第285話『誘導』
スキル『影絵』により、レイパーの背後に出現する二人の分身ライナ。
分身達もまた、ライナと同じように白い光を纏っていた。
それを見て、高さ一・二メートルの、黄土色の毛並みをした怪物……犬種レイパーは、先程の戦いの時と同じように、耳の鼓膜が破れるかと錯覚するような音量で吠える。
廊下という細長い空間にハウリングする、レイパーのボイス。
窓が割れ、壁が揺れて罅が入り、扉が激しい音を鳴らす。
しかし――
「…………」
三人のライナは片膝を付くものの、分身が先程のように霧散しないのを見て、レイパーは低く唸る。
さっきの戦いとは明らかに何かが違うと、そう直感していた。
分身が消えないのを見て、ライナは頭痛を感じつつも、僅かに口角を上げる。
(よし! 上手くいった!)
ライナ達が纏う白い光は、防御用アーツ『命の護り手』だ。普段使っている『一瞬しか効果が無いが、大幅に防御力をアップさせるモード』ではなく、ウラに遠征する前に追加された『防御力は少ししかアップしないが、効果が長持ちするモード』を使用している。
ライナの分身は、創り出す人数によって動きの精度や耐久性が変わる。先程の敵の大音量ボイスでも分身達を消し飛ばされないように人数を抑えた。
命の護り手を使った状態で『影絵』を使ったら、命の護り手が適用された分身が創られるかは賭けだったが、どうやらきちんと適用されているようで、ライナはグッと拳に力を込める。
最も、雅が『共感』で使う『影絵』は、本人に掛けられたバフ等がそのまま引き継がれるため、恐らくはいけるだろうと予想はしていたが。
ライナ本人も、命の護り手を発動させていること、そして一度あのボイスを聞いたからか、頭や耳の奥が痛むくらいで、さっき程のダメージは無い。
消し飛ばされないライナ達に動揺したのか、レイパーは一瞬動きを硬直させる。
その隙に、同時に地面を蹴って敵に接近するライナ達。
レイパーは少し反応が遅れたものの、分身の一人が鎌型アーツ『ヴァイオラス・デスサイズ』で放った横一閃の一撃を、バク宙して辛うじて回避することに成功。
続けてもう一人の分身が、レイパーが着地するタイミングを狙って上から鎌を振り下ろしてくるが、レイパーは少しだけ体を横にずらしてその一撃を躱すと、お返しと言わんばかりに分身ライナの腹部へと尻尾を叩きつけ、吹っ飛ばす。
「はぁっ!」
直後、本物のライナが斜め上から鎌で攻撃を仕掛けにかかるが、レイパーは跳躍すると――
「なっ?」
刃へと噛み付き、攻撃を受け止めてしまう。
さらにレイパーはそのまま全身を大きく捻ると、アーツごとライナを投げ飛ばしてしまった。
壁に背中から激突し、痛みに顔を顰めてむせるライナ。
そんなライナへと止めを刺さんと走ってくるレイパー。
分身がそれを止めようと、前後から挟み撃ちするように鎌で斬撃を放ちにいくが、レイパーはそれを尻尾と爪で同時に受け止める。
だが、
「ッ!」
一瞬動きを止めてくれれば、ライナが体勢を整えるには充分。
素早く接近し、鎌を振り上げ、レイパーの腹部へと刃を突き立て、大きく吹っ飛ばした。
レイパーは軽く転がるも、すぐに立ち上がるが……攻撃を受けた腹部からは、緑色の血がポタ、ポタと垂れていた。
今が好機。そう思ったライナ達が、一気に勝負を決めるべく、レイパーへと襲い掛かる。
しかし――
「っ?」
レイパーは勢いよく走り出すと、驚くほど無駄の無い動きで、分身ライナの斬撃をスルリと躱してしまう。
怪我をしてもなお、そんな動きが出来ることに驚愕するライナ。鎌を振りかぶっていた彼女は、一瞬思考が停止してしまう。
その隙を逃すレイパーでは無い。
丁度ライナの鳩尾辺りにタックルを決め、ライナを大きく吹っ飛ばした。
肺の空気を全部吐き出してしまったような息苦しさを覚えつつ、ライナは廊下を転がっていく。
痛みと苦しさで命の護り手の制御が出来なくなり、たちまち彼女を包んでいた光が消えてしまう。
そして本体のライナが命の護り手を制御できなくなったからなのか、分身のライナ達を包んでいた白い光も、同時に消えてしまった。
分身達はレイパーへと飛び掛かるが……耐久性の下がった分身を蹴散らすこと等、レイパーには容易。
爪や尻尾を振り回し、あっという間に分身を消し飛ばすと、レイパーはサルモコカイアの廃液の臭いがする方へと向かうのだった。
***
ライナを倒した犬種レイパーは、サルモコカイアの廃液がしまわれている部屋へと辿り着き、笑いを堪えるように小さな声を上げた。
サルモコカイアの廃液があればパワーアップ出来ることは、レイパーも知っている。だからこそ、手強い女性が多いこの警察署に乗り込んだのだ。
パワーアップさえしてしまえれば、追ってくる警察や、先程は見逃したライナだけでなく、ここにいる女性はただのカモになる。存分に力を奮い、心行くまで殺戮すれば良い。
最初に自分に攻撃してきた雅や伊織、頑丈な鎧を纏ったレーゼも殺せるかもしれない。
そう心を躍らせながら、レイパーは器用に扉を開け、中に入る。
だが――
「……?」
サルモコカイアの廃液の臭いは、確かにこの部屋からしていた。現に、部屋中にその臭いが充満している。
にも拘らず、目当ての物がどこにも無い。
いや、それどころか……棚の一つすら、何も無かった。
代わりに――
「おーし、ちゃんと来やがったな、この野郎」
「ここまで上手くいくとは思わなかったわ。……残念だけど、あんたの求めているサルモコカイアは、ここには無いわよ」
そこには、二人の女性がいた。
一人は赤髪のウルフヘアーの女性、セリスティア・ファルト。
もう一人は、バイザーを着け、全身銀色のプロテクターを纏った浅見四葉。
一瞬思考が停止仕掛けたが、レイパーはすぐに悟る。自分は嵌められたのだ、と。
咄嗟に逃げようと二人に背を向けた瞬間――扉が少し開き、試験管が放り込まれる。
中には、無色透明な液体。
試験管が床に落ち、砕けた直後、
「ッ?」
液体が気化し、煙を吸い込んでしまったレイパーは声にもならない声を上げ、のたうち回る。
煙が鼻や喉の粘膜を腐食させたのだ。これでもう、大きな声で吠えることも、サルモコカイアの臭いを辿ることも出来ない。
レイパーは苦しみもがきながらも、扉を破ろうとタックルするが……びくともしなかった。
部屋の外には、大量の分身ライナと、相模原優香。先程の試験管は、優香の持つ試験管型アーツ『ケミカル・グレネード』だ。
ケミカル・グレネードの中には、レイパーの鼻と喉を潰す薬品が入っていた。
大量の分身ライナは、扉が開かないように封じるためのもの。
レイパーがガンガンと扉を叩く音を聞き、優香は「よしっ」と小さくガッツポーズをする。
「良かったわー。ぶっつけ本番だったけど、上手くいったみたいね」
「ええ。本当は私のところで倒せれば、一番良かったんですけど……」
少し痛む鳩尾を擦りながら、本物のライナが頷き、そう答える。
この部屋にはサルモコカイアが確かにあったが、さらに厳重な箱に収め、別の部屋へと移動させていた。実はライナは、それまでの時間稼ぎをしていたのだ。
残り香だけでレイパーが来てくれるかどうかは賭けだったが、鼻の利くレイパーにはちゃんと辿ってくれた。
ライナを倒したことでレイパーは油断し、部屋の周辺に警備が無いことにも疑問を覚えず、さらに二人の人間がいることにも気が付かなかったのは幸いだった。
「さて……それじゃあ、後はあの二人に任せましょうか!」
優香はそう言うと、グッとサムズアップするのだった。
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