの子の、こと……!」
「何を……何を言っているんですか四葉ちゃん! 止めて下さいっ! そんな……遺言みたいな話、聞きたくない!」
必死な涙声で、怒鳴る雅。
段々と冷えていく四葉の体は、ただ正直に、そして冷酷に、彼女の命の灯が小さくなっていくことを伝えてくる。それだけでも、雅は限界なのだ。
しかし四葉は、叱咤するように首を横に振る。
「私、は……自分のこと、ばかり、で……淡が苦しんでいること、に……気が、付かなかった……! あの子、には……私しか、いなかった……のに!」
四葉の脳裏に、鬼灯淡の言葉が、行動が、フラッシュバックする。
そして浮かび上がる、一つの記憶。
実は四葉は、少し前に淡の家に赴いていた。家の留守に勝手に侵入し、淡のことを調べていたのだ。
そこに、淡が人工レイパーであるという明確な証拠は無かったが……そこで『ある物』を見て、四葉は自分が、親友のことをしっかり分かっていなかったのだと理解させられた。
鉄の味が広がる口の中、奥歯をギリっと噛み締める四葉。
本当は、淡のことを助けるべきは自分の役目でなければならなかったはずだ。それが叶わぬことに、四葉は激しく怒りを覚える。
ならばせめて、託さなければならない。
己の想いを……その全てを伝えるべく、四葉は口を開く。
「淡を……助けてあげて……。あなた達が……私に、寄り添って……くれたように……!」
「駄目ですっ! 自分で助けるんですっ! 私には……出来ないっ!」
「出来る……! みや、び、なら……必ず……!」
直後、四葉はくぐもった咳と同時に血を零す。
胸の傷からも血がさらに出てきて、雅は悲鳴を上げた。
もう長くない。そう確信するも、四葉にはまだ、言うべきことがあった。
「お、母さん、に……伝えて……。一緒に、働けなくなって……ごめんなさいって……」
「な……何を言っているんですかっ! 謝るんじゃないっ! 待っていてください! もうすぐ助けが――」
「いい……いいの……もう、おそい……! ラ、ティア……」
段々と意識が薄れてくる。それでも伝わるのは、ラティアの体温。それが辛うじて、まだ四葉の生命を繋ぎとめていた。
「ラティア……ごめん、な、さい……あなた、に……こんな、光景は……見せたくなかった……! 修羅に……私みたいな……復讐、に、捕らわれた、人間には……どうか……ならないで……! 淡を、恨まないで……! あの子は、私を……わたし、を、殺すつ、つもりなんて……なかったはず、だから……!」
蒼白な顔で、わなわなと震えるラティア。
ポツリ、ポツリと、雨が降ってくる。空を仰ぎ、悲痛な声を上げる雅。
そんな中、四葉は今までの記憶を思い出す。
黒葉や杏と過ごした時間を。
淡と過ごした時間を。
雅達と過ごした時間を。
ラティアと過ごした時間を……。
今思い起こせば、その日々は確かに、楽しいものだった。
淡のことや、母のこと等、心残りは山ほどある。
願わくは、せめてこの少女が声を取り戻すその日までは、一緒にいたかった。
「ねぇ、あなたたち……」
「四葉ちゃんっ!」
「…………!」
「ありが、とう……! ……さ、よ、な、ら」
ゆっくりと……ただ静かに、目を閉じる四葉。
雅が、四葉に呼びかけるが、返事は無い。
四葉の肩を掴み、必死に揺らすラティア。
自分が声を出せないことも忘れて開いたその口からは、誰も聞いたことのない彼女の声で、四葉の名前を呼んでいるよう。
だが、無駄だ。
雨水が冷やすまでもなく……四葉の体は、氷のように冷たくなっていた。
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