第283話『香水』
午後五時三十六分。
雅と伊織から逃げきったレイパーは、警察署の隣にある、県庁の建物の陰に身を潜めていた。
逃げた直後は大勢いた警察所属の大和撫子達も、今は捜索範囲を広げたことで、相対的にこの近くにいる人数は減っている。
そろそろ、ほとぼりも冷めた頃合い。レイパーも再び動き出した。
サルモコカイアの廃液の臭いを辿り、身を潜めながらも警察署へと向かうレイパー。
しかし……同時に、レイパーの鼻は、近くから漂う別の匂いも感じ取っていた。
かなり強いローズの匂いだ。鼻の利くレイパーには、それが香水――しかも、香水の中でも特に強いパルファムであることに気が付いていた。
匂いの元を辿り……目に留まったのは、一人の女性。
真っ赤なワンピースを身に纏った黒髪の女性で、背中しか見えないが、恐らく二十歳にいかないくらいと思われた。
笑いを堪えるように、小さく唸るレイパー。サルモコカイアを手に入れる前に、景気づけとして彼女を殺すのも悪くないと思った。
レイパーは勢いよく飛び掛かり、女性の首を噛み千切る。
驚く程あっけなく千切れる、女性の首。
だが、
「――ッ?」
殺したはずの女性の体が、まるで煙のように消え去ってしまった。
その刹那――ガシャンという硬質な音が響き渡ると同時に、女性が付けていた香水と同じ匂いが、辺りに広がる。
レイパーの鼻の感覚が狂う程の、強い匂いだ。
「ッ?」
故に、レイパーは気が付くのが遅れる。
木の陰から飛び出てくる、女性の存在に。
たった今、殺したばかりの女性と全く同じ姿の女性。
違うのは、紫色の鎌を持っていることか。
黒いウィッグを被った、紫色の瞳の女性……変装したライナ・システィアである。持っている鎌は、彼女のアーツ『ヴァイオラス・デスサイズ』。
先程レイパーが首を噛み千切ったのは、ライナのスキル『影絵』によって創り出された分身である。香水を使い、誘き寄せたのだ。
地面には、ビンの破片が散らばっている。ガシャンという音は、この大瓶をぶちまけた音だ。
大量の香水でライナの匂いを隠し、奇襲を仕掛けたという訳である。
レイパーが混乱している隙に仕留めるべく、ライナの鎌が弧の軌跡を描き、敵の首元へと迫っていく。
しかし……惜しくもレイパーがその場を跳び退いたことで、その攻撃は空を切ってしまった。
が、ライナの顔に焦りは無い。
何故なら、
「――ッ!」
レイパーの背後の木の陰から、今度は青髪の少女が飛び出てきた。
レーゼだ。空色の西洋剣型アーツ『希望に描く虹』を片手に、レイパーの背中へと斬りかかっていた。
大量の香水が隠していたのは、ライナの存在だけではない。レーゼの匂いも隠していた。
そしてレーゼの奇襲こそが本命の攻撃である。
胴体目掛け、虹の軌跡を描きながら横に一閃するレーゼ。
だが、寸前のところでレイパーが身を屈め、その攻撃を回避してしまう。
それでもレーゼは攻撃の手を緩めない。
縦横斜めに、素早く四連撃を繰り出し、レイパーを攻め立てる。
レイパーはレーゼの方へと体を向けつつ身を反らし、跳び退いたりして、斬撃の嵐を掻い潜っていく。
しかし、後方に大きく跳び退いた直後、
「グッ?」
鋭い痛みが背中に走り、くぐもった声を上げた。
ライナがタイミングを見計らい、鎌を敵の背中に突き立てたのだ。
怯んだところで、レーゼの放った横一閃の斬撃が、レイパーの顔面に迫る。
咄嗟に爪で刃を受け止めるも、その衝撃に耐えきれず、大きく吹っ飛ばされるレイパー。
レイパーは体を捻り、しっかり足から着地すると、低い体勢で唸り出す。
レーゼは軽く舌打ちをすると、剣を上段に構え、切っ先を敵に向けて腰を低くする。
ライナも鎌を軽く振り回してから中段に構え、油断なくレイパーを見据えた。
一瞬の沈黙――しかし、それはレイパーの背後から飛び出してくる三人の分身ライナによって破られる。
上から振り下ろしてくるだけの単調な斬撃。レイパーが躱すのは容易だ。
だが、ライナの目的は敵に接近するための隙を作ること。
分身達の攻撃の合間を縫って動くレイパーの動きを読み、一気に近づいて鎌で斬りかかるライナ。
だが、
「うっ……!」
レイパーが振り回した尻尾が腹部にヒットし、ライナは大きく吹っ飛ばされてしまう。
「ライナっ? この……!」
時間差で迫っていたレーゼが放つ、縦一閃。しかしレイパーは最小限の動きでそれを避けると、レーゼの腹部へと飛び掛かり、爪で攻撃をする。
ぐっ……と、くぐもった声を上げるレーゼ。自身の『衣服強化』のスキルを発動して防御していたが、想像以上にレイパーの一撃にはパワーがあった。
よろめくレーゼに放たれる、追撃のテールスマッシュ。咄嗟に腕で防ごうとするも、その衝撃でレーゼは吹っ飛ばされてしまう。
止めを刺さんとするレイパーだが、刹那、それを邪魔しようと攻撃を仕掛けてきたライナの存在に気が付き、横っ跳びして鎌の斬撃を躱した。
その瞬間、ライナの視線がレーゼに突き刺さる。『今です!』と合図をするかのように。
何を意図しているか、考えるまでも無い。
レーゼが念じると、背中に巨大な虹のリングが出現し、同時に彼女の体が空色に輝きだす。
そしてその輝きが弾けると共に、レーゼの体に、空色を基調とした鎧や小手が出現した。
まるで騎士のようなその格好は、ティップラウラで変身出来るようになったレーゼの強化形態だ。
ガシャリと音を立てながら、レーゼは勢いよく敵に突っ込み、斬撃を放つ。
レイパーは鋭く迫る刃を躱し、反撃と言わんばかりにタックルをする……が、
「ッ?」
スキル『衣服強化』、そして鎧により各段に上がった防御力の前に、レイパーの攻撃はあまりにも空しい音を立てるのみだ。
そして、カンッ、という乾いた音と共に、レイパーの方が逆に弾き飛ばされてしまう。
地面を転がるレイパー。素早く立ち上がるも、その視界に映ったのは、辺りを覆いつくす程に大量に存在するライナ。
レイパーが隙を見せたところで、ライナはスキル『影絵』により二十人以上もの分身を創り出し、一斉に攻撃を仕掛けたのだ。
このまま数で押し切る――ライナがそう思っていた、その時。
「グルワァァァァァァアッ!」
「――っ!」
「な……っ?」
レイパーは吠える。
それは、まるで衝撃波でも放たれたと錯覚するかの音量。空気が激しく震え、離れた二人の脳を揺さぶり、そしてレイパーに群がっていた分身ライナ達が纏めて消滅する程。
爪や尻尾による攻撃が主だと思っていた二人には、完全に予想外の攻撃だった。
ガンガン鳴る頭を押さえ、片膝を付くレーゼとライナ。
その隙に、レイパーは逃げ去ってしまうのであった。
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