第31章幕間
八月三十日木曜日、午後一時三十三分。
新潟県警察本部の、とある一室。
ここは、過去の事件で見つかった物品等がしまわれている部屋だ。
ダンボール箱の中にある物をテーブルの上に広げ、時折小さく唸りながら、真剣にそれらを調べている男性がいた。
短い髪に渋い相貌で、目つきが鋭い。人によっては怖い印象を持たれそうな彼は……優の父親、相模原優一である。
すると、
「あ、やっぱりここにいた。探したわよ」
「む? ……なんだ、お前か」
優一に声を掛けたのは、肩口辺りで髪を切りそろえた女性。優の母親、相模原優香だった。
優香は「なんだ、とは何よ」と口を尖らせながらも、優一が広げていた物品に視線を向ける。
「これは、あの時の?」
「ああ。優が帰って来る前までに、一通り調べておきたくてな」
優一が調べていたのは、三年前のレイパー事件の際に集められたもの。自分も捜査に関わっていた事件だ。
このレイパーは未だ倒されておらず、行方も分からないままだった。
そんな事件を、優一は再び調べていたのである。
何故なら、その時のレイパーが再び人を殺したかもしれないからだ。
二日前の朝に見つかった変死体。一目見ただけで、優一はそのレイパーの仕業だと直感した。
「優達も向こうで、本当に頑張ったと聞いた。私も負けていられない。……そう言えば、私のことを探していたみたいだが、何かあったのか?」
「監視カメラの映像を調べていたら、あなたの言っていたレイパーが映っていたの。それを見せたくてね」
「でかした」
このレイパーはあらかじめ監視カメラの位置を把握し、映らないようにしたり、破壊して犯行に及ぶ。故に中々こういった映像物に姿を残さないのだが、目撃証言を元に科捜研やサイバーセキュリティーが懸命に捜索した結果、見つけることが出来たのである。
優香がULフォンでウィンドウを出現させ、そこに映像を流す。
犯行現場である新潟市西区青山から関屋分水路を越えて東にいったところ。中央区関南町の通りの映像だ、
「ほら、ここよ」
優香が指を差したのは、画面の右端。細い路地。
ともすれば見逃してしまいそうな、ほんの一瞬。そこに、確かに異形の化け物の姿が映り込んでいた。明らかにレイパーだ。
「よく見つけたな……流石」
「ふふん。……さて、これを拡大して――」
優香が得意気な顔でULフォンを操作し、レイパーの全身をくっきり、はっきり、大きく映す。
お面で顔が分からないが、体毛の色から、恐らく人型の狐であろう。
手に持っているのは、全長ニメートル程もある、くすんだ黄金色の錫杖。
分類は、『人型種狐科』レイパーだ。
「間違いな……い?」
「あら? どうしたの?」
「あぁ、いや、すまない。何となく、自分の記憶とこのレイパーの姿が一致しないんだ。前にこいつを見た時は、もっと大柄だったように思えたんだが……」
どこか曖昧な優一の言葉に、優香は怪訝な顔になる。
しかし、優一が人型種狐科レイパーを見たのは何年も前の話。体格が変わることもあるだろう。
それに優一は違和感を覚えつつも、記憶の中のレイパーと、今目の前に映るレイパーが同一の個体だというのは、刑事の勘で確信に近いものを感じていた。
一方で、
「…………」
自分の中の違和感を無視してはいけないということも、刑事の勘が告げていた。
***
同日、午後八時五十分。
新潟市中央区紫竹山二丁目にある、束音宅にて。
「いやぁ、やはり我が家は落ち着きますねぇ……」
リビングにあるソファにどっかりと座った雅が、のんびりとした声を上げた。
昼の三時頃に、無事に帰宅した雅達。
優や愛理達も、それからしばらくして、無事に家に到着したという連絡があった。
優一や優香への詳しい報告は明日することになっており、この日は完全にだらけモードである。
練られる時は早く寝るタイプのライナや、夜更かし癖のあるセリスティアやシャロンは、長旅や戦闘の疲れが出たのか、もう部屋で休んでいる。
一部、未だに長期休暇の宿題が終わっていない者――ファムは、部屋でノルンやミカエルに付きっ切りで宿題をさせられていた。
リビングでのんびりしているのは、雅とレーゼ、そしてラティアだけ。
「ミヤビ……あなたも、もう寝た方がいいわよ。疲れているだろうし」
「んー……でもぉ……」
母親のようなことを言うレーゼ。もう少し彼女達と一緒にいたかった雅は、何か言い返そうとしたが……そう言った直後、「ふぁぁ……」と大きな欠伸を漏らす。
レーゼの言う通り、体は疲れているらしい。
「んー……仕方ありませんねぇ……。じゃあ、寝ちゃいますぅ……。お二人も一緒に寝ません?」
「駄目よ。しばらく添い寝禁止。ウラでの一件、シャロンやマイカから聞いているわよ?」
「……ぴゅー」
「口笛で誤魔化さないの、全く」
エントラウラの宿で、四葉の部屋に潜り込み、ラティアや伊織まで連れ込んで、挙句全裸で添い寝した雅。
説教と鉄拳制裁のみでは反省しないだろうとみなされ、帰宅後、二日間の添い寝禁止令を出されてしまっていた。
逃げるように自室へと向かう雅の背中を見ながら、レーゼはやれやれと溜息を吐く。
二日の添い寝禁止程度では、恐らく雅は変わらないだろうな、と何となく思ってしまった。
「さて……私達も、もう寝ましょうか」
レーゼがラティアにそう声を掛ける。
ラティアは毎日、皆のところを順番に回り、一緒に寝ていた。今日はレーゼと一緒に寝る番だ。
レーゼは基本的に、理由が無ければ十時半頃には就寝するタイプだが、ラティアと一緒に寝る時は、九時過ぎには布団に入るようにしている。ラティアはまだ子供。夜更かしは体に悪い。
特に今日は、長旅から帰って来たということもあり、二人ともかなり疲れていた。このまま布団に入れば、すぐに夢の中だろう。
部屋に入る、レーゼとラティア。
当然ながら、他には誰もいない。
レーゼは軽く辺りを見渡して、念のためその事実を確認。
そして軽く咳払いをすると、「ちょっと良いかしら?」と声を掛けた。
小首を傾げるラティア。
少し眠そうな様子だが、どうやら自分の話を聞いてくれるらしいと分かり、レーゼは微笑を浮かべる。
そのままベッドに腰かけると、膝にラティアを座らせ、後ろからギュッと抱きしめた。
キョトンとするラティア。雅ならともかく、レーゼからこのようなスキンシップをされることは初めてだった。
「……ごめんなさい。でも、今はこうしたい気分なの。誰かが見ていると恥ずかしいし」
顔が熱くなることを抑えきれず、ちょっと浮ついた声色になるレーゼ。自分がどんな顔になっているかはまるで分からないが、人に見られたら羞恥心で死んでしまうことだけは、何となく分かっていた。
だから、ラティアをこうして後ろから抱きしめたのだ。誰かが見ていると恥ずかしい、という言葉の『誰か』には、ラティアも含まれていた。
それでも……こんなことをしたのは、きちんとした理由がある。
それは、
「ラティアに、ちゃんとお礼を言おうと思って。ティップラウラの時のことよ」
タイミングが無くて、中々言えなかったこと。
いつかは言うべきだと思っていたところに、丁度よくラティアと一緒に寝る番が回って来たのだ。欲を言えば、もう少し心の準備をする時間が欲しかったのだが、それでもこの機を逃す訳にはいかなかった。
「あの巨大な人工レイパーと戦った時……不思議な力を手に入れたの。強くて、温かい……そんな力。それが何なのか、正体は分からないけど……手に入れられた切っ掛けは分かる。きっと、あなたが私に勇気をくれたからよ。皆を守るための、勇気を」
「…………」
力の無いラティアが、ミドル級人工種ドラゴン科レイパーの放ったブレスから親子を守ろうとしたその姿。
レーゼはそこに、自分の『あるべき姿』を見たのだ。
「――ラティア、ありがとう」
つたなくても、上手くなくても、自分の言葉で感謝を伝えたレーゼ。
ラティアは言葉を喋れない。表情もあまり変化が無い娘だ。
だが……レーゼの言葉に、ラティアはそっと、彼女の手を自分の手を重ねる。
それが何よりも雄弁に、レーゼの感謝に応えていた。
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