季節イベント『強母』
これは、レーゼが七歳……彼女がまだ、アーツを持っていなかった時のお話。
その日、レーゼは一人で、ノースベルグの商店街にある花屋さんに来ていた。
少し緊張した面持ちで花を買うレーゼ。一人で買い物に来るのは、実は初めてだった。おまけに両親には内緒で家を出てきたのだから、尚更だ。
こっそり買い物に来たのには、理由がある。
今日は、母の日。
異世界にも『母の日』というのがあり、カーネーションを贈る風習がある。レーゼはそのカーネーションを買いに来た。
要はサプライズ。子供ながらに、母に喜んでもらおうと考えたわけである。
小さな花束しか買えなかったが、子供のお小遣いなら充分だろう。これで母は喜んでくれるだろうかと、期待不安の入り混じった顔で帰路に着いたレーゼ。
だが、
「逃げろー! レイパーが出たぞー!」
そんな声が聞こえた次の瞬間にはもう、商店街は混乱に包まれていた。
あまりに突然のこと。
周りの人達が逃げ惑うのが、レーゼの目にはスローモーションのように映っていた。
どこか他人事のように茫然とその場に突っ立っていたレーゼが、事態をきちんと把握出来るようになったのは、彼女の視界に、人型の狼のような化け物が飛び込んできた時。
分類は『人型種ウルフ科レイパー』と言ったところか。
幸い、レイパーはまだレーゼには気が付いていない。
ゆっくり……ゆっくりとその場を離れれば、レイパーに気が付かれることなく逃げられるだろう。
しかし、レーゼは動くことが出来なかった。
レイパーを見たのは、これが初めて。遠目からでもビリビリと伝わってくる威圧感と恐怖に、身が竦んでしまっていたのである。
状況が変わったのは、レーゼの背後で、ガサリと音が鳴った時。
実は、人が捌けたこの場にいたのは、レーゼだけでは無かった。
レーゼよりもう少し幼い少女が、すぐ側にいたのである。
へたり込む少女の側には、レーゼと同じカーネーションの花束が。きっと彼女も、自分と同じ理由で花を買いに来たのだと、レーゼは思った。
レイパーが二人の方を向き、その口元が三日月型に歪む。
歩み寄って来るレイパーの目は、レーゼの背後にいる少女へと向けられていた。まずは彼女から仕留めようと、そういう目だ。
レーゼが、油の切れたロボットのような動作で少女の方を見れば、彼女はガクガクと震え、目からは涙が溢れていた。
それを見てしまったからだろうか。
気が付けばレーゼの体は、ひとりでに動き出していた。
自分が持っていたカーネーションの花束を、レイパーに投げつけたのである。
何故そんなことをしたのか、レーゼも分からなかった。
自分より幼い彼女を守らなければ……という使命感を理解していたわけでは無い。しかし、それに近いものが、彼女を突き動かしたのだけは確かだ。
しかしその行動で、レイパーの標的が、少女からレーゼに変わってしまう。
「は……はやくにげてっ!」
「で、でも……おねえちゃんが……」
「わたしはいいからっ! はやくっ!」
必死で、レーゼはそう叫ぶ。
もたつきながらも立ち上がり、よろめきながらも逃げ出す少女。
彼女とは別の方向に、レーゼは走り出した。
だが――
「ぁぐっ……!」
一瞬。
ほんの一瞬でレイパーに追いつかれ、首を掴まれ地面に押し倒されてしまう。
じたばたもがくが、レイパーの力には敵うはずも無い。
低く、どこか楽しそうな唸り声が迫って来るのが分かり、レーゼの目からも涙が零れる。
怖くて怖くて堪らなくて、助けを呼ぶ声さえ出ない。
それでも、レーゼは必死で祈る。
お母さん、助けて――と。
大きな口を開け、レーゼを食い殺そうとするレイパー。汚い涎がレーゼに零れ落ち、そこに薄ら残る血の臭いが、彼女の恐怖をさらに駆り立てる。
その時だ。
「私の娘に、何をするっ!」
そんな怒号が響いたと思ったら、レーゼを床に押し付けていた力が、嘘のように消え去った。
何があったのか……恐る恐る顔を上げたレーゼは、飛び込んできた光景を見て、別の意味で涙を零す。
そこにいたのは、レーゼと同じ青髪の女性。
自身の背丈以上もある大剣を構え、レイパーと対峙していた。
そう、彼女は……
「お、かあ、さん……っ!」
「レーゼっ! 大丈夫っ? ――くっ?」
レーゼの母親にタックルしてくるレイパー。それを剣で防ぐが、想像以上のパワーに、彼女の顔が苦悶に歪む。
何とか敵を押し返して横に一閃放つが、最小限の動きでそれを躱されてしまう。
隙が出来たところに腕を伸ばして攻撃を仕掛けられるが、それはバックステップで回避。
そして素早く縦に一閃を放つ。
だが、
「何っ?」
あろうことか、彼女の振るった剣に、レイパーは噛み付いてきた。
相当に重量のあるアーツだ。その一撃を顎の力で押し留められてしまえば、驚くのも無理は無い。
しかも――メキリ、メキリと、アーツから嫌な音が響く。
このままでは不利だと、レーゼの母親が強引に剣を振るい、レイパーを引きはがす。
それでも、アーツの刃に大きな罅が入っているのを見て、苦悶の表情を浮かべた。
ちらりと、彼女は娘を……蹲り、震えて動けなくなっているレーゼを見る。
今ここで負けたら、きっと自分諸共、レーゼも殺されてしまう。
それだけは、絶対に許してはならない。
レーゼの母親は大きく深呼吸すると、剣の切っ先をレイパーに向け、腰を落とす。
次に全力の一撃を放ったら、きっとこのアーツは壊れるだろう。
だから、それで決着を着けなければならない。
(お願い、私のアーツよ……もう少しだけ、頑張って!)
確実に、正確に、渾身の一撃を、レイパーの胸元に叩き込む。
それだけを意識して、己の全神経を、アーツに集中させる。
そして――
***
「おかあさんっ! おかあさんっ!」
レーゼが、腹部と右腕から血を流して倒れる母親に駆け寄り、涙を流しながら揺すっていた。
レーゼの母親の右手には、柄だけになったアーツが握られており、焦げた地面には、粉々になった刃の破片が残っている。
「だ、だい、じょう、ぶ……急所は……外している、から……」
まさに、息も絶え絶え。
傷ついた右腕は、動かない。
だから左手で、レーゼの頭を撫でる。
「ごめんなさいっ! わたし……わたし……っ」
「部屋に、行ったら……いなくて……心配したのよ……」
探しに出たら、レイパーが出たと知り、しかも女の子から、青髪の女の子が襲われていると聞いたのだ。
嫌な予感がして駆け付けてみれば、案の定、それはレーゼだった。心臓が止まるかと思った。
「女の子、守ったって? よく、頑張ったわね……えらい、えらい……」
「えらくないっ! わたしのせいで……っ」
「悪いのは……全部レイパー。あなたじゃ、無い……」
視界と思考が霞む。
スーッと意識が遠くなる。
そんな中、
「無事で……良かったわ……」
静かに目を閉じる前に、その一言……込み上げる想いが、口から零れるのだった。
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