第290話『正直』
午後八時五分。
万代病院の入口に、四葉の姿があった。
人型種狐科レイパーを探しに行った四葉だが、敵は見つからなかった。そのため、また戻って来たのである。
だが、どこか様子がおかしい。
中に入ろうとして踵を返し、しかし立ち止まって悩みだし、また中に入ろうとしては引き返す……その繰り返しだ。
通り過ぎる人達からは、奇異の目で見られてしまう始末。
しかし今の四葉に、彼らの視線を気にする精神的余裕は無かった。
ラティアの見舞いに行きたいが、自分にその資格はあるのか。
そればかりが、彼女の頭を埋め尽くしていたのだから。
だから、気が付くのが遅れた。
四葉の奇怪な行動を見て、やって来た人物のことを。
「あ、四葉ちゃん! 見つけました!」
「た、束音……?」
桃色のボブカットに、白いムスカリ型のヘアピンを着けた少女……束音雅。
今一番見たくない顔だ。
雅が来て、自分の妙な行動にやっと恥じらいの感情が湧き出たというのもあるが、それ以上に、雅も自分のせいで怪我をさせてしまったのだから。
どんな顔をして話をすればいいか、分からない。
雅はきっと怒っていないだろう、というのは流石に四葉にも分かる。だからこそ、気まずかった。
「……何よ」
だからからか、四葉はぶっきらぼうに返してしまう。それがより罪悪感を掻き立ててしまうのだとしても、だ。
最も、そんな対応されたところで、雅が気にするはずも無いが。
「四葉ちゃんと、ちょっとお話したくて」
「……何を?」
「んー……ここじゃ難ですし、ちょっと場所、変えましょう。ささっ、こっちこっち!」
「ちょ、あなた――」
恐ろしい程に慣れた手つきで腰に手を回された四葉は、あっという間に別の場所へと連れていかれるのだった。
***
雅に連れて来られたのは、病院から北に行ったところにある堤防……やすらぎ堤。
雅が「ちょっと夜食でも買ってきます」と途中でコンビニに寄り、それからここまで来た二人は、緩やかな傾斜の堤防に座り込んだ。
すると、
「四葉ちゃん、はいこれ」
差し出された物を見て、四葉は盛大に顔を引き攣らせた。
「あなた、これは……」
「カップアイスです。お好きですよね? 今日も食べていましたし、この間久しぶりに会った時だって食べていませんでした?」
優の誕生日の日の夜、二人で散歩していた時に、雅は久しぶりに四葉に会った。その時四葉がカップアイスを食べていたことを、雅は覚えていたのだ。
「……途中でコンビニに寄ったと思ったら、これを買っていたのね。いくら?」
「あ、お金なら大丈夫! 今日は私の奢りです!」
「いや、そういう訳には……」
「受け取りませんからねー」
「……全く」
四葉は諦めたような、そして力の抜けたような笑みを浮かべ、雅からカップアイスを受け取りながらそう呟いた。
雅は自分の分のカップアイスを買い物袋から取り出すと、蓋を開けて美味しそうに食べ始める。
一方の四葉は、アイスを手に持ったまま、ただジッと雅の横顔を眺めていた。
すると、
「あれ? 食べないんですか? 溶けちゃいますよ?」
「……話がしたいって言っていたでしょ。何よ」
「話は話ですよ。あ、でも食べてばっかりで何も話していませんでしたね、あはは」
テヘペロ、という顔になった雅に、流石にイラっときて、四葉は思わず舌打ちをしてしまう。
「あー、ごめんなさいごめんなさい! ふざけるつもりとかじゃなくて、どう話を切り出そうか分からなくて。いやー、実は歩いている間に色々考えていたんですけど、上手い切り口が見つからなかったんですよね」
困りましたー、と言いながら、雅はアイスにスプーンを差して、目の前を静かに流れる信濃川に目を向ける。
ジーっと川の様子を見つめる雅。
付き合いの浅い四葉でさえ、彼女が本当に言葉に困っているというのは、何となく察せられた。
(……私、ズルいわね)
雅が何を話そうとしているのか、その内容は薄々気が付いている。
何故自分が、サルモコカイアを使ったのか……あんな危険なことを、何故したのか。雅はきっと、それが聞きたいのだと、そう思った。
雅はきっと、『無遠慮に聞けば困らせてしまうだろうから、上手く言葉を選ぼう』なんて思っているのだということは、四葉にだって想像がつく。
手に持ったアイスに目を落とす四葉。
雅を困らせない方法ならある。自分から話をすれば済む話だ。
だが、それをしない。
こちらから話をするのではなく、雅が聞いてくるのを待っている。そんな自分に、嫌気がした。
カップアイスのパッケージを眺めてから、四葉はそっと目を閉じる。
ラティアや束音に迷惑をかけてしまった今、正直に話をしないわけにはいかない。
それが例え、人に話したくないことだとしても。
話したことで、己を傷つけてしまうとしても。
今は、腹を括るべき時だ。
「束音。あなた、私がカップアイスを好きなこと、よく分かったわね」
「えっ?」
雅も、まさか四葉から話を始めるとは思っていなかったのか、ポカンとする。
「……よく見ているし、よく覚えている。あの時……久しぶり会った時だって、私のことも、私に妹がいることも覚えていた」
「えっと、黒葉ちゃんのことですよね?」
「ほら、名前だってちゃんと覚えている。……じゃあ、これも覚えているでしょ? 私が、黒葉は元気だって答えたこと」
「……四葉ちゃん?」
「……ちょっと待ってて」
そう呟くと、四葉はアイスの蓋を開け、溶けかけていたそれを、一気に半分程平らげる。そして、口に残った凍えた感触を追い出すように息を吐いた。
願わくば、自分の恐れも出ていって欲しいと願いながら。
「……ごめんなさい。あれ、嘘なの」
「…………」
「妹は……黒葉は……あいつに殺された」
「――っ?」
そして四葉は話し始める。
三年前の、あの日のことを。
四葉の……杏の……浅見家の人生が狂った、あの事件のことを。
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