第286話『黒笑』
『犬種レイパーはサルモコカイアを狙っているのだから、敢えてその部屋に誘き寄せれば良い』
これが、浅見四葉の提案した作戦だった。
警察署内にレイパーを誘き寄せることは大変危険なことであるが、このまま外をうろつかれては民間人に危険が及ぶ。故にレーゼや警察は、四葉の作戦に少し手を加え、実行に移したというわけである。
ライナに敵を足止めしてもらい、その間にサルモコカイアや他の物品を部屋の外に出し……そして犬種レイパーと有利に戦えそうな四葉とセリスティアで迎え撃つことにした。
まんまと策に嵌ったレイパー。喉と鼻の機能を潰され、出来ることは動き回ることくらい。
怒り狂ったレイパーが戦闘態勢に入る。喉を潰されていなければ、威嚇するような唸り声を上げていたことだろう。
そんなレイパーを見て、セリスティアは指をコキコキ鳴らすと――両腕に着けた小手を大きくさせ、左右合計六本もの銀色の爪を伸ばす。
セリスティアの使うアーツ『アングリウス』である。
「おら、もう逃げ場はねーぞ。大人しくぶっ倒されやがれ」
隣では、胸元にアゲラタムの紋様が描かれた銀色のプロテクター……装甲服型アーツ『マグナ・エンプレス』を纏った四葉も、軽く腰を落とし、右腕を顔の高さまで上げる。左手で拳を作り、いつでも攻撃出来る体勢だ。
一瞬の沈黙の後――レイパーは素早く二人の背後へと回ろうと、誰よりも先に動き出す。
しかし、
「通さねぇ!」
セリスティアがレイパーの前に立ち塞がった。
自身のスキル『跳躍強化』を応用し、地面を蹴ることで高速移動するかのような速度で動いたのだ。
瞬発力でも小回りでも、セリスティアとレイパーを比較すればレイパーの方が上。
だが、ここは部屋の中。移動できる範囲が元々少ないため、多少の差は表に出ない。
セリスティアはアングリウスを勢いよく掲げてレイパーに攻撃を仕掛けるが、それが当たる寸前で、レイパーは大きく跳び、セリスティアの攻撃を躱す。
しかし――避けた先には、拳を頭の上で組んだ四葉の姿があった。
「はぁっ!」
レイパーの脳天目掛け、一気に拳を振り下ろし、敵を床に叩きつける。
レイパーの体がバウンドさせられると同時に、タイルがメキリという音を立て、砕けた。
さらに四葉が追撃のように踵落としを放つが、レイパーは横っ跳びしてそれを回避。
「にゃろう!」
セリスティアが、敵が着地するタイミングを狙って一気に突っ込み、爪でレイパーを貫こうとする。
直後、部屋に高い音が響き渡った。レイパーがセリスティアの爪攻撃を、自らの爪で迎え撃ったのだ。
(こ、こいつ……意外とパワーが……!)
油断すれば押し切られそうだと、セリスティアの顔が苦悶に歪む。
一瞬膠着するが、次の瞬間――レイパーの爪が巧みに動き、セリスティアの爪を下方向へと逸らしてしまう。
「なっ?」
つんのめってしまったセリスティアの腕、そして背中を足場して、彼女の背後にいた四葉へと向かうレイパー。
セリスティアの背中を蹴ってジャンプし、空中前転。勢いを付け、尻尾を四葉へと叩きつける。
咄嗟に頭上で腕をクロスさせてその攻撃を受け止めた四葉だが、その一撃が想像以上に重く、思わず片膝を付いてしまう。
さらに地面に着地したレイパーは、四葉、そして背後から迫るセリスティアに同時に攻撃すべく、回転斬りのように尻尾を振り回した。
四葉は跳び退き、セリスティアは爪でそれを受けるが、後ろに押し切られてしまう。
「ちぃ……!」
「…………」
「中々ね、こいつ……!」
レイパーを中心に、セリスティアと四葉が前後を挟む形。
三者、一瞬でも隙を見せれば一気に攻めにいく姿勢だ。
ジリジリと張り詰める緊張感。
一瞬の間――最初に動き出したのは四葉だ。
地面を蹴って敵へ飛び蹴りを放つ……が、レイパーは横っ跳びしてそれを躱すと、壁と天井を足場に移動し、素早く四葉の背後に回り込み、さらに彼女の背中にタックルを決める。
「っ?」
「何っ?」
大きく吹っ飛ばされた四葉。その先にいるのはセリスティアだ。
セリスティアは咄嗟に四葉を避け、彼女が壁に激突した音を背後に聞きながら、『跳躍強化』を発動し、敵へと一気に突っ込む。
だが、レイパーは大きく上へと跳んでセリスティアの攻撃を避け、彼女の背中に着地すると、セリスティアの足に横から尻尾を叩きつける。
バランスを崩し、転びかけるセリスティア。
その背中をレイパーは押し倒し、彼女を地面に叩きつけてしまう。
苦悶の声を上げるセリスティアの首元目掛け、大きく口を開けるレイパー。そのまま首を噛み千切るつもりだ。
むわっとした臭いに顔を顰めながらも激しくもがくセリスティアだが、レイパーは背中からどかない。
ヤバい――そう思った、その時。
「この……っ!」
「ッ?」
四葉が間一髪のところで、レイパーの横腹を蹴って吹っ飛ばし、セリスティアを助けることに成功する。
「ゥゥ……ッ!」
潰れた喉で、激しく悲鳴を上げるレイパー。今の四葉の蹴りは、先程のライナとの戦いで負わされた傷に直撃したのだ。
傷は思っていたよりも深かったようで、蹴りの衝撃により、身を貫かれるような激しい痛みが駆け巡っていた。
「ふんっ!」
そして、そんな隙を逃す四葉とセリスティアでは無い。
四葉が左手にエネルギーを集中させ、それを衝撃波にして一気に放つと同時に、セリスティアもアングリウスを突き出し、突進する。
しかし……レイパーは痛みを堪え、二人の攻撃を大きく横に飛び跳ねて回避すると、全身の力を振り絞って前へと走り出した。
狙うは四葉――の後ろにある窓。
やや小さめの窓だが、レイパーが通れない大きさでは無い。
そこから外に出て逃げようという算段だ。ここは二階だが、レイパーからすれば些末な高さである。
「くっ……!」
途中、レイパーの狙いを悟った四葉が回し蹴りで妨害しにくるが、それをジャンプして躱すレイパー。
もう邪魔は無い。
タックルして窓を突き破り、部屋から逃げ出すことに成功する。
ほくそ笑むレイパー。後は傷が癒えるまで身を隠し、傷が完治したら、またサルモコカイアを探せばよい。そう思っていた。
だが――直後、レイパーの顔から笑みが消える。
地上にいたのは、たくさんの大和撫子達。その中には、雅やレーゼ、伊織……さらにはレイパーの知らない女性達が、皆アーツを構えていた。
レイパーが部屋から脱出してしまった時のために、地上に戦力が配置されていたのだ。
地面に着地したレイパーは探す。完全に包囲されている中でも、何か抜け道は無いか、と。レイパーの頭の中は、それで一杯だった。
だから気が付かない。
レイパーを追って、上から飛び降りてくる四葉とセリスティアのことに。
レイパーが二人の気配に気が付いた時にはもう、遅かった。
セリスティアがアングリウスの爪でレイパーの首を貫き、四葉がドロップキックを背中にお見舞いする。
二人がその場を離れると同時に、犬種レイパーは爆発四散するのだった。
***
「助かったわ。ありがとう」
犬種レイパーが倒された後、事件の後始末でバタバタし始める中、レーゼが四葉にお礼を言いにやって来た。
四葉は「別に、大したことは何もしていない」と呟き、僅かにレーゼから目を逸らす。
可愛げのない態度に、レーゼは少し苦笑いを浮かべた。
「……悪いけど、もう少し付き合ってもらうわよ。大丈夫だとは思うけど、怪我が無いか検査してもらうし、形式的なものだけど事情聴取も受けてもらわないとなのよ」
「分かっているわよ。さっさと終わらせたいから、先行ってるわね」
去り行く四葉の背中を見つめ、レーゼは心の中で溜息を吐く。
どうにも、四葉とのコミュニケーションの仕方が分からない。正直、苦手な人間だった。
(まぁ、いつか慣れるわよね……?)
そんなことを思いつつ、レーゼも現場検証を手伝いに行く。
レーゼは……いや、彼女だけではなく、他の人達も気が付かない。
四葉が人知れず、ニヤリと黒い笑みを浮かべていることに。
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