第4章閑話
「最近、妙な噂を耳にしたんだけどさー」
ガルティカ遺跡から帰還して三日。
遭遇した魔王種レイパーについてバスターに報告したり、壁画のあった部屋で回収した雅の世界の女性の埋葬を行ったりと、やらなければならない諸々が一段落した頃。
ウェストナリア学院の、ミカエル・アストラム研究室にて。
来客用のソファを、だらしない格好で独り占めしているファムがおもむろに口を開く。
今日は学院は休みなのだが、ファムは『暇だから』と遊びに来ていた。
研究室に遊びに来ているのは、彼女だけではない。この部屋には、ファムの他に雅、ミカエル、ノルン、ライナがいた。遺跡遠征のメンバー勢揃いである。
「妙な噂、ですか?」
向かい側で、ファムとは対照的に行儀よく座っているライナは、今まで読んでいた分厚いハードカバーの本から目を離し、そう聞き返す。
「そっそー。うちの学院にあるキャバクラ部の話なんだけど――」
「ファムちゃんちょっとっ? その『キャバクラ部』っていうの何っ? 先生初耳なんだけどっ?」
突然聞こえたとんでもない単語に、机で何やら作業をしていたミカエルが顔を青くして突っ込む。
「そりゃそうでしょ。教師には見つからないよう活動しているんだから」
「いやファム、それを師匠の前で言っちゃ駄目じゃん」
「ノルンも知っていたのっ?」
ミカエルの近くで、彼女の作業の手伝いをしているノルンがファムに突っ込んだ途端、ミカエルの困惑の目はノルンに向けられる。
「……まぁ存在だけは」
若干言いにくそうにノルンにそう返され、ミカエルの困惑の顔は驚愕へと変わる。
ウェストナリア学院キャバクラ部。
やることはやって来た男子生徒とお話したりお茶したりするので、雅の元の世界のキャバクラをもうちょっとマイルドにした感じの活動といって良い。金銭のやりとりも発生しており、生活が苦しかったり、単にお小遣いが欲しい女子生徒がキャバ嬢をしている。
なお、学院にはこの男版である『メンキャバ部』というのもあるのだが……これを知ったら、ミカエルは卒倒してしまうだろう。
ファムは咳払いをすると、脱線した話を戻すべく、口を開く。
「まぁそのキャバクラ部で、最近ピンク色の髪の、変な名前の女性が毎日のように現れては女の子を宿屋にお持ち帰りして大人の世界を見せているっていう、そんな噂」
「ピンク色の髪?」
「妙な名前?」
「……それってまさか」
ノルンとライナ、ミカエルが口々にそう言うのを聞くと、ファムの視線は、この場にいるもう一人の女子――ライナの隣に座り、涼しい顔を装うとしているものの目が泳いでいる雅に向けられる。
「おいそこのピンク頭。何か心当たりがありそうだね」
「ななな何のことですかっていうかピンク頭って何ですか頭の中がピンクって意味ですかっ?」
件のピンク頭は滅茶苦茶早口だ。
雅の頭の天辺から伸びたアホ毛が、挙動不審な本人の心を表すかのように揺れる。
態度からして、明らかにその人物の正体は雅だ。
ファムの視線は超楽しそうな感じだが、他三人はジト目を向けていた。
「『大人の世界』……って、ミヤビさん、あなた一体、女の子達に何をしたのっ?」
「ちょ、一旦落ち着きましょう皆さん! 確かに私はキャバクラ部の女の子を宿屋に連れ込みましたが――」
「犯行を認めるのね……」
「ミカエルさん待って! 犯行ってなんですかっ! ちゃんと宿屋のオーナーには許可を貰っていますし、いかがわしいことは何もやっていませんから!」
「ほーん。被告はあくまでも無実を主張する、と」
「被告って言うの止めてくださいファムちゃん! ……って、なんですかそれ?」
何時の間にやら取り出していたのか、ファムは全員に見せびらかすように手紙を持っていた。
ニヤリと笑うファム。嫌な予感に、雅は震える。
「文章にて証言を貰っている。読むよ。『ボディタッチが多くて、気が付けば淫らな気持ちになっていた。誘われるがままにお風呂へ誘われ、当然何も無いわけは無く』――」
「うわぁ……ミヤビさんうわぁ……」
「ちょ、ノルンちゃん誤解ですっ! 断じて何もありませんでしたから! ってか誰ですかそんな証言をした悪戯っ娘ちゃんは! ちょっと手紙を見せて――この字、アリアちゃんですね!」
「いや字を見ただけで分かるんかい。一応聞くけど、これどこまで本当の話?」
「一緒にお風呂に入ったのは本当ですよ。でも何もありませんでした!」
「入っちゃったんですかっ? アウトじゃないですかっ?」
悲鳴のようなライナの声。
今出てきたアリアという女子生徒は、見た目も性格もかなり小悪魔的で可愛らしい娘である。実際何人もの男子生徒を虜にして弄んでいる『キャバクラ部』きってのエースキャバ嬢だ。雅は彼女に手の平の上で転がされて堕とされるのならば本望とさえ思っているのだが、それは敢えて口にはしない。言えばきっとドン引きでは済まないだろうと、流石の雅も悟っていたからだ。
しかし状況が悪い事を自覚しつつも、雅は決して諦めない。
故に重ねる。言い訳を。
「大体私だって最初から浴室に連れ込むつもりでホテルに連れ込んだわけじゃありませんっ! 一緒にお茶をしていたら、アリアちゃんから『ミヤビさん……私何だか凄く汗をかいちゃって……お風呂、一緒に入りませんか』って誘われたから了承しただけです!」
「え、ちょ……証言、大体あってるじゃん!」
ファムが慌てたように言うと、雅は「違います違います全然違いますぅ!」と全力で否定する。
「誘ってきたのは向こうですし、ムフフな事はしてないですから! いや勿論? 私から誘ったりとか? 何かしちゃってたらヤバいですけど? 何もしてないなら無罪放免、万歳三唱! 極みノゥプロォヴレムッ! とどのつまりギリです! ギリセーフ! ギリセーフですよ!」
「宿屋に連れ込んだ時点でアウトよ!」
「そんな殺生な事言わないでくださいミカエルさん! 相手は同じ位の年頃の女の子! 話が弾めばもっと一緒にいたいと思うのは必然! おかしな事は何もないはずです!」
「まぁ、それだけなら確かにいいんですけど……ミヤビさん、ボディタッチの件はどうなんですか?」
ノルンにそう聞かれると、雅は固まる。
そして数秒の沈黙の後、
「……私的常識の範囲内でなら、まぁ」
消えるような声で、そう呟いた。
「……どこ触ったんですか?」
さらなるノルンの追求。
雅は明後日の方向を向くと、わざとらしく下手な口笛を吹きはじめる。
その態度が、雄弁に答えを告げていた。雅もちょっと自覚があったのだろう。
そんな雅の肩に、後ろからぽんっと手が乗せられる。
恐る恐る振り返れば、青筋を立てながら微笑むという器用な表情をしたミカエル。
この後、雅はミカエルから滅茶苦茶怒られた。
***
「――っ! 来たわ!」
説教が終わり、十分後。
ミカエルが突然そう叫ぶ。
彼女の手には、一通の手紙。この世界では誰でも使える『遠方の知り合いに一瞬で手紙を届ける魔法』により届けられたものだ。
ガルティカ遺跡から飛び立った天空島の行方について、ミカエルは知り合いの研究者に情報の提供を呼びかけていた。その連絡が来たのだ。
説教されてしょぼくれていた雅も、それを呆れたように見ていたファムやノルン、ライナも、ミカエルの言葉に真面目な顔になる。
皆が見られるように、ミカエルが机の上に手紙を広げると、四人の頭がそれを覗きこむ。
手紙に綴られていたのは、ナランタリア大陸の地図。大陸の南側にある小さな島に、赤い丸が付いていた。
ミカエルはそこを指差すと、説明のために口を開く。
「サウスタリアの西の島、ドラゴナ島。ここに、天空島が着陸したそうよ。調査のために、バスターも何人か派遣されたわ」
「ドラゴナ島って、ドラゴンが生息しているって噂の、あの島ですよね?」
ノルンがそう聞くと、雅が壁画の部屋でミカエルと話した内容を思い出す。
「ドラゴン……そう言えばこの世界には、ドラゴンが存在していたんですよね? もう絶滅しちゃったみたいですけど……」
「そうそう。噂って言うか、伝説だね。ロマン溢れる御伽噺みたいなものだよ」
「でも、何で天空島はそこに?」
ライナの疑問には、誰も首を傾げるだけで答えることは出来ない。
だがきっと、何か理由があるはずだろう。
雅は少しの間、目を閉じて気持ちを整える。
そしてゆっくりと目を開くと、
「……私、行ってみます!」
決意したようにそう言った。
「ミヤビさん……なら、私も行くわ!」
ミカエルがそう言うが、雅は首を横に振る。
「あの時戦った、あの魔王みたいなレイパー……。私達だけじゃ、きっと勝てません。だから、皆さんにはお願いしたいことがあるんです。紙とペンありますか?」
「あ、はい」
ノルンから渡された紙に、雅は二人の仲間の名前と、住んでいる住所を綴り、それをミカエルに渡した。
「レーゼ・マーガロイスさんとセリスティア・ファルトさん……この二人に、私が助けを求めているって伝えて下さい。きっと、この二人の力が必要になるから……私は一足先に現地に行って、あいつの目的とか弱点とか、色々探ってみようと思います」
「……ミヤビ、正気? 危ないって」
ファムの顔は険しい。
それでも、雅は――ちょっと無理矢理だが――笑顔を見せた。
「大丈夫! 無茶するつもりはありませんよ! 向こうにはバスターの人もいっぱいいるんですよね? なら、きっと何とかなります!」
「……分かったわ」
その言葉に、黙って聞いていたミカエルは渋々といった様子ではあるが、頷いた。
しかし、すぐに続ける。
「私達がこの二人を呼ぶまで、絶対に危ないことはしないこと。約束して」
「……はい!」
しかし雅は直感していた。きっとその約束を守るのは無理だと。
あのレイパーは手ごわい。偵察と言えど近づけば、戦闘は避けられないだろう。
だから、自分一人で行く事にしたのだ。
あの時のように、誰か一人を囮にしなければならないような状況を作るのは、もう絶対に嫌だった。
そんな雅の制服の裾を、沈痛な面持ちのファムが摘む。
「……嫌だからね。合流したら、ミヤビが死んでいたなんてこと」
「気を付けて下さい、ミヤビさん!」
そんなファムの頭に優しく手を置いて、ノルンが続ける。
雅はただ、頷くだけしか出来なかった。
そしてそのやりとりを聞いていたライナが、おずおずと全員に声を掛ける。
「……私は、ガルティカ遺跡のこと、もう少し調べてみようと思います。ここの学院の本は粗方読んだので、セントラベルグに戻るつもりですけど……」
階段ピラミッドの地下迷宮で見かけた、神様の描かれた壁画のことはライナに聞いていた雅とミカエル。しかしライナも、ガルティカ人が信仰していた宗教については知らなかった。きっとそこら辺を中心に調べてくれるのだろう。
雅は一言、「お願いします」とだけ述べる。
その後、話し合いは続き、次の日の朝に雅はウェストナリア学院を出発することになった。
***
次の日の朝八時。
ドラゴナ島に上陸するのなら、ナリアの南に位置する国、サウスタリアから出る船に乗るのが一番早い。
故に、雅はウェストナリア学院の馬車停で、サウスタリア行きの便を待っていた。
その隣にはライナもいる。彼女も今日、セントラベルグへと発つ予定になっていた。セントラベルグ行きの馬車が出るのは、サウスタリア行きの馬車が出てから三十分後である。それを考えるとライナは随分と早く来たものだが、これは雅を見送るためだ。
馬車停にいるのは二人だけ。ファムやノルン、ミカエルはもう少ししたら見送りにくるだろう。
「そう言えば、ちょっと聞きたかったんですけど」
雅が突然、ライナに話しかける。
「ライナさんって、どうして考古学者になろうと思ったんですか?」
「ど、どうしたんですか突然……」
「あ、いや、ちょっと気になっただけで、深い意味は無くて……」
いきなりの質問に、若干戸惑いの様子を見せるライナ。
ちょっとだけ考え込んだ後、口を開いた。
「えっと……深い理由なんてないんですけど、昔はよく、お父さんに遺跡とか古代の壁画とかに連れて行ってもらったから、それで」
「あー、ご家族の影響で」
「はい。私、小さい頃に母を亡くしていて、ずっと男手一つで育てられたんです。きっと、寂しそうにしていた私に、何か面白い物を見せたくて、それで自分の好きな『太古のロマン溢れるあれやこれや』を見せようって思ったのかも」
もっと女の子が好きそうな物をチョイスすれば良かったのかもしれませんけれど、不器用な父でしたから……と、ライナはそう続けた。
「お父さん、ですか……私のお父さん、ちっちゃい頃に死んじゃったので、実はあまり記憶が無いんですよね……。どんな感じなんですか、お父さんって?」
「……私にとっては、とても大切で、尊敬出来る人、です。毎日夜遅くまで働いて、でも私の話しとかちゃんと聞いてくれて、偶に喧嘩することもあるけど……でも私にとっては、たった一人の大事な家族です」
「そっか……」
語るライナの顔は、派手さは無くとも自然な笑顔で溢れていて、それが雅にはちょっと羨ましかった。
もし自分の父親が生きていたら、どんな話をしていただろう? そう思っていると、ミカエル達とユニコーンの馬車がやってくる。
もう、お別れの時間だ。
雅は「じゃあ、行ってきます!」と皆に言うと、馬車の客車へと乗り込む。
そして、サウスタリアへと旅立ったのだった。
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