第32話『浮遊』
「何っ? 一体どうしたっていうのっ?」
「分かりません! でも、きっとあいつです! あいつが何かやったんです!」
「この方向……神殿があった方だわ!」
「……どうするの? 行くのっ?」
ファムの問いかけに、ミカエルは一瞬悩み、険しい顔で頷く。
「戦うつもりはないけど……何か嫌な予感がするわ。二人はここにいて頂戴。私が様子を見て――」
「危険です! 私も行きます!」
「二人が行くなら、私も行くよ!」
ミカエルの言葉を遮って、雅とファムがそう言った。
特にファムの顔は真剣だ。
独りになりたくないのだと、二人は分かった。無理も無い。たった独りで、魔王種レイパーから逃げ回っていたのだ。
自分から囮を買って出たのでわざわざ口に出して言うつもりも無いが、ファムは相当にしんどい思いをしていた。
雅も雅で、あの魔王種レイパーの元に誰か一人だけを送るつもりは無かった。『衣服強化』のスキル越しに受けた腹が痛む。鎧並の防御力に阻まれたにも関わらず、これだけの威力のある一撃を放てる相手だ。一人で行かせることなど、誰が出来ようか。
「……分かったわ。でも、無理はしない。さっきの戦いで疲労困憊の今、あのレイパーと戦えば確実に殺される」
最終的に、ミカエルは折れた。悩んでいる時間は無い。
それ程までに、今の大きな音は、彼女の警報を鳴らしていたのだ。
そしてその嫌な予感は、すぐに現実のものとなる。
「――っ?」
「きゃっ?」
「わわっ?」
突然、大きく地面が揺れた。そして何かが崩れるような音も響く。
音のする方向は同じ。最初に訪れた、神殿のある大きな部屋からだ。
三人は顔を見合わせると、ミカエル先導の元、音の発生源へと向かう。
***
「そうだファムちゃん! 走りながら教えてください! 一体どうやってあの部屋に辿り着いたんですか?」
大部屋へと向かう最中、雅がファムに聞く。
するとファムは掻い摘んで説明してくれた。
囮になった後、我武者羅に逃げ回っていた結果、魔王種レイパーから逃げ切ることに成功したファム。流石の魔王種レイパーも、時速二百キロの速度で逃げられては追い付けなかったらしい。
ただ、ファムも雅達と同様に複雑な通路に迷い込んでおり、勘を頼りに二人を探すしかなかった。
痕跡も全く見つからず、いつまた魔王種レイパーと出くわすかビクビクしていたところ、近くで大きな音が聞こえたのである。
その時雅やミカエルの声も僅かだが聞こえ、音のする方に向かって進んでいったところ、二人がレイパーと戦っていたあの部屋に辿り着いたというわけだ。
なお、魔王種レイパーから逃げる際、足止めになるかと思って駄目元で羽根を飛ばしたが一切効かなかったとのこと。魔王種レイパーが雅達に見せたあの羽根は、その時拾い、ずっと持っていたのだろう。恐らく、はぐれた雅達と遭遇した際、さも「お前の仲間は殺した」という風を装って見せびらかすことで、動揺する様子を楽しめると思ったからと推測出来た。
「本当に間一髪だったわ……ファムちゃん、ありがとう! それと、危険な役割をあなたに押し付けてしまって、本当にごめんなさい……!」
「ミカエル先生が気にする事ない。本当に危なかった……間に合って良かったよ――っ!」
「うわわっ!」
再び強い揺れが、三人を襲う。
「急がないと……もう少しよ!」
***
神殿のあった大部屋に辿り着いた三人は、絶句していた。
否。大部屋に辿り着いた、というのは語弊がある。三人は今、その部屋の前で固まっていたのだから。
部屋は最初に来た時とは随分様変わりしていたのだ。
地面にはくりぬかれたような巨大なクレーター。部屋全体の床は無い。当然神殿も見つからなかった。そして天井には風穴が開き、茜色の空が見える。未だここがどこかは分からないが、ファムのアーツがあれば地上に出られるだろう。
だが、三人がその事実を知ってホッとすることは無かった。
空の彼方には、何かが浮かんでいるような、黒い影。
僅かに見える物から、浮かんでいるのはこの場所。このくりぬかれた大部屋が、そのまま宙に浮いているのだ。ここからでは見えないが、恐らく神殿はそこにあるのだろう。
その姿は、まさに『天空島』である。
「さっきの揺れや音は、あれが浮かんだ音……っ! でも、一体どうしてっ?」
「どうしてかは分からないけど、誰がやったかは分かるわ……! あのレイパーよ!」
ミカエルの言葉が指すのは、魔王種レイパーだ。鏡を奪った後、どうやったかは不明だが、随分と派手なやり方で地上に出たものである。あのレイパーも恐らくは天空島にいるのだろう。
ずっとここに閉じ込められているのならまだしも、あの恐ろしい程に強いレイパーが地上に出てしまったとなればどうなるか……想像しただけで、三人の背筋が凍りつく。
そして天空島が、僅かに揺れる。
何をするのかと身構える三人だったが、天空島は動き出し、そのままどこかへと去ってしまった。
「……一旦、外に出ようよ。一人ずつ運ぶね」
心底疲れきった顔で、ファムはそう提案する。天井には、地上まで続いているであろう通路が出来ているのは勿論、部屋の壁はボロボロだ。この場所がいつ崩壊したって不思議ではない。速やかに脱出すべきである。
「ファムちゃんの言う通りね……。あれこれ考えるのは、無事に学園に戻ってからにしましょう……」
「そうですね……」
ミカエルと雅はそう言って頷いた。
***
「ししょぉぉぉおっ!」
三人が何とか地上に出た時、遠くから声が聞こえてくる。
目を向ければ、ノルンとライナがこちらに向かって走ってきていた。
そこでようやく、雅達はここがガルティカ遺跡だと気がつく。
天空島が空に飛翔したことで、辺り一帯も派手に荒れていたため分からなかったのだ。
よく見れば、転がっている残骸は階段ピラミッドの一部分である。ミカエルの予想通り、雅達はあの階段ピラミッドの地下に転移していたのだ。あの大部屋は丁度階段ピラミッドの真下にあったため、天空島の浮上と共に崩壊してしまったのだろう。
知っている人に会え、知っている場所だと分かった途端、ようやく三人は安堵の溜息を漏らした。
三人も走り出し、ノルン達と合流したところで、ミカエルはノルンを思いっきり抱きしめる。
出遅れたファムは、ノルンに抱き付こうとした体勢で一瞬固まったが、咳払いをすると何事も無かったかのようにすまし顔で明後日の方向に目を向ける。
そんなファムを、苦笑いで見る雅とライナ。
ハグを終えたノルンは、今度はファムに抱きつこうとするが、ファムはそれをひょいひょいと避ける。
「ちょっとファムっ? どうして逃げるのっ?」
「いや、だって恥ずかしいし……」
「さっきは私に抱きつこうとしていたのに!」
「や、ちょっ、ノルンっ?」
慌てふためくファムに、笑い声が起こる。
そんな中、雅はこっそりライナに話しかけた。
「あの、ライナさん――」
「あ、はい。ノルンちゃんと一緒に遺跡を調べていたら、突然ピラミダの頂上が光って……見に行ったら、誰もいないし……。探して三時間くらい経ったら、凄い音が聞こえて、何かが空に飛び立つのが見えたんです。ピラミダが壊れていて、嫌な予感がして来てみたら……」
「私達がいたというわけですね。三時間……そんなに経っていたんですか。じゃあ、今はもう五時ですね」
転移先の地下では時間感覚が鈍っていたため、現在時刻を知って驚く雅。
「ノルンちゃん、すごく心配していたんです。あの……三人は一体どこに? その様子だと、ただ事じゃ無さそうですが……」
「ちょっと長い話になるわね」
ライナの最もな疑問に答えたのは、近くで二人の会話を聞いていたミカエルだった。
すると、未だじゃれあっているファムとノルンも含め、この場にいる全員に向かって彼女は口を開く。
「みんな聞いて! 本当はガルティカ遺跡に一週間滞在するつもりだったけど……緊急事態だから、学園に戻るわ! 説明は帰る途中にさせて! いいかしら?」
その言葉に、疲労困憊の雅とファムは真っ先に頷く。
その様子で事情を察したのか、ノルンとライナも了承するのだった。
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