第29話『壁画』
辿り着いた扉の前で、雅とミカエルは立ち尽くす。
扉は真ん中から左右に開くタイプの扉となっており、中心から少し下の方に、取っ手が二つついている。
今までは通路を歩いていると、広い部屋に出ることは偶にあった。
しかしその部屋は入り口が解放されており、扉のようなものは全く無かった。
明らかに今までとは違う雰囲気。扉があるのだから、この先は部屋だろうと予想は出来るが、中に何があるかは分からない。
「……入っていいのかしら? 罠があったりしない?」
「勘ですけど、多分大丈夫だと思いますが……」
「まあ、ここで立っていても仕方が無いし……心の準備が出来たら、入ってみましょう」
「私はいつでも」
雅はミカエルに向かって、力強く頷いて見せる。
年下の女の子が覚悟を決めているのに、自分が臆するわけにはいかない。ミカエルは少しだけ目を閉じて精神統一すると、目を開け、雅に向かって無言で頷く。
二人は扉の取っ手をそれぞれ片側ずつ掴むと、同時に勢い良く開け放ち、奥へと踏み込んだ。
そして――
「――っ!」
「――こ、これは……っ?」
二人は思わず、言葉を失う。
そこは、大人が五十人入っても不自由なく動けるくらいのスペースのある部屋だった。天井もかなり高い。十メートル程もある。
床には白い絨毯が敷かれ、壁には観賞用と思わしき武具が飾られている。
出入り口は今雅達が入ってきたところだけ。行き止まりだ。
入り口と反対方向にある壁には装飾品等は飾られていないが、その代わりに壁一面にでかでかと絵が描かれていた。
「ミヤビさん、あそこ……」
ミカエルが指差した方に顔を向ければ、そこには服を着た骸骨が床に崩れ落ちていた。
近づいて調べて見ると――
「これ……ミヤビさんのと同じ服じゃない?」
「こ……これ、学校の制服です……私の世界の……」
「なんですってっ?」
雅が、声を震わせながらそう呟く。
骸骨が着ていた服は、今まさに自分の着ている制服……雅の通う高校の制服だったのだ。
「……ここで亡くなってから、随分時間が経っているわね」
「ミカエルさん、もしかして……」
「ええ。ガルティカ遺跡で見つかった指輪の持ち主は、きっとこの人の物よ……」
ミカエルが眉を寄せてそう告げると、雅は悲しそうな顔で骸骨を見る。
「この人も私と同じように、この世界に転移してきたんですね……。でも来たのがこんなところで、出られなくなって……餓死してしまったんでしょうか?」
「死因までは分からないけど、多分……。私達が無事に戻れたら、丁寧に埋葬してあげましょう。こんなところでそのままなんて、あんまりだわ」
「お願いします。でも、どうやって連れて帰るんですか?」
「魔法があるのよ。ちょっと難しい魔法なんだけど……」
そう言うと、ミカエルは杖型アーツ『限界無き夢』を骸骨に向ける。
すると、骸骨や制服が光の粒子となって、ミカエルのアーツに吸い込まれていった。雅の口から思わず感嘆の声が上がる。
これは非生物を異空間に収納する魔法だ。使用者の保有する魔力によって収納できる物の数や大きさが決まる。ミカエルの言葉通り少し習得に難儀する魔法で使える人は多くは無い。使える人でも収納できるのは小さいバッグ程度だが、ミカエルくらいになるとこの骸骨や制服はギリギリであるが収納出来る。
そして二人は、入った時から気になっていた、絵の描かれた壁に近づいていく。
壁の中心には、ミディアムの髪型の、白髪の美しい女性が大きく描かれており、彼女の足元には老若男女様々な人がひれ伏している。ひれ伏している人達は皆一様に、白い布のようなものを体に巻きつけ、左肩を露出させている。古代ギリシャでよく見る服装に酷似していると、雅は感じた。
そしてその近くには――
「これは……竜?」
中心に立つ女性の近くに、大きな翼を広げた、赤い鱗に全身を覆われた生き物が描かれている。その姿形が、雅の良く知る西洋の竜に似ていた。その竜も、まるで中心の女性に敬意を払っているかのように頭を垂れていた。
「……の、ようね。竜はもうとっくに絶滅した生き物のはずだけど、この絵が描かれた時にはまだ生きていたのかしら?」
「真ん中の女性……すっごく綺麗です。でも、何でこの人だけこんなに大きく描かれているんでしょう?」
「多分神様なんだと思うわ。ほら、頭の上を見て。色が薄くて分かり辛いかも知れないけど、輪っかがあるでしょう? この世界の神様は、頭上にあんな感じの輪っかが描かれていることが多いの」
「へぇ。私達の世界では、こういう輪っかって死者の頭の上に描かれることが多いんですけど、やっぱり文化が違うと意味も違うんですね」
そんな事を言いながら、雅の意識はこの女性――の姿をした神様に集中する。
どこかで見た事がある気がした。
悩む事数秒、
「この神様……あ、そっか。石版の!」
雅は思わず声を上げる。
階段ピラミッドの頂上で見た、風化した石版に刻まれた線。それがここに描かれた神様の輪郭と一致したのだ。
「石版……そう言えば、ピラミダの上にあったわね。実物はよく見てないんだけど……でもあの石版って風化しすぎて、最早何が描かれているのかもさっぱりって話よ?」
「ミカエルさんが来てすぐに転移が始まりましたからね。石版に直接描かれていたわけじゃなくて、なんかそれっぽい跡があって、女性のボディラインっぽいなぁって。ファムちゃんには『そう見えるのはミヤビだけ』って言われちゃいました」
「ほぅ。私も見られたら良かったのだけど……その石版にも、これと同じ絵が描かれていたのかしら?」
「細部までは分からないですけど、神様のポージングは同じだと思います」
そうでなければ、雅のイメージとこの絵は一致しない。だから雅はそう推理した。
ミカエルは顎に手をやりながら考える。
この絵に描かれているのは、神様とそれにひれ伏す人々、そして竜だけだ。これだけでは、何を伝えたいのか分からない。
しかし、わざわざ壁画として残してある以上、何か意味があるはずなのだ。
「災害や飢餓から助けてくれと祈っているわけではなさそうね。それなら、それを思わせるものが描かれているはず……。なら、単なる信仰心から? と、すると……」
ミカエルは、今自分がいる部屋を見渡してから、改めて壁画に視線を戻す。
そして部屋の真ん中あたりまで下がると、納得したように頷いた。
「成程。もしかするとこの場所は、ガルティカ人にとっての教会のような場所だったのかもしれないわ」
「教会?」
「神様の胸の辺りにある模様を見て」
「模様?」
そう言われ、雅はそこを注視する。
確かにミカエルの言う通り、神様の胸の辺りに、複雑な、幾何学的な模様が描かれていた。
「この模様の真ん中に、大きな四角形があるでしょ? そこ左上の辺りから伸びる線から、一番上にある小さな四角形を目指して辿っていくと……私達が通ってきた道と一致するわ。きっとこの場所は、上から見るとこの模様と同じようになっているのよ」
「は、はぁ?」
雅は目をパチクリとさせて、ちょっと間抜けな声を上げる。雅はあの大きな部屋からどこをどう通ってここまで来たのかなんて覚えていない。ちゃんと記憶していたミカエルには脱帽だ。
故にミカエルの話を論理的に肯定も否定も出来ないので、彼女がそう言うならそうなのだろうと、納得することにした。
「この部屋はお祈りの部屋で、この壁画に向かって祈りを捧げていたのかも。こんな風に」
ミカエルは、神様にひれ伏す人々を指差してそう言う。
「……もしミカエルさんの言うことが本当だとするならば、ここから地上に戻る方法があるはずですよね?」
「ええ、きっと。私の予想が正しければ、この模様のここかここ、あとここら辺が怪しいわね。それか、最初の大部屋にあった神殿も可能性があるかも」
模様のいくつかの四角形を指しながらそう言ったのを聞いて、安堵したように雅は息を吐く。
「取りあえず、ずっとここに閉じ込められるなんてことにはならなくて良かったです」
「後はファムちゃんと合流して、あのレイパーを撒く方法を考えないとね。それにしても」
ミカエルはそこで言葉を切って、ジッと壁画を見つめる。
「一体何の神様を信仰していたのかしら? こんな模様は見た事が無いし……そもそもガルティカ人が、何らかの宗教を信仰していたなんて初耳よ」
「ライナさんなら、何か知っているかも」
「そうね。無事に戻れたら聞いてみましょう」
ミカエルは両手の親指と人差し指で四角を作ると、少しずつ後退して指で作った枠の中に壁画の全体を入れる。
そして突如放たれるフラッシュ。これは映像保存の魔法だ。要は写真撮影するのと同じである。この魔法はちょっと練習すれば誰でも使える魔法で、保存した映像は空中に映し出すことも可能だ。
「さて、ファムちゃんを探しにいきましょう。あのレイパーには充分注意して――って、あら?」
「あれ? 何でしょうか?」
そこで、雅とミカエルは、部屋の隅で何かが光ったことに気が付いた。
近づいてみると、奇妙な物が落ちている。
「これは……鏡?」
雅とミカエルは互いに顔を見合わせて、首を傾げるのだった。
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