第253話『河馬』
午後三時四分。
ティップラウラ中央部。
三人の女性が、街中を走り抜ける。
一人は、青髪ロングの女性。翡翠の眼に、剣型アーツ『希望に描く虹』を腰に携えた彼女は、レーゼ・マーガロイス。
その横にいるのは、目つきの悪い、おかっぱの女性。右手の薬指に指輪を嵌めた彼女は、冴場伊織である。
その二人の後ろには、ティップラウラのバスターが続いていた。バスター署の署長から連絡を受け、レーゼ達と合流した女性である。
三人が向かう先は、街の北側。葛城が暴れていたエリアより、少し東にある辺りを目指していた。
というのも、その辺りに一体、レイパーがいるという情報が入ったからだ。
そして、
「敵はどこかしら?」
「多分、この辺りだと思うんすけど……」
「隠れているんでしょうか……?」
走りながら、辺りを見渡すレーゼと伊織に、バスター。
すると――レーゼの視界の端で、誰かが通り過ぎるのが映る。
ちらっとしか見えなかったが、その人物は……
(黒髪の男? ……まさか!)
レーゼも見覚えがある人物だった。
ノストラウラでサルモコカイアを採取していた、あの男である。
「二人とも、敵が――」
と、レーゼがそこまで言いかけた、その時。
レーゼは見た。
巨大な口を、大きく開いた化け物が、バスターのすぐ後ろに迫っていることを。
直後、伊織もその存在に気が付く。
逃げろ、後ろだ……そんな言葉を叫ぶより、化け物が口を閉じる方が早い。
バスターがようやく自分の危機に気が付いた時にはもう、遅かった。
彼女は悲鳴を上げる暇もなく、一瞬の内に、上半身を噛み砕かれてしまう。
口を開きかけたまま、言葉の発し方を忘れてしまったレーゼと伊織。
そこにいたのは、ずんぐりとした頭を持った、人型の化け物だ。
全体的に黒い皮膚に覆われており、巨大な口からは小さな牙が生えている。
バスター署で聞いていた通り、カバを人型にしたようなフォルムだ。
一方、奇妙な部分もある。額に三十センチ近くの大きさの、三日月型の黒い角が生えていること。全体的に黒い皮膚だが、脛から下は、金色の毛に覆われていること。そして、カバには無い、割れた蹄があることだ。
「あの毛皮と角……中国に、それっぽい珍獣がいたっす! 確か、ゴールデンターキンっすね!」
「それに、頭部が歪ね。つまり人工レイパーか……!」
声の出し方をようやく思い出したかのように、二人はそう言った。
殺されたバスターについて言及しなかったのは、出来なかったからだ。かける言葉が見つからないとは、このことか。
分類は『人工種コビトカバ科』レイパーだろう。
人工レイパーは、今し方噛み砕いたバスターの肉塊を地面に吐き捨て、崩れ落ちた体の上を無造作に通りながら、二人の元へと向かってくる。
その行動に、奥歯をギリっと鳴らす、レーゼと伊織。
「イオリ! こっちよ!」
レーゼはアームバンドを緩めて袖を降ろし、剣を抜く。
切っ先を人工レイパーに向けたまま、敵から離れる方向へと走り出した。
ここで戦えば、殺されたバスターの死体が、さらに無残なことになってしまいそうな予感がした。それが我慢できなかったのだ。
「レーゼちゃん! そこの角を曲がるっす!」
伊織が、自分達を追いかけてくる人工レイパーを見ながらそう叫ぶと、レーゼは頷く。
「イオリ! こいつは多分、私達がノストラウラで見つけた男の変身態よ! 人間のままでも、私達と戦える格闘技術を持っている……。充分気を付けて!」
「分かったっすよ!」
***
レーゼと伊織が、敵を連れてやって来たのは、小さな広場。
ここなら、戦いやすい。
「はっ!」
レーゼは声を張り上げ、横に一閃を放つ。
虹の軌跡を描きながら、人工レイパーの頭へと向かう刃。
だが――それがクリーンヒットすることは無い。
ゴン、という鈍い音と共に、人工レイパーが三日月の角で、レーゼの斬撃を受け止めたからだ。
そして間髪入れずに角を動かし、剣ごとレーゼを弾き飛ばす。
「この……っ!」
レーゼが無理な体勢のまま、諦めずに斬撃を繰り出そうとした、その瞬間。
人工レイパーが大きな口を開け、レーゼの胴体へと噛み付こうとする。
回避は間に合わない。
レーゼがそう思うよりも早く、レーゼの左腕がガードに動く。
反射的な己の行動に、レーゼは即座にスキル『衣服強化』を発動。
刹那、着ている服が、鎧並みの強度へと変化する。
直後、人工レイパーの口が、レーゼの腕を捕らえる。
「っ……!」
骨が折れたと思うような激痛。人間の体を噛み砕く顎の力だ。防御スキルを使っても、ダメージなど完全に防げるわけもない。
だが、
「こっちっす!」
伊織の声が轟くと同時に、レーゼと人工レイパーの足元近くに、小型のミサイルが着弾。
伊織の右腕には、ランチャー。彼女のアーツ『バースト・エデン』である。
爆発と共に吹っ飛ばされ、その衝撃で、人工レイパーの口からレーゼは解放された。
いち早く体勢を整えたレーゼは、希望に描く虹を握りしめると、「ちぃっ!」と舌打ちをしつつ、片膝を付く人工レイパーへと突進していく。
無謀だ。
外から見ていた伊織は、そう直感する。
しかし警告を飛ばす間もなく、人工レイパーの口が、再びレーゼへと襲い掛かった。
今度は、咄嗟に腕でガードする暇もない。
「がぁ……っ!」
「レーゼちゃんっ!」
人工レイパーはレーゼの胴体に噛み付き、顎に力を入れる。
メキリ、メキリと悲鳴を上げる骨。
スキルにだけでは限界で、防御用アーツ『命の護り手』を使っていても、この有様だ。
それでも、中々噛み砕けないことに痺れを切らしたのか、人工レイパーはレーゼを地面に叩きつけ、
「あぐ……ぁ……っ!」
その体を、思いっきり踏みつける。
「くっ……」
敵にランチャーを向けながらも、先程のように攻撃が出来ない伊織。
(今攻撃しても、レーゼちゃんに当たるっす……! ど、どうすりゃいいんすか……?)
悩む間にも、レーゼの苦悶の声は木霊し続ける。
一か八か、撃ってしまおうか……伊織がそう思った、その時だ。
誰かが背後に迫る気配を感じ、人工レイパーが振り返る。
刹那、針のように鋭い一撃が、向かってきた。
それは、金色のレイピア。
敵が咄嗟にその場を跳び退き、その攻撃を回避する。
レーゼが、息を荒げ、胸を押さえながら、今自分を助けてくれた人物を確認すると、
「あら、外れてしまいましたわ……残念」
そこにいたのは、ゆるふわ茶髪ロングの少女。
レイピア型アーツ『シュヴァリカ・フルーレ』を構えた彼女は……
「キ、キララ……!」
「希羅々ちゃん! 来てくれたっすか!」
桔梗院希羅々だった。
彼女はレイピアのポイントを敵に向けたまま、二人を安心させるように、微笑を浮かべる。
「遅れてしまって申し訳ありませんわ。不慣れな土地なものでして。――あぁ、そうそう」
希羅々がそこで言葉を切った刹那。
人工レイパーは、左右から飛び掛かる、二人の少女の気配を悟る。
「来ているのは、私だけではありませんわ」
敵に襲い掛かったのは、篠田愛理と、橘真衣華だ。
「はぁぁぁあっ!」
「やぁあっ!」
二人は刀型アーツ『朧月下』と、斧型アーツ『フォートラクス・ヴァーミリア』を手に、人工レイパーへと飛び掛かる。
愛理の縦に振り下ろした一閃は、体を反らして回避。
真衣華の二艇の斧――片方は、『鏡映し』のスキルで増やしたものだ――による連撃も、初撃はバックステップで躱し、二撃目は……
「っ?」
刃に噛み付き、受け止める。
真衣華はこの一撃を放つ際、自身のスキル『腕力強化』を発動させていた。
そうとうに重く、勢いのある一撃。
それを口で受け止められてしまったことに、真衣華は戦慄の表情を浮かべる。
しかし、それだけでは終わらない。
「きゃっ!」
甲高い音と共に、噛まれた真衣華のアーツが砕けたのだ。
人体すら容易に破壊出来る顎の力。『鏡映し』で増やした方のアーツとは言え、頑丈さに秀でているはずのフォートラクス・ヴァーミリアがあっさりと破壊されてしまった現実に、真衣華の背筋が凍り付く。
だが、
「こっちですわよ!」
「ッ!」
ここで人工レイパーは少し油断してしまった。
二人の奇襲を捌くことに意識が向きすぎ、希羅々が接近していることに気が付くのが、僅かに遅れてしまったのだ。
希羅々の放った、レイピアによる鋭い突きは、人工レイパーの横腹に命中。
そのまま、敵を大きく吹っ飛ばす。
そして、
「皆! 下がるっす!」
伊織の声が轟くと同時に、小型のミサイルが十発以上、人工レイパーへと放たれていた。
直撃こそしないが、地面に着弾したミサイルが地面を砕き、その衝撃でまたしても大きく吹っ飛ばされる人工レイパー。
「よし! このまま畳み掛けて――」
愛理が刀の切っ先を敵に向け、そう叫んだ、その時だ。
彼女達の上空を、何かが通り過ぎる。
緋色の鱗と翼を持った、人型の化け物。顔には般若のお面がある。まるで竜を人型にしたようなそいつは、人工種ドラゴン科レイパー。
つまり、
「クズシロっ! 何故あいつがここにっ?」
「やべぇっすよ……あっちは、避難所がある方っす!」
「えぇっ?」
思わず、葛城に気を取られてしまった五人。
だが、それが迂闊だったと、すぐに理解する。
「しまった! 奴が逃げる!」
「追いますわよ!」
人工種コビトカバ科レイパーが、葛城を追って、その場を去る姿を見た愛理と希羅々が、表情を強張らせてそう叫ぶのだった。
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