第4章幕間
一方、雅達がガルティカ遺跡の階段ピラミッドを脱出した頃、雅が元いた世界では。
新潟市中央区白山にある、レイパーと戦うための技術を学ぶために設立された高等学校。新潟県立大和撫子専門学校付属高校にて。
時は六月十六日の金曜日、午後六時四十分。
今日の授業も全て終わり、学生達が部活動に精を出す、そんな時間。
日本海側の校舎にある小体育館で、二人の女子生徒の気迫溢れる声が響いていた。
声の主は、どちらも白いヘルメットのような防具と、赤いプロテクターをつけ、マットの上で戦っている。防具はテコンドーの時に使用するものだ。
片方の女子生徒は、弓を模した木製の武器を持っている。相模原優だ。
もう片方の――つり目が特徴的な子だ――女子生徒はかなり筋肉質な体型をしており、見るからに身軽そうだ。実際、優と戦っている最中も、その印象に違わぬ動きで翻弄していた。
彼女から繰り出される強烈な足技を、優は持っている木製の武器で必死に受け流しながら、負けじと隙を見て弓の弦では無い部分――姫反りや小反りにあたる部分だ――を叩き付けたり、膝蹴りを放つ。
しかし必死な優とは対照的に、優と戦っている女子は涼しい顔で攻撃を繰り出している。戦況は明らかに彼女の方が優勢だった。
そしてついに、優が攻撃に転じようと一歩踏み込んだ瞬間を狙い、つり目の女子生徒の蹴りが優の胴体のプロテクターにクリーンヒットする。衝撃によろめいた優の頭目掛け、飛び蹴りが炸裂――する寸前で、彼女の足が止まった。
寸止めである。勝負は決した。
優は目を瞑り、大きく溜息を吐くと同時にマットに仰向けで倒れる。
「まーたー負―けーたー!」
そう絶叫した優に、つり目の女子生徒は苦笑いを浮かべながらヘルメットを外と、耳元の辺りまで、結われた二つの髪の束が姿を見せる。ツーサイドアップという髪型だ。
「筋は良いんダ。実力も段々上がってきていル」
ややカタコトでそう言うと、彼女はヘルメットを片腕で抱え、もう片方の手を優に差し伸べ、彼女を立たせる。
「でも志愛。勝てなきゃ意味ないじゃん?」
「優の本職は弓だろウ? 遠距離戦主体の人間ニ、近接戦主体の人間が負けるわけにはいかナイ」
志愛と呼ばれた女子生徒は、文句を言った優にそう返す。
彼女はクォン・シア。日本に在住する韓国人女性である。今から四年前、父親の仕事の都合で韓国から日本に引っ越してきた。
二人が何故こんなところで戦っていたのかと言うと、優の特訓のためだ。優は弓を使ってレイパーと戦っているが、相手によっては近接戦を余儀なくされることもある。そんな状況に陥っても戦えるよう、優は偶に志愛に稽古をつけてもらっていた。さっきの戦いも、その稽古の一環である。
志愛はテコンドーが得意で、持っているアーツが棍型だ。優は直感的に、志愛の戦い方が自分の戦い方に応用出来るのではないかと考え、教えを乞うたのである。
志愛は最初は面倒そうな顔をしていたが、優が強くなりたい理由を知ると、快く付き合ってくれるようになった。
それ以来、二人は友人だ。
「まぁ、そりゃ最もだけどさー。でも一回くらい勝ちたいじゃん? せめて志愛に本気ださせたいよ」
稽古をつけてもらってから二ヶ月。未だ優は志愛に勝った事はない。毎回涼しい顔で自分を負かしてくる志愛に、せめて一矢報いたい気持ちはある。優とて武人なのだ。
「ふッ、精進することだナ」
「ええい得意気な顔しおってからに……!」
優が両手で志愛の顔を摘もうとするが、志愛はそれをひょいひょいと避けていく。
意地でも捕まえてやろうとムキになる優と、やっぱり涼しげな顔で軽々躱していく志愛。
そして第二ラウンドが始まるのだった。
***
「結局捕まえられなかったー!」
「落ち込むことはナイ。結構危なかった場面もあっタ」
そんな会話をしながら、二人は学校の玄関を出て帰路に着く。時刻は午後七時半前だ。
ちなみに、優の手にはちょっと大きな手さげ鞄が握られている。中には着替えとお菓子。今日はこれから志愛の家でお泊り会なのだ。
志愛の家は『新潟大学前駅』の近く。新潟県立大和撫子専門学校付属高校から五駅程離れたところにあるため、志愛は通学は電車だ。『新潟大学前駅』から乗って『白山駅』で降りて、そこから学校までは徒歩である。
そのため、二人は『白山駅』まで向かっていた。
そして駅に着いて改札を通った後。
「……ム? ママからメールダ。ちょっと失礼」
そう言って志愛は空中で指をスワイプさせると、ウィンドウが出現する。背景は最近流行っているアニメのキャラクター。日本のアニメ文化に魅了される外国人は多いが、志愛もその一人だ。
「……優、駅を降りた後、ちょっとスーパーに寄らせてクレ。お使いを頼まれタ」
「あいよー。駅の近くにスーパーあったっけ?」
「あるゾ。若干遠回りになるガ」
そんな話をしていたら、電車が来る。時間が時間なだけに、乗客はそれなりに多い。人が乗れる程の大型のドローンや、空も飛べる車がさして珍しく無くなった現代でさえ、未だ公共用の乗り物を利用する人は多い。
下車する人を待ってから乗車するも、席は全て埋まっている。後ろからもぞろぞろと人が乗車してくるため、二人はどんどんと電車の中へと進んでいく。
人の動きも落ち着いて、ようやく優が電車のつり革に捕まった。
ちらりと、隣に立つ人が気になって視線を向ける。
黒いスーツ姿の男性だ。年は五十くらいだろうか。流石に肌艶は衰えているも、髪型や身なりはビシっとしており、老けているという印象は無い。むしろダンディなおじ様という佇まいだ。年齢的にするはずの加齢臭も、香水できれいに隠れている。
こんなおじ様を気になってしまった理由は、彼の着ているスーツの襟元についているバッヂが偶然目に入ったからである。桔梗院希羅々の父親が経営する、アーツ製造販売の超大手企業、『StylishArts』の社章だ。
一週間ほど前、優は希羅々と共に『StylishArts』の女性社員が殺される現場に遭遇した。あの事件がきっかけで、優は『StylishArts』のことを少し調べたので知っている。このバッヂは、役職が課長以上の人が付けるものだ。
裾から覗く腕時計や、ネクタイのピンはかなり高級そうに見える。『StylishArts』に勤めているなら、給与もかなりのものだろう。それなりの役職に就いていればなおさらだ。車の一つでも持っていそうだが、こういう人でも電車を利用するのかと、優は謎の感想を持つ。
未だ、あの女性が殺害された事件は解決していない。あの時遭遇したカラス顔のレイパーも、あれ以来姿を見せないままだ。不気味でしょうがない。
「……どうかされましたか?」
「あ、すみませんっ。何でもないですっ」
「そ、そうですか……」
優の視線に気が付いたようで、男性が声を掛けてくる。自分の行いが少し失礼だったと気がついた優は慌てて謝り、誤魔化すように男性から視線を逸らす。
そして下車予定の駅に到着すると、逃げるように電車を降りた。
***
電車を降り、スーパーで買い物を済ませた二人は、志愛の家へと向かっていた。駅の近くのマンションに、志愛は住んでいるのだ。
時刻は八時前。この時期でも、八時近くとなれば流石に空も黒く染まる。歩いているのは二人だけだ。
「今日と明日はとことん付き合ってもらうゾ、優。大昔に放送された有名なアニメの円版が手に入ったんダ」
「稽古に付き合ってくれているし、一緒に見るくらい別にいいけど……それ、どれくらいあるの?」
「四クール分ダ!」
「ボリューミー過ぎるわ!」
楽しみで仕方が無いといった様子の志愛に突っ込む優。四クールのアニメを一気に見ると、オープニングとエンディングを飛ばしても十五時間以上はかかる。
志愛の様子から、徹夜も覚悟する優。
その時だ。
「……ん?」
通りかかったビルの屋上で、何かが動いたような気がした。
そして何かが地面に落ちた様な、鈍い音が響く。
ビルとマンションの間の道路からだ。
「……志愛」
「あア、気をつけロ。嫌な予感がすル」
二人は荷物を近くに置くと、慎重に音のした方に向かい――息を呑む。
女性が倒れていた。暗くてよく見えないが、女性の体からは液体が流れ、地面に染みを作っていた。手には、サーベル型のアーツが握られている。
「優ッ! 上ダッ!」
志愛の声で上を向くと、人型の生き物がビルの屋上から飛び降りてくる。
優が慌ててその場を飛び退くと同時に、そいつは今まで優がいたところに着地する。
背中を向けているが、レイパーだとすぐに分かった。背中には昆虫の羽根があり、頭の上からは触覚が生えている。
レイパーが振り向くと、その顔はまるで飛蝗。分類は『人型種飛蝗科』だろう。
優の指輪が光ると、メカメカしい見た目をした弓型アーツ『霞』が出現する。
それと同時に、レイパーが優を蹴りつけてきた。
優はその攻撃を弓を盾のようにして受けるが、衝撃は抑えきれず、後方に吹っ飛ばされてしまう。
レイパーは俊敏な動きで志愛の背後に回ると、彼女の首根っこを掴み、そのままビルの屋上まで跳躍する。
「ぐゥッ!」
「志愛!」
体勢を整えた優が弓の弦を引くと、矢型のエネルギー弾が出現。
狙うは着地の瞬間だ。
弦を離すと同時に、エネルギー弾がレイパーへと飛んでいき、志愛を掴む腕に直撃する。
衝撃で、レイパーの手から脱出する志愛。
敵の体勢が落ち着く前にバク転で距離を取ると、近くに落ちているペンを拾う。先程殺された女性が落とした物だろう。
志愛の右手の薬指に嵌った指輪が光を放つと、拾ったペンが姿を変える。
彼女の手に握られるのは、全長ニメートル程の銀色の棍。
先端は虎の頭を模した形状になっており、開いた口にはゴルフボールサイズの紫水晶が咥えられている。
これが志愛のアーツ、『跳烙印・躍櫛』だ。優や愛理達が使うアーツのように、指輪に常に収納されているアーツではなく、手に取った棒状のものを棍型アーツに変化させる。これも『StylishArts』製のアーツだ。
志愛は棍を右の脇に抱え、腰を下とす。
そして地面を蹴って一気にレイパーとの距離を縮めると、棍を素早く動かし、レイパーの頭目掛けて棍を叩き付ける。
さらに続けざまに足払いを仕掛けるが、レイパーは跳んでそれを躱す。
レイパーは志愛の頭を超えて彼女の背後に着地すると、回し蹴りを放つ。
志愛は体を捻って攻撃を避けようとするが、僅かに横腹にレイパーの足が掠ってしまう。
怯んだ隙を狙い、レイパーはさらに鋭い蹴りを繰り出す。
咄嗟に棍で攻撃を防ぐも、踏ん張りのきかない不完全な体勢だったせいだろう。鈍い金属音が大きく響くとともに志愛は地面に倒れ、転がっていく。
志愛が起き上がろうと上半身を起こした瞬間、レイパーの踵落としが襲いかかってきた。
再びそれを棍で受けるが、レイパーの脚力の前では、志愛のパワーは余りにも貧弱だ。
頭上に持ち上げた棍が、ジリジリと志愛の方へと動いていく。今にも叩き伏せられそうな、そんな時。
レイパーは背後をちらりと見るや否や、体に矢型のエネルギー弾が命中した。
その隙に棍を捨てて、レイパーから離れる志愛。そして助けてくれた主の方へと駆け寄る。
「優! 助かっタ!」
「遅くなってごめん! これ!」
優がビルの屋上の入り口で、弓を構えていた。地上から矢を放った後、ここまで昇ってきたのである。
優は志愛に向けて、小さな鉄のパイプを放り投げる。優が途中で拾ってきたものだ。
志愛がそれをキャッチすると、再び指輪が光り、鉄パイプが『跳烙印・躍櫛』へと姿を変える。
志愛は素振りをするようにアーツを振って、再び右の脇で抱えると、地面を強く蹴ってレイパーへと飛びかかった。同時に、志愛のスキルが発動する。彼女の持つスキルは『脚腕変換』。足の裏で何かを強く蹴った反動に比例して、腕力を上げるスキルだ。
優の攻撃がレイパーへと次々に放たれていく。その攻撃に怯むレイパー。
そしてレイパーの胸部に、志愛の棍の先端が直撃。
刹那、紫水晶が光を放つ。
志愛がそのままレイパーを突き飛ばすと、レイパーは一歩二歩と、よろめきながら後退する。
棍が直撃した部分には、紫色の線で、虎を模した模様が刻まれていた。
攻撃された箇所を手で押さえ、苦しむような声を上げるレイパー。
刻印が紫色の光を強めると、一際大きく絶叫し、そのまま爆発四散した。
***
その後、志愛の住むマンションの一室の、彼女の部屋にて。
「つっ……かれたー!」
「フゥ、そうだナ……」
そう言いながら、二人はベッドに腰を下ろす。
あの後、警察への事情徴収等を受け、今はもう十時を回っていた。
殺された女性は、あのビルのオーナーだそうだ。一人でいるところをレイパーに狙われ、抵抗虚しく殺されてしまったと思われる。
死体を目にするわレイパーと戦うわ警察に連絡をしなければならないわで、どっと疲れが押し寄せる。こういった事は何度もあったのだが、未だに慣れない優。無論、慣れたいとも思わないのだが。
最早、徹夜でアニメ鑑賞なんて気分では無くなってしまった。
「……結局、あのレイパーも変な発光はしなかったなぁ」
「前に探していると言っていタ、優の親友の事カ?」
「そうそう。色々調べてるけど、なにも進展が無いんだよね。……来週位には見つけたいんだ。そろそろその子の誕生日だから……」
「……束音雅、だったカ? 風の噂で聞いたことがアル。随分な女好きらしいナ」
志愛が優と出会ったのは高校入学後だ。それ以前は学校が違ったため、勿論雅を見た事は無い。
それでも、他校の生徒――これが雅のことなのだろうと志愛は思っていた――から突然デートに誘われた女子生徒がいたことや、お持ち帰りされて一緒に入浴した女教師がいたという話は志愛の耳にも入っていた。どこまで本当かは分からないが。
「随分な、じゃなくて、手の施しようが無いくらい重度の女好きよ。あれはもう、死んでも変わらないと思うわ」
「そんなにカ。ちょっと会って見たいナ」
「うん……。私も、もし再会出来たら、志愛のこと紹介したい。あのさ――ありがとう。稽古、付き合ってくれて。まだみーちゃんは見つかって無いけど、ちょっとは前進しているって信じてるから」
話している内に何となくそんな気になって、優はそうお礼を言う。
志愛は顔を赤らめ、そっぽを向くと、大きく咳払いをして、改めて優の方を向いた。
そして口を開くと、
「ベ、別にあんたのためにやってるんじゃないんだからネッ!」
きっと照れくさかったのだろう。そんなことを言った。
余りにもわざとらしい。もっと上手くやれなかったものかと優は思う。
最早雰囲気もへったくれも無く、ジト目になるのも無理は無い。
「こぉんの似非ツンデレめ……」
「何故ダッ? こんな感じだろウッ?」
志愛は慌ててそう主張するのだった。
結局この後、二人は志愛の両親と一緒に遅めの夕飯を摂り、入浴を済ませると、意外な程に目が冴えてしまったので一緒にアニメ鑑賞が始まった。見ていたら想像以上に面白く、止め時が分からなくなり、なんやかんや徹夜になりかけたものの、途中で寝落ちしてしまったのは笑い話だろう。
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