第287話『笑顔』
「ふーんふーんふふふふーん」
九月七日金曜日、午後二時十四分。
この日は、僅かに太陽がのぞくだけの曇り空。暑くも無ければ寒くも無い、すっきりとした空気の非常に秋らしい日である。
新潟駅万代口から北に少し行ったところの、東西に伸びる通り……東大通。
そこを散歩する、二人の少女の姿があった。片方の娘は無口だが、もう片方の少女は、ご機嫌な様子で鼻歌を歌っている。
白いムスカリ型のヘアピンを着けた、桃色の髪をした高校生くらいの歳頃の少女に、美しい白髪をした幼い少女。
束音雅に、ラティアだ。
雅がラティアと手を繋ぎ、ラティアは周りの建物が気になるのか、辺りをキョロキョロしながらたどたどしい足取りながらも気ままに歩く。
平日とは言え、人も多い。ラティアは特に目立つからか、時折すれ違う人の目が、ラティアに釘付けになることもあった。学生の雅がこんな時間に出歩いていることに疑問を持った人も、何人かいたかもしれない。
最も、当の本人達は周りの目など、さして気にもしていないようだが。
「あ、ラティアちゃん。この近くに公園があるんですよ。ちょっと休んでいきませんか?」
雅の提案に、ラティアはコクンと頷く。
二人が手を繋いだまま、一つ向こうの道へと入ると、雅の案内の元、のんびりと公園に向かっていく。
「あ、ここですよ。結構広くて良い場所で――ん?」
公園に入った雅。ガランとした園内で、一人の少女がベンチに座っているのを見て、目を丸くした。見知った顔だったのだ。
ハーフアップアレンジのなされた、黒髪の少女……浅見四葉である。
ベンチに座る彼女の手には、カップアイス。四葉はスプーンを片手に、浮かない顔でそれを見つめていた。
「おーい、四葉ちゃーん!」
「っ? た、束音っ? ラティアまで……」
遠くから声を掛けられた四葉は跳びあがらんばかりに驚き、やって来る雅とラティアを見て慌てだす。
何が恥ずかしいのか、持っていたカップアイスを背中に隠し、顔を赤くして雅をギロリと睨んだ。
「あ、あなた……なんでここに?」
「ラティアちゃんと散歩中です。ほら、過ごしやすい日ですし。偶には家の近くだけじゃなくて、こっち側まで足を延ばそうかなって」
「平日でしょ……。子供が二人でほっつき歩いて、何か言われないわけ?」
「今のところは何も。ここら辺の警察には私達の顔が知られているみたいですし、案外大丈夫でした。それより、四葉ちゃんは何を?」
「いや、それは……」
どもる四葉。雅にあんなことを言ったが、四葉だって今日は仕事がある日だ。
最も、四葉が言葉に詰まった理由は、それだけではないのだが。
「……まぁ、別にいいでしょ。あなたには関係の無い話よ」
四葉はそう言って立ち上がろうとする。正直に言えば、今このタイミングで、雅達と会いたくは無かった。
だが、
「……な、何よ」
「うーん……折角ですし、ちょっとお話していきません? ラティアちゃんも、四葉ちゃんと一緒にいたいみたいですし」
そう言った刹那、ラティアに袖を引っ張られる四葉。ジッと見つめてくる彼女に、四葉は何も言えなくなる。
両隣を雅とラティアに挟まれ、渋々四葉はベンチの背もたれに体重を預けることにした。
(……困ったわね)
内心で冷や汗をかく四葉。彼女は『とあるレイパー』を探して、この辺りにいたのだ。中々見つからず、ここで休憩していただけなのである。
雅に相談すれば一緒に探してくれるだろうが、四葉には、それが出来ない理由があった。
「それにしても、過ごしやすくて良い日です。これで青空が見えれば言うことないんですけど、それを言ったら贅沢かな?」
そんな四葉の気も知らず、雅は軽く伸びをしてそんな毒にも薬にもならないようなことを言ってくる。
「ここ数日は色々忙しかったんですけど、今日は久しぶりにリフレッシュ出来たかも。あ、四葉ちゃん知ってます? ラティアちゃん、最近アニメにハマり始めたんですよ。この間、志愛ちゃんに布教されて。ほら、この近くにアニメのグッズとか売っているお店あるじゃないですか。今度、三人で一緒に行きたいですね、なんて話もしていて――」
ペラペラと世間話が続く雅。よくもまぁ、こんなに話せるものだと思いつつ、四葉は適当な相槌を打つ。
雅の話はその後も続く。
だが、最近のレーゼやライナ、他の仲間達がどうたらかんたらと話をしていた雅は……その話の途中で、ピタリと言葉を止めた。
「…………」
「……何よ」
「……いえ、なんかちょっと、おかしいなって」
雅のその言葉に、思わず小さく体を震わせる四葉。
一瞬、懐の『ある物』に気づかれたか……そう警戒したが、すぐに雅の意識が違うところに向いていると悟る。
雅は辺りをゆっくりと見渡し、その後、後ろを振り向いた。
「おかしい? 何が? キョロキョロして、どうしたのよ」
「……昼の二時過ぎなのに、静かすぎませんか? すぐそこに保育園があるんですよ?」
その発言に、四葉は先程とは違う意味で体を震わせた。
言われてみれば確かに不自然だ。辺りは少し騒がしいが、子供の遊ぶ声だけは聞こえない。
「昼寝しているんじゃ――いえ、それにしては遅い時間よね? まさか……」
「……行ってみましょう!」
最悪の想像が、二人の頭を過る。
「ラティアちゃん! ちょっとここで待っていて下さい!」
「ヤバそうな気配がしたら、すぐに隠れること! いいわねっ?」
ラティアにそう指示を飛ばしながら、二人は走り出すのであった。
***
保育園の入口に来た雅と四葉。二人はいよいよ、事態が深刻なものであると知る。
玄関は開けっ放しになっており、天井に設置されている防犯カメラは破壊されていた。下駄箱は倒れ、スリッパも散乱している。子供がやったイタズラにしては度が過ぎているし、先生が誰も直していないことも不自然だ。
何より不可解なのは、地面だろうか。
斑模様というべきか。地面の一部が、色が抜けてしまったかのように白くなっていた。
それを掬い上げる二人。四葉は眉を顰めた。
「……砂?」
「……嫌な感触です。もう死んだ土……そんな感じ」
「砂場の砂って感じじゃない……」
手のひらに残る砂をギュッと握りしめ、四葉は深く息を吐く。
(この感じ……あの時と似ている……)
四葉の脳裏にフラッシュバックする記憶。
それが、ゾクリと背中を震わせる。自分の探している存在がすぐ近くにいる……そんな予感がしていた。
「……子供、誰もいませんね」
辺りを見回しながら、雅がボソリとそう呟いた。
園庭には遊具があり、少し前まで使われていたような形跡がある。
保育室の近くには、大きな木材が横に並べられていた。何かに使うためだろうか。
そんなことを考えながら、一通り外を回った後、保育園の中へと足を踏み入れる二人。
荒らされた園内を恐る恐る進み、保育室を覗き込んだ瞬間――二人は大きく目を見開く。
そこにあったのは、大量の死体。
老若関係なく、皆殺しにされていた。女の子だけではない。男の子でさえ、まるで『邪魔だったから殺した』というように、乱雑な形で殺害されている。
公園で違和感を覚えた時、人が死んでいるかもしれないという想像はしていた。大量の死体が転がっていることも、覚悟はしていたつもりの雅。
しかし、二人の目に飛び込んできた事件現場は、あまりにも想像を絶するものだった。
死体の状態が、あまりにも惨たらしいのだ。
死体は四肢の根元が、まるで何かで絞められたかのように赤黒く変色している。中には抉られ、骨が見えているものすらあった。
だがそれより不気味なのは……死体の顔。
体がこのような有様になっているにも拘らず、笑顔だった。
それも、穏やかな笑顔では無い。
恐怖に引き攣った顔を無理矢理笑わせたような、そんな笑顔。
一度見たら、一生忘れることが出来ないであろう顔だ。
これまで、死体の顔がズタズタに引き裂かれたり、異様に老けていたり、逆に幼過ぎたりと、不気味な死体は何回も見てきた雅だが、これはそれらを遥かに超える、悍ましいものだった。
「な、何ですか、これ……?」
雅が何とか搾り出せたのは、そんな言葉。
それ以外に、言葉が見つからない。
四葉はそれには何も答えず、沈黙を貫いていた。
死体を見ていられず、チラリと四葉の横顔に目を移した雅は……鳥肌を立てる。
四葉の顔は、形容しがたい程に恐ろしかった。
例えるならば『親の仇を見つけた殺し屋』とでも言ったところか。
冷酷な殺気を全身に迸らせる彼女に、雅は思わず後ずさってしまう程。
四葉は、懐にしまってあった『ある物』を取り出す。
それを見た瞬間――雅の顔から、血の気が引いた。
それに見覚えがあったから。
四葉が取り出したのはスピッツ。中には琥珀色の液体が少しだけ入っている。
サルモコカイアの廃液だった。
臭いには、レイパーを呼び寄せる効力がある。
一体どこでそれを手に入れたのか……雅が一瞬だけ浮かべたその疑問は、スピッツのキャップに指を掛けた四葉を見てすぐに吹き飛んだ。
「待ってください四葉ちゃん! それは――」
雅の制止の言葉等、四葉には届かない。言葉が終わるよりも先に、キャップを弾き飛ばしてしまう。
人間には無臭に思えるが、辺りには確実に、その臭いが広がっていた。
「よ、四葉ちゃん……なんで……」
「…………」
「四葉ちゃん!」
「うるさい!」
「っ!」
雅を怒鳴りつけ、黙らせる四葉。
その時だ。
シャン、シャン――そんな鈴のような音が聞こえてくる。何かがこちらに向かってくる、そんな気配だ。二人はピタリと体を硬直させ、しかしやがて、油の切れたロボットのような動きで、音のしてきた方に顔を向ける。
刹那、
「――っ!」
四葉は目を、大きく見開いた。
二人の方へとやって来たのは……お面を被った、人型の化け物。
身長は二人と同じくらいか。きつね色の体毛で、尻尾の形状から見ても、人型の狐のように思える。
分類は『人型種狐科』レイパーか。
手には、ニメートル程のくすんだ黄金色の錫杖が握られていた。先端にある輪っかが動くたびに音が鳴り、シャン、シャンという音の正体はこれであろう。
そして――
「……お面」
ボソリと、雅がそう呟く。
顔には、笑ったお爺さん……翁のお面を被っていた。
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