第34章閑話
九月十五日土曜日、午後七時半。
束音家のリビングにて。
「悪いわね。こんな時間までラティアを連れまわした挙句、一晩泊めてくれ、だなんて」
「いえいえ! うちは何時でもウェルカムですよー!」
コーヒーカップを渡され恐縮、と言った様子の四葉に、雅が上機嫌に答える。
四葉の隣に座るラティアも、ホットミルクの入ったマグカップを手に取りながらコクコクと頷いていた。
四葉とラティアはデートの最後、外で夕食を摂り、その後帰宅する予定だったのだが……雅の家まで来たところで、ラティアが四葉ともっと過ごしたいと言うように袖を掴んで離さなかった。
どうせ明日は日曜日。会社も休みなのだから、四葉は杏の許可を取り、束音家に泊まることにしたのである。
「おーおー、ヨツバ。ラティアとのデート、どうだった? ん? どんなイチャコラしたのか、話してくれんかね?」
「ちょっとファム! 失礼な物言いをしないの! ――あぁでもヨツバさん、私もちょっと気になります……!」
「あなた達ねぇ……」
年ごろからか、『デート』なんていうイベントには興味津々なのだろう。ファムとノルンが身を乗り出すように聞いてきて、四葉も苦笑いを浮かべる。
「……まぁ、普通に買い物とか食事よ」
「あら、学生らしくていいわね。ちょっとうらやましいかも」
「あれアストラム。あなたは経験が無いの?」
「学生時代は研究に没頭していたから、そういうことには縁遠くて……」
「まぁまぁ師匠! これから一杯経験していけばいいじゃないですか!」
「あー、それにしても、やっぱ私もミヤビとセリスティアみたいに、ヨツバのデート、尾行すれば良かったー!」
「え、ちょ――」
「おい馬鹿ファムお前――」
「……はぁ?」
ファムの迂闊な発言を止めようとしたセリスティアだが、時既に遅し。
眉を吊り上げた四葉の底冷えするような声が、リビングに響く。中々に迫力があり、犯罪者の尋問には打って付けとすら思えた雅とセリスティア。
「ちょちょちょ、ファムちゃんっ? どうしてそれをっ?」
「えー? だって起きたら二人ともいないし。セリスティアは通話の魔法に出ないしさ。気になったから、ユウのところに行って、ミヤビの……えーっと、なんだっけ? じーぴーえす? とやらを調べてもらったら街中でうろついてるじゃん? それ見て、あーこれ絶対尾行しているーって分かったんだ。あー、そこでやっぱり行けば良かったー。ユウも行きたがってたよ」
「因みにパトリオーラ達のことは儂が止めた。デートの覗き見なんて無粋極まりない」
側で聞いていたシャロンにジト目で見られ、雅とセリスティアも焦った顔が隠し切れない。
何か言い訳を――と思っていたが、
「あなた達……説明を」
四葉の有無を言わさないその言葉に、二人は揃って床に正座する。
もう駄目か、これはお説教案件か……と思った時、思わぬところから助け舟が入った。
「お風呂上がったわよー」
「あ、ヨツバさん。いらっしゃっていたんですね。お菓子、ありがとうございます」
レーゼとライナだ。
二人はリビングに入って来るも、場の空気が妙なことに気が付き、何かあったのかと首を傾げる。
これが好機。
「そ、そうだ四葉ちゃん! 折角だし、ラティアちゃんと一緒にお風呂入って来たらどうですかっ?」
「お。おう! そうそう! ほらラティアも、一緒に入りたいよなー!」
雅に続き、セリスティアも必死に話題を変える波に乗る。
あまりにあからさまで四葉も文句を言おうと口を開きかけたが、ラティアが二人の言葉に賛同するように椅子を降りたことで、仕方ないと言わんばかりに溜息を吐く。
「……まぁ、時間も時間だし、お言葉に甘えてお風呂頂こうかしら? じゃあ、行きましょうラティア」
そう言うと、ラティアと手を繋いでリビングを出ようとする四葉。
だが、四葉が雅の側を通りがかった時、
「後で色々話をしてもらうわよ」
「えっ? いや、あのぉ……」
囁かれた言葉に、雅がビクンとするが、四葉は首を横に振る。
「……そっちじゃなくて。いやそっちも聞くけど。あなた達、今日バイヤーを捕らえたんでしょ? そっちの話」
「え? 四葉ちゃん、なんで知って……? あぁ、いや、でも、そうですね。四葉ちゃんにも後で話をしようと思っていました。今日話をすることじゃないので、明日の朝、時間下さい」
「分かった」
本当はすぐにでも聞きたかったが、今日一日、自分の時間はラティアのために使うと決めてある。
雅も雅で、『のっぺらぼうの人工レイパーの正体が女性』だという事実に、まだ頭の整理が出来ていない。
それに、他にも気になる点はある。
雅達とは別の場所で、レーゼ達も他のバイヤーのアジトに潜入しており、何人かのバイヤーは捕まえることが出来ていた。だが、それでも葛城から教えてもらった人数にはまだ足りない。
どこか別の場所に隠れているのか、すでに口封じされているのか……いずれにせよ、無視出来ないことだ。
そういったこともあって、少し時間が欲しかった。
――それから夜も更け、午後十時を回った頃。
皆で四葉から貰ったお菓子を食べながら今日のデートの話で盛り上がったり、トランプで遊んだりしていたらあっという間に寝る時間になってしまった。
「ラティア、今日は楽しかった?」
四葉が案内されたのは和室。そこでラティアと一緒に布団を敷きながら四葉が尋ねると、ラティアがコクコクと頷く。
「そっか……なら良かった。――あ、そうだ」
今はラティアと二人きり。あの時はタイミングが無くて渡せなかったが、今なら良い頃合いだろう。
そう思った四葉が、部屋の隅に置いた荷物の中から、細長い箱を取り出すと、それをラティアに差し出す。
「これ、ラティアへのプレゼント」
ラティアは無表情ではあるものの、表に出ないだけで余程驚いたのだろう。四葉の顔と箱を何度も交互に見たが、四葉から「開けてみて」と促されると、丁寧にラッピングを剥がし、箱の蓋を開ける。
入っていたのは……リボン。
紫色を基調とした、チェック柄のリボンだ。
それを見て、ラティアはパッと四葉の顔を見つめる。
「私の服を選んでいる時、それ、何度も見ていたから……もしかして欲しいのかなって思ったの。色合い的にもあなたに似合いそうだし……。折角だから、貰ってくれると嬉しい」
ラティアはジーと四葉の顔を見つめていたが、彼女のその言葉に頷くと、すぐに鏡の前まで行ってリボンをパジャマの襟に通し、結ぶ。
「パジャマにリボンは合わないわよ、もう」
そう言いながらも、四葉はどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
***
午後十一時三分。
新潟市東区の南東。大形駅の近くに、パトカーが止まる。
降りてきたのは、短い髪に厳つい風貌の男性……優一だ。
この近くの茂みで死体が見つかったと連絡を受けて、急遽やって来たのである。
既に何名かの警察官は先に来ており、現場検証の真っ最中なのだが……。
「……む? どうした?」
「あぁ、相模原警部……いえ、実は……」
優一の質問に、言葉を濁す警官。
どこか様子がおかしく、優一は眉を顰める。
「ガイシャの身元は?」
「所持品を見るに、恐らく人工レイパーの薬を売っていたバイヤーの一人と思われますが……」
「なんだ煮え切らん言い方をしおって……。バイヤーなら、葛城からの情報で顔が割れているはずだろう。もしや、そんなに顔の損傷が酷いのか?」
「酷いと言うか……いえ、見てもらった方が早いでしょう」
そう言って、優一を連れていく警察官。
死体にはブルーシートが掛かっているが、そこからはみ出ている手足の感じを見るに、激しく痛めつけられた様子は無い。
しかし、
「こんな有様で……」
「…………」
ブルーシートをはぐられ、優一は絶句する。警察官が説明に困っていた意味が、ようやく理解出来た。
目の前に転がる死体……そこに顔は存在しない。
皮を剥ぎ取られたとか、顔を焼かれているとか、そういう次元の問題ではない。
本当に、顔が『無い』のだ。
目も鼻も、口も眉も、何一つ……そう、最初からそこに無かったのではないかと思っても不思議ではない有様だ。肌色の皮膚が、顔面を完全に覆っているのである。
えげつない損傷の死体はいくつも見てきた優一だが、これはそれとは全く異なる不気味さを放っていた。
この死体は、まさに正しく……『のっぺらぼう』であった。
***
その翌々日。敬老の日の振替休日の月曜日。
新潟市南区杉菜にある桔梗院家。その角にある部屋は、希羅々の自室となっている。
希羅々はティーカップ片手に、空中に出現させたいくつものウィンドウに、真剣な眼差しを向けていた。
そこには――
(ふむ……やはり分かりませんわね。お面のことは)
能楽に使われるお面……丁度、のっぺらぼうの人工レイパーが吸収したものに類似したお面の画像や説明文が、数多と映し出されていた。
良いところのお嬢様だけあって、能楽等の伝統芸能の知識は多少ある希羅々。幼い頃に家族で能や式三番、狂言を見に行ったことがあったのだ。
だからお面を見た時、それが能楽で使われているお面と同じものだと、すぐに分かった。
能楽で使われるお面が、何故レイパーのパワーアップに使われるのかは分からない。恐らく見た目が同一なだけで、その実態は全くの別物なのだろうと想像はつくが、やはり肝心の見てくれが同じということには、何か深い意味があるように希羅々は感じていた。
希羅々がこんなことを調べているのは、人工種のっぺらぼう科レイパーが理由である。
あののっぺらぼうの人工レイパーは、元々は身体能力が恐ろしく高い『だけ』の存在だった。
それがお面を吸収した後、火炎放射やら鉤爪やらを出せるようになったということは、あれらの能力はお面の力によるものと考える方が自然だ。
故に各お面について深く知れば、敵の能力の解明や攻略に役立つのではないかと思い、希羅々は少し前から暇を見つけ、ちょっとずつ調べていた。
希羅々は細く息を吐くと、両瞼を指で揉む。
(子供の頃は難しすぎて理解も出来ず、今なら……なんて思いましたが、些か浅慮でしたわね。たかだか高校一年生に、まだ伝統芸能の勉強なんて早すぎましたわ)
簡単な概要くらいならいざ知らず、深掘りしようとすれば中々の労力だ。
その上、能面の種類は基本形だけでも約六十種、細かく分ければ約二百五十種類にも及ぶという。敵がまだ四種のお面しか入手していないが、もし今後五種類以降のお面を手に入れようとしているのならば、存在する全ての能面の知識は一通り仕入れておきたいと思う希羅々。
必然、作業量も膨大になり、本腰を入れて調べようとすれば、それこそ目が回る。
「全く……こんなにお面があるなんて思ってもみませんでしたわ。その内、他のお面を着けたレイパーが出るかもしれないとなるとゾッとしますわね。……あー、もう一旦止め止めですわ! 頭が痛くなってきました!」
これから起こりうる未来を予想し、鬱屈になった希羅々はそう叫び、ティーカップに入った烏龍茶を一気に飲み干す。
普段の希羅々らしくない品の無い行為であり、本人もそれを自覚している。だが、どうせ誰も見ていないのだから、疲れた時くらい許せと思っていた。
もう一杯飲もうと、希羅々がティーポットに手を伸ばし……ふと、その手が途中で止まる。
冷たい烏龍茶を飲み干して頭が少し冷えたからだろうか。
今まで詰め込んでいた知識が少し整理され、希羅々にある『気づき』をもたらした。
翁のお面、般若のお面、姥のお面、火男のお面の資料にもう一度目を通し、そこで確信する。
のっぺらぼうが吸収したお面には、ある共通点がある、ということを。
「喜怒哀楽……。重要な感情を表現するお面ばかり……。これ、偶然ですの?」
ふいに出た疑問。だが希羅々の直感は、それを強く否定していた。
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