第276話『課題』
午後七時十七分。
ここは、宿の大部屋。宿泊用というよりは、街の人が集会やイベントを行う際に貸し出しするための部屋だ。丸や長方形型のテーブルがいくつかある他は何もない、シンプルな様相をしている。
雅達の泊まる宿は、ティップラウラの人達の避難所にもなっていた。故に、まさか一人一人個室という訳にもいかず、この大部屋を全員で使うことになったのだ。
女が十六人も一室に集えば、姦しいことこの上無い。
ガヤガヤと喧噪に包まれていると、四葉は少し頭痛がしてきて、部屋の隅で皆と距離を置いているくらいだ。
皆の話題は、専ら昨日の戦いのことや、今日の復旧活動の手伝いのこと。益体も無いことをダラダラと喋っている者もいる。
この場の殆どの少女が、『今日はこのままお喋りして終わり』だと思っていた。
だが、次の瞬間。
「ところで相模原さん。あなた、夏休みの宿題は終わっていまして?」
ウェーブがかった、ゆるふわ茶髪ロングの少女、桔梗院希羅々の放ったこの一言で、部屋の空気が一変した。
希羅々に深い意図はない。ただ何気無く……本当に何となく気になったから聞いてみただけだ。
しかし希羅々にこのように尋ねられた、黒髪サイドテールの少女、相模原優の顔から、サーっと血の気が引く。
この反応を見れば、答えを聞くまでもない。顔が少し引き攣る希羅々。
「あなた……夏休みの残りは、もう五日もありませんのよ? どれくらい残っていますの?」
「いや……そのぉ……レイパーとの戦いで忙しくてぇ……」
「ど、れ、く、ら、い! 終わっているのかと聞いております。言い訳は結構!」
「……何も」
「は?」
「……うっさいわね。やってませーん! 何も! 欠片も! 一切合切全く何もやってないっての! 完全な白紙よ! 悪いっ?」
「悪いに決まっていますでしょう! 一日二日でどうにかなる量ではありませんでしたわよっ?」
「んなことは分かってるっての! そういう希羅々ちゅわぁぁぁんは終わっているんですかぁっ?」
「希羅々ちゅわぁぁぁん言うな、ですわ! 終わっていますわよ! 当たり前ではありませんの! 庶民っ、と違って私は忙しかろうが何だろうがコツコツとやっておりましたの!」
「あー、宿題マウントですかー? 偉いですねー! コツコツ精神は見習わせてもらいます来年以降はっ!」
「あー、はいはい二人ともストーップ!」
口角泡を飛ばしだした希羅々と優を宥めるように、真衣華が間に割って入る。
こうなると、自分の意思では止まらなくなるのだ。誰かが強引に制止してやらねばならない。
「いやー、優ちゃん。宿題真っ白なのは流石にヤバいし、今から進めておいた方が良いんじゃない? 希羅々もさ、自分の宿題が終わっているなら、見てあげれば? あ、私は邪魔にならないよう、外に出てるねー」
「お待ちなさい、真衣華。あなたも宿題、終わっていないでしょう?」
「…………えー、そんなことないよー」
目を逸らし、若干後ろめたそうにそう言った真衣華に、希羅々は「嘘おっしゃい」と青筋を浮かべる。
「あなたの性格を知らないと思いまして? どうせお得意の理系科目だけは終わっていて、苦手な文系科目は手付かずでしょうに!」
「あ、せこい! 希羅々ちゃんを私に押し付けて、自分は逃げる気だ!」
「やっば、バレた! 逃げる――あ、ちょ、待って!」
慌てて二人に背を向けた真衣華だが、速攻で羽交い絞めにされる真衣華。
ギブギブと悲鳴を上げながら、希羅々と優に引き摺られ、宿題をやる羽目になった。
すると、
「ファムー? どこいくの?」
「……ノルン、声が怖い」
希羅々達三人のやりとりを見て、こっそり部屋を抜け出そうとしていたファム。
それを阻止されるようにノルンに肩を掴まれ、背中に嫌な汗が流れる。心なしか、ノルンの手の力も強い気がした。
なお、ウェストナリア学院も、今は長期休暇中である。
無論、学生に出されるものもちゃんと出されている。
「ファムもやろ? 私が見てあげるから」
「なんで終わっていない前提なのさ?」
「終わってないでしょ? 絶対何もしてないでしょ? 見えるよ私。最終日に『宿題手伝って―』って頼むファムの姿が」
「……未来視で、そんな未来が見えたの?」
「長年の付き合いで分かるの! 宿題は自分でやらなきゃ駄目なんだからねっ!」
毎年休みの終わり頃になると、ファムに宿題を手伝わされるノルン。
同じ宿題を二回もやるのは、ノルンにとっても中々の苦行だ。
「だ、大丈夫だって。今年は手伝ってなんて言わないよ。ほら、宿題なんて、解答も一緒に配られているんだから、それを適度に写せば自力でやったっぽく――」
「ファムちゃん? 駄目よ」
「あー……そういやここに、先生いたねー……あははは……」
本当についうっかり口を滑らせてしまったが、後悔してももう遅い。
ノルンとミカエルに監督されながら、ファムは渋々、自力で宿題を終わらせ始めるのだった。
***
「……昔を思い出すわ」
レーゼが、優や真衣華、ファム達がヒィヒィ言いながら宿題をしている姿を見て、苦い顔になる。
レーゼは計画的に終わらせる側の人間だが、過去に一度だけ、やっていない宿題があったことに直前で気が付き、彼女達のように大慌てで終わらせたことがあったのだ。
「シアは余裕そうね。ちゃんと終わらせたのかしら?」
レーゼが隣にいる、ツーサイドアップの髪型をしたツリ目の少女、権志愛にそう尋ねると、志愛は「ふふン」とドヤ顔になる。
「勿論。学生の本分は勉強でス。夏休みが始まっテ、五日で全部終わらせましタ」
「それはそれでどうなのかしら……? いえ、終わっていないよりは全然良いんだけど」
「おヤ、レーゼさんハ、早期に纏めて終わらすことには否定的ですカ?」
「毎日コツコツ、一定量をきちんとこなすべきだと思うのよ。毎日の継続が重要な訳だし」
「トレーニングと一緒ですネ。来年からは気を付けまス」
「あぁ、ごめん。なんか説教臭くなっちゃったわね。私も歳なのかしら?」
そう言って眉間を揉むレーゼに、志愛の隣にいる三つ編みの少女、篠田愛理が「いやいや」と苦笑を浮かべた。
「マーガロイスさん、私達より一つ年上なだけじゃないですか。私達の世界なら、花の女子高生真っ最中ですよ」
「そう言えば、あなた達と割と歳が近いのよね、私。どうもそんな感じがしなかったけど……。ところで、アイリは宿題、どうなの?」
そう言った直後、「あー」と曖昧な返事をしだした愛理に、レーゼは「あら、意外」と驚いたような顔をする。
「ははは、いや実は、少し分からないところがあって、そこで手が止まってしまいまして。少しだけですが残っているんですよね。……そうだ、権。悪いが教えてもらっても良いか?」
「いいゾ。私で良けれバ、力になろウ」
「私も覗いてもいいかしら? もしかすると、ちょっとは力になれるかも」
「手が多い方が助かります」
言いながら、愛理は人差し指をスライドさせ、ULフォンで空中にウィンドウを出現させる。
二次関数の小難しい式やグラフが現れ、レーゼは細く息を吐く。
「どこの世界でも、やることは似たようなものなのね」
「あレ? レーゼさんモ、二次関数はやったんですカ?」
「選択授業で、ちょっと齧った程度よ。バスター試験の筆記で出題されるから、基本的なところは押さえておかないといけなくて。でも良かった。これくらいなら私にも解けるわ。さっきはあんなことを言ったけど、前にシアに見せてもらった小論文の課題はちんぷんかんぷんだったから、実はちょっと不安だったのよね」
「マ、マーガロイスさん。一応この問題、大学で出題されたものらしいんですが……」
問題文の最後に書かれている『二二〇九 新潟大学(改)』の字を見て、『これくらいなら』と言ったレーゼに、愛理は畏怖の声を上げた。
(マーガロイスさんの『ちょっと齧った』って、もしや私の想像するレベルを遥かに超えているのでは……?)
レーゼが優秀なのか、問題が簡単なのか……普段の行いや言動を鑑みると、恐らく前者だろう。
愛理は二人が見やすくなるように、ウィンドウを大きくする。
だが、
「おい権。なんで離れて座るんだ?」
「いヤ、だっテ……」
言い淀みながら、顔を赤らめた志愛。愛理が何だか嫌な予感がして、顔を引き攣らせる。
「権、まさかとは思うが……」
「すまないとは思っていル。だガ、やっぱり隣だト、声も近いというカ……」
愛理の発する、落ち着いたアルトボイス。動画投稿者『Waytuber』をやっている彼女の声は、非常に聞き取りやすく、聞くものを虜にする響きがある。
志愛も愛理の声に魅了された一人だ。
「最近は平気そうにしていたじゃないか!」
「戦闘中ハ、割と平気なんダッ! そんなことを気にしている余裕も無いシ! でもやっぱり平時ハ……!」
「なら戦闘中と同じ気持ちで教えてくれれば良いだろう! 君が離れるなら、私が近づくぞ!」
「やめロー! 雌の顔にされてしまウー!」
「何をやっているのよ、あなた達は……」
愛理と志愛のやりとりに、レーゼは呆れたようなことを言いつつも、クスリと笑みを零した。
そして、そんな様子を遠巻きに眺める、二人の女性。
「いやー、学生だねぇ」
「そうっすねー。しかし皆、真面目っす。終わらそうとするだけ偉いっす」
そんなことを言ったのは、赤髪ミディアムウルフヘアーのセリスティア・ファルトと、伊織だ。
伊織の発言を聞いたセリスティアが、「ん?」と言いながらもちょっと悪い顔になる。
「なんだ、イオリは諦めるタイプか? なら俺と同じだな。やらなかったところで、先公に叱られりゃあそれで終わりだからな、はっはっは」
「いや、そもそも最初からやる気がねかったっす。うち、不良だったっすから。あんなもん、貰った瞬間デリートっす。消してしまえば、後ろめたさもなくなるっすよ。これ、豆知識っす」
「ワルだねぇ。かっこいいじゃねぇか。でもそれじゃ、成績なんてどん尻だったんじゃねーか?」
「よく分かっているじゃねーっすか。何なら余裕の最下位っすよ、うち。でもなんも問題ねーっす。学校の勉強なんて役に立ちゃしねーっすからね!」
「勉強出来ても、仕事出来ねー奴も多いもんな! 逆に言やぁ、仕事さえ出来れば勉強なんて出来なくても良いってことだ」
セリスティアがそう言うと、二人は揃って笑い声を上げる。
なお、二人ともバスターや警察になるための筆記試験の勉強で地獄を見た経験があるのだが、過ぎて数年も経てば記憶から消えていた。喉元過ぎればなんとやら、だ。
だが、その刹那――鋭い視線を感じて、二人の顔から笑みが消えた。
「頑張っている学生を目の前にして、あなた達は……」
ミカエルの、珍しく本気で怒ったような声に、セリスティアと伊織は思わず跳びあがるのだった。
***
「そう言えばシャロンさんは、学校とかどうだったんですか? そもそも学校ってあったんですか?」
皆の様子を見ていた雅が、ふと気になって、隣にいる山吹色のポンパドールの幼女、シャrン・ガルディアルにそう尋ねる。
雅の隣にいる、銀髪フォローアイの髪型の少女、ライナ・システィアも気になるのか、少し身を乗り出した。
シャロンは少し考え込んでから、昔を懐かしむような目になり、ゆっくりと口を開く。
「お主らのイメージする学校とは多分違うと思うが……読み書き程度の簡単な勉強なら、させられたのぉ。宿題に悩まされたのも、今では良い思い出じゃ。因みに儂は、ちょっとサボり気味な方じゃった」
「あぁ……私も、後ろまで溜め込んじゃうタイプです」
「あれ、意外。ライナさんはコツコツ派だと思っていました」
「歴史とかは、やっていて楽しいからすぐ終わるんですけど、苦手な科目は後回しにしちゃうタイプで……」
あはははは、と力の無い笑みを浮かべるライナ。
一度始めたら、キリがいいところまで集中して取り組めるのだが、始めるまでに時間が掛かるタイプだった。
「……あ、ところでミヤビさんは、宿題って大丈夫なんですか? 学生なんですよね?」
「んー、今は休学中なんですよねぇ。私って宿題、出されているんでしょうか?」
「いえ、それは分かりませんけど……」
いかにもな間抜け面をして首を傾げる雅に、ライナは他に何も言えない。
すると、部屋の戸が開く。
ラティアがお茶の置かれたトレーを持って部屋に入ってきたのだ。
しかし、ラティアの体に対し、持っているトレーのサイズが大きすぎる。全部で十六個ものカップを一度に運ぼうと頑張っているが、足取りはふらついていた。
「あ、ラティアちゃんありがとうございます。こっちは私が運びます」
「向こうは、私が持っていきますね」
「あっちは儂に任せよ」
お茶を運ぶラティアの動きが危なっかしく、慌てて雅とライナ、シャロンが手伝い出す。
三人が手伝ってくれて、あっという間にカップが減っていき、ラティアのところに残ったのは二個だけ。
ラティアはその内の一つを、壁際に寄りかかって皆のことを気だるげに眺める、浅見四葉のところへと持っていくと、スッとカップを差し出した。
「いや、私は別に……」
「…………」
やんわりと拒否した四葉だが、ラティアは半ば無理矢理四葉の手にカップを押し付けると、四葉の横に座り込んでしまった。
突っ返そうとしたが、その時ふと、船の中でラティアを拒絶した際の、彼女の寂しそうな背中が頭に浮かんだ四葉。
ここでお茶を突き返せば、あの姿をもう一度見ることになるだろう。正直、それは嫌だった。
「…………ありがとう」
小さくお礼を言うと、ラティアから渡されたお茶を、ジッと見つめる四葉。
チラっと、隣に座るラティアを見る。
自分はラティアを少し避けているのだが、ラティアは自分と距離を縮めようとしてくれている……それが何となく分かるから、四葉は気まずい。
(……夕飯、ラティアも連れていけば良かったかしら?)
つい浮かんでしまった、そんな考え。
それを消し去るように、四葉はグッとお茶を飲み干すのだった。
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